2021年10月15日金曜日

小松左京の文章は読ませる、つまり上手い

6時17分起床、気温25°C、外気温17°C。


朝読書。『小松左京自伝』の続き。

56頁。「小松左京の誕生」から

28歳。ラジオ大阪で漫才(いとし、こいし)の台本書き。
『SFマガジン』創刊、昭和34年12月。シェクリイ「危機の報酬」。
「シュールで鮮やかな、面白いSFが書きた」くなる。文学への反逆精神。「ひっくり返す」ことがもっといい文学を生むだろう。

「地には平和を」。ペンネームは小松左京とした。S36年SFマガジンで選外努力賞。賞金5000円。SFマガジン編集長、福島正美に目をかけられる。『宇宙塵』に掲載される。

S37年、「易仙逃里記」。
S38年。「紙か髪か」、『オール読物』掲載。吉田健一に評価された。
S38年8月15日、短編集『地には平和を』。直木賞候補。
S39年、『日本アパッチ族』、光文社から。『復活の日』、早川書房。

64頁。
筒井康隆の同人誌『NULL』。
S38年、「日本SF作家クラブ」。半村良。星新一。「黄金の60年代」。桂米朝、「地獄八景亡者戯」。梅棹忠夫、『文明の生態史観序説』。

68頁。
「万博プロデューサー」
『中央公論』に「情報産業論」、梅棹忠夫。S38年。
社会全体の風通しが良く、エネルギーに満ちる。

日本未来学会S43年創設。
S45年(1970年)3月15日、万博開幕。(オムロンのICチップを見る。)
6千万人(すごい)が観る。

『国際SFシンポジウム』。

一方ここまでに
『エスパイ』、『果しなき流れの果に』、『明日泥棒』、『継ぐのは誰か』、『見知らぬ明日』。
『地図の思想』、『探検の思想』。

S46年、高橋和巳死亡。39歳。茫然自失。

76頁。
「日本沈没」
1973年3月、カッパノベルス。
戦争の悲惨さを忘れるなと、高度経済成長に浮かれる日本人に言いたかった。

***

昨日に続き、孫の世話に行く電車内の読書は、『日本沈没』。

映画化などされる時には省略される、地球物理学的な説明は、難しい理論(的な)部分を小松左京がうまく書いていて、教科書を読むよりわかりやすい。そして地球物理用語が懐かしい。高校生時代に習ったたとえば「アイソスタシー」、これを説明するH高校の地学の大池先生の顔や口調や板書の図までをありありと思い出す。

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