「朝起きる→ゴミを捨てに行く→朝飯のしたくと食事→風呂にはいる→掃除をする→仕事開始」 これが通常の順序だが、なんでこのとおり毎日やらなけりゃいかんのか?
この数日は、食後不定期に起きる腹痛の用心で、食事前にいろいろな用事を済ませることにしている。朝一番は前日夜以降の絶食状態(誰でもそうだ)のおかげで、いちばん元気だ。そこでこの順序になる。「朝起きる→ゴミを捨てに行く→掃除をする→風呂に入る→朝飯のしたくと食事→仕事開始」これでいい。
ことによっては最初に「仕事」を持ってきてもいいだろう。明日はそうしてみるか? じゃぶじゃぶ。
そういえば昔アジャイルとかいうものが流行りだしたころ、アジャイルなプロジェクト運営がいいのか従来型の(たとえばWF)運営がいいのかと真面目に議論していたことがあった。
(わたくしの居たギョーカイだけの話です。ローカルですみません。目的の結果をまずは一部でも手早く出してから、ブラッシュアップしてより顧客の要望に合致した成果物をつくるか、完全と思われる成果物を作るための計画をきちんと立ててから仕事を着実にこなすか、という些細な相違ですm(_ _)m )
『アジャイルと規律』という本があった。ベームという偉い(これもローカルな話ですが)先生が、アジャイルなやり方も従来型の規律正しいやり方もいいところをとってやりなさい、とものすごくあたりまえなことを言った本である。あたりまえすぎて恥ずかしいくらいでした。
でもやはり変な人が、「どっちが正しいんですか」などと聞いてきて困った。だいたいそういう人は実際にプロジェクトを動かしたことがない、あるいは動かしたと称して足を引っ張る人だった...かもしれない。
風呂にはいるまでの順序は、決めておくのが気楽だと考えることもあるし、体の状況によって柔軟に変えるべきだとも思う。ようするにどちらでもよい。ケースバイケース。
『都市と星』というA. C. クラーク先生のSFがある。(こればっかり話題に出すな? いいじゃないですか、素晴らしく含蓄のある本なのですから。)
ここで出て来る遠い未来の都市(外部とは交渉がない)の住民たちは、実はメモリー上に記憶されたものを仮に実体化したものである。パーソナリティは永遠不滅。ただし、生殖器官が退化している。未来の農村に住む人達は有限の生命しか持たないが、そのかわり子供を含めた楽しい家族生活を送っている。
都市の住民だが、外部世界に興味を持った少年アルビンが、村の世界を発見し、はては都市と村を融合させ、宇宙に飛び出すことに夢をはせる。
ここにもアジャイルと規律の対立と止揚が描かれている、と見ることができる。両者の中に立って悩み、融合を考え、成功したり失敗したりという物語は世界に多くある。(捜してみるというのも今後の勉強テーマにします > 自分 )
風呂からあがり、遅い朝食をとる。やはりまだ軽めに。今日はスケジュールの関係上一人で食べた。そこで、食べているときにはうるさいTVを消してみた。食事に集中できてなかなか気分が良い。体にも良さそうだ。
食事のメニューからは最近、化学薬品系の添加物のはいった食品は除いている。自分で茹でた卵なら腹痛は起こさないが、市販のゆで卵のサンドイッチを食べるとすぐ、胃袋がストライキを起こす。すごく感度の良いセンサーが内蔵されているようだ。(内臓だけに、なんちゃって(^_-) )
敏感すぎる胃袋は、ある意味ではありがたい。体に良さそうなものしか食べられない。長生きしそうである。
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