高校の書道の時間には、王羲之や欧陽詢を習ったが、空海があったかは覚えていない。「風信帖」はやったかもしれない。さだかでないのは、真面目に練習しなかったからでしょう。教科書は金子鴎亭さんの物だったような気がする。
で、昨日掘り出した石川九楊先生の『日本語の手ざわり」(2005年 新潮選書)を拾い読みして、空海の部分に掲題のものを見つけた。自由自在に書いているのに驚いたが、王羲之や欧陽詢をあらためて見ると、やはり自由自在に書いている。
真似して(いわゆる臨書で)書こうとすると、「自由」に書けなくなる。かといって、自分なりに書くと、いかにも素人っぽい。一つの字を何回書いてみても、気に入ったものは書けない。そして、上手に、気取って、書こうとすると嫌味な字になる。
書はムツカシイがそこが面白い。趣味としては悪くない。少なくとも絵よりは良し悪しが解る気がする。しばらく遊んでみたい。
家人がパンを買ってきた。今流行の、あんこ入り食パン。味もいいが、断面が面白い。篆書に似ているかもしれない。空海の字には自然の事物の形と心が取り入れられているがそこが好ましい。そして、字を書いたときの空海の精神に触れられる気もしている。
退院後はじめて床屋に行く。あらためて写真に取ってみると、髪が白い。夕方なので、髪に何も付けず、洗いざらしなせいもある。年相応だ。
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