2020年4月23日木曜日

異文化を知ることは面白いが苦労も伴う

昨日の朝日夕刊に伊東潤さんの『茶聖』が紹介されている。秀吉と手を組んで「文化」のちからで戦争のない世にしようとした利休だが、秀吉の権力欲とぶつかって、関係が悪化するところを書いた作品ということだ。末國善己さんの書評だ。




今読んでいる、『ファウンデーションへの序曲』の部分では、まだ若いハリ・セルダンが、「心理歴史学」という理論で人類の暗黒期を短くすることを考えるまえの、修行期が描かれている。やはり皇帝派とぶつかる。これは現実世界でアシモフの考えていたこととどうからむのか。彼が執拗に追求した「科学読物」、「科学解説」の書かれた理由はそこと関係あるのか。

これを読み終えたら、利休の本も読んでみたいが、とりあえず、ハリ・セルダンを追ってみる。

だんだん、セルダンには「古代世界」マイコゲンの文化がわかってくる。宗教が大きな役割をはたしていそうだ。「本」を苦労してマイコゲンのひとから借りる。ドースとともに驚いたが、「本」はまったくビデオ化されていない。「印刷」された古めかしい本だ。スイッチにふれると、各行が順次見えるようになっている。マイコゲン語か銀河標準語かは選べる。

「特別に意義のある建物…一種の神秘的価値があって…」それは「寺院」のことか、その単語はしらなかった…という意味の二人の会話もある。そして言葉は廃れているが、実際の「寺院」はあった。

個人的には247ページの「部族図書館」が興味深い。「部族」とはマイコゲン以外の「野蛮」な外国人のこと。その「ブックフィルム」や「本」が収められている。一般には閲覧は許されていない。たとえば、「猥褻」な「頭髪などの毛」もそのなかで見られるからだ。ちなみにマイコゲン人は思春期に全身脱毛をする。



随分迂路をたどっているが、理論を完成させるには歴史のことなるいろいろな文化を知ろうとする、こんな苦労があると、アシモフは言いたいのだろう。これを書きながらも、アシモフ自身もいろいろな偏見とたたかう毎日だったと思う。

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2ヶ月ぶりで床屋に行った。コロナ禍で髪が「猥褻」なほどにボサボサに伸びていたので、終わったらスッキリした。次に床屋に行くときは心置きなく行きたいものだが、「それは難しいだろう」というのが、床屋さんと二人で出した結論。

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