『小津安二郎先生の思い出』読了。
笠徹(息子)の「巻末エッセイ」によると、笠智衆は明治37年5月13日生まれ。周囲は明治40年生まれと言っていたらしい。ともかく私の父と誕生日は同じで、年は2歳上。日露戦争中に生まれていたわけだ。
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小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』(日本図書センター)を読み始める。
私なら、小津安二郎をトウフ屋と呼ぶよりは、小津の魔法使いと呼びたい。
蒲田の撮影所の食堂で順番を無視されて監督に先に渡された大盛カレーライスを、不当だと奪い返す。それが話題となり撮影所長が、助手だった小津に時代劇『懺悔の刃』を撮らせた。1927年春の実質デビュー作。
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『トーマス・マン日記』
1951年3月13日。
クルルがスタンコに教えられた通りにモンマルトルの時計修理屋に、「盗品」の宝石類を売りに行くのだが、そのパリの道筋の訂正。地図を調べたのか?
1951年3月17日。
第2部第9章を書きはじめる。エレベーターボーイ経験とマダム・ウプレとの経験。
3月18日。
はかばかしくは(書き)進まない。濡れ場は不得意なのかも。
3月19日。
書き進める。
スイスに滞在するとしたら3ヶ月毎に出入国が必要だ。
フィッシャー書店から『選ばれし人』は1万部出して売り切れとの知らせ。
3月20日。
『ファウストゥス博士』も『魔の山』も売れている。
3月21日。
高級ホテル、ベル・エアに滞在中のマイアー女史に表敬訪問。
3月22日。
マダム・ウプレとの記述に切実にかかわっている(?)。
3月24日。
書き進める。
3月26日。
官能的に没頭して仕事。
3月27日。
官能的に没頭して仕事。
3月28日。
官能的に没頭して仕事。
3月29日。
エーリカはアメリカを攻撃。Kはそれに耐えられず悲しむ。
3月31日。
第9章を終わりに向けて書き進める。
胃に不快感。官能的に仕事しすぎたから?
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『成城だより』
4月8日。
中原中也『山羊の歌』の名の由来話。
4月9日。
『地獄の黙示録』についてのかまびすしい議論。試写会は2月7日で、寒くて不参。今の上映時間を調べるが、早すぎたり遅すぎたりだ。
コンラッドの『闇の奥』との類示と、無意味な邦題の関係。「黙示今こそ」とか「現代の黙示録」とすべきだった。
4月11日。
渋谷へ。新しくできた109ビルをみる。息子が一部を設計した。渋谷東宝3時30分の回に入り、『地獄の黙示録』(35㎜フィルム版)をみる。十分感動し、四分の三ぐらい満足。
4月12日。
大学前通りのレコード屋で、ジム・モリソン「ジ・エンド」は買わずに、「地獄の黙示録」のサウンド・トラック2枚盤を買う。
日本人の「地獄の黙示録」への思い入れにはそれぞれに深刻な思い入れが含まれている。
4月14日。
ダイヤローグ全文を借りる。
右頸のつけ根に湿疹、医者はヘルペスと言う。
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