11月2日、朝は晴れている。昨日の疲れで、朝から眠い。
昨日、組み立てたベビーベッド。親のベッドに隣接させて使うタイプ。(こんなの初めてだったので、組み立てに手間取った。)
ここに、明後日からこんな感じで寝せる予定。
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『アシモフ自伝』、タイム・ワープする。
アシモフは1949年5月10日、一般聴衆の前で初めて講演した。主として中年婦人30名で、上手にできたという印象しか残っていないと。この前にライナス・ポーリングの講演を聞き、感銘を受けてその影響をうけたらしい。
6月1日。
ボストンのメディカル・スクールに助教授として初出勤。正教授のビル・ボイド(友人)は年棒6,000ドル。
6月25日。
手がけていた『私と共に年を取れ』という名の作品を『宇宙の小石』に変える。
最初はニューヨークを離れるのがイヤだったが、住み始めたボストンも次第に好きになった。一時住んだフィラデルフィアよりは活気があり、自由主義的でアカデミック。
10月25日。
『宇宙の小石』のゲラ刷りを受けとり、念入りに眼を通す。翌年1月19日に出版される予定だ。
11月9日。
翌年のメディカル・スクールでの棒給が決まる。同じ日に、『宇宙の小石』の前渡金450ドルが入ることが決まる。家賃半年分だ、やった。
11月15日。
『暗黒星雲のかなたに』の梗概を書く。5日後に書き初める。
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『トーマス・マン日記』の続き。
1950年9月30日。
悪名高い李がソウルに復帰した際に「マカーサー」が驚くべき演説。
10月15日。
昨日まで暑かったが、気温が正常になる。ひげを剃る。最後から2つ目の30章を書く。午後、とても疲れていたのに休息しなかった。
10月17日。
クラウス・プリングスハイムは日本でいい職が見つかりそうだ。
10月21日。
エーリカの胃は心因性だろう。
10月26日。
『選ばれし人』の最後の数行を書いた。
映画『サンセット大通り』を観た。見事な撮影と演技。
脱稿のお祝いをする。
10月27日。
散髪。午後、長時間眠る。
『選ばれし人』のタイトル・ページ、後記、索引を作成。
11月2日。
トルーマンに対する殺害未遂事件。
バーナード・ショウ死去。94歳。
11月4日。
BBCのためのバーナード・ショウについての30分間の講演をすることになった。4週間猶予がある。
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良いページ見つけた。トーマス・マンの『ファウストゥス博士』を含む英訳本あり。
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