朝の妄想(だがまんざら嘘でもない)。
この世で最も安上がりの娯楽は「読書」だ。私の例を紹介しよう。
(1)自宅の第一書棚には3千冊弱の本がある。これは学生の頃から小遣いをやりくりして購入したもの。
(2)歩いて5分の第二書棚には30万冊。管理にはもちろん司書を雇ってある。机もWi-Fiも完備。喫茶室付。
(3)電車で60分の第三書棚には数千万冊。独立した堅固な建物に保管してある。司書は1000人位。特に良く読む本300万冊はインターネット経由で読めるようにしてある。他に世界の主要都市には数百万冊単位の図書を用意してある。
これらは実はまったく無料で読める、わけではなく、税金のなかで自治体や国が管理してくれている。最近は公的年金しか収入がないので、払っている税金は多くない。その割には見返りの多いことだ。
***
「安上がり読書」実践。9月10日(昨日)夜の巻。
夕方、図書館で借り出した本5冊と郵便で届いた古書1冊を手に、寝床へ。「苦沙弥先生」とは違い、真面目に本の品定めをする。
装丁を鑑賞し(ここは図書館本の欠点、透明シートが本来のカバー上にかかり、本体の装丁が見えないことに泣く(T_T) )、口絵を眺め、目次を眺める。前書きを読み、後書きも読む。参考図書や著者の略歴にも必要に応じて目を通す。
これを6冊やると、1時間では済まない。72分くらいはかかる。どうしてもこらえきれずに、本文を読み始めてしまうことがある。読み続けて、夜ふかししてしまうと、体に悪いので今回は思いとどまる 。(しかし、Apple社のイベント中継を観てしまったので結局寝不足。)
このあたりでこれらの本を読む自分なりの目的を考えておくと、後の本格読書のためになる。漫然と読むのはもったいない。目的はブログに書いておくと後で思い出せて好都合。
一方、ここまでで、本によっては、本文を読まなくても良くなることがある。意外につまらない本。長すぎるので、さわりだけ読んでやろうと思う本。前書き、後書き、目次だけでわかってしまう本。
昨夜の本たちは粒ぞろいで、皆、本文も読もうと思わせた。そして、関連本の情報も手に入り、慌ててその本を書棚に探しに行ったり、図書館予約したりした。たとえば、漱石の『文学評論』、これは手持ちの全集に一応入っていたので少し安心した。
『吉田健一ふたたび』に関連する本、特に吉田健一の著書たちは問題だ。またぞろ著作集が欲しくなってきた。買えないので、目次のWebページ検索と図書館頼みで我慢することにする。『吉田健一ふたたび』の初期の編集に竹田純さんが関わっていたというニュースも手に入った。ついでに、吉田健一が使っていた座り机の片隅にはスミス・コロナのタイプライターが乗っていたという情報も見つけた。(これはTweetしておいた。)
そして執筆者がほとんど若い人ばかりなのにオドロキ。
これだけで、私のような素人読者が本から得られる情報のうちのかなりな部分が手に入ってしまう。本屋や図書館の立ち読みではこの利得は得られない。物理的な本を寝床に持ち込んで、リラックスして愛玩するのがコツだろう。
***
夕方、大ニュースが飛び込んだ。加入しているALL REVIEWS友の会の10月例会で、鹿島先生と高遠先生の対談(もちろん、プルーストのお話)が行われることになった。友の会会員には、申込み先着順でビデオ収録現場に立ち会えるという、余禄がある。早速申し込んだ。高遠先生と、先日南青山の講演会で果たせなかった、直接の会話を交わすという楽しみが湧いてきた。
まだの方には、ここからの申込みをオススメ。絶対に損しません。
https://allreviews.jp/news/2936