2019年9月30日月曜日

『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』を読みながら漱石の苦闘も思い浮かべる

ご近所の工事現場。小規模だが賃貸の集合住宅ができる予定。

これは基礎工事のためだが、地面を面白い形に掘って、コンクリートを流し込もうとしている。迷路状になっているが、これを眺めた後、昼寝したら、この迷路に迷い込んで出られなくなった夢を見た。体は小さくなっていたのだろう。割と怖かった。寝る前に知人のお土産で大きな大福を食べたので、興奮したのかも知れない。


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『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』(角地幸男  新潮社装幀室装幀 2014年 新潮社)を110頁まで読んだ。吉田健一がいかにして日本語で著述ができるまでになったかを描く。

11頁。書物の引用は間違っている方が本当だ。つまり、引き写すのでなく、読んで理解したもののほうが真実と言うに値する、とあった。なんだか、元気が出る話。
32頁。まず、英国のことを片付けるために、英国三部作を書いた。「英国の文学」、「シェイクスピア」、「英国の近代文学」。ナチュラルに英国文学を語ってしまうのがすごい。夏目漱石が愚直に「英国文学」と格闘したのとは大違い。後に、「東西文学論」、「文学概論」も書く。漱石も「漢文学」を書けばよかったのに。
自叙伝的な「交遊録」を読むべきだ。読んだが忘れているのかも知れない。
53頁。「余生の文学」に言及。これは明後日読む。
96頁。シェイクスピアは「大衆文学」を書いたのだとして、大衆文学の時評を書き始めた。

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明日からは、ハロウィン商戦だという構えで、消費税不況を乗り越えようとするスーパーの工夫は実るか?

2019年9月29日日曜日

『書物とともに』(寿岳文章)は参考になること満載だし、なによりオモシロイ

『書物とともに』読了。
Bibliographyを書誌学と訳すか、特定の書誌(例えば個人の著作目録とか)と訳すか、の大論争がマッケロウの『文学研究者のための書誌学入門』(An Introduction to Bibliography for Literary Students)をきっかけに巻き起こった話が紹介される。

そしてウィリアム・ブレイズの『書物の敵』などの紹介も。カクストンの評伝も。Internet Archiveで読めるので、読もうかしら。イギリスの活字文化がわかる。

書誌学は過去の書籍を研究するけれど、出版業の未来を考える「出版学会」が立ち上げられたときの講演(1969年)も収録されている。この本の編者の布川角左衛門さんもその立ち上げに参加している。
最後(293頁付近)で、低俗な政治家の影響や高度経済成長に狂奔する人々の影響で、書物の危機が訪れていると述べる。良い出版者が不在であると。

出版学会とは盲点だった。調べるべし。
http://www.shuppan.jp/

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人間的にも興味の出てきたので、寿岳文章さんに関する本を二冊また図書館システムで予約。

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今日、稀勢の里の断髪式があった。

2019年9月28日土曜日

『書物とともに』は読んで楽しい本だ


『書物とともに』を180頁まで読む。朝、昼、午後に分けて。
66頁。「製本師」は「書物の敵」かという議論。必ずしもそうは言えないし、装幀家ばかりでなく、製本をする人も尊重しないとダメである。
68頁。活字の大切さ。寿岳文章さんは、活字の良し悪しが本作りで最も大きな要素だという。で、この当時(1950年ころ)には、良い活字がないのを嘆く。戦前より退歩した。ラテン文字は26文字であることも手伝い、良い活字がたくさんある。日本には…というわけだ。光悦本などの木活字の素晴らしさにも触れる。ここも追求してみたい話題だ。
72頁。「人間書物」という話題もオモシロイ。イリーンが『書物・その起原と発達の物語』で冒頭に取り上げているそうだ。もちろん、日本にも「語部」がいた。
114頁。モリスの活字の美しさの議論。

ともかく良い本だ。明日には読み終えるだろうが、ゆっくり読み直したい本。

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『平野甲賀[装丁]術・好きな本かたち』(平野甲賀 1986年 晶文社)も読んだ。装丁の手順が少し飲み込める。平野さんの装丁で使われる「文字」は手書きなのだった。加工にマッキントッシュは使うのだとか。

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ワールドカップ・ラグビー、アイルランドにも勝ってしまった。オドロキ。

2019年9月27日金曜日

『居候匆々』(内田百閒)の挿画は谷中安規の版画、その素晴らしさにひっくり返った


朝六時起床後の読書、今日は『居候匆々』(内田百閒 1984年 旺文社文庫)。数ヶ月前に先輩から頂いた文庫本で、読まずに放り出してあったが、何の気なしに手にとった。内田百閒唯一の新聞小説だそうだ。苦学生が学校の先生の家に住み込む話だが、この本には多くの版画が挿入されている。そしてそれがみなすばらしく存在感を発揮している。谷中安規の版画だ。
文庫本なので、縮小されているのだが、それでも迫力がある。発表当時の新聞は見つけるのが大変そうだが、単行本が昭和12年に小山書店と言う所から出ているらしい。これは、国会図書館に行けば、デジタル本だが、見ることができる。近いうちに機会を作って拝んで来たい。

谷中さんの自画像。これはパブリックドメインらしい。棟方志功を思わせるが、実際にお互いに知っていたらしい。

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集合住宅の庭の草刈りの日で、エンジン音がうるさい。そこで、まだ午前中だが、図書館に本の交換に行ってきた。10冊きれいに返して、予約しておいた7冊を持ち帰った。
まず、『書物とともに』(寿岳文章 布川角左衛門編 1980年 冨山房百科文庫)を50頁ほど読む。書籍の良さはその内容だけが決めるのでなく、装幀が問題であるとおっしゃっている。今の自分の興味にピッタリだ。(興味に応じて選んだので当たり前だが。)

2019年9月26日木曜日

『天才たちの日課』はミーハー的にオモシロイ

『本当のような話』は今朝また、6時に起きて読み、無事に朝食前に読み終えた。
『東京の昔』や、最近読んだ『瓦礫の中』のように、戦災前の東京へのノスタルジーを感じる作品だった。

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毎朝、本を読むという習慣を数日続けてみた。読書の能率が、朝は上がるような気がする。

『天才たちの日課』(メイソン・カリー 金原瑞人/石田文子訳 戸塚康雄デザイン 堀節子装画 2014年 フィルムアート社)も並行して読んでいたが、これも読了。有名作家やアーティストの日常創作生活をまとめた本。実は読むのは二回目。オモシロイというより、参考になる本。今回の朝読書も、この本をヒントにして始めた。日本人で取り上げられているのは村上春樹だ。

この本で、バルテュスの日常(毎日絵を書く、晩年はスイスの豪華な山荘で、節子夫人に助けられながら…)を知って、彼の評伝を図書館で注文した…ことは昨日も書いたなあ。

2019年9月25日水曜日

吉田健一の『本当のような話』、話は本当でないだろうが、社会批評は本当だ

また、朝6時起きして『本当のような話』を180頁まで読みすすめる。話の筋はたわいがない。そしてもちろん、筋を追って読むような古風な小説ではない。
83頁。「今の東京は明治以後に一切の計画を抜きにして出来上った町で折角の関東の大震災や今度の戦争中の空襲も区劃整理と町の根本的な改造に役立てられず、…」と手厳しい。

吉田健一のこの訴えを真面目にとらず、東京という町をおざなりに発展させてしまった我々は、東北の大震災とそれに伴う原発事故をも教訓と出来ずに、チャンスだった社会の改造にも失敗している。人間として基本的な問いかけ、どのような理想を目指して生きていくのかを考えることを、ないがしろにするわれわれの性格には絶望をすら覚える。

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装幀の勉強を始めるために、新たに平野甲賀さんの本を二冊予約。『天才たちの日課』で知った、バルテュスの評伝も予約した。これは装幀とはあまり関係ない(だろう)。


そして、恩地孝四郎さんの著書(挿画も)も読むべきだと知り、国会図書館デジタルコレクションでいくつか眺める。これなども、面白そうだ。

2019年9月24日火曜日

どれを使うか、装丁・装訂・装釘・装幀、はたまたブックデザイン?

『本当のような話』(吉田健一 香月泰男装画 1973年 集英社)を読み始めた。オモシロイが、昨日の『瓦礫の中』のように一気に読了とまではいかなかった。でも80頁まで読んだので、なかなかいける本ではある。
最近のTwitterBOTの吉田健一引用で「民子さん」がよく出てくるのだが、この本の書簡集の読書が好きな主人公だった。76年頃読んだはずなのに忘れていた。
冒頭の目覚めのシーンはプルースト的。しばらく進んで話が展開しそうになってきたが、今日は時間切れ。

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ところで、吉田健一は「装釘」という言葉を使っている。装幀や装丁がフツーと思っていたが。英語でいうとブックデザインか? 少しこのあたりを明確にしたいと思う。とりあえず、インターネットや蔵書(布川角左衛門、栃折久美子)にあたってみても全然わからない、いや、初心者にとってはなかなか奥深くてオモシロイ。
花森安治は「装釘」派という説を見つけた。掛け軸を仕立てたら最後にしっかり釘で止めるだろうとのことらしい。
http://www.1book.co.jp/004846.html

忘れてはいけない(私にとっては忘れられない)本、『バビロンの流れのほとりにて』では、森有正先生があとがきで、「装幀をしてくださった栃折さん」にお礼を述べておられる。

植草さんの遺稿が収められている『退屈の利用法』には、「ブックデザイン 平野甲賀」の文字が…

他のいろいろな本をあたると、いろいろな表記がされている。それぞれのケースでそれぞれの言葉を使う意味やニュアンスがあるのだろう。そこを汲み取れるようになりたい。

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勉強のため『書物とともに 富山房百科文庫』と『書物學 1 書物学こと始め』を図書館システム(第二書棚の…)で予約。楽しみだ。


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節約しようと、医者に行くのを延期していたが、とうとう今日定期診断を受けに行った。節約生活のおかげで中性脂肪の数値が珍しく正常値になった。ともかく目的の抗アレルギー薬をもらったので、飲んで昼寝。皮膚のいやな掻痒感は劇的に、なくなった。

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夜、BSでリスボンの紀行番組を観る。鰯の塩焼きを赤ワインで食べるのがうまそうだ。マカオでも食べたな(遠い目…)。リスボンに滞在して「詐欺師フェーリクス・クルル」の続編(!)を構想するのが夢だ(もっと遠い目…)。


2019年9月23日月曜日

『瓦礫の中』読了。読む楽しさを再発見。

『瓦礫の中 (吉田健一著作集第十七巻)』(1980年 集英社)を読んだ。

今朝は少し早起き。5時50分から読みはじめ、途中中断はあるが、昼食前に読み終えた。久しぶりに、「読む楽しさ」を純粋に感じることが出来た。学生時代まではこの楽しさをいつも味わっていたような気がする。良い映画を観た後に感じるようなカタルシス。

ストーリーは単純だが、中で動いている登場人物が生き生きと動き会話する。終戦直後占領下の瓦礫の中での暮らしを描いているのだが、深刻ぶらず飄々と生きる人達が描かれる。(恵まれているからだと言うのは簡単だが、それだけが、彼らの豊かな生き様の理由ではない。)知識のみでない良い意味の「教養」がかれらの余裕の源泉なのだろう。米軍将校もその例外ではないので、「人間」として主人公と付き合っている。

もちろん、吉田健一の小説なので、なかで出てくるいろいろな酒を飲みたくてたまらなくなる。

この著作集は装幀が美しいだけでなく、しっかりしている。装幀家は栃折久美子だ。

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他の文章もよみたくなり、著作集の十六巻も借りる予約をした。

2019年9月22日日曜日

『読書欲・編集欲』(津野海太郎)を読んでから植草甚一さんの本を並べてみた



『読書欲・編集欲』(津野海太郎 2001年 晶文社)を読んだ。
津野流の「本とコンピューター」の話が主だが、植草甚一さんの回顧談も少しでてくる。
これは参考書。紙を消費するのは圧倒的に公務員なんだとか。
「編集者としての植草甚一」。『宝島』(『ワンダーランド』)の「重しみたいな役」を引き受けさせる。青山の事務所に専用デスクを設置したが、植草さんは最初に一回座っただけ。編集会議には出ないで、津野さんや高平さんが、プランを持って相談に行くと全部OK。「責任編集」。巻頭言で「がんばろう」と言ってくれた。あとは、『自伝』の原稿を渡してくれた。

本当の編集者としての植草さんを語るなら、戦前戦中の東宝社員時代の映画プログラム300点や、1950年代の創元社の「クライム・クラブ」シリーズを取り上げるべきだという。これは、個人的には少し追いかけてみたい。


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その件だけでなく、植草さんの事跡をもっと調べたくなり。手持ちの書籍を引っ張り出して並べてみた。


かなり、というか、亡くなった頃までの書籍は1冊を除き全部あると思う。1冊とは『外国の映画界』だけれど、これは「スクラップブック」に内容が収録されている。取り出しやすいところに、並べた。いい気持ちだ。これで安心していてはダメだが。

2019年9月21日土曜日

『ぼくたちの七〇年代』(高平哲郎)から日本の衰退の一つの理由を読み取る



昨日、第二書棚(*)から三冊出してきた本。
(*)https://hfukuchi.blogspot.com/2019/09/all-reviews.html

このうち、『ぼくたちの七〇年代』(高平哲郎 2004年 晶文社)を読んだ、文体に多少違和感を感じたが、すぐに慣れて、興味深い内容に引き込まれて一気に読了。高平さんは二つ年上だが、ほぼ同時代に生きたので、話題にはすべてついていける。

植草さんつながりで、読んだので、雑誌『宝島』の出版の顛末は特に興味深い。『WonderLand』という当初の誌名が、登録されていないか特許庁に行って調べる。分厚いファイルを何冊もめくり、大丈夫という結論に達するが、甘かった。第二号を出した直後に世界文化社から、クレームが来る。誌名を『宝島』に変えることで話がついたのは不幸中の幸い。

凝った紙面。まず、『アサヒグラフ』と同じサイズ。活版の新聞活字の清刷をとって、写植のタイトルとともに台紙にはりこむ、という手間のかかることをやった。
サイズは『ローリングストーン』と同様のタブロイド判に近づけたかったから。そもそもこの『ローリングストーン』誌の日本版を出そうと、せっかく入社した広告会社をやめたのだが、版権が取れなかったという不幸がその前にあった。

『宝島』をなんとか六号まで出したが、オイルショックと紙不足で、晶文社が手を引き、あえなく「休刊」となる。その後、小型の『宝島』をなんとか、JICC出版の出資で出し続けたが、売れ行き不振となり、ついに編集から外れる。

他に、植草さんの晩年のエピソードも出てくる。死後に資料が大部分散逸したことも。仕方なかった。

タモリがブレークする前後の話もオモシロイ。

70年代の理想が、オイルショックなどの経済的理由で潰えていく。この悲しさを十分に描写してくれる本だ。

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夜、巨人は5年ぶりのリーグ優勝。

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ここ2日間、「ジョン・フィールド」に凝っている。夜想曲の創始者と言われている。夜想曲(18曲)とピアノ・コンチェルト(1から7まで)を聞いた。おおらかな感じがいい。のんびりしたショパンという感じ。

2019年9月20日金曜日

『 Shakespeare and Company Paris A History of the Rag & Bone Shop of the Heart 』を読んだ

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店熱が上がってきたので、昨年新婚旅行に行った方々のお土産の本を読み始めた。(息子たちだけど。)
『 Shakespeare and Company Paris  A History of  the Rag & Bone Shop of the Heart 』
( Edited Krista Halverson 2016 Shakespeare and Company )という本。写真が多いので読みやすい。英語も簡単。45€。

初代のシェイクスピア・アンド・カンパニー書店の簡単な歴史が前置きにあって、今の同書店の創立者ジョージ・ホイットマンがいかにして二代目の書店を立ち上げたか、そして二代目書店にジョージ・ホイットマンがどのような思いを込めたのかを、ドキュメンタリータッチで描いている。文学好き同士の相互扶助コンミューンを、なんとか実現した。須賀敦子が描いたコルシア書店も思い起こされる。
ただし、ジョージ・ホイットマンの強烈な個性がコミューンを引っ張ったのが、大きな特徴か。有名人がたくさんやってくるのがミーハー的にはスバラシイ。

これを見ると、営利が目的ではない書店が成立することもある、そして、普通の書店とは似ても似つかないということが分かる。

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ともかく、これを読んでいると、ますます、またこの書店に行ってみたくなる。できれば泊まりたいが、名刺代わりの文学的あるいは編集的(?)業績がないとダメだろう。また観光客として行くだけでも良い。

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朝ドラで、亡くなった両親に作ってもらった、天丼の味が忘れられないという話を観たので、今夜は天丼を作ってみた。しかし天ぷらは既製品で、出汁だけ作ったので、あまり美味しくなかった。「てんや」でいいから行って食べたい。

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ワールドカップ・ラグビー初戦。日本はロシアに勝利。

2019年9月19日木曜日

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』を読めば書店に居るのと同じ気分だ

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』、二日目だけれど読み終えた。一気に残り200頁。

読み終えて感じるのは、非常に愛らしい作品ということ。著者が書店と書店主(ジョージ・ホイットマン)に感じていた愛情にあふれている。
ジョージ・ホイットマンは、1950年・60年代の米国の良い意味の草の根民主主義思想を持ち続けるために、米国を早くから離れたのだろう。それを嗅ぎつけて、世界からこの書店にあこがれて訪れる若者たち。見どころのある若者には、シゴトと住居と食事を提供する。いわゆる、コンミューン。ただし、毎日1冊は名作を読むことが条件だ。初代のシェイクスピア書店よりも、徹底している。対象の若者の年齢が若く、未熟なせいもある。
ジョージ・ホイットマン自身は、書店を維持し、若者を養うために、贅沢を廃して昔のヒッピーのような生活を90を過ぎても続ける。
Youtubeでいくつかのビデオを観るとその様子がわかる。床屋に行くのが面倒、いや多分料金を節約するために、ローソクの火を髪に点けて少し燃え上がったところで、手でもみ消す。これには驚いた。

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書店のスタンプには、KIROMETER ZERO PARISという文言があるが、ノートルダム大聖堂に隣接しているという意味。一方、書店のそしてパリの洗礼を受けた人は、世界のどこにいても、心の中では近くにいると感じるだろうという意味も込められているのだろう。

私の住んでいるところは、9700キロも離れているが、この本を読んでいる間は、その距離を感じさせない。
Google MAP

2019年9月18日水曜日

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』を読むと何だかほんわかとしてくる



『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(ジェレミー・マーサー 市川英里訳 2010年 河出書房新社)を読み始めたら、思った以上の面白さで、一気に100頁を読んでしまった。
新聞記者上がりのカナダから来た若者が、カネに困って書店に転がり込む。ヘミングウェイよりもちゃっかりしたジェレミーは、それでも店主のジョージ・ホイットマンに、一晩で書いた「自伝」を認められて、店のスタッフ扱い(寝床と食事が提供される、給与は?)にしてもらう。与えられたベッドの周りは、「図書館」の書棚で、1万冊が手に取れるところにある。老いた店主は、とにかく「古典」を読めという。

この物語が出版されたのは2005年、ジョージ・ホイットマンは2011年に98歳で亡くなっているはずだから、相当な高齢。まだ、娘は登場して来ない。ジョージの父親ウォルターは真面目な人で、科学の教科書を書いている。Internet Archiveで読める。奇特な方は目を通してもいいかも知れない。


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この書店には2010年以降、何回か行ったことがある。ヘミングウェイがらみの観光地として。本を買うと、スタンプを押して貰える。

ジェレミーが泊まっていた場所には入ってない。タイプライターが置いてあるコーナーは見かけた。誰もタイプを打ってはいなかったが。

2019年9月17日火曜日

『植草さんについて知っていることを話そう』読了

以下の趣旨のツイートをした。

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週刊ALL REVIEWS Vol.14(メール)が出ました。

巻頭言は私が担当でした。最近読み直している『植草さんについて知っていることを話そう』(高平哲郎)について書きました。植草さんの知られざる一面がわかるかも…

他にお知らせや新規書評紹介などもりだくさん。

無料購読申込みはこちら。
https://allreviews.jp/news/3395

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私の書いた部分はこんな感じです。
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『植草さんについて知っていることを話そう』は今日の朝、読み終えた。

山本容子さんの話は、ご本人の紹介が主なのだが、とてもオモシロイ。エッチングの大変さも伝わってくる。

若い大岡玲(あきら)さんや谷川賢作さんの、話もオモシロイ。植草さんの遺産を受け継ぐのはこの人達だろう。表現形式はもちろん似ても似つかないのだろうが。

最後の対談の部分には、蔵書(5万冊!?)の始末についての記述がある。基本的には古本屋に行っている。リストはどうやら作らなかったようだ(T_T)
日記や手稿がまだ残っているかも知れない。でも対談メンバーは整理・出版する気持ちはあまりなさそうだ。

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ところでドゥマゴ賞の小田光雄さんのブログがスゴイ。
http://odamitsuo.hatenablog.com/

2019年9月16日月曜日

植草甚一の蔵書に関する調査はどなたかやったのかしら?

『植草さんについて知っていることを話そう』の続きを読む。行ったことのないニューヨークの地理を諳んじていた植草さん。寺山修司に地図を書き与えて、喜ばれたが、寺山修司がいわゆる観光土産(自由の女神像?)しか、お土産に買ってこなかった。という話がおかしい。
植草さんは晩年に念願かなって、ニューヨークには3回行ったが、この本によると、ほとんど本屋通いに終始し、旨い料理を食べるでもなく、劇場に行くわけでもない。夜は買ってきた本のリストを作っていたらしい。莫大な量なので、本に関する以外のことをやる余裕がなかったのだろう。
その後割と早く亡くなったので、この本も含め、蔵書をどの程度読んだのかは謎である。もっとも、最近のおおかたの「理論」によれば、本は手元に置くだけで、何割かは「読んだ」ことになるそうだから、大きな問題はなかったのかも知れない。俗に言う積ん読。
どちらにせよ、蔵書目録の作成と未発表原稿の整理はして欲しかった。手遅れだろうが(T_T)

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積ん読だけではなく、かなり読んだと自信のある、『宝島』の創刊直後の大判雑誌を出して眺めてみた。最初は『WonderLand』という誌名だったが、問題があり三号から改名した。植草さんは、名誉編集長だった。古雑誌はほとんど捨てていたが、この『宝島』だけは、植草さんが絡んでいた号は保存してある。大判の6冊以降は小型になり、紙質が(わざとだが)悪く、おかげで軽いので保管には便利だ。しかし、紙は赤くやけており、読みにくい。大宅壮一文庫には『宝島』もあるらしいので、どのように保管されているのか、見に行きたい。

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植草さんのことは、明日夜配布予定の、ALL REVIEWSメルマガの序文でも書いた。読みたい方はこのブログの右上のリンクをたどると、申し込める。
いや、申し込めます。ぜひそちらも読んでくださいm(_ _)m

2019年9月15日日曜日

読書家の休日

来年のオリンピックに出場するマラソン選手を決めるためのレースを見ながら、出かける支度。ゴールは間に合わなかったが、あとで、優勝したと知った女子選手の美しいフォームに見とれた。

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11時過ぎに、家を出て、武蔵小金井に向かう。このコンサートだ。
http://www.ensemble-grune.org/


姪のTがヴァイオリンを弾いている。毎年、招待券をいただく。生の演奏を聞く機会は、最近ほとんどないので、ありがたい。

途中乗り換えに失敗したりしながらも、余裕を持った時間に武蔵小金井駅に到着。駅のスターバックスでコーヒーとサンドイッチの軽食を摂る。


宮地ホール。なかなか良いホールだ。


演奏はなかなか良い。音の厚みがある。そして、クラリネットの独奏者(ゲスト)の出す音が魅力的だった。そして、以前から気がついていたが、パーカッションのAさんの音も仕草も小気味好い。

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6時過ぎに帰ってきて、スポーツニュースを観たら、九州場所の「マドンナ」が今日は向こう正面の勝負審判の横に座って観戦していた。ニュース画像ながら、見逃さなくてよかった。

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おかげさまで、今日は一字も書籍の活字を読まなかった。たまにはいい。眼にもいい。

2019年9月14日土曜日

『植草さんについて知っていることを話そう』を読むと植草さんのイメージが崩れるので初心者には向かない

集合住宅の庭で花を育てる有志グループにJが居るので、時々花の苗の買い出しのドライバーに駆り出される。

今日は一時間弱かかるお店に行った。到着すれば、奥様たちの買い物が終わるまで一時間半くらい暇になる。今日行ったところは、町外れで周りは自然豊かなので、植物と昆虫の写真を撮ってみようと、駐車場のはじの土手に行ってみた。

傾斜があるが、これが意外に、写真を取るのに向いている。風が遮られて被写体ブレが少ないし、しゃがみこまなくても低いアングルで撮ることができる。

昔(十年くらい前)は、一眼レフと接写レンズで、息を止めて撮っていたが、体力的にそれは無理。iPhoneで気楽に撮る。ピンぼけも気にしない。

葛の花。お店の人が手入れしているらしく、適度に茂っている。放っておけば猛烈に伸びているはず。

ジェット機のように飛ぶセセリチョウ。

ヤマトシジミ。相変わらず可愛い。

ツユクサ。この世のものと思えない色合い。

大体、標準的な顔ぶれが撮れた。本当は葛の葉が好物のゾウムシを撮りたいが、小さすぎるので、「素」のiPhoneでは無理。それに、ざっと見た限りでは見つからなかった。天候の関係か?

ちょっといい気分になって、おやつとして、この店の名物「焼きカレーパン」を食べる。140円外税。

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店の前に気になる幕が張ってある。この文章を読むと、毎回、可笑しくなる。本気で考えると腹が立つかもしれない。通じるから良いとするかと自分に言い聞かせる。

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帰って、『植草さんについて知っていることを話そう』(高平哲郎 平野甲賀ブックデザイン 2005年 晶文社)を半分まで読む。

来生えつこさんが書いている、「日常生活の」植草さんが可笑しい。原稿を受け取りに行くと股引をはいたまま応対する。風呂に入っていることもある。原稿は書き上がった分、2、3枚だけを彼女に渡して残りをまた書き始める。コピー機などもちろん持ってないので、原稿の続きは「話は変わるが…」で始まる。
平野甲賀さんは、植草宅でご馳走になった昼飯がコロッケ一個だったことがあると回想する。大皿に乗っていて、すべり止めに刻んだキャベツが少々。これは、身につまされる。
片岡義男さんがおっしゃっているような、未発表の手書きの原稿(大量にある)を写真版にして、出版する件は、ぜひ実現してほしい。夢のような話だが。

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台風被害での停電は、まだ解消しない。それどころか27日頃まで直らぬところもあるという。どこかに避難させてあげることはできないのか?

2019年9月13日金曜日

『吉田健一ふたたび』中の柴崎友香さんの「『東京の昔』論」を読んで、自分もまた読み直したが、やっぱり良いとうなった。

『吉田健一ふたたび』を読み終えた。多くの方々のエッセイや評論や講演などが収められており、読みでがあった。

柴崎友香さんも「吉田健一の東京、小説の中の場所」という文章を寄せられている。(2017年7月17日に東大駒場で「吉田健一と文学の未来」という講演会があったらしい。他の講演者は富士川義之さんと武田将明さん。)

『東京の昔』が柴崎さんの講演の題材だ。彼女は2003年に中公文庫版で読んだという。私も手持ちのを調べたら、同じ中公文庫ただし、読んだのは1976年。この文庫版が出た年だ。単行本は1974年にでたとある。



戦前には銀座や横浜に「外国」が出張してきていた。欧州の新刊書もたぶんシベリア鉄道を使って早々と店頭に並んだのだとある。しかし、主人公の若い友人はそれに飽き足らず、友人たちの助けを得て、最後に郵船の白山丸でパリに向け旅立つ。

でも『東京の昔』の主題は昭和一桁であろう昔の、東京という「場所」である。非常に美しく書かれているのだが、そんな「東京」が存在しなかったとは言い切れない、と柴崎さんは述べる。

おそらく、「嘘の含有度」が適切で、この本を読んでいると、気持ちよくその「嘘」に酔うことができるのだと私は思う。酔いが冷めても、その「東京」は読んだ人の心の中に「記憶」として残る。吉田健一の面目躍如たるところだ。

2003年、1976年、1974年、そして1920年代という時代を通して、「東京」の記憶がいろいろな人の頭の中に存在し、それらが呼応する。その記憶を雲散霧消させずに、思い出しながら生き続けることが、悪い時代への抵抗となっていくだろう。

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昨日から非常に涼しくなってきた。そろそろ金木犀の香りがしてくるだろう。机周りの模様替えをした。モニター・ディスプレイの前のスペースが少し広くなり、参照する書籍を置く場所ができた。なかなか具合がいい。

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Vrewのテストを今日もやってみた。
評価。自前ビデオに字幕をつけたい人には非常に便利なソフトである。
私の目的は、精度の高い文字起こしなので、Vrewを使う必然性はあまりない。Youtubeに含まれる自動文字起こしと精度は大して変わらないからだ。

テストしていて気づいたが、自動文字起こしの精度を上げるには、そもそも「ゆっくり、はっきり」しゃべることだ。いわゆる、アナウンサー口調。

2019年9月12日木曜日

『吉田健一ふたたび』のおかげで、「ようやくぶり」に吉田健一本を引っ張り出した(*^^*)



『吉田健一ふたたび』を読んでいたら、どうも堪らなくなってきたので、書棚の奥(二列目)に隠れていた著書を、一列目に出してみた。15冊くらいある。他に文庫本が数冊(『東京の昔』、『書架記』、『私の食物誌』、翻訳物も。)あとで、リストを作っておこう。

昭和50年出版の『新編 酒に飲まれた頭』を少しめくってみる。
65頁付近、「旅と食べもの」。
東海道線の急行が発車するとすぐ食堂車に行き、大量のからしとソースまみれのハム・エッグスをつまみにして、ビールを飲む。これが本当に羨ましかった。これのおかげでずっと、ハム・エッグスを食べるたびに同じことをやるようになった。たしかにビールの肴に最適なのだ。

『新編 酒に飲まれた頭』の表紙絵は山藤さん

今回はじめて気づいた。内田百閒の『阿房列車』に似ている。なぜか、吉田健一の文章の「嘘の混入度」が内田百閒のそれにそっくりなのだ。この見方ができるようになったのは『吉田健一ふたたび』のおかげである。

もう少し読んだ、168頁あたりまで。「ある田舎町の魅力」。田舎町である児玉に行ってきたお話。ここも『吉田健一ふたたび』のおかげで、面白く読める。

次の話、「名古屋」の冒頭を読んでひっくり返った。
 「ようやくぶりで旅行して名古屋に行って来た。」
とある。一年ぶりとか三日ぶりとかでなく、去年ぶりなどと言うな、そんな言い方は日本語でない、とよく私は他人をたしなめていたのだが、吉田健一翁が「ようやくぶり…」と書いているとは。認識を改めたほうがいいのか。悩む。

『新編酒に飲まれた頭』は、他の一連の「ユーモアエッセイ集」(写真の左側に写っている)とともに、就職早々で大人との酒の飲み方を知らないときの、指南本としても利用した。酒に飲まれない方法を、これらの本で自然に習得できたような気がする。要するに、気負わないで、酒に(酒の酔いに)身を任せる。水泳のとき、体の力を抜いて水に浮くようなものだ。この意味で吉田健一(の本は)恩人と言っても良い。

ここらも実に内田百閒に似ている。

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Vrewという、AI字幕付けソフト(ビデオ各シーンに自動で字幕を付けてくれる)を見つけた。シゴトに使えそうかどうか、暇な時調べてみることにした。
https://vrew.voyagerx.com/ja/?fbclid=IwAR2uLcPbgq8x5T-dy_uj-TObrhNRxPiCt5cOEc-kQ-nahunCVT4No3a5IoQ

2019年9月11日水曜日

読書に関する妄想をしていたが、『吉田健一ふたたび』と、「ALL REVIEWS友の会」はリアル。

朝の妄想(だがまんざら嘘でもない)。

この世で最も安上がりの娯楽は「読書」だ。私の例を紹介しよう。

(1)自宅の第一書棚には3千冊弱の本がある。これは学生の頃から小遣いをやりくりして購入したもの。
(2)歩いて5分の第二書棚には30万冊。管理にはもちろん司書を雇ってある。机もWi-Fiも完備。喫茶室付。
(3)電車で60分の第三書棚には数千万冊。独立した堅固な建物に保管してある。司書は1000人位。特に良く読む本300万冊はインターネット経由で読めるようにしてある。他に世界の主要都市には数百万冊単位の図書を用意してある。

これらは実はまったく無料で読める、わけではなく、税金のなかで自治体や国が管理してくれている。最近は公的年金しか収入がないので、払っている税金は多くない。その割には見返りの多いことだ。

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「安上がり読書」実践。9月10日(昨日)夜の巻。

夕方、図書館で借り出した本5冊と郵便で届いた古書1冊を手に、寝床へ。「苦沙弥先生」とは違い、真面目に本の品定めをする。

装丁を鑑賞し(ここは図書館本の欠点、透明シートが本来のカバー上にかかり、本体の装丁が見えないことに泣く(T_T) )、口絵を眺め、目次を眺める。前書きを読み、後書きも読む。参考図書や著者の略歴にも必要に応じて目を通す。

これを6冊やると、1時間では済まない。72分くらいはかかる。どうしてもこらえきれずに、本文を読み始めてしまうことがある。読み続けて、夜ふかししてしまうと、体に悪いので今回は思いとどまる 。(しかし、Apple社のイベント中継を観てしまったので結局寝不足。)

このあたりでこれらの本を読む自分なりの目的を考えておくと、後の本格読書のためになる。漫然と読むのはもったいない。目的はブログに書いておくと後で思い出せて好都合。
一方、ここまでで、本によっては、本文を読まなくても良くなることがある。意外につまらない本。長すぎるので、さわりだけ読んでやろうと思う本。前書き、後書き、目次だけでわかってしまう本。

昨夜の本たちは粒ぞろいで、皆、本文も読もうと思わせた。そして、関連本の情報も手に入り、慌ててその本を書棚に探しに行ったり、図書館予約したりした。たとえば、漱石の『文学評論』、これは手持ちの全集に一応入っていたので少し安心した。


『吉田健一ふたたび』に関連する本、特に吉田健一の著書たちは問題だ。またぞろ著作集が欲しくなってきた。買えないので、目次のWebページ検索と図書館頼みで我慢することにする。『吉田健一ふたたび』の初期の編集に竹田純さんが関わっていたというニュースも手に入った。ついでに、吉田健一が使っていた座り机の片隅にはスミス・コロナのタイプライターが乗っていたという情報も見つけた。(これはTweetしておいた。)
そして執筆者がほとんど若い人ばかりなのにオドロキ。

これだけで、私のような素人読者が本から得られる情報のうちのかなりな部分が手に入ってしまう。本屋や図書館の立ち読みではこの利得は得られない。物理的な本を寝床に持ち込んで、リラックスして愛玩するのがコツだろう。

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夕方、大ニュースが飛び込んだ。加入しているALL REVIEWS友の会の10月例会で、鹿島先生と高遠先生の対談(もちろん、プルーストのお話)が行われることになった。友の会会員には、申込み先着順でビデオ収録現場に立ち会えるという、余禄がある。早速申し込んだ。高遠先生と、先日南青山の講演会で果たせなかった、直接の会話を交わすという楽しみが湧いてきた。

まだの方には、ここからの申込みをオススメ。絶対に損しません。
https://allreviews.jp/news/2936

2019年9月10日火曜日

Bloggerで数式表示のテスト→成功\(^o^)/、でも手書きの数式も捨てがたい。

昨日の続き。Blogger(つまりこのブログのプラットフォーム)での、数式TeX表現(?)に挑戦。面倒と思っていた設定も、参考になるサイトを見つけたので、無事にできた。
以下が、その時の記述。

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昨日の画像

テスト開始

\begin{align} \sum_{i=1}^{n}i = \frac{1}{2}n(n+1) \end{align}

もう一つ

\begin{align} \ 1+2+3+4\ldots =-\dfrac {1}{12} \end{align} \[ 1+2+3+4\ldots =-\dfrac {1}{12} \]

インラインでは $e^{i\pi}=-1$ こうする。

テスト終了

参考
https://toooybooox.blogspot.com/2018/07/bloggermathjax.html

iPhone だと表示が数式にならない(Web表示に切り替えるとOK)。
そして、そもそも数式を記述する際の文法がまだよくわからない。調べる。

それにはまずここが良さそう。

http://gilbert.ninja-web.net/math/mathjax1.html

φ(..)

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これで準備ができたので、そもそもの出発点である『ラマヌジャン探検』に関する記事を書かなくてはならない。ラマヌジャンの業績を理解するには時間がかかりそう。黒川さんの業績も一緒に理解することになろう。

その黒川さんは「手書き数学」を一層普及させたいとおっしゃっているので、「手書き」ブログも考えてやってみたい。たしかに、デジタル化したテキストなどでは表現できない情報が手書きにはありそうだ。ラマヌジャンのノートを眺めるとわかる(そうだ)。

思考過程を記録するライフログであるこのブログの、表現力と記憶喚起力の質を向上させていきたい。

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昼寝していたら、Amazon中古で注文していた『玄奘法師西域紀行』(長澤和俊訳 1965年 桃源社)が届いた。思ったより早い。この本は近所の図書館にはないので、国会図書館まで行ってためし読みして、これだと思って買ったもの。読むのが楽しみである。前半のみの訳本は今日返却した。



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図書館に行ったので、新たに5冊借りてきた。積ん読リストの数はどんどん増える。楽しい。

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今回の台風被害で、停電している地域がたくさんある。この暑さでは、熱中症になる人が増えないかと心配である。内閣改造だけにうつつを抜かすのでなく、停電解消に向けて必死に努力するのが、政治家の責務と思う。努力する姿は全く見えない。