2021年7月31日土曜日

高山宏さんの『ブック・カーニヴァル』は超弩級の本、分厚いだけではない

土曜日なので今日もお孫様のお世話手伝いに行ってきた。ついでに、当地の図書館(カウンター)に行って、『ブック・カーニヴァル』(高山宏さん 自由国民社)を借りた。


孫が昼寝したすきに、『ブック・カーニヴァル』を読むことにした。1000ページを超える大著で、借用期間中に読み終わるか疑問なので少しでも早く読み始めたかった。例の5万5千冊の索引作りの話はもちろん、英語やフランス語などをともかく初級文法だけ習ったら原書を読みまくれと言う話、辞書は全部読めという話、目が丸くなるが、理にかなったエピソードが満載。まだ最初の67ページまでしか読んでいないが。少し先に鹿島茂さんの高山宏評「卓越した問題集に解答はない」が掲載されている。これを読むと、「世の中には「解答集」と称する凡庸な本が満ち溢れて」いるのだが、高山宏さんの本は「斬新な問題を満載した」そして「卓越した「問題集」である」とあり、なるほどと膝を打つ。

ここまで読んだ限りでは、なんとか読みきれそうである。そしてきっと今手掛けている「書評の勉強」の参考にもなりそうだ。

***

孫とさんざん遊んだあと、帰宅すると注文していた丸谷才一『蝶々は誰からの手紙』(マガジンハウス)が届いていた。これも嬉しいし、「書評の勉強」が捗るだろう。

***

夕食を済ませて、PCを立ち上げてみたらSlackの通知が表示されており、ARの月例定例会が開催されていたのを知った。遅刻したが顔を出してみた。カリヨン奏者の方がいらして、面白いお話を聞けた。カリヨンに興味を持ったので図書館で

書名 『世界カリヨン紀行 とんぼの本』  
著者名 アンドレ・レア/[ほか]著
出版者 新潮社
出版年月 1994.11

を借りることにした。

以下のビデオも視聴。
https://youtu.be/UhRPsTtbb6E

世界大百科事典によると、

カリヨン
carillon[フランス]

教会や市庁舎などの塔に据え付けられた,それぞれ一定の音高に調律された一組の鐘。音域,鐘の数は時代,地方により異なるが,全半音階を有する2~3オクターブのものが18世紀の標準的なもの。語源がラテン語quadrilionem(四つ一組の意)であるように,市民に時を告げるために4個の鐘を塔の上から打ったのがその原形とみられる。13世紀にオルゴール方式の自動演奏装置が,16世紀初頭にげんこつでたたく棒状の手鍵盤と低音用の足鍵盤の機構が採用され,演奏の可能性が拡大した。16~17世紀にフランス北部,ベルギー,オランダで特に愛好され,各都市が競って設置し,カリヨン製作と演奏の中心地となった。近代になり一時衰退したが,19世紀末より復興の動きがいちじるしく,奏者養成所の設立,定期演奏会の再開などにより,カリヨンの響きが再び町の名物となった。これと並行してアメリカにも多くのカリヨンが設置され,アメリカは20世紀のカリヨン音楽の第2の中心地となっている。

"カリヨン", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-08-01)

カリヨンはいい音だと思った。

鹿島茂さんとのカリヨンに関するコラボ企画のアイデアが出た。実現して欲しい。

***

思い出した。出先の書店で『独学大全』を眺めた。これもいわゆる鈍器本。買おうか買うまいか迷ったが持ち帰るにはおもすぎるのでひとまず断念。どうしようかなあ?Kindleだと安いが読みにくそうだし。

2021年7月30日金曜日

『書評の勉強』というブログページを作ってみた

『書評の勉強』という名称でWebサイトを作る。当面は自分が作りやすいブログにして、将来は独立したページにする(しWiki的にして誰でも書きこめるようにすることも考える)。

このブログの見出しページにすでにdynalistで考えてある目次と簡単な説明を書き、下位ブログページを作って、日々勉強したことを付け加えて行く。7月に勉強したことは8月第一週に書き込む。

見出しブログページへのリンクはブログのトップに貼り付けておくことにしよう。

https://hfukuchi.blogspot.com/2021/07/blog-post_30.html

中身はこれから書く

派生概念として、ARの(将来できるであろう)「いいね」ページも使うことにしよう。

***

朝日新聞7月28日夕刊「とれたて! この3冊」で末國善己さんが書評を書かれた『最終飛行』(佐藤賢一 文藝春秋)は、サン・テグジュペリの晩年を追った作品。読みたいなあ。図書館で予約してみた。7番目。気長に待つ。

最終飛行 佐藤 賢一(著/文) - 文藝春秋 | 版元ドットコム

 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784163913728

***

吉田大助さんの書評noteは参考になりそうだ。

https://note.com/daisukeyoshida


 

書評の勉強

〈まえがきにかえて〉

   

毎日、Twitter、Web(例えばAR)、新聞、雑誌から書評情報をたくさん得ることが出来る。そこで目を引いた書評を読んで、面白そうなら紹介された本を入手して読む。これだけでかなり充実した読書生活が送れる。


このあと、自分でも書評を書くべきだ。普通これを書評という人は少ない。メモとか感想というだろうが、謙遜する必要はない。書評と言い張ろう。自分で書評を書くことにより読んだ本から自分が何を得たのかが明確になる。自分で書評を書いたら、他の人の書いた書評と比べてみる。これにより得るものは多く、読書の喜びが何倍にもなる。


こう考えたが、実は私は書評とは一体何なのかをよく知らない。少し勉強してみることにした。 最初にエライ書評家の方々の『書評集』を読んでみることにした。 


〈ときどきは『書評集』を読むと良い〉

書評とは何か、書評の持つ意味は何か-書評家の意見を『書評集』から知る

こんな書評集を読んだ

書評集から情報を得る

得た情報を整理してみた

これにより自分で書評を捜す


〈好きな書評を捜す〉

いままで見てきた手段を積極的に使う

(国会)図書館で本捜し

Webで検索

好きな本の書評を捜す

好きな書評家の書評を捜す

好きな分野の書評を捜す 

 

〈書評を愛する仲間たちからの情報〉

 

TBD

            

2021年7月29日木曜日

『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』に植草甚一に私淑した話が出てきて感激

寝る姿は皆似ている。

これは、外猫のAmちゃん。足を伸ばしている。こんな寝方を私も良くしている。


遊び疲れて帰る途中の孫のPちゃん。足先を組み合わせるやりかたは私も得意だ。


***

午前中は自治会のボランティア仕事。敬老祝を届けるための回覧調査用紙や掲示板に貼るポスターの作成、祝品につける挨拶状など作る。相変わらずM社のソフトの使い勝手の悪さに腹をたてながら、なんとか完成にこぎつけて役員さんのチェックに回す。

***

『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』の第五章から第七章までを読む。

小学校の先生との「大人の付き合い方」を会得したとある。つまり、先生も人間であり間違いを隠したいのを許すということ。自分の方がたくさん本を読んでおり知識が多いと生意気にも自覚している。

中学校に入ると、「師匠探し」を始める。校長先生や社会で活躍する「先生」と直接コンタクトしようとする。ファンレター作戦。貸本漫画家や少女漫画家にも。

ポオやフンボルトにも興味を示す。澁澤龍彦にも。彼の『夢の宇宙誌』を書店に走って買ったとあるが、私はやっと大学生になってから買った。負けた。クヤシイ、でもこの本は懐かしい。実家のどこかにあるはずだ。

高校時代は平井呈一先生の薫陶を、主に手紙で、受けている。もちろん小泉八雲も読んだ。この縁で恒文社社長であり『ベースボール・マガジン』の池田恒雄とも知り合う。大学は西脇順三郎文学部長がいる慶應大学へ入学する。

入学した日に三田図書館に入り込み『紀州魚譜』(宇井縫蔵)を読む。

少し飛ばして204頁に植草甚一のライフスタイルと文体にしびれた話が書いてあり、ここも我が意を得たりというところだ。その先に平井呈一の兄二代目谷口喜作が上野の「うさぎや」を継いだという話も書いてあり、ここにも驚く。数年前まで、「うさぎや」ビルの上階にあるソフトウェア会社に教えに行っていたことがあるからだ。世間はせまい。谷口喜作は河東碧梧桐や瀧井孝作、芥川龍之介、永井荷風と交流があったとのこと。

平井呈一の話は第八章に続く。

***

夜、新型コロナウィルス新規感染者が国内一万人超えというニュースを観る。そしてこれは申し訳ないが国際運動会のなかの女子卓球の伊藤美誠の三位決定戦を観戦。中国選手のふるまい、メダルをとることは至上命題でそのために必死に努力するが不思議に心の余裕をみせることに憧れているという言やよし。20歳の彼女も試合中にそれを意識しているらしく、そこがうまくいくと成績がよくなる。今夜は勝った。

2021年7月28日水曜日

『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)の著者、竹倉史人さんと鹿島さんの対談を聴く

今日もdynalistの練習をした。

- AR友の会コミュニティ・マネジメント(CM)用マニュアル

    - はじめに――なぜCMか

    - 個人のゆるい努力をCMO(CMオフィサー)が前面に出ずに上手に促すのが基本

    - 新規入会者へのCM

    - 既存入会者へのCM

    - 個々人の創意工夫の例

        - オルフェウス・プロセス

https://youtu.be/Q25nQYo6Uck

 - ワインバーグ・プロセス

        - ARメルマガ天声人語チーム

    - CMOは創意工夫の共有を促す

#この趣旨から行くと「書評研究」の方は、Webページを用意して皆が書き込めるようにするのが良さそうだ。つまり『もちより書評情報集』の構想。昨日のリストはWebページのマップにあたる。

Mind map viewという機能もある。無料版の場合マインド・マップを実際に書いてくれるわけではない。


この間聴いていたBGMは、


***

Twitterよりの情報。

『南方熊楠 菌類図譜 ~その整然と混沌~』、スバラシイ。

https://dex.kahaku.go.jp/kumagusu


***

夜、月刊ARで『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)の著者の竹倉史人さんと鹿島茂さんの対談を聴く。本の内容も興味深いが、在野研究者としての竹倉史人さんの経歴も面白い。大学の先生を続けられた鹿島さんのボヤキも……。

https://allreviews.jp/column/5574


もうじき、この対談の内容の一部がスバラシイnote記事になるだろう。ただ、実際の話はお互いのやり取りによる盛り上がりが楽しいので、有料だがビデオをご覧いただくのが良いと思う。

2021年7月27日火曜日

アウトラインプロセッサで遊びながら書評の勉強

Web上のアウトラインプロセッサdynalist を使ってみることにした。Twitterで今朝教えてもらったツール。これから朝風呂に入ります。編集長作業は一旦済んだので。一反もめん。

***

食事、掃除。

再び机に向かったのは9時50分。アウトラインプロセッサに書いた「書評研究」の目次案をいじる。レベルを上下させるのが自由にできて面白い。


結果は、テキストとしてエキスポートできるし、OPML形式(?)でもエキスポートできる。

戸坂潤の『読書法』を読み始める。青空文庫版、Kindle for iPadにて。以下抜粋。

序にかえて

「偶々、東京の大新聞の若干が、しばらく前ブック・レヴューに或る程度の力点を置くようになった。スペースや回数を増した新聞もあれば、ブック・レヴューの嘱託メンバーを発表した新聞もある。その他一二、ブック・レヴューを主な仕事とする小新聞の企ても始まった。」

「雑誌『唯物論研究』」

「少なくとも十四五冊についてブック・レヴューを掲げるべきだとして、」

「『文学界』は多少之に類似したブック・レヴューを試みるようになったし、『新潮』と『文芸』とも亦、ブック・レヴューを正面に押し出すようになった。『科学ペン』亦そうである。文化雑誌としては当然なことであるが、わが意を得たものと云わねばならぬ。」

「問題はその本が出版されることの文化上の意義、その本に含まれている思想や見解や研究成果の文化上の意義、というようなことを評論することの内に、横たわるのである。」

「「読書法日記」は『日本学芸新聞』にその名で連載したものであり、「ブック・レヴュー」は『唯物論研究』の同欄に載せたものである。「書評」は主に新聞や雑誌に所謂書評として発表されたもの。いずれも特になるべく様式の原型をそのまま保存することにした。サンプルとするためである。「論議」はブック・レヴューに準じたエセイであり、「余論」はブック・レヴューそのものに関する若干の考察からなっている。」

1.「読書法日記」

「敢えて新刊紹介や新刊批評という意味ではない。また良書推薦という意味でもない。私はそんなに新刊書を片っぱしから読むことは出来ないし、また何が良書であるかというようなことを少しばかりの読んだ本の間で決定することも出来ない相談のことのように思う。もう少し無責任な読書感想の類を時々書いて行きたいと考える。」

これは今で言うブログ。以下は明日読む。

2.論議

3.ブック・レヴュー

4.書評

5.余論



本のなかで引用されている『沈黙の戦士 : 戦時巴里日記』小松清(ジイドと会ったらしい)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114618

書評サーチには「読書法」というキーワードもいい。今後使える。


***

夕方新たに5冊借りてきた。書評関連と山本義隆さんの本。


2021年7月26日月曜日

鶴見俊輔の書評はみなマジメ


鶴見俊輔『書評10年』(潮出版社)を読んだ。「あとがき」より。

「本を読むのは、3歳くらいから70歳の今日までつづいている私にとってのやまいである。」

鶴見俊輔が書評を書いていた媒体。書評への考え方。

鶴見俊輔は書評を50歳をこえてから書き、『週刊ポスト』、『朝日新聞』の書評委員を歴任。『信濃毎日新聞』、『思想の科学』、『エコノミスト』、『母の友』、『ちくま』、『算数教育』、『本の窓』、『朝日ジャーナル』なども書いたものがこの本になっている。

つきあいのある人の本の書評はしない。小説の書評は自信がないのでしない。不都合な点、まちがった所があったらフェア・プレイで批判・攻撃するべきである。

上記のような記述は「書評研究」の方法の一つにできる。

『書評集』を読み。書評家の書評への考え方を調べる。おもに前書きや後書きにまとまっている。書評ごとの初出媒体を調べる。これを書評家の「書評集」ごとに行い、一覧表にする。これは書評探索の手がかりになるし、まとまった一覧表自体が貴重な研究資料になる。

『書評集』をキーワードとして、Amazonや図書館やTwitterで探すとうようよ出てくる。あと、自分の書棚にもその気になって探すとかなりの収穫が。あとは古本屋さんを回る。

明日は戸坂潤に挑戦。 

***


『妖怪少年の日々』第4章に入り、ようやく小学校・中学校での読書の様子がわかる。なつかしさを覚えるラインアップ。荒俣さんとこのころ趣味がほぼ一致する。日本社会の同質性?

・小学校の映画見物授業

・『ゴジラ』、『沈黙の世界』、『砂漠は生きている』、『緑の魔境』

・「ヒッチコック劇場』、『世にも不思議な物語』

・中学校の学校図書館で『現代人の読書』(紀田順一郎)をリクエスト!

・『リプレーの世界奇談集』(庄司浅水)、『趣味研究 動物妖怪譚』(日野巌)

・ケネディ暗殺と『世にも不思議な物語』のリンカーンエピソードの一致

・黒沼健の著書

・『海の奇談』(庄司浅水) タイタニック

・魚の飼育が趣味

・森の石松(この話は掲載誌『怪』の読者へのサービス……)

***

コロナ禍のなか、はた迷惑な国際運動会は「仕方なく」ときどきテレビで見るが、今夜の卓球混合ダブルス、伊藤美誠の自ら作る「笑顔」が印象的。精神力の強さを感じる。見習う。

2021年7月25日日曜日

新しい「本」の時代には新しい仕組みが必要だろう

書評およびCM用のアイデア。

自分(なり)の書評アンソロジーを作る。(おすすめ書評10選、など)
自分で書評を書く。(プライベートでもいい、書評家の書評と比べてみる)
要するに書評で遊ぶ。
これらを、たとえばARMYのマイページ機能(仮称)でできるようにしたい。

***

起き抜けに荒俣宏さんの『妖怪少年の日々』の第三章を読む。経営のできない経営者だった父親が洋画を好んだ話。母親はちょっと文学少女。大正時代に青春を送った両親の影響が大きい。浪曲好きだったとか、広沢虎造の「旅ゆけば〜」は小学生にもたしかに人気だった。

クラスメートたちとの淡い交流。

***

今日のLP。

Double Concerto In A Minor
by Johannes Brahms; David Oistrach; Mstislav Rostropovich; George Szell; The Cleveland Orchestra
Angel Records (SFO-36032)

https://archive.org/details/lp_double-concerto-in-a-minor_johannes-brahms-david-oistrach-mstislav-ro/disc1/01.01.+Double+Concerto+In+A+Minor%2C+Op.+102%3A+I.+Allegro.mp3


Violin Concerto In D
by Johannes Brahms; David Oistrach; George Szell; The Cleveland Orchestra
Angel Records (SFO-36033)

https://archive.org/details/lp_violin-concerto-in-d_johannes-brahms-david-oistrach-george-szel/disc1/01.01.+Allegro+Non+Troppo.mp3


***


『ブックビジネス2.0 ウェブ時代の新しい本の生態系』(実業之日本社 2010年)に長尾真先生が「ディジタル時代の本・読者・図書館」を書かれている。そのなかに電子図書館の場合利用者から低廉な料金をとるべきで、それを著作権利者に配分するべきとある。もっともな話と思う。

旧態然とした感覚では今後のブックビジネスはに対処することはできないようだ。ここも勉強が必要。

2021年7月24日土曜日

団塊の世代の生涯のダイナミックレンジは広い

孫と遊んだ一日。11時に駅まで迎えに行き、父親が内科医に定期検診に行っている間に離乳食を与え、父親が帰ってきたときに作ってくれたミルクを飲ませる。昼寝するまで遊び、起きたあと一緒に行水を使う。再び離乳食。今回はバナナ(レンジで温めてつぶしたもの)やりんご(すりおろしてレンジにかけたもの)がお気に入り。野菜と鶏ささみのスープは前から好物。またミルクを飲ませ、窓から電車を見せていると、母親が勤めを終えて迎えに来る。

これらは、自分の子供の場合大変だなと思ったが、孫なら楽しみながら世話ができることを発見した。面白いものだ。

***

読書は朝のうちだけ。


昨日借りてきた荒俣宏さんの『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』の第一章と第二章を読む。全部で11章ある。

書名 妖怪少年の日々 アラマタ自伝 
著者名 荒俣 宏/著
出版者 KADOKAWA
出版年月 2021.1

「先の大戦のあと、昭和22年いわゆる団塊の世代に生まれつ」いた荒俣宏さんは、「自由な少年時代を体験」し、「その後から世界に現れ出た驚くべき新文明の誕生と消滅を眺めてこられた。二千年の文化史を、わずか70年のあいだに」、「早回しするかのように効率よく楽しめた。」とおっしゃる。

私は昭和24年生まれだが、確かに同じように感じることがあった。田舎のことでテレビのない子供時代のおかげで、読書の喜びを純粋に楽しめたような気もする。

映画や貸本屋に通った荒俣宏さんがこのあとどんな読書生活を送るのか、先を読むのが楽しみである。

2021年7月23日金曜日

読書の先達、高山宏・荒俣宏・立花隆のように大量に本を読みたいものだ

夕方撮影した空の写真。夏の夕焼けではあるが、かすかに秋の気配も感じられる。

***

朝に戻る。

書評とCMの原稿書き進まない。もっとももっと大切な孫の世話をしていたのだからという言い訳は成り立つ。暑いからという言い訳はすべきでないだろう。

リハビリのため、以下に思いついたことを書き出してみる。

ARを拾いよみしていた。「天文」というキーワードで山本義隆さんの『世界の見方の転換 1 ―― 天文学の復興と天地学の提唱』の書評(水野和夫さん)が見つかった。天文ファンの私だがこの本は知らなかった。読んでみよう。同時に山本義隆さんの生き方のことも調べたいと思い出した。彼よりは8歳年下ではあるが1969年を同じ東京で過ごした自分の生涯と山本義隆さんの生涯を対比させてみたい。大学は違うが物理学科卒であり、物理の研究者にはならなかった(私はなれなかった)という共通点があるというと、不遜と言われるかもしれないが。

『世界の見方の転換 1 天文学の復興と天地学の提唱』(山本義隆著)を予約。

書評を通じて本を知り著者を知り自分の生き方と比べられるというのは最高の幸福ではないか。ここに、書評や書評を集めたARのようなサイトの意味がある。読者の興味の対象は多様なので、固定した「書評集」は自由な参照の対象としては、書評サイトに一歩を譲る。

ここまで、iPad上のSimplenote とMacbook上のSimplenoteを同期させながら書いている。考えて書く文章は手書きでiPad上で書くし、ページアドレスなどはMacbookでコピーアンドペーストするのが簡単だ。(何をあたり前のことを、と言うのはどんどん「打つ」人には禁物でともかく自動筆記のごとく書く。頭から手へのフロー現象を作るのが肝心。そうなると自分でも驚くような事を書いていくことが可能となる、といいなあ。)

エルンスト・カッシーラーについても知りたくなった。ARの書評のおかげで世界がまた少し広くなった。

『アインシュタインの相対性理論』(カッシーラー著 山本義隆訳)を予約。

書評論に参考になりそうな本を物置部屋から「探し出し」てきた。

書名 『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』
著者名 立花 隆/著
出版者 文芸春秋
出版年月 1995.12

カッシーラーと書いているときに、突然最近探していたこの立花隆さんの本の有り場所(もちろん物置部屋の書棚の一隅)の映像が浮かんだのでさっそくそこに行き、手前に積まれた別の本をどけたら出てきた。人間の記憶には映像が大きな役割を果たしているらしい。

185頁の「私の「書評」論」を読む。『週刊文春』での書評の再録部分の前書き。立花隆は『週刊文春』では、新刊書評に徹したとある。自分自身で現在読んでいる本は片寄り過ぎているので、信頼できる東京堂に行って新刊書で面白いか読む価値のありそうな本を20冊ほど買って来て検討し7、8冊を選んで短い書評を書く。読者はそれら紹介された本を実際に書店に行って手にとり、買うか買わないかの判断をして欲しいとのこと。従ってこの時には内容紹介を伴う長い書評は書かなかった。造本は問題にしたとある。週刊誌に書く場合の理想形とも言えよう。

実際に『週刊文春』の書評を読んでみると前書き通り、本の内容紹介よりも率直な評価が主体。ひどい本には正直にひどいと書いてある。

明日以降、ウン万冊読んだと思われる読書の議論部分を読み直してみる。高山宏さんや荒俣宏さんの読みっぷりと比べてみたいものだ。

***

BGM。

Songs Without Words
by Felix Mendelssohn-Bartholdy; Walter Gieseking
Angel Records (35428)

https://archive.org/details/lp_songs-without-words_felix-mendelssohn-bartholdy-walter-gieseki/disc1/01.03.+No.+12+In+F+Sharp+Minor%2C+Op.+30%2C+No.+6.mp3


Schubert
by Wiener Philharmonisches Streichquartett; Richard Harand; The Vienna Philharmonic Quartet
London Records (CS 6441)

https://archive.org/details/lp_schubert_wiener-philharmonisches-streichquartett-ri/disc1/01.01.+Schubert+String+Quintet+In+C%2C+Op.+163+(D.956)+-+Allegro+Ma+Non+Troppo.mp3

***

全集を作って欲しい作家。

A.C. クラーク、G.M. ワインバーグ、I. アシモフ、村上春樹など自分の生き方に影響を与えた人。索引や本人研究などの付加価値が欲しいし、全文検索もしやすくなろう。外国作家なら全文検索ができるInternet Archiveがもう少し使い易くなればできそうなのだが。トライしてみるか。

***

図書館に行き、6冊借りてきた。




2021年7月22日木曜日

Twitterはアイデアの宝庫だ

2001年の今朝撮った写真。ヤマトシジミ。


朝、夢から覚めてぼんやりしていたときに頭に浮かんだことを自動筆記的に書いてみた。役に立つかもしれない。

すべての書評は索引だ。

資料の全文検索ができれば書評はいらないかも知らない。

ARの全文検索ができるなら人類の頭に知恵が生まれることのシミュレーションができる!

***

今朝はTwitterでたくさん勉強できた。ありがたい。


これはすごく大切な話だ。実際、これらのことをあらかじめ調べずに国会図書館に行って、一日かけても何の成果もなかった事がある。



このページは確かに役に立つ。「リサーチ・ナビ」
https://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/


こんなTweetも流れてきた。

私なら全世界の図書館の予算を100倍にし、蔵書のAI全文検索を可能にし、著作権者への使用料を払います。と返事しようとしたがとりあえず良く考えてから。


***

「タンテキは、自然言語処理AIを使用した文章要約WEB サービスです。ニュース記事などの文章を端的に表現します。」というサイトもTwitterで教えてもらった。面白い。

https://ai-tanteki.com/


***

11時から18時までは孫の世話のお手伝い。暑くて昼寝が妨げられてぐずる。



2021年7月21日水曜日

『読む・打つ・書く』(東京大学出版会)の読後感想の週刊ARメルマガ巻頭言掲載版

昨夜発行のARメルマガの巻頭言として、三中信宏さんの『読む・打つ・書く』の読後感想を掲載していただいた。内容は以下の通り。数日前の原稿を少し手直ししたもの。

なお、この件をAR友の会のアカウントでツイートしたら、なんと著者の三中信宏さんから、「いいね」をいただきリツイートもしていただいた。光栄だ!

週刊ALL REVIEWS Vol.110 (2021/7/12から2021/7/18)巻頭言

三中信宏さんの『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版会)を読んだ。理系研究者でありながら著書も多くその上書評もたくさん書いておられる三中信宏さんによる本とのつきあい方のレクチャーであると、帯に書いてある。研究者の著書なので内容が難しいのではないかと危惧したが、さにあらず。読み終えてみると自分のような一般読者にも参考になるアイデアが満載されており、読んでよかったと大満足だ。

そこで今回はこの本のことを書くことにした。いつもはなかなか筆が進まないが、この本の勧めに従ってどんどん書き(キーボードを打ち)始める。「打つ」のニュアンスはこの場合ぴったりだ。どうしても筆が進まなくなる、いわゆるライターズ・ブロックを打ち破るのには、この本の教えの通りにともかくどんどん打つのが良いと思うようになった。この本を読んだ効用はまずこれだった。 「第2楽章」の「打つ」を読んで、自分の書評に関する見方が、非常に狭いものだったと気づかせられた。私は短め(800字から1500字くらい)の書評ばかりを考えていたが、長い書評でないと意を尽くせないことがある。そして、書評を書く側の意見や知見を強く押し出すべきでないとも私は思っていた。しかし科学書などの書評をしっかりやるとすれば、かなりの長さを使って書評する側の意見と知見を論理的に説明する必要もある。読者の専門分野における知識レベルが高くないと仮定すれば、基礎的な知識にも触れる必要がある。書評対象本の論理構成まで批評するには、本の長さと同じとは言わずとも、相当な長さを要求される。

文芸書の場合でも実は同じようなことが言える。新聞などの短い書評で本の拡販に全面協力するか、あえて炎上を恐れずに書評家の忌憚のない意見を言ってしまうかだ。一方、植草甚一さんの長めのエッセイ的書評の書き方、例えば『ぼくは散歩と雑学がすき』(晶文社)に見られるように、本の内容の長い引用と見せかけて、自分(つまり植草さん)の意見を述べてしまうという高等テクニックを使うという第3の道もありそうだ。

文章をとにかく精力的に書くという最初の勧めがいいなと思っていたが、もっとよく考えると「三位一体」という話が素晴らしいのだと思うようになってきた。それは以下の部分で、今後の参考のため、以下に引用させていただく。

「「書く私」と「読む私」と「評する私」はいつも一心同体だが、たがいに別人格をもっている。どのようにプロットを構成していくかを考えるとき、傍らの「私=読者・評者」に相談をしながら、「私=著者」が実際に原稿を書いていく――私が本を書く仕事場はある種の“工房“のようなものかもしれない。(236ページ)」

読み書きとよく言うが、その真の意味はこんなところにあるのだろうと納得してしまった。このような自分の中のコミュニケーションは執筆だけではなく読書のためにも効果的な方法なのだろう。

本の著者にはなりたくてもなれそうもないが、この本の勧めの通りに自分なりの書評を書くことは本を読むたびに実行し続けたい。それを読書記録ブログの形で長期間続けていきたい。三中信宏さんはブログでお手本を紹介してくださっている。

http://leeswijzer.org/index.html

今後の読書生活をもっと充実させてくれそうな良い目標ができた。(hiro)


***

「打ち」まくるために、iPadとキーボードの組み合わせをためす。

SimplenoteをiPadで表示。27インチにはChromeを表示。MacbookではBGMウィンドウとFancontrolを表示させる。

BGMは、

Violin Concerto In G Major K 216 / Violin Concerto No. 2 In G Minor
by Leonid Kogan; Wolfgang Amadeus Mozart; Philharmonia Orchestra; Otto Ackermann; Sergei Prokofiev; The London Symphony Orchestra; Basil Cameron
Angel Records (35344)

https://archive.org/details/lp_violin-concerto-in-g-major-k-216-violin-c_leonid-kogan-wolfgang-amadeus-mozart-philh/disc1/01.01.+Mozart%3A+Violin+Concerto+No.3+In+G+Major+(K.216)+%3A+Allegro.mp3


うむむ。やはりiPadではキーボードよりも手書き入力だ。copy&pasteはMacbookでやるのが早い。SimplenoteはiPadにも27インチにも表示させておく。Simplenoteの同期は早いので十分使い物になる。


***

そしてこの環境で好きなことを「打っ」てみると……💦

高山宏さんの5万5千冊の書籍(もちろんほとんど洋書だろう)の内容索引カード手作り2年間というエピソードや、夕方視聴したジャパンサーチ(デジタルアーカイブの検索サイト)のビデオに影響されて考えついた「妄想」。

現在考えている書評収集の件の将来的に目指すところは、すべての書評をAIの助けを借りて検索でき、可能な限り閲覧できたり、利用者が検索結果を自分の都合に応じて表示できる、オープンな書評サイトを組み立てることではないかと思い始めた。この場合、国会図書館にせよInternet Archiveにせよ新聞や雑誌や出版社のサイトにせよ、このオープンなサイトからのアクセスにそれぞれの可能な範囲と方法で応答していただくことになる。特に現在の商用サイトの内容がどこまでデジタルアーカイブ化されるかが問題だが、10年単位のスパンで考えると可能性は大きくなっていくだろう。小さく始めて大きく育てていけば良い。インターネットそのものも私の働き始めた頃は存在を知らないほどのものだったが、わずか数十年でこれだけ巨大になった。デジタルアーカイブにはすでに30年もの歴史がある。ブレークするのはもうじきだろう。ともかく著作権料の問題をうまく解決する必要がある。

(参考)

https://www.jepa.or.jp/sem/20210720/

https://www.youtube.com/watch?v=Fox7EZvGq_8

2021年7月20日火曜日

国会図書館のデジタル蔵書の全文検索が早く出来るようになるといい

 昨日のブログに関し、畏友S氏より高山宏の世界へのお誘いを受けた。お示しいただいたのが『ブック・カーニヴァル』。とても面白そうな書評本だ。

書名 『ブック・カーニヴァル』
著者名 高山宏著
出版社 東京 自由国民社
出版年月 1995.7
価格 6602円
ページ数 1198p

古本でしか手に入りそうもなく、しかも価格が1万5千円。Kindle版があるといいのに。

なのでとりあえず、某図書館で予約。木曜日に孫の世話で出かけたときに受け取ってくるつもり。

それまでは、手持ちの学魔高山宏様の本を眺めようと、『超人 高山宏のつくりかた』(NTT出版)を出してきた。前にも書いたエピソードをまず読む。

https://hfukuchi.blogspot.com/2019/05/blog-post_30.html

34頁。
5万冊の索引カードを電動タイプライターで作るのに、まず人名を本文から拾い続けてるうちに、内容(テーマ)も大事だと最初からやり直す話がものすごい。カードを何十万枚使ったのか、いや時間を何千時間使ったのか。

60頁。
斎藤の『熟語本位英和中辞典』などを全巻通読したというのもすごい。『Roget's Thesaurus』も通読したらしい。

『熟語本位英和中辞典』は学生時代使っていたが、もちろん通読していないし、今はどこにしまったのかわからなくなっている。『Roget's Thesaurus』は本屋で背中を拝んだだけだ。だが、今ならインターネットで読めると、まず国会図書館デジタルコレクションで『熟語本位英和中辞典』を眺める。画像なので「引く」ことは時間がかかって難しいが、通読はできなくもない。(やらないが。)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1679475

『Roget's Thesaurus』はInternet Archiveに行って読む。こちらはスバラシイことに全文検索ができる。

長尾真先生、あちらでは全文検索が出来るようになっています。国会図書館でも早く出来るようにあの世からも働きかけてください。

https://archive.org/details/rogetsthesauruso0000roge_o9h1/page/88/mode/2up?q=321




2021年7月19日月曜日

書評集と書評サイトの積極的意味


長尾真先生の『デジタル時代の知識創造』のなかの一節をKindleで、今朝読む。以前からの私の夢と似たところがある話だ。

「図書館の書物の全体が人間頭脳における知識の構造に類似したものを形成し、ひとつひとつの本やその部分が知識の構造の中の適当なところに位置付けられることになるだろう。このような極端に進化した電子図書館を考えると、 1冊の本の著作者が知識構造全体のどの部分にどのような貢献をしたかということになり、表現の独自性を対象とした著作権という概念とは遠くかけ離れた世界が展開することになる。」(長尾真)

—『【全15巻合本版】角川インターネット講座 (角川学芸出版全集)』

これは、今の状況よりも数歩先を行く考え方である。AIの助けが必要だろうが、早くこうなってほしい。少し調べてみたいが、生きているうちにこのような世界に突入していくことを望む。なんらかの助力が可能ならしていきたい。ちなみに、このとき著作権はアイデアの使用権(貢献に応じた使用料の支払いを伴う)となるとされている。知的努力が正当に報われるようになるはず。

***


『歴史の風 書物の帆』に最後まで目を通す。最終部分の書評で取り上げられている荒俣宏、高山宏の知の巨人ぶりに感嘆し、著書全部を猛然と読みたくなる。書評なのだが、個人の評にもなっている好例。書評対象本だけでなく、著者の本をまるごと読みたくさせる技のすごさ。

「あとがきに代えて」に書評集を本で出す意味が書かれており、こちらにも納得した。良い書評を分野ごとに複数並べるとその分野の良いブックガイドになるというもの。これは昨日まで読んでいた三中さんの『読む・打つ・書く』の趣旨でもある。複数書評家の良い書評を分野別に並べるARにはこのようなすばらしさがもっとある。鹿島さんはこれをARで狙っていたのか。ここを強化する手伝いがわれわれ友の会会員にもできそうな気がしてきた。

2021年7月18日日曜日

自己本来の理想を追う(追った)照ノ富士と故長尾真先生に敬意を表したい

朝、巻頭言の第2稿を作った。明日早朝に細かい字句の見直しをして第3稿にした上で、Slack上での仲間の方によるレビューに回すことにする。

***


昨日土曜の夕刊に5月23日に亡くなられた長尾真さんの電子図書館に関する業績を簡単にまとめた記事が載った。それを読み、少し国会図書館のサイトなどを読んでみると、今の私の読書生活の多くの部分を支えてくれる仕組みを推進してくださったのは、長尾真さんだったと改めて身に沁みてわかった。

今後の動きのなかでは、画像電子化済み資料のOCR化による全文検索と、国会図書館内閲覧資料の家庭内パソコンへの送付、この2つを首を長くして待ちたい。そんなに長くはかからないと思う。

https://www.ndl.go.jp/jp/preservation/digitization/fulltextreport.html

https://artscape.jp/study/digital-achive/10016561_1959.html

資料の電子化には出版業界の反対も多かったという。視野の狭い人々の反対を押し切った長尾真さんにあらためて敬意を表したいし、その遺志を継ぐことの一端を今後も担っていきたい。

***

今回の芥川賞受賞の作品のうち、石沢麻依さんの『貝に続く場所にて』のことを、豊﨑社長と大森さんの対談ビデオを見ているうちに、読みたくてたまらなくなった。ゲッチンゲンが舞台で寺田寅彦も出てくるらしいし、野宮さんという登場人物は『三四郎』の主人公の恋敵の名前を思わせる。もちろん、『彼岸花が咲く島』のほうも読みたいので、文藝春秋来月号を待って買うことにする。8月が待ち遠しい。

***

大相撲名古屋場所の千秋楽。全勝同志の対決は、白鵬の勝ち。なりふり構わぬ横綱らしからぬ勝ち方に疑問を覚えた。休み明けで進退がかかった場所でなんとか勝ちたかったのはわかるが、家族も含めた全国の子供の前で反則めいた技で勝とうとする姿は情けない。横綱審議会でまた問題になるだろうし、厳重注意をして欲しい。品位に欠けるという名目で横綱の地位を剥奪するという手もあるだろう。

一方、照ノ富士はよくやった。良い横綱になってほしい。


(後記:翌日の横綱審議会では白鵬の件に付き辛口の意見が出たらしい。ただし処分問題にまではならなかった。弱腰だ。)

2021年7月17日土曜日

元気な孫と遊んでいると快く疲れる

今、夜10時半。7時頃孫たちが帰り、その後の家事を済ませて、やっと机の前に座ることが出来た。午前11時に駅まで迎えに行っていらい、体調が恢復して元気いっぱいの孫と遊ぶのは楽しいが体力が足りない。したがって今はぐったりして何も出来ない。

かろうじて、今朝発見した「良いニュース」をメモしておく。

「国立国会図書館が保有するデジタル化資料、247万点・2億2300万枚超の全文テキストデータ化に「CLOVA OCR」が採用」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003199.000001594.html

***

日中の疲れを見越して、朝のうちに『読む・打つ・書く』の感想文第一稿を書いてみた。とりあえず最後まで書けたので、明日と明後日の朝推敲して、巻頭言原稿として完成させたい。


三中信宏さんの『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版会)を読んだ。多忙な理系研究者でありながら著書も多くその上書評もたくさん書いておられる三中さんの、本とのつきあい方のレクチャーと帯に書いてある。内容は難しいのではないかと少し危惧したが、さにあらず。読み終えてみると自分のような「一般読者」にも参考になることが満載されており、大満足だ。
https://allreviews.jp/review/5552

そこで巻頭言にこの本のことを書くことにした。いつもはなかなか筆が進まないが、この本の教えに従ってどんどん書き(キーボードを打ち)始める。「打つ」のニュアンスはこの場合ぴったりだ。ライターズ・ブロックを打ち破るのには、この本の教えの通りにどんどん打つのが良いと思うようになった。この本を読んだ最大の効用はこれだ。

「第2楽章」の「打つ」を読んで、自分の書評に関する見方が、非常に狭いものだったと気づかせられた。短め(800字から1500字くらい)の書評ばかりを考えていたが、長い書評でないと意を尽くせないことがある。そして、書評を書く側の意見や知見を強く押し出さないほうが良いとも思っていた。たとえば科学書の書評をしっかりやるとすれば、かなりの長さと書評する側の意見と知見を論理的に説明する必要もある。

読者の専門分野における知識レベルを低いものと想定すれば、基礎的な知識にも触れる必要がある。書評対象本の論理構成を批評するには、本の長さと同じとは行かずとも、相当な長さを要求されそうだ。

文芸書の場合も実は同じようなことが言える。短い(新聞)書評で本の拡販に協力するか、あえて、炎上を恐れずに書評家の忌憚のない意見を言うかだ。植草甚一さんのエッセイ的書評の書き方(例えば『ぼくは散歩と雑学がすき』)のように、内容の長い引用と見せかけて、自分(植草さん)の意見を述べてしまうという高等テクニックを使うという第3の道もありそうだ。

そして文章を精力的に書くというこの本のなかの勧めがいいなと思っていたが、もっとよく考えると「三位一体」という話が素晴らしいのだと思うようになってきた。それは以下の部分で、今後の参考のため、引用させていただく。

「「書く私」と「読む私」と「評する私」はいつも一心同体だが、たがいに別人格をもっている。どのようにプロットを構成していくかを考えるとき、傍らの「私=読者・評者」に相談をしながら、「私=著者」が実際に原稿を書いていく――私が本を書く仕事場はある種の“工房”のようなものかもしれない。(236ページ)」

読み書きとよく言うが、その真の意味はこんなところにあるのだろうと納得してしまった。

なんらかの本の著者にはなれそうもないが、三中さんの仰るとおり自分なりの書評を書くことは本を読むたびに実行し続けたい。それを読書記録ブログの形で長期間続けていきたい。三中さんはブログのお手本も紹介してくださっている。
http://leeswijzer.org/index.html

読書生活を充実させるための良い目標ができた。(hiro)


2021年7月16日金曜日

副反応のせいであまりまとまったことが出来なかったが夕方に回復

 昨夜は安眠できず、起きてもぼーっとしている。ワクチン接種の影響か。左腕のしびれ感もまだ続いている。1回めからこうなるとは予測していなかった。副反応が出るとはまだ若いと喜んだり、若い人に接種をためらう人が多いのはこのせいかと思ったり。ともかく冷静な対処をすべし。

夕方になって、気分は良くなった。梅雨明け宣言のせいもある。通常通りの生活に戻り、料理もできた。

***

ためしに『週刊読書人』最新号のPDF版を買ってみた。363円。

***

三中さんの『読む・打つ・書く』についての巻頭言を考え始める。

まずは、自分のブログ記事から材料を拾い、一旦書いてその後追加を考える。

https://hfukuchi.blogspot.com/search?q=%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%89%93%E3%81%A4%E6%9B%B8%E3%81%8F

最初に本の紹介を自分の「読者」という立場から書く。

その後、ブログ記事内容の抜粋。

最後に、おすすめ理由をまとめ直して書く。

以上は昨夜の考え。最後がまだ思いつかなかったが、205頁に関して書くのが良いかも。

(自分で書いた)書評は書物資料として利用できる。ブログにして続けると良い。長続きしたものは役に立つ。)

明日の早朝、第一稿にする。昼前からは孫とつきあうので。

***

今日のシューベルト。

Schubert: Sonata In D, Op. 53
by Clifford Curzon
London Records (CS-6416)

https://archive.org/details/lp_schubert-sonata-in-d-op-53_clifford-curzon/disc1/02.03.+Sonata+In+D%2C+Op.+53%3A+Impromptu+In+A+Flat%2C+Op.+90%2C+No.+4.mp3

***

夕方、『ロンドンで本を読む』を拾い読み。

丸谷才一がまえがきなどで述べている通り、スケールの大きな書評を読むことができる。たとえば、プリチェットの書いた『ウェイリー訳 源氏物語』。日本語訳で16頁近い。内容を流麗に紹介し世界文学の中の位置づけも十分に述べる。この書評を読むのは自分と同等の知識と経験を持った読者だと考えているようだ。書評としての品位を重要なものとし、本の拡販だけを考えているのではない。正統的なアプローチだが。

これも読んでおきたくなった。

Books in general

by Pritchett, V. S. (Victor Sawdon), 1900-
Publication date 1970
Topics Literature, Modern
Publisher Westport, Conn., Greenwood Press
https://archive.org/details/booksingeneral0000prit/page/n6/mode/1up

 


2021年7月15日木曜日

やっと1回目の接種を受けて少し安心(安心してはいけないのだが)

15時。行きつけの内科クリニックに行き、1回目のコロナウイルスワクチン接種を受ける。すぐには感じなかったが、夜になって上腕の筋肉全体に軽いしびれ感。生活にはあまり支障なし。2回目は8月5日。

夕刻買い物に出たが、雲がなくなって夏の空になっていた。飛行機雲の先に細い月が見えた。


***

以下は上記以前に書いたもの。


これ、欲しい。『書評紙と共に歩んだ五〇年』。

https://www.amazon.co.jp/%E6%9B%B8%E8%A9%95%E7%B4%99%E3%81%A8%E5%85%B1%E3%81%AB%E6%AD%A9%E3%82%93%E3%81%A0%E4%BA%94%E3%80%87%E5%B9%B4-%E5%87%BA%E7%89%88%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%8F-%E4%BA%95%E5%87%BA-%E5%BD%B0/dp/4846011976

『週刊読書人』の7月16日号をPDF版(363円)で購入して読んでみよう。

そして、『週刊読書人』の創刊以来の書評アーカイブの索引検索はこちらで出来る。

https://dokushojin.com/arcives/

ためしに「鹿島茂」で検索してみるとこの通り。


***

今朝のBGMは以下のLP。

Five Concertos For Oboe And Strings
by Tomaso Albinoni; Pierre Pierlot; Orchestre Antiqua Musica; Jacques Roussel
His Master's Voice (36325)

https://archive.org/details/lp_five-concertos-for-oboe-and-strings_tomaso-albinoni-pierre-pierlot-orchestre-a/disc1/02.02.+Concerto+In+D+Major%2C+Op.7+No.6%3A+2nd+Movement%3A++Adagio.++3rd+Movement%3A++Allegro.mp3

***

三中さんの『読む・打つ・書く』についての巻頭言を考え始める。

まずは、自分のブログ記事から材料を拾い、一旦書いてその後追加を考える。

https://hfukuchi.blogspot.com/search?q=%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%89%93%E3%81%A4%E6%9B%B8%E3%81%8F

最初に本の紹介を自分の「読者」という立場から書く。
その後、ブログ記事内容の抜粋。
最後に、おすすめ理由をまとめ直して書く。

午前11時。外は、通り雨。梅雨明けは近い。

***

斎藤美奈子さんの『文庫解説ワンダーランド』読み終えた。

「序にかえて」より

古典的書物の解説に求められる要素

①テキストの書誌、著者の経歴、本が書かれた時代背景などの「基礎情報」。

②本の特徴、要点、魅力などを述べた読書の指針になる「アシスト情報」。

③以上を踏まえたうえで、その本のいま読む意義を述べた「効能情報」。

「あとがき」より

文庫の解説文は「お口直し」である。固い本ならオブラート(甘めの解説)の役割の解説。甘い本なら辛めの解説。しつこい本には爽やかな解説。なるほど。

(玉石混交なので)読者は、メディアリテラシーを磨いて、解説をも批評的に読むのが最良の対抗策だろうとのこと。

『ロンドンで本を読む』で丸谷才一は(8頁)、書評には……

「紹介や評価とかよりももつと次元の高い機能もある。それは対象である新刊本をきつかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである。つまり批評性。……一冊の新刊書をひもといて文明の動向を占ひ、……世界を眺望する……」
ここを読むと鹿島茂さんの書評集の表題『歴史の風 書物の帆』を思い出す。

これもイギリスでの書評の長さのおかげだという。

しかし(10頁)。イギリスでは本があまり売れない。貸本屋が繁盛している。読者は貸本屋から本を借りるとき、そして貸本屋は本を仕込れるとき書評を参考とする。普通の読者が本を買うのはペーパーバックになってからだそうだ。少しがっかり。

このあと収録された大量の英国の書評を読んで勉強すべきだが、それはゆっくりと。


2021年7月14日水曜日

映画『男はつらいよ お帰り寅さん』の世界にはまりかけたが立ち直る

昨日の疲れ(とにかく筋肉痛)で、昼寝をたっぷりした。昼寝となったのは昨夜寝床でつい、『男はつらいよ お帰り寅さん』を観てしまったため。(Amazon Prime Video)最初だけにしようと思いつつ、最後までしっかり観てしまった。

***

夕方の買い物ついでに図書館に行き、以下3冊を新たに借りる。

(1)書名 『そんなに読んで、どうするの? 縦横無尽のブックガイド』 
著者名 豊崎 由美/著
出版者 アスペクト
出版年月 2005.12

しっかり読むのは「まえがき」と「あとがき」。書評論的な部分を探したい。


(2)書名 『批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇』
著者名 大澤 聡/著
出版者 岩波書店
出版年月 2015.1

書評史の勉強のため。


(3)書名 『ロンドンで本を読む』
著者名 丸谷 才一/編著 幾野 宏/[ほか]訳
出版者 マガジンハウス
出版年月 2001.6

これは、豊﨑さんのご著書『ニッポンの書評』で引用されていたので。

昼寝しすぎたので読むのは明日から。明日は新型コロナ・ワクチンの第一回接種。

明日からは(今日はサボったということ)また『書評』と『コミュニケーション・マネジメント』の原稿に手を入れ、来週号のメルマガ巻頭言の準備もする(「打つ」)。

2021年7月13日火曜日

今日も新しい育児法を教わった(毎日勉強)

今日は孫(10ヶ月)の母親代わりとして10時から18時までお世話。遊んでやり、ミルク(ウイルス性のカゼで腹をこわしているのでラクトレスというやつ、症状が治まったら普通のミルクに戻すそうだ)を飲ませ、抱いているとちゃんと昼寝してくれて助かる。もちろんオシメの交換も経験者なので楽勝。午後は体調がどんどん良くなり、いたずらするようになってきた。父親がいるがリモートワークでしかも打ち合わせばかりしているので、遠慮して3回も散歩(といっても抱っこ)に連れ出す。蒸し暑いので肌着だけで連れ出したが、日は照っていなかったので熱中症にはならなかった。

仕事から帰ってきた母親に、無事引き渡した、と思ったら口の中になにか入っていると指摘を受けた。ティッシュの空き箱を噛んでいたのを大丈夫だろうとほっておいたので、上顎に柔らかくなったボール紙のカスが張り付いていた。さすがに母親は目ざとい。あわてて私が指を突っ込んで取り出した。のどにつかえないでよかった。

帰り道で早くも筋肉痛発生。明後日のワクチン接種の副反応が目立たなくて良いだろう。

***

昼寝していただいているうちに『ニッポンの書評』を読み返す。やはり、最後の豊﨑さんと大澤さんの対談が面白い。

以下、要旨の下手なまとめ。文責私。

一八八七(明治二〇)年に「出版月評」という雑誌が創刊された。
このころはまだ批評と書評が末分化。

丸善の「学鐙」の元になった「学の燈」という雑誌が、一八九七(明治三〇)年創刊。
出版PR誌の嚆矢。 内田魯庵編集長!

植田康夫の「出版論」によれば、1929年「書評」というコトバが使われ始めた。
平野謙は、書評をたくさん書いてるのに書評というコトバが嫌いで使わなかった。

豊﨑さんの昔の印象に残る「書評家」というと、平野謙さんはじめ、谷沢永一さんや向井敏さん。
(これ、同意。)

文壇のヒエラルキーにおいては「書評家」よりも「評論家」「批評家」のほうが上だから、みんな、「文芸評論家」って名乗っているそうだ。

日本の場合、雑誌にせよ新聞にせよ、書評の分量は八〇〇字から一二〇〇字のあいだが主流。海外の状況をかんがみるに圧倒的に少ない。むこうは書評欄全体が大きいため、長大な書評も載せられる。何頁にもわたる場合もあります。でも長い文章は読む人が少なくなるのだ。

(欧米の書評事情についてはAR内の識者(Fさん)に教えを請うことにしよう。)

日本の場合、新聞は一億総中流に全国まんべんなく配達される。何百万単位の販売部数。となると、どうしても長い文章はあわない。

「毎日新聞」の変化が興味深い。一九九二(平成四)年四月に大型書評を導入。2000字。

書きたいことがたくさんあるのに、それらを泣く泣く切り捨てて書いた800字と、四苦八苦しながらようやっと埋めた800字とではまったくちがう。

出版の大衆化のあとに、書評の大衆化が起きている。

書くコツとしては、常に目安の倍書く。書いてから無駄な部分をそいでいく。その結果、きれいな800字用の書評、1600字用の書評が身についていく。

作家が書評を書いたり、批評家が書評を書いたりというのが大半だったのに、一九九〇年代以降はライターが書評を書くという流れができてきた。

10年後の有能なライターは、雑誌からじゃなくて、草の根運動的な場所(Webなど)から出てくるのかもしれない。
(ここも同意。)

書評には大きく分けてふたつの要素がある。ひとつは、インフォメーション機能。「こんな新しい本が出たよ」と新刊情報を案内する。もうひとつはクリティシズム機能。書評の「評」の部分す。

伝統のあるところだと、イギリスの「タイムズ・リテラリー・サプリメント」。訳すと「タイムズ文芸付録」。「付録」として書評欄が本紙から独立している。アメリカだと「ニューヨークタイムズ・ブックレビュー」とか。別売でそれだけ買うことも可能。

クロスレビューも良い。一冊を三、四人で書評するの。

書評批評(互いの)も重要。

参考にさせていただきます。m(_ _)m

***

上記とは無関係だが、『文学概論』(東京堂 1926年)に浮気して「読んで」みたら、「快楽批評」という単語が出てきた。これはなんだろう。印象書評?

目次しか読んでないけど



2021年7月12日月曜日

『ニッポンの書評』で書評の勉強

本日見つけた(Amazon経由)「書評本」

タイトル 『書窓雑記』
著者 徳富猪一郎 著
出版者 民友社
出版年月日 昭和5

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174280

少し目を通すと素敵に面白い。

***


借りておいた『ニッポンの書評』(豊﨑由美さん著 光文社新書)を読み直した。巻末の大澤聡さんとの対談を読んだら、書評の歴史でいままで気づいたことがまとまって語られていて、びっくり。この本は手元に置きたいとまず、Kindle unlimitedで購入。古本はあとで入手するつもり。

大澤聡さんの著書、

書名 『批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇』 
著者名 大澤 聡/著
出版者 岩波書店
出版年月 2015.1

はとりあえず図書館で予約。(潜在意識による)思いつき読書と芋づる式読書の有効性を痛感。大澤 聡さんの論文もチェックする必要がありそうだ。上記を読んでから探して読んで見る。

『ニッポンの書評』で言及されている本。面白そうなのでこれも図書館で予約した。書評から文明批評にいたる考察が書かれているらしい。英国の書評文化も知りたいし。

書名 『ロンドンで本を読む』
著者名 丸谷 才一/編著 幾野 宏/[ほか]訳
出版者 マガジンハウス
出版年月 2001.6

なお、豊﨑さんは植草甚一のブックレビューも評価している。\(^o^)/

他にも書評についての興味深い話が満載、安いのに内容豊富な本だ。

『ニッポンの書評』を読んでいるうちに気づいた。現在の本の不況(まともな本が売れないという件)は、われわれが今「民主主義」を捨てようとしていることと同根なのかもしれないと思い始める。みずからの好きなことを一心に勉強しようとせずに、表面的な経済性ばかり追求して暮らしているとこうなる。はやく目覚めたい。そのための理論武装としても書評を広く深く追求したい。

2021年7月11日日曜日

書評の存在価値はまず読書案内

書評の存在価値を再度考えて見ることにした。


鹿島茂さんの著書で、題名が素敵な『歴史の風 書物の帆』(筑摩書房)、この本のまえがきにはいかに書評を書くかについての重要な示唆があり自分の巻頭言でも一度取り上げた。

https://allreviews.jp/review/1908

https://allreviews.jp/review/3680

あとがきには、「書評とは、書評する人間のほうが価値を評価される「人評」でもあるのだ。」とある。しそしてそのあとに、「書評集」の価値は「便利な読書案内」になるところともある。あるジャンルでまとまっていれば「思いのほか重宝な本になる」とも書いてある。読者が書店に見当たらない旧刊などの「本を注文で取り寄せるさいの参考資料になる」とも。

ARのジャンル別書評のページに、当該ジャンルの書評のありかたとえば書評集の書誌を紹介する手もあると気づく。そして、ARの書評を個別の読者の読書行動の好みに従って検索し提示出来るようにもしたい。たとえば、ある著者、ある書評家、あるジャンル、あるキーワード、ある時代・地域。経験豊かな書店主や図書館の司書が行ってくれるようなおすすめ機能も必要。ここにAIを入れる?

三中信宏さんの『読む・打つ・書く』では書評を書く(彼によると「打つ」)ことの効用が示されるが、そのなかには他の書評を「読む」ことも「作業工房」中で行うべきであると。

書評の役割の一つはブックガイドだろうが、高山宏『近代文化史入門 超英文学講義』(講談社学術文庫)の巻末には典型的なブックガイドが載っており、たくさんの書籍が紹介されている。この本を読み終えたら高山マジックによりこのブックガイドで列挙された本を読みたく=買いたくなるだろう。一般読者にとってはマニアックだが良書(と思える……)揃いで、少し前に出版されたいて近所の書店や地元図書館にもあまり置いていない。このブックガイドのような役割を、ARの書評(または書評のグループ)に担わせたい。

キュレーションだ。松岡正剛さんの千夜一夜のページ( https://1000ya.isis.ne.jp/ )のようなイメージ。この千夜一夜ページの域に達するのは不可能に近く大変だろうが、ゴールは同じかもしれない。

集団で作業することも考えて『共読する方法の学校 インタースコア』(春秋社)も参考にしたい。

ARの「関連(書評)記事」の作られ方も調べなくてはならない。

2021年7月10日土曜日

表紙をかじるという斬新な本の読み方があるのに気づいた

三中信宏さんの『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』については、文章を精力的に書くという勧めがいいなと思っていたが、もっとよく考えると「三位一体」という話が素晴らしいのだと思うようになってきた。それは以下のところだ。今後の参考のため、引用させていただく。

236頁。

「書く私」と「読む私」と「評する私」はいつも一心同体だが、たがいに別人格をもっている。どのようにプロットを構成していくかを考えるとき、傍らの「私=読者・評者」に相談をしながら、「私=著者」が実際に原稿を書いていく――私が本を書く仕事場はある種の“工房”のようなものかもしれない。

「読み書き」とよく言うが、その真の意味はこんなところにあるのだろうと納得してしまった。

***

朝から梅雨明けのような青空

今日はやや体調不良(お腹が柔らかい!)の孫と遊んで、てんやわんやとなる。食欲はあるので大事にはならないだろう。真夏のような(真夏以上の)気温となったので脱水を心配して、外には出さなかった。Jが昨日絵本を買ってきたので、与えたら絵を見るより表紙の端をかじり始めた。ここのところ何でもかじってみる時期らしい。一度だけ読んで聞かせた。後何ヶ月かすれば内容に関心を持つようになるだろう。



2021年7月9日金曜日

『読む・打つ・書く』の教え通り文章を「打つ」と驚くほど捗るのがありがたい

今日のBGM。

Sonata In B Minor - Sonata In A Minor, Op.143
by Emil Gilels; Franz Liszt; Franz Schubert
RCA Victor Red Seal (LSC-2811)

https://archive.org/details/lp_sonata-in-b-minor-sonata-in-a-minor-op14_emil-gilels-franz-liszt-franz-schubert/disc1/01.01.+Sonata+In+B-Minor+-+I.mp3

***

Facebookで片岡義男さんの書いた書評が読めるサイトを再発見。もちろん著作も読める。有料。

https://kataokayoshio.com/categories/book-review

***


三中信宏さんの『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』に関する話を再来週号(7月20日)のARメルマガ巻頭言に書くことにした。通常なら書き始めるのには早いけれど、この本の教えに従ってどんどん書き(打ち)始めることにする。「打つ」のニュアンスはこの場合ぴったりだ。ライターズ・ブロック(と言えるほど高級なものは書けないのだが)を打ち破るのには、この本の教えの通りにどんどん打つのが良いと思うようになった。この本を読んだ効用はこれに尽きるような気がする。

もちろん、読書論も執筆論も面白いのだが。今、ここでどう面白かったか書けと言われると難しい。本を読み直さないと忘れている。まあ、数日前からこのブログで感想を書いているので、それを読み直せば良さそうだ。そして、本への書き込みを眺め、目次と索引と文献リストを見直せば良い。と、書いたこの事自体が読書論と執筆論の要諦だったかもしれない。忘れたことを思い出すきっかけにも、書く(打つ)ことが役立つ。

***

巻頭言以外にも、コミュニケーション・マネジメントについて書くについて、『読む・打つ・書く』の「ひたすら打て」を実行。実に役に立つアイデアだ。

***

雨だが、図書館に行き4冊借り出した。

(1)『失われたものたちの本』
著者名 ジョン・コナリー/著 田内 志文/訳
出版者 東京創元社
出版年月 2015.9

ジョン・コナリーを読むのは2冊目。1冊目は『キャクストン私設図書館』だった。面白く読んだ。

(2)『文庫解説ワンダーランド 岩波新書 新赤版』  

著者名 斎藤 美奈子/著
出版者 岩波書店
出版年月 2017.1

(3)『歴史の風書物の帆』

著者名 鹿島 茂/著
出版者 筑摩書房
出版年月 1996.1

(4)『ニッポンの書評 光文社新書』  

著者名 豊崎 由美/著
出版者 光文社
出版年月 2011.4

これら3冊はARのオシゴトに必要な本。(4)は三中さんが『読む・打つ・書く』で取り上げていることもあり、借りてきた。

2021年7月8日木曜日

書評と書物と読者との三者の相互作用で読書ワールドは創造性溢れたものとなる

 書評・解説記事収集プロジェクト企画作業レポートを、「とにかく書く(打つ)」手法で作成中。一部を書き抜いてみる。

1.書評を広く収集する意味

一般読者にとって書評は、未知の書物を知り手にとって読むきっかけを作ってくれる重要なものである。読書の後も、書評を再読することにより、書物への理解が深まることになる。書評と書物と読者との三者の相互作用により読書ワールドは立体的になり、創造性溢れたものとなる。

ALL REVIEWSの理念つまり、「消費財と化している書物」を「ロング・セラーに変える」。そのために「明治以来活字メディアに発表されたすべての書評を閲覧可能にする書評アーカイブの構築を目指す」 https://allreviews.jp/about/ )を実現するために、現在入手可能な書評・書評関連記事をできるだけ広く収集し、プロジェクト・メンバーや一般読者がもっと楽しく広く書評を読めるようにする。自らも書評を「書く(打つ)」ことも付随的に出来るようにする。

(このあと、プロジェクトの作業内容や体制案など……ほとんど略。)

4.6 コミュニケーション・マネジメント

メンバー間でのコミュニケーションにより、収集作業の質の改善につながるよう、PLはコミュニケーション・マネジメントを入念に行う。(具体的には別途作成の、コミュニケーション・マネジメント・マニュアルによる。)

↑ここは大切。個人が頑張って作業するよりも、複数人が自発的にのんびり作業しながら、互いに情報交換する、ゆるい作業方法で何倍もの成果を上げたい。

ゆるい作業のアイデア(まだ不十分だが。)
(1)日常の読書活動で行っていく方法
・日常目にするSNS、新聞、雑誌などから書評情報を得る。(すでにARにあるものをは、気づいたら除くが、収集時はこだわらない。)
・読み終えた文庫本の解説を記録する。
・書評本、解説本(あまりない?)を読んだら、本の単位で記録しておく。
・対象本を読み終えたら(読んでいる最中でも)、読書のきっかけとなった書評を読み直して評価してみる。自分の理解が深まる。読んだ本の自分なりの書評を書くとよいが、そのとき、書評も評価対象とするとより理解が深まる。
・ARの書評一覧、書評家一覧はときどき参照すると良い。
(2)特定の媒体などを調べる方法
・文芸誌
・新闘
・専門誌
・国会図書館
・他の図書館

・書評、解説に関して知るためのおすすめ本(とりあえずの)
(1)鹿島茂『歴史の風書物の帆』(筑摩書房)
(2)豊崎由美『ニッポンの書評』(光文社新書)
(3)鹿島茂『解説屋稼業』(晶文社)
(4)三中信宏『読む・打つ・書く』(東京大学出版会) https://leeswijzer.hatenadiary.com/
(5)斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)
これらに関しては、順次プロジェクト内読書会を開催します。

***

夕食はピペラートなるもの(バスク地方の料理)を作ってみた。なかなかおいしい。


 食べ終わったころ、息子からLINEの電話。孫の体調がすぐれない(多分保育園でいただいた胃腸のウィルス感染症らしい。)ので、明日、ヘルプに来てくれないかとのこと。承諾して、このブログを書いていたら、孫の母親が勤務を休めるようになったので、お役御免となった。少し心配、少し安心。

***

明日はもっとアイデアを出したい。


2021年7月7日水曜日

有名な本の書評や解説を探す尽くすのはかなり大変

 午前中のBGM。

18th Century Lute Trios
by Trio au luth de Bruxelles
Period Records (SPL 587)

https://archive.org/details/lp_18th-century-lute-trios_trio-au-luth-de-bruxelles/disc1/02.07.+Concerto+a+Liuto+Obligato%2C+Violino%2C+et+Basso%3A+Vivace.mp3


***

午前中に、とにかく書く(打つ)の精神で、書評収集のことを一時間ほど書いた。

昼食前に休憩して、Kindleで読書した。先日(再度)入会したKindleUnlimitedで、トーマス・マンの『トニオ・クレーガー』を30分ほどで読む。

その巻末の解説で気づいたこと。

『トニオ・クレーガー』の日本語翻訳は以下の通り。(光文社古典新訳文庫巻末の伊藤白さんの解説による。ちなみに原著は1903年。)

1927年 実吉(日野)捷郎 (青空文庫に収録されている)
1956年 高橋義孝
1970年 植田敏郎
1971年 野島正城
2011年 平野卿子
2018年 浅井晶子 光文社古典新訳文庫(本書)

上2つはすでに読んでいた。他の訳本も集めて読んでみたい。書誌やそれぞれの書評・解説なども調べたい。

高橋義孝の訳本については、これ。

https://allreviews.jp/review/1913

手持ちの高橋義孝訳本(昭和44年 角川文庫版)には圓子修平の解説が収録されている。

他の訳本も文庫化されており、それぞれに解説が付いているだろう。複数社で文庫化しているなら、解説はそれぞれ違う方が書いているのが普通だろう。読むには、国会図書館などで現物にあたるしかない。

『解説屋稼業』(晶文社)で鹿島茂さんがおっしゃっている通り、日本の文庫本の文化は大したものだ。が、記事を集める側は疲れる。海岸で砂粒を拾い上げて数えているようなものではないか?

すべて(あるいは大部分)を集めるという構想は捨てて、ある期間ある労力(と金)を投じて計画的に出来る範囲のことを行う、というスタンスでやらないと、精神的にまいってしまうだろう。あたりまえだ、という声が聞こえるような気がしてきた。それでいいのだろう。

これは新潮文庫版……


2021年7月6日火曜日

索引や文献目録は、資料としての書籍には必須なので、価格が上がってもつけていただきたい

このLPを聞いていたら、外から蝉の声が聞こえた。季節のめぐりは早い。

Sonatas For Piano And Violin
by David Oistrach; Lev Oborin; Ludwig van Beethoven
Philips (PHM500-032 / PHM 500-032)

https://archive.org/details/lp_sonatas-for-piano-and-violin_david-oistrach-lev-oborin-ludwig-van-beeth/disc1/01.01.+Sonata+In+A+Major%2C+Opus+30+No.+1%3A+Allegro.mp3

***

三中信宏『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版局)、第1楽章「読む」を読む。興が乗ってきて、第3楽章「書く」も読んでしまった。つまりとりあえず全巻目を通したことになった。もちろん、文献リストや索引の部分も忘れずに拝見した。


三中さんによれば、本の註・文献・索引は重要な要素で、後で本を資料として参照する場合にこれらはなくてはならない。たとえ、新書として出版する場合もこれらを欠かすことはない。費用の関係という言い訳で省略するのはケシカランということだ。私も最近ある翻訳本を読みはじめて、索引がきちんと翻訳されていないだけでなく、出版社のホームページに掲載したと知り、読む気をなくしたことがあった。『トーマス・マン日記』を読むと、その註と参考資料と索引の膨大さに驚くが、単に趣味として読んでいる私でも、この丁寧さに感謝することが多い。現在刊行中のドイツ語版の『トーマス・マン全集』も同様に註や索引が本文より多く、膨大なページ数となっているらしい。当然出版に時間が(きっと金も)かかるが、それをおろそかにしない姿勢に打たれる。もっと身近な例だと、高遠弘美先生の訳本『プルーストへの扉』白水社 (2021/1/23)は原著にはほとんどない文献目録・年表・固有名詞索引が付いており、そこが魅力だ。高遠先生に伺ったところ、これはご自分で作成されたという。ぜひ、このようなことが当たり前のことになってほしい。後で読み返したい本は、多少高くても、このような面で充実していてほしい。


三中さんの本の感想に戻ると、読書と書評と執筆が三位一体であるべきと言う点に納得した。本の題名はここから来ている。これは「理系」の本に限らない。

とにかく毎日「書いて(打って)」、その上で充実した読書生活を愉しむとしよう。とりあえずは、7月いっぱいは毎日、「書評探索」レポートと「コミュニティ・マネジメント・マニュアル」の執筆を続けたい。

2021年7月5日月曜日

『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』を読んで自分の書評観の狭さに気づいた


三中信宏『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版局)を読みすすめる。第2楽章「打つ」から読み始めたが、難しい道からの登山だったかと少し反省中。

自分の書評に関する見方が、非常に狭いものだったと気づかせられた。短め(800字から1500字くらい)の書評ばかりを考えていたが、長い書評でないと意を尽くせないことがある。そもそも、書評を書く側の主観的な意見や知見を押し出さないほうが良いと思っていた。文芸書の紹介レベルならこれでいいが、最近興味を募らせている科学書の書評をしっかりやるとすれば、かなりの長さが必要だ。

読者の知識レベルを低いものと想定すれば、まず基礎的な知識を解説する必要がある。書評対象本の論理構成を批評するには、本の長さと同じとは行かずとも、相当な長さを要求されそうだ。

最近読んだ、天文学者の体験を書いた本の新聞書評に、失礼ながら物足りなさを感じたのは、このせいだ。書評家の責任ではなく、与えられたスペースが狭すぎる。単にこの本は面白い、一般向けのこんなエピソードもあるというだけで、天文学上の重要な発見の内容の一般向けの解説をすることができていない。

すると、三中さんのように、自分でスペースを用意して「意を尽くす」しか方法がなくなるのだろう。あるいは、論文の形態をとる必要があるのかも知れない。

文芸書の場合も実は同じようなことが言える。短い書評で本の拡販に全面的に協力するか、あえて、炎上を恐れずに書評家の忌憚のない意見を言うかだ。植草甚一さんのエッセイ的書評の書き方(例えば『ぼくは散歩と雑学がすき』)のように、長い内容の紹介と見せかけて、自分(植草さん)の意見を述べてしまうという高等テクニックを使うという第3の道もありそうだ。

ともかく、今回のこの本は「書評」について素人の私には、絶好の本だった。AR友の会の仲間にも読むことを勧めたい。

明日は第1楽章「読む」を読むつもり。目からウロコがたくさんおちるだろう。楽しみだ。

***

今朝の注目Tweet。

今度行ってみなくては。

***
図書館で三冊借り出してきた。

『プルースト読書の喜び 私の好きな名場面』
著者名 保苅 瑞穂/著
出版者 筑摩書房
出版年月 2010.12
(保苅さんの本なので鉄板。)

『サムライに恋した英国娘 男爵いも、川田龍吉への恋文』 
著者名 伊丹 政太郎/著 アンドリュー・コビング/著
出版者 藤原書店
出版年月 2005.9
(「チコちゃんに叱られる」で紹介された川田龍吉男爵の本。)

『ダ・ヴィンチ・コード 上』 角川文庫  
著者名 ダン・ブラウン/[著] 越前 敏弥/訳
出版者 角川書店
出版年月 2006.3
(養老先生が『考える読書』で紹介してくれた。)

結局、読書傾向はかなりミーハー的であることがわかる。自分を褒めている。

***

寝る前にKindle Unlimitedでこれを読んだ。面白かった。『ぼくは翻訳についてこう考えています』。





2021年7月4日日曜日

小泉八雲、アシモフ、三中信宏さんの「書く(打つ)」姿勢に脱帽する一日

寝起きに、萩原朔太郎『小泉八雲の家庭生活 室生犀星と佐藤春夫の二詩友を偲びつつ』を。青空文庫で読んだ。八雲と妻との会話が愛らしい。日本語がほとんど読めなかった八雲の日本語の窓になったのが妻だった。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000067/card59303.html

もう一つ、『Yours, Isaac Asimov: A Lifetime of Letters』
ed. by Stanley Asimov, Random House

https://archive.org/details/yours-isaac-asimov/page/11/mode/1up

をInternet Archiveで読む。(一部分だけ。)

生涯で500冊本を書いたアシモフだが、手紙もたくさん書いた。「書くことだけが人生だ」と言ったらしい。(本当に近い嘘)。

手紙を書くときにはカーボンコピーをとるのを欠かさなかった。ボストン大学に大量のこのコピーが残されており、弟のスタンリーが引退後、これを整理した。

アシモフは毎日(週7日)朝7時半から夜10時半までタイプライターに向かい、書きまくった。作家として認められてからは、ほとんど書き直しはしなかったという。


***


注文していた本が一日早く届いた。

三中信宏『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版局)

まえがきのiv頁によると。

本は読みっぱなしでは忘れてしまうので、「これは!」という本を読んだら三中さんは必ず書評を書くという。そしてご自身のブログに公開する。もちろん、新聞や雑誌などを通じて本の紹介や書評することも多いそうだ。

ブログはここの中に設置されているようだ。尊敬すべきサイトだ。

http://leeswijzer.org/index.html

私も毎日このブログを書いているのだが、まったく比べ物にならない。比べるほうがおかしいのだが。

少し飛ばして、「第2楽章」を読む。

105頁。

三中さんはミレニアムの替わり目に数多くのネット書評を書き、印刷媒体、たとえば、『科学』、『生物科学』、『遺伝』、『日経サイエンス』、『蛋白質核酸酵素』など理系の雑誌に書評を書き続け、2009年からは時事通信社を通じて新聞書評もはじめておられる。その後、2019年から読売新聞の読書委員をつとめられる。

新聞書評体制の変遷に関しては井出彰さんの『書評紙と共に歩んだ50年』(論創社)があるそうだ。この本は県立図書館にあるので地元図書館を通じて借りてみたい。

108頁。

「息を吸えば吐くように、本を読めば書評を打つ」

これはすごいことだが、多少は自分のブログでも行っているつもりだ。

三中さんは科学系の図書の書評家としてぜひALL REVIEWSにお迎えしたいとも個人的には思ったが、上記のご自身のブログがあるので、そことALL REVIEWSサイトを連携させていただくほうが良いような気がしてきた。ALL REVIEWSの方向性として、中核の書評を取り込んだ(現在の)サイトと、もっとゆるく結合した独立したサイトたちがあるという姿のほうが良さそうだ。これはまだ個人の妄想レベルの話。

2021年7月3日土曜日

『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版会)をARを通じて購入手配した


『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版会)の紹介文(著者の解説文)を、

https://allreviews.jp/review/5552

で読んだ。

ひとりの “理系” 研究者がこれまでどのように本を読み、書評を打ち、著書を書いてきたかを、一般論ではなく、できるだけ具体的な自分自身の経験に基づく考察としてまとめた本である。

書評は「打つ」というのは知らなかったが、まあ書評が読まれるかどうかはバクチのようなものかも知れない。大抵の書評はキーボードで「打たれる」からだろう。

さらに、実名あるいは匿名で書かれた書評をどのように読み解けばいいのかについても考察した。書評の書き方についてはこれまでいろいろ論じられたことはあったが、書評の読み方についてのまとまった議論は本書が初めてではないだろうか。

ここを読んで、あわててこの本を注文(もちろんAR経由で)することにした。3000円するので今の私には決して安い買い物ではないが、いま興味を持っている「書評」に関して新しい知見を与えてくれるだろう。

明日か明後日には届くようだ。楽しみに待つ。大雨の影響が出て遅れる可能性もある。今朝の熱海の土石流の様子を写した動画がテレビでしきりに流れる。怖い。東日本大震災のときの動画と同じく、トラウマになりそうだ。でも見てしまう。被害が最小限であることを祈るのみ。

***

土曜日なので孫の世話を1人でしている息子の援軍として、現地に出向く。さんざんあそんで、夕方電車で戻る際に、優先席で隣り合ったほぼ同年輩の老人が、新聞を読んでいるのを珍しく眺める。昔は当たり前だった光景なのだが今や稀有と言っていい。考えてみれば携帯電話でニュース記事を見ているのと、内容は変わらない。仕掛けが違うだけだ。ただし、新聞は大見出しというのがあって、近所の人もそこまでは読める。ここが人に優しいと言えるかも知れない。乗客同志にかすかなコミュニケーションが生じる。このひとはこんな記事を読んでいる……あるいは大事件の報道記事を無視しているこのひとは大物だ……覗き込んでくるこいつは気に入らないので見せないようにしよう、好きな球団が負けたことだし……

空いた車内だったが何人かいた乗客はほぼ全員携帯電話をいじっている。ニュースをクリックしているが、この老人はニュース記事を「読んで」いる。異彩を放っている。

2021年7月2日金曜日

気まぐれな「書評探索」は楽しい

 朝。発見。買いたい!少なくとも図書館で買ってもらおう。

『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版会)
https://allreviews.jp/review/5552


あさイチ、リト@葉っぱ切り絵さんが出演。世界観を表現したらフォロアーが飛躍的に増加したと。私もフォローした。

https://www.instagram.com/lito_leafart/

毎日少なくとも1つ「葉っぱ切り絵」を作り、インスタに掲載する。その継続する姿勢が大切なのだろう。

昨日の朝日朝刊、小川洋子さんの話。

「輪郭がぼやけているものに、しっかり言葉をあてはめてみることは、作品のより深い理解にもつながる。(現代文解釈の出題への解答作成は)国語を勉強する上で絶対に無駄ではない」

***

書評探索つれづれ。

毎日、一つ知らなかった書評を探す。なかったら自分で書く。これで行こう。
例えば、『トーマス・マン日記』の書評とか。探してみよう。

これは解説。

https://www.fujisan.co.jp/product/1281687685/b/1382108/

一冊の本!にまとまったものならある。

『闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記』池内紀 著https://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/08/102448.html

この本の書評はある。https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/postseven/trend/postseven-629335


論文検索(https://ci.nii.ac.jp/)で「トーマス・マン日記」で検索すると、2件みつかった。これらは本文にアクセスするには国会図書館に行かないといけない。「文學界」はよそでも(例えば大宅文庫)読めるだろう。

『トーマス・マン日記1940-1943』掲載誌 文學界 50(4) 1996.04 p.284~287

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I3933334-00

編集者が語るこの叢書・このシリーズ(11)『トーマス・マン日記』全十巻について掲載誌 人文会ニュース (126):2017.4 p.37-42

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I028185436-00


自分で書いたものもある。(冗談)

https://hfukuchi.blogspot.com/2020/12/blog-post_14.html?m=0


書評という切り口で膨大な本の世界に立ち向かう。その楽しみの結果を「100人」で記録しておく。



養老孟司『考える読書』(双葉新書)

オモシロイ。2年ほど前、友人(鍋さん)から譲ってもらった積ん読本。昨晩突然、読みたくなった。「突然」は奇跡的にあるいは潜在意識の導きによってと言い換えてもいい。

この本の内容は「小説推理」(双葉社)に「ミステリー中毒」という名称で連載したものらしい。今でも連載中。そして同社から書籍化されたのは、この本以前に『ミステリー中毒』と『小説を読みながら考えた』がある。

https://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookfind/index.html?type=t&word=養老孟司&btn

三冊ともARに掲載するのは難しそうだ。『ミステリー中毒』と『小説を読みながら考えた』は絶版らしいから可能性はある。こうして、地道に書評を発掘する必要があろう。


2021年7月1日木曜日

立花隆さんのように死ぬまで勉強するのが理想

立花隆(昨夜の「クローズアップ現代」の録画)のビデオを観た。

見当識(自分はどこから来て、どこに居て、どこに行くか)を追求(勉強)した。

最後には自分も材料にして「死の勉強」。

全体観が大切。インターネットでかえって視野狭窄症の人多い、常に全体を考えよ。

残された60箱の資料。立花さんがPCとインターネットを使えていたら……勉強がもう少し楽になり、若くして(80歳)で死ななくても良かったかも知れない。

***

6月の記録

6月1日〜3日ごろ 喉の痛み、せき、頭痛症状(RSウィルス?)

6月5日 孫と遊ぶ(元気回復)

6月12日 孫と遊ぶ

6月15日 ARメルマガ巻頭言発出

6月18日 ARオンライン定例懇親会「食べる」

6月19日 孫と遊ぶ、AR業務打ち合わせ

6月20日 Jコロナワクチン1回目

6月25日 月刊ARフィクション「民主主義」宇野さん

6月26日 孫と遊ぶ、パナソニックショールーム

後半になってやっと体調が恢復してきた。朝食でオートミールを食べるようになったのも良かったかも。

カレンダーは小さく切ってメモ用紙として再利用する。


***

メルマガ週刊AR巻頭言総集編(昨年12月〜今年6月)のnote記事を公開した。

https://note.com/allreviewsjp/m/m33550ebf395e

***

読書、『アーカイブの思想』(根本彰さん)、100頁まで。

新聞の広告で『日本映画作品大事典』という本を見かけた、収録した監督数は1300,作品項目数は19500、監督名の50音順で作品公開順に配列。巻末に作品名とシリーズ名の50音順索引を収録。とある。電子化しないのだろうか?

ともかく、これはARで書評を集めるときの参考になる。もっと考えてみたが、ARでは書評を、見つかる限りすべて集めるという方針でやりたい。そのうち、可能な書評家さんの書評は本文を掲載し、そうでないものは記事の存在情報のみ掲載する。せっかくやるなら網羅的にしたい。

他にこのような例があるか調べよう。面白くなってきた。10年単位のシゴト(いや勉強)になりそうだ。

***

2001年の今日、近所で撮った写真。ヤマトシジミだろう。