2021年1月31日日曜日

第一印象と違って見えてきたブルデュー、その考え方が好きになってきた

自治会の「卒業祝い」チラシを印刷し終えた。Jが広報担当部長に持っていった。とりあえず、今年度の作業終了。明日からは我が家の確定申告の作業にとりかかる。例年、この時期は忙しい。そのせいで花粉症の症状が重くなるのかも。

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『ブルデュー 闘う知識人』の第2章の読書にとりかかる。

68頁。

知識人の本来のあり方は「批判的」であること、民主主義に不可欠の「対抗権力」であることを想起させる必要はある。ブルデューは終始、批判的知識人であろうとしたひとである。

70頁。

ブルデューはサルトル的な社会参加(アンガージュマン)の形態を「全体的知識人」あるいは「預言者的知識人」と呼んだ。

71頁。

機関的知識人=御用学者

72頁。

種的知識人(これは良い意味)、例、権力と戦ったフーコー。

74頁。

ブルデューはフーコーの唱える種的知識人という考え方を全面的に支持している。

そして集団として行動することを支持する。

78頁。

ブルデューにはよく決定論者のレッテルが貼られる。しかし彼は……二項対立を哲学教科書的としてしりぞけ、これらを力動的に統合することを心がけた。

途中までだが、2章を読んで、先日の対談前の付け焼き刃の勉強で浮かんだ、ブルデューに対するマイナスイメージが払拭された。この本を読んで良かったと思う。

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明後日の巻頭言をなんとか書き終えて出稿した。とりあげた須賀敦子の世界は奥深い、これからも著書を読み込む必要がある。

2021年1月30日土曜日

みんなのつぶやき文学賞の投票が始まった、2月7日いっぱいで締め切り

昨日の原稿を読み直す。

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「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……「明月珠」そのものの評価はこうだ。

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

時の流れを感じつつ書評の結末部を読む。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

***

1945年3月10日に荷風が見たのは東京大空襲の惨害であり、この書評を書くために偏奇館跡に行った須賀敦子が見たものは「膨張経済の崩壊」であった。老境になった二人が見る死の影。

上記の部分に、👆これを追加しよう。

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『ブルデュー 闘う知識人』の第一章「人間ブルデュー」を読んだ。貧しい農民としての生い立ちから始めて、コレージュ・ド・フランスの教授職にまで上り詰めながらも、レイモン・アロンと対立するまでを描く。難しい用語は「ハビトゥス」だけで他は出てこない。ハビトゥスとは社会的制約から来る人の性向のことを言うらしい。社会学は大学教養部で森博先生に習って以来ご無沙汰だった。教科書は残してあったので開いてみたらデュルケムの勉強したノートがはさまっていた。読んだがわからない。昔はわかっていたのか、わかったふりをしていたのか。

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みんなのつぶやき文学賞のTwitterによる投票が開始された。運営のお手伝いをする予定なので、Tweetの解析を見せてもらった。昨年新たに出版された文芸書が対象だが、皆いろいろな本を取り上げて投票してくる。皆、よく読んでいるなあと感心するし、書名から書誌情報を調べていると、殆どの本を読みたくなってしまう。嬉しい悲鳴をあげたくなる。他の読書家の読んだ本の情報を知ることは重要だ。このイベントにはそんな意味があったのだ。

公式サイトはこちら。
https://tbaward.jp/

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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。
Johann Sebastian Bach. Geschwinde, ihr wirbelnden Winde, BWV 201
速く、速く、渦巻く風よ(アポロとパンの争い)
https://youtu.be/Pl4Dcm3H-c0


2021年1月29日金曜日

英語と日本語の達人藤本和子さんの文章がこころよい


『イリノイ遠景近景』を読み終えた。藤本和子さんのエッセイは、自分を語るときは春風駘蕩としているが、マイノリティの芸術家たちのインタビューのときは鋭い。どちらにしても文章の切れ味がスバラシイ。藤本和子さんの次の本として、昨日借りてきた『塩を食う女たち』(晶文社)を読むことにする。

昨日借りた加藤晴久『ブルデュー闘う知識人』(講談社)も少しだけ読んだが、いまのところ読みやすいし理解できる。難関と言われるブルデューを読み解く手がかりになりそうだ。

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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。
Bach: Markus-Passion [Gönnenwein] Donath, Lisken, Jelden 
マルコ受難曲 BWV247

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昨日の原稿を書き直した。一晩寝かせて、もう一度書き直すつもり。

須賀敦子『本に読まれて』(中公文庫)を「エッセイ的な形式」書評のお手本として勉強のため再読した。「エッセイ的」とはこの文庫本の解説を書かれた大竹昭子さんの評価だ。
https://allreviews.jp/reviewer/118

特徴的なところをあげてみよう。引用も含める。

「偏奇館の高み」、これは石川淳の、永井荷風を思わせる老人を描いた短編「明月珠」の書評である。少女時代に麻布に住んでいた須賀敦子が、実際に市兵衛町の荷風の旧居偏奇館跡を訪ねたときの描写から書評を始める。土地勘はあるはずだが、なにしろ半世紀は過ぎているので、何度も道を間違えながら歩く。手に持った地図も古い。


「地図の示す論理につぎつぎと背きながら、私は、早春のような薄日の射す坂道から坂道へと歩いた。」

……須賀敦子は結局なんとか目的地にたどり着いた。偏奇館あと、今は荒れ果てた集合住宅を見る。

「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……「明月珠」そのものの評価はこうだ。

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

時の流れを感じつつ書評の結末部を読む。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

晩年の須賀敦子の文章は完全に「書評」を超えていると思える。

もう一つ『「レ・ミゼラブル」百六景』の書評も読んでみた。

書評結末は、「これ(挿絵のなかでコゼットが見つめるニュールンベルグ製(と鹿島茂さんが鑑定して書いているところの高級人形)に似たフランス人形のエピソードは、たしか『小公女』にもあった。……こう書いてみると、一八四九年生まれの作者バーネットが一八六二年に出版された『レ・ミゼラブル』にヒントを得てこの人形の話を入れたのは確実と思える。」としてある。

ここも凡庸な書評とは言えない。そして著者の鹿島茂さんがバーネットの百年後、一九四九年生まれであることも須賀敦子の頭の中にはあるだろう。

https://allreviews.jp/review/2783

https://allreviews.jp/isbn/4001120275

書評の役割は、書評対象の書籍を買うべく書店に走らせることだという。須賀敦子の書評はその役割を十分以上に果たす。その上で、書評の読者を書籍の存在する仮想的時間空間を縦横に連れ回したうえで新たな世界に向かわせるという、壮大な役割も果たす。須賀敦子にならって自分の人生を懸命に生きながら、そのなかで本に向き合い、人生を豊かなものにしていきたい。もう一度いうが、これは「書評」を超越した書評の顔をしたエッセイであり、文学作品と言っていい。

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「集合住宅」管理組合理事長の仕事の最後の追い込みと、町内自治会のチラシ印刷で忙しく、上記のことに割ける時間が少なかった。来週は別のオシゴトも入るので、執筆はなんとか日曜日で終了としたいものだ。

2021年1月28日木曜日

須賀敦子の書いたような書評を読みたいし自分でも書きたい

巻頭言の下書きをした。昨日と「路線変更」した。TV番組『天国と地獄』で綾瀬はるかになった高橋一生のセリフの受け売り。

書評の書評をするという不遜な試み。うまく書けるかなあ。


須賀敦子『本に読まれて』(中公文庫)をエッセイ風な(読書感想文でない)書評の手本として再読。これはこの文庫本の解説を書かれた大竹昭子さんの受け売り。https://allreviews.jp/reviewer/118

いくつか、この本に収められた書評を読んで見た。

「偏奇館の高み」、これは石川淳の「明月珠」という荷風をモデルとした短編の書評である。須賀敦子は実際に市兵衛町の偏奇館跡を訪ねるところから書評を始める。

「地図の示す論理につぎつぎと背きながら、私は、早春のような薄日の射す坂道から坂道へと歩いた。」

……結局なんとか目的地にたどり着いたが、

「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……この間に

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

と「明月珠」を評する。

書評の結末部はこうだ。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

ああ、これは完全に「書評」を超えているではないか。


『「レ・ミゼラブル」百六景』の書評。

「抄訳で読んで作品ぜんたいを理解した気になってしまうのは、しかし、私にかぎったことではないらしいことが、著者(鹿島茂さん)によるまえがきを読んでわかった。」

書評結末は、

「これ(挿絵のなかでコゼットが見つめるニュールンベルグ製(と鹿島茂さんが鑑定して書いているところの高級人形)に似たフランス人形のエピソードは、たしか『小公女』にもあった。……こう書いてみると、一八四九年生まれの作者バーネットが一八六二年に出版された『レ・ミゼラブル』にヒントを得てこの人形の話を入れたのは確実と思える。」

ここも凡庸な書評とは言えない。

https://allreviews.jp/review/2783

https://allreviews.jp/isbn/4001120275

書評の役割は、書評対象の書籍を買うべく書店に走らせることだという。須賀敦子さんの書評はその役割を果たした上で、読者を書籍の存在する時間空間のなかを縦横に連れ回したうえで新たな次元に向かわせるという、壮大な役割も果たす。われわれ読者は須賀敦子にならって身を捨てつつ本に向き合う必要がある。

いろいろな書評を発見して読む楽しみ。これはARが与えてくれる恩恵でもある。

👆まだ書き直しが必要だ。「エッセイか、書評だろうか、須賀敦子」

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夕食の買い物の時に図書館に行き、三冊借りてきた。最近のマイブームに従って借りてきたが、出版時期は古い。



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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。

Bach - Mass in F major BWV 233 - Rademann | Netherlands Bach Society

https://youtu.be/hyVLhEsH_q8


J.S. Bach: Mass in A major BWV 234 [Ricercar Consort - Ph.Pierlot]

https://youtu.be/4i3dAC4rpOI


2021年1月27日水曜日

文章の能力は、筆者の表現力と知識・知恵と、読者との相性で決まる

「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

J.S. Bach: St John Passion, BWV 245 - Bach Collegium Japan, Masaaki Suzuki (HD 1080p) 日本語対訳字幕

https://youtu.be/SiKgrevzT-g

居眠りしたり読書したりしながらだが、全部聴いた。潜在意識に記憶が残っているだろう😅

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ブルデューを「習うより慣れろ」の方針で読んでみようと思いはじめる。

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『イリノイ遠景近景』を四分の三くらいまで読んだ。以下は、まだとりとめのない感想メモだ。これを発展させて巻頭言の原稿に出来ないか考える。


藤本和子さんの文章力。

作家の文章と翻訳家の文章はちがうのか。

文章力はその人の職業によらない。


投票のプロセスで、特に他の人の投票内容を見ると、こんな本があると気づく。そしてその関連本も目に触れる。

ARサイトも同じ、Twitterそのものも。

藤本和子さんが翻訳以外でご自分でも本を書いておられることを、Twitterを通じて知った。ブローティガンの訳でお名前は昔から知っていた。

『西瓜糖の』など魅力的な文章は、原著者のブローティガンのおかげ?ちがう。

実は藤本さんの力も大きいようだ。名翻訳のよって来たるところは何なのか。語学力、理解力、知識、知恵。米国におられていての文化の理解力。日本文化の理解も必要だろう。全部ひっくるめると(乱暴だが)人間としての力と呼びたい。

柴田、村上両氏の翻訳論も参考になる。

トニ・モリソン(ノーベル賞受賞)は友達。

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巻頭言のチェックリスト。大切なのは毎回以下を愚直に行うこと。

(0)準備

 ・受け取った文章を常用のエディター(など)に移し、できるだけ拡大し、見やすいフォントにする。

(1)校正的なチェック

 ・固有名詞つまり人名、書籍名、出版社名などの誤字脱字については時間を置いて、チェックを2度くりかえす。

 ・他の文字に関しても誤字脱字を一度以上チェックする。このとき内容にとらわれない(校正者の態度で行う)。 

(2)校閲的なチェック

 ・数字、年号などの妥当性を見る。ほかは一読して気になるところを見る。


(1)、(2)とも、結果を筆者にSlackで伝え、修正は筆者にまかせる。

2021年1月26日火曜日

マタイ受難曲を聴くならこのビデオ

当家の修理担当者としては大変な事件が発生した。

朝3時によんどころない事情で起きたとき、いつも時間を確かめるのに眺めていた電子レンジの時間表示がついていなかった。停電でもなさそうだが原因わからずまた寝た。

今朝調べたら、レンジ棚の内蔵コンセントの焼損らしい。壁コンセントから電源をとっているが、壁コンセレトは無事。最近使いはじめた電気ケトルの電力使用量が多いので、古くてホコリのたまりかけたレンジ棚内蔵コンセントのなかの配線が焼けたようだ。溶けただけで火が出なかったのが幸いだった。臭いは数日前から気になっていた。

棚の裏側。このコンセントは使用禁止にした。

レンジ棚は食器棚も兼ねている、壁コンセントにアクセスするには動かさねばならぬが、重い。載っていた10キログラムくらいの古い電気オーブン・レンジをエイヤと下ろす。食器も半分くらい出す。瀬戸物は非常に重いと久しぶりに実感。棚をずらし、壁コンセントから太めの電源延長コードを引き、レンジ棚の横から前にまわす。

全部終わるには朝食後2時間ほどかかった。もう昼食準備の時間となった。

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「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

バッハのマタイ受難(!)曲を聴きながら修理作業をした。偶然だけど。

https://youtu.be/P3OcPLf7Kyo

ところで、この動画はすぐれものだ。ドイツ語と日本語訳両方の字幕がついている。ぼんやり眺めているだけで、マタイ受難曲や聖書の内容が理解できる。昔の人に見せたら、驚嘆するにちがいない。これを自由に観ることができるわれわれは幸福である。

私としては長生きしてこれを発見できて良かった\(^o^)/

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明後日あたりに腰が痛くなるだろう。

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作業の合間の休憩に撮った写真。Amちゃんは近所で評判の地域猫だ。通る人皆に愛想をふりまいている。おやつ狙いでもあるが、不特定の人はあまり与えないで欲しいものだ。



2021年1月25日月曜日

読んで、聴いて、修理する、理想の生活😅

あまり寒くはないが、朝読書は寝床でおこなった。『トーマス・マン日記』の1920年2月16日から3月7日まで。順調に『魔の山』を書き続けているようなので安心(?)だ。毎朝1ページずつ原稿を書いている。上着や時計などの買い物も良くしている。しかし、

3月3日。
……『詐欺師』もそうであるように、この長編小説(『魔の山』)を1914年には終わらせていなくてはならなかった……

3月7日
……今朝目が覚めてすぐに、50歳に近い人生の経過を生々しく、ほとんど息がつかえるほど切実に感じた。

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「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

Mass in B Minor | John Eliot Gardiner (2015) ミサ曲 ロ短調 (BWV 232)

https://youtu.be/m7obnfrlP0s

途中で少し寝たが一応全曲聴いた、ということで。

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藤本和子『イリノイ遠景近景』(新潮社)を読み始める。ブローティガンの翻訳を昔に読んで、いい文章だなあと思い、それはブローティガンのせいだと思っていたが、認識を改めたほうがいいかも知れない。藤本さんのエッセイの文章が実に読みやすく、自分にピッタリ来る、そして文章の中から情景がすぐに立ち上がってくるからだ。ブローティガンの日本語訳の読者は藤本さんに感謝すべきなのだろう。

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午前中は、自治会のオシゴトで「卒業祝い品配布」のチラシ作り。

午後は、台所流しの水栓の破損した「泡沫キャップ」の交換作業。古い部品が蛇口のネジ山にこびりついており、外すのに苦労した。最終的にはラジオペンチで破壊的に取り外す。結果はうまくいき、新しい「泡沫キャップ」の効果で、水が飛び散らなくなった。

これが混合水栓本体

「泡沫キャップ」を取り外したらバラバラに壊れた

新しい泡沫キャップ。ねじ込むだけ。


うれしかったので、夜は日本酒(おちょこ一杯だけ)で乾杯。つまみはホタルイカの干物。

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定期検診で行ったかかりつけ医で、逆流性食道炎と人間ドックで言われたと訴えたら、胃酸を抑える薬を処方してくれた。薬局の方(M子さんでなかった(T_T) )は、食事後にすぐ横になってはいけませんとのこと。

2021年1月24日日曜日

暖かくなったら散歩に出よう

雪かきが必要かと、朝6時におそるおそるカーテンを開いたら、外は白くない。雨がかなり降っている。気温が予想ほど下がらなかった。3度くらいらしい。ホッとして、二度寝した。なので、今日も『トーマス・マン日記』は読まずじまい。

花粉の量は少なかったらしい。花粉症の症状はあまりない。


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「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

Johann Sebastian Bach. O Ewigkeit, du Donnerwort(おお永遠よ、いかずちの声よ), BWV 20 1724

https://youtu.be/Fx9j_6tavrs


Ich hatte viel Bekümmernis(わが心には憂い多かりき), BWV 21 1714

https://youtu.be/ln9MBa8lXV4


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バッハを聴きながら、『素白先生の散歩』から、「一本松」、「遊行三昧」、「柴又と流山」を読む。全編のんびりした散歩の話なので、自分も出かけてみたくなる。コロナ禍のご時勢だし交通費も持ち合わせないので、人のいない時に近所を歩いてみよう。会社定年の直前はよく散歩していたが、かえって暇ができてからはしなくなった。これは改めたいが、まずは暖かくなってからと思うと腰が重くなる。



2021年1月23日土曜日

あせらず充分に時間をかけて生きていこう

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
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数日前から開始した「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

掃除をし、コタツを設置しながら聴いたのは、BWV 17まで。その後、コタツの中でBWV 19まで聴いた。題名を書き写すだけでドイツ語のそして聖書の勉強になる。

Bach J.S. Cantata BWV 14 "Wär Gott nicht mit uns diese Zeit"(神われらとともになかりせば)1735

https://youtu.be/HBQlvBs3qFs?t=1


Bach J.S. Cantata BWV 16 "Herr Gott, dich loben wir"(主なる神よ、我ら汝を讃えん)1726

https://youtu.be/-aTEsoVz_HY?t=1


CANTATA `WER DANK OPFERT, DER PREISET MICH` BWV 17(感謝を捧げる者、われを讃えん)1726

https://youtu.be/RNevIP5nI7w


BWV 18 (Complete Cantata) - Gleichwie der Regen und Schnee vom Himmel fällt(天より雨と雪の降るごとく)

https://youtu.be/GGz2Npl7oL0?t=3


BWV 19 Es erhub sich ein Streit(かくて戦起れり)

https://youtu.be/gelYowgE4q4

BWV15 汝、わが魂を冥府に捨て置きたまわざれば (Denn du wirst meine Seele nicht in der Holle lassen) 1703年は昨夜聴いたような気がする。AmazonPrimeMusicで。

全部「聴く」、いや、とにかく「聞く」のが目的なので多少のことは気にしない。

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朝起きたときは、たぶん花粉症のせいで、左目のピントが合わず、活字が読めなかった。こんなときは音楽をきくに限る。

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昼過ぎに少し回復したので素白の随筆を一つだけゆっくりと読んだ。「寺町」。4頁くらいのものを一時間かけて読む。こうして静かに読んでいると文章が立ち上がってくる。素白先生と一緒に落ち着いた風景を感じているような気がしてくる。

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夕方、ずっと観たかった映画『モリのいる場所』を、やっとAmazonPrimeビデオで観た。自分の庭で長年過ごす熊谷守一。小さな庭でも30年間こもれば、一つの宇宙となる。


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夜、雨が雪に変わるかも知れないとの予報。このような条件では雪がひたすら降っても地上で溶けていき、時間をかけて降れば一部の地面だけうっすら白くなる。

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時間の大切さを痛感する一日。あせってはいけない。静かに確実に留まらずにやっていくのが人生だろう。

2021年1月22日金曜日

新しいものが良いとはかぎらない

今朝も日和って寝床で読書。

『トーマス・マン日記』1920年1月17日から2月15日まで。フェルダフィングに2週間ほど滞在。知人(リヒター)宅の蓄音機が気に入り、いろいろレコードを聴く。『タンホイザー序曲』、『ラ・ボエーム』、『アイーダ』のフィナーレ、カルーゾ、バッテイスティーニ、メルバ女史、ティタ・ルッフォ等々、言うまでもなく、『魔の山」の終盤の記述の材料になる。この他にも、『魔の山』のマニアックな部分の材料をこの時期に精力的に仕入れている。

寝床で読んでいると、当然途中で寝てしまう。その間に夢を見た。自分がマン家の子供になっている夢。山からトラックで母親たちと降りてくる。もちろん母親はカーチャで、トラックを下りて街なかを手をつないで歩く。嬉しい。母カーチャは若く、行きずりの若い男にぶつかりそうになっても、怒らずに微笑みかける。少し困った。

目覚めたので、今度は『素白先生の散歩』を読む。素白の随筆はゆっくりと味わうように読まざるを得ないように書いてあると思う。「牛堀と長瀞」を読むと、利根川のほとりの宿屋の女が明るい色の番傘をさして立っているのを船から見ているという文章がある。その姿は船の進行に連れて雨の中に消えていく。

また、眠ってしまった。すぐに、女性が黄色い(!?)傘をさして、桟橋に佇んでいる光景を見た。これは、オモシロイ。やめられないと、また目を覚ましたときに考えた。

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素白の残した随筆は数少ない。だが、ひとつひとつゆっくり読まなければならないので、全部読むには相当な時間がかかりそうだ。時間をかけて一字一句彫琢した貴重な文章だ。古いけれどその滋味はかわらない。

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午後、思い立って、台所の水栓の蛇口の部品「TOTO 泡まつキャップ THYB68-1」を、インターネットで探して注文した。送料ともで約1000円。年末に破損して水が飛び散って困っていた。今日は金曜日で夕方注文したので、月曜日以降早ければ火曜日に届くだろう。楽しみだ。蛇口に残ったキャップの一部分(プラスティック製)は、水垢で固まっていてはずれないので、ペンチなどで無理やり外さなくてはならないだろう。昔の無骨な蛇口のほうが修理がやりやすかった。なんにでも安価なプラスティック部品を使おうとする最近の製品は困りもの。

2021年1月21日木曜日

ポピュリズム克服には皆が随筆を書くのがいいかも

昨夜(今朝)2時半まで米国大統領就任式の様子を観ていたので、今朝は8時まで寝る。トランプの逃亡的退去にあきれる。革命時の王族のごとし。ただし、CNNを観ていて面白かったのはここまでで、後のセレモニーはレディー・ガガの唄を除けば退屈至極。これで、ポピュリズムを克服できるかは疑問。では、どうすればいいのか、自分で考えてみたい。自分の日常茶飯にもポピュリズムは浸透してくる。まずは、読み、書くことが第一歩か。月並みを排斥する。

***

『トーマス・マン日記』を読み続ける。

1919年12月20日より読む。

兄、ハインリヒとの不和。

愛犬バウシャンは病気になった。

この年のクリスマスのエーリカへのプレゼントは『ブッデンブローク家の人々』。彼女はさっそく読んだらしい。

1月8日には、しばらく中断していた『魔の山』執筆に復帰。

肺を悪くし(ジステンパー?)尿毒症を併発して入院していたバウシャンの安楽死に同意。この前後にはかなり落ち込む。墓碑銘を選ぶ。

1月16日。
「かの者にも幸運は微笑みたれど
生前不滅の歌讃えられし
この者は、美しく逝くがゆえに。」


***



『素白随筆集』(平凡社)と『素白先生の散歩』(みすず書房 池内紀編)を借りてきた。静かに読むのが楽しみだ。

2021年1月20日水曜日

もう年だ コタツ読書が やめられぬ

今朝も寒い。早起きせず。したがって『トーマス・マン日記』は午後コタツで読んだ。

1919年11月から12月にかけての日記。とりたてて「事件」はない。強いて言えば、12月4日から10日まで独りでウィーンに旅行。主目的は『フィオレンツァ』の上演に立ち会うため。『幼な児の歌』の朗読会もあった。当時の状況からか、ホテルの食事がよくない。ほとんど出ない。持参の食料でしのいでいる。当然、愚痴が書いてある。


***

お年玉付き年賀はがきの当選の有無を調べた。結果として切手シートが2枚あたった。100分の3の確率なので、順当な結果だ。

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息子殿が使っていたWindowsPCをひさびさに起動させる。時間がかかる。自治会の書類を更新するためだが、まだ原稿が来ないので、Youtubeでバッハを聴くのに使う。

2021年1月19日火曜日

もちろん随筆ならトーマス・マンより岩本素白のほうが良い(あたりまえ?)

朝、『トーマス・マン日記』の続きを読む。

1919年8月4日の、旅行中の記述によると、7月28日付でボン大学の哲学部より名誉博士号が授与されている。マンは素直に喜んで、その後すぐベルリンで泊まったホテルの受付で「博士の称号を使用」している。

8月15日。
(『魔の山』)第4章の改稿を続行、プシビースラフの挿話、良し。

8月31日。
今日の正午、市内へ行くため外出したとき、並木道で初めて秋の匂いがした。晴れているが、爽やかな日。

日記は途絶えがちだ。『魔の山』執筆に専念した?

9月17日にはある書店に行き、『魔の山』の一部(朝食からセテムブリーニの場面まで)を客に向けて朗読して、成功した事を喜んでいる。『魔の山』は時代遅れではないとの自信を得る。

9月末から自宅の暖房工事を避けるため、「フェルダフィング」(ホテル?)に14日間滞在。これもKの勧め。

自宅に戻り、新しい暖房装置を使うと暑すぎると贅沢な文句を言いながら、10月を終える。

***

高遠先生のWeb記事( http://www.webchikuma.jp/articles/-/837 )を読んで、岩本素白を知り、随筆を5篇ほど青空文庫で読んでみた。旅館に泊まったときに興奮して、せっかく用意した本がどうにも読めないという文章がなぜかしっくり来た。図書館で探して、随筆本を2冊予約。


全集三巻があるとのことだが、希少で手には入りそうもない。(後記:調べたら、古本屋さんで1万3000円だ、買えなくはない……)

国会図書館で、岩本堅一(本名)『日本文学の写実精神』を見つけて、随筆に関する章を読む。過去の随筆文学に関する深い研究の上に書かれたので、心を打つ随筆が書けたのだなあと感心した。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069498

感心していないで、自分でもそのような文章が書きたい。現実の具体的な事物に触れながら、上手に関連させて明晰に自分の考えを述べる。これは書評にも通ずる。


2021年1月18日月曜日

北杜夫のトーマス・マン好きは有名(と私は思っている)


10年位前に古本で買った北杜夫『どくとるマンボウ航海記』(新潮文庫)が出てきた。中央公論社版がベストセラーになったのは1960年頃。中学生時代に熱中して読んだ記憶がある。

トーマス・マンに言及した部分をさがしてみた。

115頁-118頁。

……リューベックに行くことができた。リューベックはトーマス・マンが生れ、かつ長編『ブッデンブロオク一家』の原型であるその家が残っている古い都市である。マンはむろん今世紀最大の作家だが、現在ドイツでは私が思っているほど(もっともこれは途方もない思い方なのだが)読まれていないようだ。……そこらの狭い路地の角で、もう十年も前はじめて『トニオ・クレーゲル』を読んだころ、私なりに夢みたあの碧い眼に、あの金いろの髪に、ふいにばったりと行き会わないものかとひそかに念じた。……

146頁。

(パリで)……Tは『ブッデンブロオク一家』の最初の部分を一節ずつカードに書きぬいたのを示し、克明にマンの技法を説明してくれた。


Tとは無論辻邦生のことだ。パリのアパートで高校時代に読んだ、(そして今も読んでいる)マンの小説のことを議論している、可憐な二人のすがたが彷彿としてくる。


この二人は、後にマンの墓参りにスイスにも行った。このとき、北杜夫はマンの墓前で涙が止まらなかったという。


辻邦生『モンマルトル日記』(集英社)277頁。

1969年8月2日にあたる部分。

……トーマス・マン――ながらく青年期のぼくを支えてくれたこの偉大な作家の墓に、ともに作家となった宗吉と詣でることになるのも、なにかの因縁かもしれない。マンの墓は……木々にかこまれ、スイートピーやサルビアや花々にかこまれている。……マンの墓石に頭をつけ、深い知恵を伝えていったマンの、その万分の一の努力でもつづけることを誓う。……(マンの家を訪ねるのは)マン夫人が病気なので、遠慮する。……(チューリッヒの)マンのアルシーブにゆく。書斎と、食堂をそのまま復元している。他の一室に原稿や資料などが飾られている。

チューリヒには私も一度は行ってみたい。コロナ禍後の旅行の第一候補をする。その前にドイツ語が読めるようにしておこう。 

辻邦生さんの日記や小説論ををもう少し読んで、マンに関する記述を集めてみようと思う。とりあえず開いてみた『モンマルトル日記』にも何ヶ所かある。

関西大学学術リポジトリの南森孚さんの論文「北杜夫とドイツ』も参考になりそう。北杜夫の著書ももっと深く調べるべき。少ないけれど何冊かは持っているものの、散逸しているので、まずは発掘しなければならない。

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朝、寒いのでまた寝床の中で、『トーマス・マン日記』。1919年7月1日から8月15日まで読む。

7月24日。
(子供のころ出会った)「ハニ」のことを尋ねた。

「ハニ」については注釈でも不明としている。誰だろう。

ついでなので『主人と犬』も半分くらい読む。

2021年1月17日日曜日

ご同輩、お疲れ様です

1919年4月と5月の『トーマス・マン日記』を読む。

ミュンヒェンの赤軍は白軍に駆逐される。銃声による戦闘の描写。その中でKは何とか出産。男の子(ミヒャエル)。エリーザベトほど愛情が湧かないと書いている。正直すぎる。生まれたばかりなので仕方ないのかも知れないが、可哀想だ。普通の親なら日記には書かない。

『魔の山』の資料がなぜか義理の両親の家に預けてあったのを取り寄せ、梱包を解き、書類棚に並べる。執筆の再開だ。冒頭から書き直す。祖父の記述や、ハンス・カストルプの年も変更したり、元に戻したりしている。

執筆のためだろうが、自宅の騒動を避けて、友人の別荘に泊まりに行ってしまう。仕事のため、名作のためには仕方ないとも言える。それを許すKが偉い。筆一本で食べているので、こうせざるを得なかったのだろう。

こうして読んでいると、先日まで読んでいた70歳台に書いた日記より、赤裸々で、身につまされる。トーマス・マンにお疲れ様と言いたくなる。


これは10年後だし、夫妻と一緒にいるのは上の子供たち
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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午後は、マンション管理組合の理事会があった。今期最後で、あとは2月末の総会の司会をつとめれば、理事長のお役御免となる。割と軽い気持ちで引き受けたが、意外と大変だった。肉体的にではなく、精神的に疲れた。なんとか無事に終わりそうなので、夕食はサボテンのとんかつを食べることになった。自分で作らなくて済むので楽。

2021年1月16日土曜日

トーマス・マンは子供を可愛がったし長い詩も書いた

朝6時。『トーマス・マン日記』を読みすすめる。

1919年1月から3月まで読む。詩『おさな児の歌』を書き続ける。不安定な政治情勢とは裏腹に、「牧歌的な」日常。歯痛だけが悩み。Kは4月の出産を控えているが、詩の朗読を聞いて意見を述べてくれる。トルストイの日記を読み続ける。バイエルンの国民議会の選挙でバイエルン・ドイツ人民党へ投票。ただし勝ったのは社会民主党。

ボルシェビィズムは人道的ではない。

1月17日の記述によると、ベルリンではリープクネヒトとローザ・ルクセンブルクが殺害されたとしてある。

この日記の雰囲気と、『ファウストゥス博士』の記述はかけ離れているような気がする。少し調べよう。そのためには1945年、1946年の『日記』と『ファウストゥス博士の成立』を参照しないと……。

少し考えたが、この1918年からの日記を焼却しなかった理由の一つは、末の子供二人が生まれて嬉しかったその記録を残したい、焼くのが惜しかったのではないかと思った。素人の感想に過ぎないが。



その前に『知識人と政治 ードイツ・1914〜1933』(脇圭平 岩波新書)をおさらいした。トーマス・マンは1918年以前つまり『非政治的人間の考察』の時代に国粋主義者ではなかったらしい。そもそも国という概念があいまいな場所にいた?日記のなかでも、163頁。社会主義を是とする記述がある。

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夜、月刊ARで『ディスタンクシオン』に関する対談。難しいなあ。

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孫の写真を送ってもらって、憂さを晴らす。これならもうじき這いはじめそうだ。



2021年1月15日金曜日

辻邦生もトーマス・マンも大切な人生の「先生」だ

今日も『トーマス・マン日記』を朝6時から読む。数日前よりは寒気がゆるんでいるので、起きるのは少し楽。

1918年12月。

ミュンヘンの「革命」後だが、日常生活にほとんど戻っている。詩作にふける。歯痛に悩む。子供達の病気にも大げさに悩む。リルケにも会っているが親密になることはなかった。美しい若者への嗜好。クリスマスを家族で楽しく過ごす。可愛いいバウシャンは混血の犬。可愛いいおさな児も。

12月13日。
……晩はトルストイ日記。トルストイはゲーテと並んで、永遠に生き続ける精神のうちで、その生活様式が私をもっとも魅了し、その生活感情が……私の生活感情を直接生き生きとさせてくれる人物である。……(トルストイの)二十三歳の手記……。


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辻邦生『トーマス・マン』(岩波書店)6-7頁。序文だが、1980年頃書いている?

こうした25年の歳月はトーマス・マンの作品にとって果して幸せであったかどうか。……真の意味で一人の巨大な作家を評価するには、20年、25年という歳月でも不十分であるのかもしれない。……


この本も何回も読み直している。トーマス・マンの読み方、そして物語の読み方を指導してくれた本だ。



2021年1月14日木曜日

トーマス・マン理解の鍵としてゲーテを読もう

朝6時起床、『トーマス・マン日記』を読む。

1918年11月8日。
深夜まで銃声が続き、朝にもまた始まった。けれども私はそれをまったく無害なものと受け取っていた。……昨夜の「大事件」をまずKの母親の電話で、それから遅れて配達された「ナーハリヒテン」で知った。……「バイエルン民主社会共和国」が宣言され……

この後、ミュンヒェンでの「革命」の様子や、国際情勢の(伝聞による)記述が一ケ月続く。しかし、トーマス・マンの執筆活動は長く中断することなく続く。外出は差し控えているようだ。政治的には悩んでいないし、一切外部への発言はしていない。子供やKの病気に悩んでいる。「民主社会共和国」政府を否定してはいない。距離を取っているようだ。食料事情の記述はないが、要するに困っていなかったのだろう。

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『ゲゲゲのゲーテ』を読み終えた。そして、トーマス・マンとゲーテの関連性を述べた論文を幾つか読んだ。マンの作品にはゲーテの作品のパロディーが多く混じっているそうだ。たとえば、「トーマス・マンにおけるパロディーの意味」(禿憲仁)。

水木しげる大先生がおっしゃる通り、ゲーテの人間性に触れる必要がある。とりあえず、『ゲーテ全集 10巻』(「詩と真実」 潮出版社)を借りることにした。国会図書館デジタルでは大村書店版全集第11巻(大正14年)で読める。

今、これを書きながら調べたら、「詩と真実」を読むなら、全集の9巻と10巻を借りるべきと気づいた。9巻も追加で予約。あぶなかった。ブログを書いていてよかった。





2021年1月13日水曜日

トーマス・マンにとって第一次世界大戦とは何だったのだろうか

6時起きで、『トーマス・マン日記』を読む。

1918年10月。敗戦に向かってのドイツの状況をはらはらしながら「見守る」トーマス・マン。『非政治的人間の考察』はこの状況ながら売れている。その評判にも一喜一憂する。『主人と犬』を書き終え、校正中。この頃も「書きながら」Kに朗読してきかせ、效果を確かめている。

カトヤとKという表記を微妙に書き分けている。赤子(エリーザベト)を抱いてあやすのは得意だった。歯痛の日が一日。

早起きして午前中に仕事をするのはこの頃も同じ。一生涯勤勉に続けたのだろう。夜は音楽会へ。そして……

10月31日。
自分のヴァイオリンと楽譜を取り出して、(親友エルンスト・)ベルトラムと夕食まで演奏。

……『トーニオ・クレーガー』を思いださせる一節だ。

このあと、11月7日にはミュンヘン革命が起き、バイエルン王ルートヴィヒ3世が退位するのだが、トーマス・マン本人の境遇には大きな変化は訪れないような雰囲気である。


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「教養」とか「読書」とかについて考え始める。われわれはこれらに関する最後の世代ではないのか。分水嶺は1969年ごろか。

2021年1月12日火曜日

トーマス・マンはおむつの交換ができなかった

寒くて朝6時には布団から出られない。そのまま、昨日借り出した『トーマス・マン日記 1918-1921』を読み始める。

40代前半のトーマス・マンの書く日記の文章はみずみずしい、まだミュンヒェンに住み、メーディは生まれたばかり。たまたま世話をまかされて、おむつの替え方がわからなくて困っている。1918年9月は、第一次世界大戦が終わりかけているが、『主人と犬』という牧歌的作品を書く余裕がある。このあと、中断していた『魔の山』執筆を再開すべきと考えている。余裕のあるミュンヒェンでの生活がいつまでも続くと考えていたのだろう。外からのストレスがあまりかからない中で、作家はどう行動するのか。その意味で、この日記を読むのが楽しみになってきた。

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『ゲゲゲのゲーテ』(双葉社)を借りてきた。トーマス・マンの影響でゲーテをまた読みたくなり、そのきっかけとしてARの書評対象本のなかかからこの本を選んでみた。水木大先生のゲーテのへ評価はいかなるものか。これも楽しみ。なお「詩と真実」も借りる手配をした。(『ゲーテ全集 第10巻』。)

2021年1月11日月曜日

日記は書いておくべき


『トーマス・マン日記 1918−1921』を三軒茶屋の区立図書館カウンターで借りてきた。全10巻の『日記』のうち、刊行は最後だが年代は最初だ。その他の日記は1933年から1955年までに書かれたもの。訳者あとがきによると、1945年に他の日記は本人が焼却したとある。その理由はいくつか推測されているようだが、本人は理由についてなにか書き残しただろうか? これを見つけることも「楽しい」課題になってくる。

逆に、残された日記については理由ははっきりしていると言われている。1933年から1955年までの日記は、緊迫した世界情勢のなかでの亡命知識人の証言として、マンは記録を残したかった。1918年から21年までの分は、たまたま『ファウストゥス博士』の執筆材料として使うために別にしてあったので、焼却を免れた。

これも訳者あとがきによると、マンは10代からほとんど毎日日記をつけていたと思われるとのこと。すると、全部残っていたら30巻以上はあったということになるのか。読んでみたかった。言っても詮無きことなので、作品やエッセイなどから想像するしかないのだが。偽作というと人聞きが悪いが、誰かが代わりに書いてみて欲しい。「誰か」が私でもいいかと空想してみる。空想するのは自由だ。

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せっかく三軒茶屋まで行ったので、孫の顔だけ見てかえることにした。一時間ほど遊んでもらった。毎回感じるが、顔つきがどんどん男の子らしくなっていく。少し頼もしさまで感じる。もうすぐ4ヶ月、体重6200グラム。



2021年1月10日日曜日

トーマス・マンは自分の予言通りに80歳で死去

『トーマス・マン日記 1953−1955』を読み終えた。

1955年7月。オランダへ旅行。アムステルダムのホテルで記者会見し、東西ドイツの融合を望んでいるとコメントした。足が弱っていると感じながら、最後の『シラー』講演をする。女王と謁見。ルナンの『パウロ』を読む。バッハとプロコフィエフを部屋の蓄音機で聴く。海岸の「小屋」で一人で過ごす。子供の頃を思い出しただろう。「ショウ」の『結婚』やメルヴィル『ビリーバッド』を読む。

「リューマチ」と思っていた足が、診察の結果、鼠径部の静脈炎による血液循環障害と判明し、チューリヒの病院へ搬送される。州立病院で7月を終える。ショウの『結婚』を読み終え、アインシュタインの『モーツァルト』を読む。

7月9日。
……眼前に広く遠くまで広がる海辺と、静かにとどろく海という、なじみのシチュエーションをよろこんだ。ここならまだ可能な限りの気分の良さを感ずる。

7月29日、巨大な州立病院にて。
……この状態がどのくらい続くのか、不明のままに任せよう。ゆっくり明らかになってくるだろう。きょうは少し椅子に座ることにする。――消化の心配と難儀。

1955年8月12日、死去。結局ドイツには帰れなかった。

スイス、キルヒベルクにあるトーマス・マンの墓碑
From Wikimedia Commons, the free media repository

「海辺のイメージ」を最期の日々に思い出していただろうか。

『トニオ・クレーゲル』(高橋義孝訳 角川文庫版 77頁)

風と潮騒に包まれて、トニオ・クレーゲルはこの永遠の、重苦しい、しびれさすような喧騒に浸りきってたたずんだ。彼はこの喧騒を心から愛した。ひとたび身を翻し、そこを立ち去ると、たちまち彼の身のまわりは静かに暖かくなるように思われた。

『ブデンブローク家の人々』(森川俊夫訳 新潮社全集第1巻 109頁)

遠くのものであろうと近くのものであろうと、どんな小さい物音をも不可思議な意味にまで高めずにはいない、あののびのびとした、静かに潮騒の聞える平和につつまれて、二人は海辺を歩いた……

読み残している最後の(刊行は最新)『トーマス・マン日記 1918 - 1921』はこれから借りて来ることにした。図書カウンターでの30秒くらいの受け渡しなので、コロナ感染は大丈夫だろう。昨日の神奈川県の新規感染者数は999!

2021年1月9日土曜日

仕事机をトーマス・マン仕様に変更した

『トーマス・マン日記』を読む。

1955年6月、80歳の誕生日を迎えた。

6月15日、キルヒベルク。
……4日誕生祝いが始まったが、……手紙の洪水が押し寄せてきた。……

市の朝食会。……町の祝典。チューリヒ連邦工科大学学長は……自然科学名誉称号証書を手渡してくれた。

5日、シャウシュピールハウスでの祝典、……晩餐会。

6日、美しい贈り物のプレゼント。……正午まで祝賀客に対応。……家族の食事。……全12巻東ドイツ版全集……(ストックホルム版)革装の同じく全12巻全集……

『ルター』素材がどうしても形を成さず、先鋭化しないゆえに、恥ずかしい。そもそも私はもう仕事ができない、仕事に戻れないという感情。……しばしば足が弱っていることを感ずるが、しかしやはり倦まずたゆまず散策する。……

ショウの『ヨハナ』……を読む。

6月30日。
……ショウのキリスト教論(童話劇『アンドロクロスとライオン』への導入序文)を読む。……午後遅くアムステルダム行き飛行機に乗るため、きのうから荷造り、……

死出の旅立ちとなるのを知っていたのか。

最後に読んでいたのがバーナード・ショーだったのが興味深い。私も今年になってからバーナード・ショーに興味を持ち始めたが、不思議な暗合かも知れない。考えすぎだが。

及川晃希という方の学位論文、「メタフィクション小説としての『ファウストゥス博士』、『選ばれし人』ー後期トーマス・マン作品の語りの自己言及性について」をダウンロードして読んでいる。「古い」とされているトーマス・マンの小説にも実は新しさはあると言う。村上春樹のエッセイ集『うずまき猫のみつけかた』(新潮社 私のは1996年版)の76頁に、アメリカの古本屋さんで短編集を1ドルで買って「トニオ・クレーゲル」を読み、「古くさい」けど感動しているという逸話が紹介されている。

***

ここしばらくは、トーマス・マンについて調べたり書いたりしそうなので、本棚に隠れていた全集本や日記本(一部)を机の上の本棚に持ってきた。なかなか良い眺め(*^^*)





2021年1月8日金曜日

トーマス・マンについての勉強は終わりがないし楽しい

『トーマス・マン日記』で、最後の講演旅行のくだりを読む。とやかく言うことなし。昨夜観たドキュメント映画には、ヴァイマルやリューベックでのトーマス・マンが映っていた。

1955年5月。
「新緑と花咲き出る道」を、5月7日、Kとエーリカと3人で最後の講演旅行に出る。シュトゥトガルト、キシンゲン、アイゼナハ、ヴァイマル、ゲティンゲンを経てリューベックへ。

トラーヴェミュンデ、リューベック市庁舎(突然のスピーチがうまくいかなかった)、市立劇場での朗読(「ハンス・ハンゼン」、「綾ぎぬ」、「サーカス」)は大成功。市庁舎食堂での晩餐会。マリーア教会、カタリーネウム(ギムナジウム)(グラウトウやヴィルリ・ティムペへの想い出)、寝台車でチューリヒへ。5月25日朝、キルヒベルクへ戻る。5月26日朝、嚥下困難。


5月29日。
『ペンツォルト』メセージを書き始める。

5月31日。
『ペンツォルト』書き進め
る。

どこまでも執筆をやめないマン。そして80歳の誕生日の6月がやってくる。


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「近代日本文学のねじれ--三島由紀夫、辻邦生、村上春樹におけるトーマス・マン」(小黒 康正 文学研究 102, 19-48, 2005-03)を読むと、三島、辻、村上がそれぞれどのようにトーマス・マンの作品を通じて欧州文明に対応したかが、わかる。日本に取り込もうとした三島、逆に自分を欧州文明に同化させようとして辻、インターナショナルに取り扱った村上。村上春樹の『ノルウェイの森 上』の主人公は149ページで、『魔の山』を読みふけっている。そして、『ノルウェイの森』全体は、『魔の山』に照応していると言う。



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トーマス・マンのテキスト・データベースというすごい代物があるというのをトーマス・マンに関する他の論文を見ているうちに発見した。九州大学にいた樋口忠治の作成したもの。(全集の文章をすべてキーボードで入力したという。驚嘆。)まだ、使い方がよくわからないし、多分わかっても今の所猫に小判だろう。学術的には素晴らしいものだ。http://www.flc.kyushu-u.ac.jp/~hgmc/


しかし、Internet Archiveで適当な本(*)を探して、本文検索をするほうが、素人には面白そうだ。

(*)たとえば、『The Hesse-Mann letters : the correspondence of Hermann Hesse and Thomas Mann, 1910-1955』

2021年1月7日木曜日

映画『ピグマリオン』も古い道徳に縛られている、B・ショーが怒るのも無理はない。

『トーマス・マン日記』を読む。マンの「完結ではない結末」は近い。風邪気味の状況が長く続く。咳が出て、夜はよく眠れない。医者の往診を受け、歯科医にも一度行く。この時季はいつも体調が良いのだが今年はおかしいと悩んでいるが、この時、設備の整った病院で検査を受けるべきだったろう。マン自身がその気にならなかったのだろう。覚悟はできていた?

そんな中でも出来る事は続ける。ルターの資料調べと、放送局や自宅での朗読録音など。

1955年4月2日。
『ルター』資料の前に座るが、終日眠気がして、エネルギーがない。

4月6日。
チューリヒの作家たちがモンブラン万年筆、葉巻一小箱の(3月末の『チェーホフ』講演の)お礼をしてくれる。

4月19日。
きのう午前ハムブルク放送のために『トーニオ・クレーガー』第1章第2章朗読を始めた。きわめてうまくいく。第1章が第2章のために犠牲にされていることを恥じる。

アインシュタイン逝去の報。

4月25日。
きのう早朝、82歳で、(今月会ったばかりの)ポルガル逝去という新聞報道。……いつそれは私を急襲するのか――まだ誕生日前に? あるいはそのあとほどなく? ――『ルター』資料と若干取り組む。

4月26日。
食器棚付き配膳台の下でつるりと足を滑らせ、倒れこみ、皿を割り、指に怪我をする。ショック。

4月30日。
書斎の机での私と、庭でKといっしょの動画撮影。(『トーマス・マン。生涯と作品についてのドキュメント報告』)

#これかもしれない。
https://youtu.be/CTAJXJ_ptMY


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「世界SF作家会議」観る、おもしろい。
https://youtu.be/LgmVqCMPGY8?t=2

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昨日発見した1938年の映画『ピグマリオン』、今日AmazonPrimeで視聴。この最後も気に入らない。映画はハッピーエンドでなくてはという思いこみ。そういう商業主義は嫌いだ。

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)


2021年1月6日水曜日

皮肉屋のバーナード・ショーにくらべたらトーマス・マンは好人物

『トーマス・マン日記』、1955年3月分を読む。

1955年3月。この月は数日間をのぞき、毎日日記を書いている。比較的健康だったのだろう。実は著作の面で生産的でなかったからとも言える。「ルターの結婚」という小編を構想し、試し書きまではしていたようだ。「『クルル』続編へ戻ることはほとんど魅力ない(3月1日)」と書いてもいる。

「グリーンのマントを着せたプードルを連れて散歩」したらしい、その姿を見てみたいものだ。「カルシウム=ヴィタミン注射」を何度かうっているのはやはり、気がかり。新居の屋根の木組みにキクイムシが発生したと文句たらたらだ。

3月22日、キルヒベルク。晩、ホテル・エリーテの大広間で『チェーホフ』講演。……一時間ややかすれた声で朗読……。

3月26日。
『クルル』は60,000部から80,000部用意されていると(ベルマンとヒルシュ博士が)いう。ニューヨークのクノップからも祝電。

栄光につつまれたトーマス・マン晩年の春。近所の桜は開花直前に切りたおされた。

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昨日借りてきた『ピグマリオン』(光文社古典新訳文庫)の序文と解説を読む。そして「後日譚」も。ハッピーエンドではまったくない。戯曲の部分も読んでみると、『マイ・フェア・レディ』のロマンチックさは皆無。イライザもヘンリー・ヒギンスも非常に嫌味なセリフを吐き散らす。ピカリング大佐は映画と同じくらい好人物。フレディと結婚する設定のイライザの行末もバラ色ではまったくない。これが当時観客になぜ受けたのかよくわからない。英国流(なのか?)に皮肉たっぷりなのが、原因だろうか。1938年の映画『ピグマリオン』を観てみよう。

バーナード・ショーはノーベル賞だけでなくアカデミー賞もとっているのがすごい。

2021年1月5日火曜日

メルマガ巻頭言を担当し、誰でも読めるトーマス・マンに関して書きました

本日21時に出たメルマガ「週刊ALLREVIEWS」の巻頭言を書いた。以下の通り。


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今朝は6時に起きて読書する習慣を復活させた。

『トーマス・マン日記』を久しぶりに読む。12月29日以来はじめて。

1955年1月18日にアローザのホテル・エクセルシオールヘ赴く。静養のつもりだろう。ただし、マイミンガーのルター評伝やチェーホフは手ばなさない。1月23日夜からヴィールス感染(?)で発熱、血圧低下(140→90)。救急車で入院。ペニシリンで熱は下がった。血液検査や肺、頸椎のレントゲン撮影。原因は不明。2月6日に自宅へ戻る。


2月7日、キルヒベルク。
Kと正午通りを散策して登る。……本を献呈してくれたユルスナール女史の『エレクトラ』を読む。

2月8日。
ベッドで中世の僧院物語を読む。……マレンコフ辞任、ブルガニン元師任命。

2月11日、金婚式。
子供たちからのプレゼントで新しいニーコ(2歳のかわいいプードル)をもらう。

2月15日。
マダム・ユルスナール宛てに『エレクトラ』について手紙。

2月21日。
『クルル』の総革装版450部にサイン!

2月23日。
バイエルン(フランケン)でヴィールス流感が猖獗を極めている。数多くの死者。――注射に医者来訪。――ルター抜き書き。

2月24日。
ファンの手紙多数。『クルル』はしばしば病人の慰みに役立っている。

2月25日。
ルター抜き書き。エラスムスの手紙(を読む)。アイザク・スターンの演奏、チャイコフ
スキーの『ヴァイオリン協奏曲』、きわめて絢爛、成功疑いない。

残り90頁ぐらい。嗚呼。読み終えたくない。


***

年賀状、今年受け取った分の返事は書き終えた。まだ15枚ほど残っているので、ご無沙汰の方にも書こうと思う。申し訳ない話だが、今になって、やっと毛筆に慣れてきて思ったような字が書けるようになった。普段の手習いが大切なのだろう。


2021年1月4日月曜日

武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』を読むだけでもうロシア旅行には行かなくても良い?

年賀状今日も10枚書いた。元日の分、Jが書いた分合わせて、30枚くらいになった。松の内には届くように明日と明後日で全部書きたい。義務化するのはいやなので、ゆっくり書きたいところではあるが。

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今朝は、インターネットでNHKラジオ番組の「聴き逃し」を利用して、元日に放送された高橋源一郎さんと瀬戸内寂聴さんの対談を聴いた。実際には先月はじめに電話で対談したものだ。今年99歳になるが、老いてなお元気な声の瀬戸内寂聴さんの話は相変わらず面白い。原稿用紙は最近1万枚注文したらしい。書くことで健康を保っているようだ。最近は三島由紀夫を読んでいるそうだが、ひょっとしたらまたそれで長編を書くのかもしれない……。三島がノーベル賞を取れていたら、三島はもちろん、川端康成も死ななくて済んだ、とおっしゃる。瀬戸内さんの本を読んでみたいが、(特に評伝類、)泥沼に嵌りそうなので、とりあえず敬遠しておく。

***


武田百合子の『犬が星見た ロシア旅行』(中公文庫)をようやく読み終わった。12月25日に借り出したので、足掛け10日かかった。最近読書スピードが落ちていたので妙に読むのが遅かったのかと思ったが、実はこれは本来ゆっくり読むべき文章だと思い直した。即物的でわかりやすい記述なのだが、ななめ読みができない。文章がいやおうなくじわじわと頭に侵入してくる。不思議な力をもった紀行日記だ。昭和44年のソビエト旅行の様子がありありと描写され、もういまさらロシアには行かなくても良さそうな気がしてきた。もちろん、機会があったら行きたいが、この本に描かれた体験以上の体験はできないだろう。その意味では罪作りな本である。ともかく感服、脱帽。

2021年1月3日日曜日

日記を書き続けるのは偉大なことだ

新年も3日目、おせちも食べあきたというより、今日の昼で食べ尽くした。50年以上読み続けているトーマス・マンのことを、今年最初のメルマガ巻頭言に書くことに、やっと決めて今日一日で書きあげた。書きながら改めて考えると、人間が一生に読める本はなんと少ないか、一方その中で読み返す価値のある本はいかに少ないかに驚く。

多くの本を読まないとそんな本に出会わないし、持ち時間は限られている。今、その日記を読むのを一時中断しているが、書きそして資料を読み、考えて書き直すという作業を70年ちかく毎日続けようとしたトーマス・マンはスゴイ。日記はその営為をほぼ忠実に記録している点でもう一段スゴイ。


***

図書館に行き、貸し出し期限が切れた本を7冊返し、そのうち読み切れていない『フランス語を読むために』は再度借り出ししてきた。12月31日に予約した『ピグマリオン』は引き当てられてはいるが、本館からの移送が5日に始まるためまだ入手できなかった。ちと残念。

2021年1月2日土曜日

初孫と 遊ぶ楽しさ 餅冷える

今朝は、目覚めた直後、青空文庫で『あのときの王子くん』を読む。大久保ゆうさんが、"Le Petit Prince"を新たに訳したもの。内藤訳よりもひねりが効いていてそのくせ感動的だ。真面目な(?)読書に飽きたので、読んでみたのだが、「王子くん」の言動には納得したし、著作権についてもいろいろ考えさせられた。大久保ゆうさんの翻訳はもっと青空文庫で読めるので明日も読んで見るつもり。

***

コロナ対策を十分して、HALくんと両親が訪ねてくれた。結局到着したのが1時頃だが、朝8時過ぎからてんやわんやでおせちなどの準備をした。昨年末いただいて冷凍しておいた鰤の切り身とカマは塩焼きにした。われわれも少し食べてみたが、これまた美味しい。



HALくんはまだ食べることはできない。したがって邪魔もしてこないのでその点だけは楽である。そのかわり、ミルクが飲みたい、おむつが濡れた、眠い、暑いとぐずるのを交互に繰り返す。理由はそれしかないので対処はやさしい。



今日は初めてミルクを飲ませることに成功した。これで育ジイへの第一関門はクリアした。顔を見るとなにごとか話しかけてくるので楽しくてたまらない。落ち着いて食べている場合ではない。

2021年1月1日金曜日

2021年、今年もよろしくお願いします

2021年1月1日。歳男だ。

好天。

昨夜は遅かったので、8時頃まで寝坊。朝風呂、食事を済ませたら1時近くなった。その後、テレ東で「孤独のグルメ」シリーズ再放送を観て、昼寝。


年賀状をやっと書く気になり、万年筆タイプの筆ペンで12枚書く。駅前のポストに投函して帰ってきたら、夜の7時になった。これからウィーンフィルのコンサート中継を観る。


明日はHALくんに会えそうなので、楽しみにきょうは早寝する。