2020年12月31日木曜日

読書スランプの克服には、音楽か映画か天麩羅蕎麦が良い?

読書スランプというものがあるとしたら、今がそうかも知れない。年末で疲れが出ているのを口実に今朝も寝坊してしまった。毎朝読んでいた『トーマス・マン日記』は2日連続で開かなかった。

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スランプを脱するには、読書とはまったく別のことをするのが良さそうだ。ともかく、大掃除に精を出す。窓ふき、片付け、床のワックスがけ……。片付けていたら、ベートーヴェンの交響曲全集CDセットが出てきた。クリュイタンス指揮のベルリンフィル。1958年頃の演奏のものらしい。

作業のBGMにしようと思い、第9を聴きながら手を動かす。大晦日に第9は平凡すぎるが、全部聴いて、次は第3。これはおとといまで読んでいた日記の中で、トーマス・マンが一番すきだと言っていたから。その後、自分の好きな第8を聴く。

昼食は冷凍の天婦羅蕎麦。意外に美味い。


食べ終わってTVを眺めていたら、BSプレミアムで『マイ・フェア・レディ』が始まった。大掃除はもういいことにして、最後までしっかり観た。序曲の部分を聴いていると涙が出てくる。ほとんどカットせずに放送してくれた。最後のおちは、普通真面目に観ないが、今日はしっかり(寝ないで)観た。

異和感を初めて感じた。ハリウッド的な「ハッピーエンド」としているが、それではせっかく自立しようとしているイライザがうかばれない。

Wikipediaを読んでみると、原作者のバーナード・ショーは、ハッピーエンドにはしていなかったらしい。そして、舞台や映画には文句を言ったらしい。


これは面白そうな話題なので、調べてみたい。とりあえず、原作『ピグマリオン』の翻訳本を読もうと、図書館システムで予約。光文社古典新訳文庫だ。たぶんバーナード・ショーの解説や訳者後書きが参考になるだろう。Internet Archiveで英語版もみつけた。

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すると、映画を観るのも読書スランプ脱出に効果があるということかも知れない。

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紅白歌合戦を横目で見ながらこれを書いている。紅白を見るのをやめて、ベートーヴェンの第7を聴くほうが良いかも!

(10分後 聴いてます。7番。)

2020年12月30日水曜日

気分的に本が読めない日には体を使う作業がよい

人間ドックで、胃が弱っていると指摘されたし、昨日のそれほど多くないアルコールのせいで体調がすぐれない。そこで今日は朝の読書を休止した。根をつめてやる作業はできないということにする。


そのかわり、大掃除の一環で、懸案のトイレのダクト換気扇掃除をすることにした。蓋を外し、掃除機で汚れを吸い込む。シロッコファンの汚れは歯ブラシで取る。電源コードでぶら下がったモーターの調子が悪い。そもそもぶら下げてはいけないのだが、仕方ない。今回はいつもと様子が違う。スイッチを入れても回転しなくなった。やむを得ず、電源コードの接続部を開けてみた。端子から一方のコードが外れている。電気工事の資格はないが、緊急の場合なので、端子のネジを緩めて、電源コードを差し込み、ネジを締め直す。天井近くで片手でモーターを持ちながらの作業なのでしんどい。なんとか、2時間近くかけて作業終了。換気扇は回り始めたが、回転はおそい。20年以上経った器具なので、モーターが弱っている。これは直せない。換気扇自体を交換しなければならないだろう。来年の宿題とする。

他に空気清浄機のフィルターも掃除して、今日の作業は終了。気分が良くなったのはありがたい。遅い昼食はモスバーガーの「ハンバーガー」とフライドポテトにした。

昼食後、交換用の換気扇を探してみた。候補は見つかったが天井裏での作業が必要かもしれない。風呂場とトイレの2箇所に換気扇があるが、天井裏への開口部は風呂場にしかない。トイレはどうしたものか。天井のしただけで作業ができるような製品をさがすか、風呂場からトイレまで這っていくか。

記念写真を撮ってもらった
上記の作業とは別に……


トーマス・マンも人間ドックに行くべきだった

12月29日分(あやうくブログ書きが途切れるところでした😅)を今日、書きます。

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『トーマス・マン日記』を読む。


1954年12月23日、キルヒベルク。
『シラー論』書き終わる。まだ最終結着ではない。

(最愛の孫)フリードがやってくる。『大公殿下』を読み理解したと言う。『ブデンブローク家の人々』をクリスマス・プレゼントに贈る。フリードが夢中になっているのは、私たちが贈った、『三銃士』と『ポムペイ最後の日々』だった。

12月24日。
(『シラー論』だろう)手直し。

子供たちや孫たちに囲まれて「良い」家で過ごすクリスマス。

12月26日。
フリード食べすぎで嘔吐。

12月31日。
まだ!『シラー論』の資料と取り組む。


そして、1955年。

1955年1月1日。
食後、「シラー講演の荘重な結びの部分を皆の前で朗読」。「K、エーリカ、ゴーロをきわめて感動させた。」

1月2日。
氷点下5度。風邪を引く。

子供たちは去り、Kとフリードと3人だけになる。

1月9日。
出版社からの知らせによると、今月中になお『クルル』の第三版、6万部までが刊行されるという。

1月11日。
とにもかくにもシラー論を書き終えた。


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このあと、朝、7時半の小田急線急行で新宿へ。


いつもの三井ビルで人間ドック受診。



胃カメラで覗くと胃が荒れているそうで、薬を処方してもらった。

帰りに、T野辺さんと2人忘年会。2時間。

ロマンスカーでのお楽しみは例年通り。



2020年12月28日月曜日

年寄りは金品で若者の気をひこうとするのかも

『トーマス・マン日記』を読み進める。

パリの高級ホテルのウェイターだった時のクルルを連れ帰って跡継ぎにしようとした、キルマノーク卿。風采はあがらないが(特に鼻 昨日のブログ参照😊)、上品な初老のスコットランド貴族のモデルがトーマス・マンご本人だったことは、不敏にしていままで気づかなかった。美貌の若きウェイターを好きになったという点から考えると、すぐ気づくべきだった。失敗した。

1954年は暮れようとしている。


1954年11月22日、キルヒベルク。
ゆうべKとエーリカに『シラー講演の最初の20ページを、特異な感動を覚えながら朗読。与えた印象はひじょうによい。鼻がまた少し悪くなる。

11月26日。
『クルル』に関する書状来信……「物事をひじょうに忍耐強く、アイロニカルに、不偏不党に見ることができるのはただじっさい老年だけである……」

11月28日。
チューリヒ放送局で朗読。500スイス・フラン。

ビービがKにキルマノーク卿はじっさい魔術師にそっくりですね!と言う。

12月1日。
スイス連邦工科大学で朗読。立ちどおしで1時間。そのあと脚がひじょうに硬くなった。チャーチルの80歳の誕生日。

12月3日。
チューリヒ放送局で朗読。頭が疲れる。眼鏡店で敏感な鼻にとっては金属製よりよい軽い鼈甲縁の眼鏡を注文。

12月6日。
スターリン平和賞を受け取るかどうかの問い合わせ。

カルシウム・ヴィタミン注射。

12月7日。
ピオ12世数日来再び重篤。静脈栄養補給。

12月9日。
ローマのすべての鐘、まったくグレゴーリウスだ。

12月14日。
やってきたロシアの人はひじょうに友好的な対話で私の断りの答えを受け取ってくれる。

12月21日。
頭の調子が悪い。

12月22日。
フェーンの強風。きのう頭がひじょうに鈍かったのはゆえなきことではない。

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昼から、また孫の顔を見に行く。3週間ぶりだったが、随分子供らしく(乳児から幼児の顔へ)変わっていく。笑顔を向けられると、こちらの心は蕩けそうになる。プレゼントの鈴入りの車輪のようなおもちゃを喜んでいただけた。美しい音がするので気に入ったようだ。



2020年12月27日日曜日

胸像を作らせ、肖像画も描かせるトーマス・マンは覚悟を決めているのか

『トーマス・マン日記』を読み進める。

「祝祭の年」と言っている。80歳の誕生日を半年後に迎えるからだろう。胸像を作らせ、肖像画も描かせている。一方で、体の不具合も色々出てきている。当然ながらそれぞれ専門の医者に診てもらっているのだが、総合的に診てもらえる大病院に行ってないのが気がかりだ。米国にとどまっていたらシカゴの大学病院で診てもらっただろう。症状の見逃しがあったのではないかと思えてならない。

1954年10月9日、キルヒベルク。
祝祭の年に踏み入ったという感情。きのう劇場やホテルで(従業員たち!)自分自身まるで大公殿下のような応待を受け、そのように反応した様子は、我ながら奇妙だった。すぐに覚める奇妙な人生の夢。

10月15日。
『シラー』講演のためのメモ。胸像は何回も(ザイツの)モデルをつとめているうちに拍手を惜しまないほどに出来上がっていく。

10月19日。
画家の前に座る。……絵は都合よく進展。

10月21日。
画家リッツのために1時間半座る。……今年にふさわしいこの不滅化を私は喜ぶ。

10月23日。
ゆうべ、かなり気分が悪かった。腹痛、吐き気。

10月25日。
鼻が炎症を起こす。

10月26日。
(鼻の炎症の件で)皮膚科へ行く。

11月4日。
毎日午前、正規の『シラー』講演原稿を書き進め、予定企画したものを相互に組み合わせ、それが傍若無人に増え続けるに任せている。……背中の痛みは……朝、軟膏で抑える。

11月19日。
『シラー』講演のために一切の新しい物書きは止めることにし、毎朝12時45分まで講演を書き進めることに専念するために、朝の日記記入は控える。

……湿疹で顔面がふくれ、ほとんどバラ色にな(る)。近所のエルンスト博士に、軟膏、包帯、静脈石灰ブロム注射の手当をしてもらう。

11月20日。
さしあたりは最後のカルシウム注射。

この医者、大丈夫なのか。

ザイツの胸像はこれらしい。

https://gustav-seitz-museum.de/fotoarchiv/foto3_bildhauer_zeichner/foto3_htm/abb013.htm

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
これは1969年にUlla Schollによって作られた上記とは別の作品

2020年12月26日土曜日

年老いてからこそ出来ることもあると信じたい

『トーマス・マン日記』を読む。

10月7日の日記を読むと、痛々しい感じがする。年をとるということは、肉体的精神的に衰えることなのだろうが、その中でも精神力、考える力が減っていくのは哀しい。でも、それを自覚して日記に書いているうちは救いがあるし、あとに続くものはそれを参考に、生活をコントロールしていくことができる。「老い」に関する知識を学ぶことで、なんらかの対抗手段を考えつくことができないか、これからトライしたい。

1954年8月18日、キルヒベルク。
(旅行から)戻る。高地への車での旅、滞在全体、戻りの旅を賛美したい。

8月19日。
旅行と大気の変化によってある程度元気の回復を感じる。

8月29日。
ラインラントでの賑々しい招待朗読旅行が再開した。ケルン……ドーム・ホテルはライン河に面しており、感じが良かった。しかし……すきま風が吹きぬけていた。……晩、ケルン大学の大講義室で(『クルル』朗読。)翌日、「サン・パウロ美術館傑作展」。シャルダン『独楽を持った少年』。デュッセルドルフへ。シューマン・ホールで朗読。夜行列車で(戻る。)

8月31日。
フランクの交響曲第1楽章。

(この後しばらくシラーやシラーの関する本を読む。)

9月14日。
晩、九つの交響曲のなかで最も美しい『英雄』を聴く。

9月21日。
ベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲。フランチェスカッティの驚嘆すべき演奏。

9月22日。
左眼の急性結膜炎。

9月30日。
『シラー』講演を書き直める。

10月2日。
『クルル』著者控え分10部致着。感じのよい装丁。

10月7日。
きのう『シラー』講演を熟慮するも難渋逡巡し、ほとんど実りある進展を見ず。構想を見渡す能力が不足。

エーリカ、『大公殿下』封切りのため到着。オリエント・シネマであいさつ。歓呼喝采。

***

『リーメンシュナイダーの世界』(植田重雄 恒文社)を、読み進める。

彫刻家として功成り名遂げたリーメンシュナイダーは農民戦争で、農民側を擁護したため、ルター派と結託した封建権力側から、迫害を受けた。晩年は苦しめられたにもかかわらず、彫刻への思いは変わらなかった。そこをトーマス・マンは書きたかったのだろう。理想と現実の間におちたルターの姿と関連付けたかっただろう。マンにあと10年、時間を与えたかった。

リーメンシュナイダーの彫刻作品は、ローテンブルクにもあった。2003年頃職場の仲間とドイツ周遊旅行をしたが、その時に教会で見た記憶がある。

From Wikimedia Commons, the free media repository
Deutsch: Rothenburg ob der Tauber, Heilig-Blut-Altar von Tilmann Riemenschneider in der St. Jakobs Kirche

From Wikimedia Commons, the free media repository
Tilman Riemenschneider, mutmaßliches Selbstportrait, Detail vom Creglinger Marien-Retabel


2020年12月25日金曜日

たまには寝坊するのもいいものだ

寝過ごす、クリスマス・イブに食べ過ぎた。朝焼けを見逃さなかったのは幸運だった。『トーマス・マン日記』の頁を開いたら、日記にも「寝過ごした」とあり、笑えた。



1954年7月26日、キルヒベルク。
寝過ごす、時計を見誤ったのだ。旅行準備、荷作り、本の選択。この美しい家を留守にするのが残念だ。シラー論をいく冊か持参。

7月27日。
11時エーリカが運転するプリマスで、アルテ・ラントシュトラーセ39番から出発。

7月28日、ザンクト・モーリツ、スヴレッタ館。
7階の部屋は高すぎ。見られるかも知れない興味深いテニス競技者たちを観察する機会がない。(# この後、『クルル』のなかのテニスの記述を訂正したのかしなかったのか。)

『チェーホフ論』に目を通し、ページ番号を書きこむ。29ページ。29日間。

7月29日、ザンクト・モーリツ。
ジルス・マーリアに移る。ヘッセ夫妻と隣合わせ。

7月30日、ジルス・マーリア、ヴァルトハウス。
3階のよい、快適な部屋。

食堂でヘッセ夫妻とあいさつ。Kは歯が痛い。

8月7日。
エーリヒ・ヘラー教授の『廃嫡された精神』を読む。

8月9日。
ヘラー宛ての手紙を書き始める。

8月18日、キルヒベルク。
戻る。

この小旅行は単なる気晴らしか夏休みだったのだろう。はっきり言うとムダ。


図書館で『リーメンシュナイダーの世界』(植田重雄 恒文社)を借りてきた。(昨日のブログ参照。)


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爺バカ写真です。撮ったのは親バカ。






2020年12月24日木曜日

トーマス・マンも『ローマの休日』を観て気に入ったらしい😊

『トーマス・マン日記』を読み続ける。

79歳誕生日の晩餐会ではほんの少ししか食べられず、疲れる。エーリカは病院から手紙を送った。Kはその朝まだあと1、2年一緒にいたいとの言葉をかける。「わが末路は絶望」というシェイクスピア、「テンペスト」のプロスペロの言葉が頭をよぎる。

1954年6月11日、キルヒベルク。
気分が集中できず、無駄に過ごしたここ数日の、混乱した、ぼろぼろの、負担の重すぎる、苦しい生活。何百ものお祝いのあいさつに応えるべく印刷礼状はがきを注文。

6月16日。
映画館で『ローマのカーニヴァル』ひじょうに感じがよい。初めてプリマス車で行く。(# 注によるとワイラーの『ローマの休日』のことらしい。)

6月18日。
限りない郵便の重荷、礼状を片付ける。

6月19日。
フィッシャーから『クルル』最終校。この巻は400と40数ページになる。結末が恥ずかしいほど弱い。……ヒルシャーのものすごく博学な原稿を読む。ルターに対する意識しなかったいろいろな関係(創世記に関する説教)にあっと驚く。当時の私の法外な研究・吸収能力についても驚きは大きい。

6月21日。
私はこの無益な、空虚な日記を続けることを、私の現在の哀れな存在に対する恥じらいから、中止すべきであろう。

6月23日。
『クルル』完成後のベルマンから、慰めある熱狂と確信ある手紙。この本はわれわれの怪しげな時代のまんなかを射ている、という。

7月4日。
日記に私は吐き気がする。すべてのものに吐き気がするのと同じだ。また積もった仕事のために朝の時間を節約する。

7月5日。
午前チェーホフ論を書き進める。

7月19日。
カトヤは最近短いあいだに三度目の重い風邪を引く。カトヤにはたぶんカリフォルニアが必要。

7月15日。
背中の痛み再発。

7月23日。
「南ドイツ放送」のため『鉄道事故』を朗読。

7月24日。
Kの71歳の誕生日。


***

放送大学のインターネット公開番組。しばらくチェックしていなかった。今日調べたら、2020年付の講義がかなり増えていたのに気づいた。とりあえず、「場と時間空間の物理(’20)」を観ることにする。進行は黒田有彩さん。

https://v.ouj.ac.jp/view/ouj/#/navi/vod?ca=30015





2020年12月23日水曜日

クリスマス・ツリーをやっと飾れた

『トーマス・マン日記』を、やや涙目になりながら読み続ける。

「老い」がもうあからさまに見えてきた(;_;) 6月に79歳の誕生日を迎えるトーマス・マン。自作のアイデアがあるのに、書く気力が湧いてこない。この健康状態では無理もない。アイデアを引き受けて、調査し、下書きをする人がいればよかったのかもしれないが、戦後のこの時期では無理か。そして残された時間はあと一年(;_;)


1954年5月16日、キルヒベルク。
取りかかる仕事がないのは不快。

5月18日。
もう一度東ドイツの人たち。全12巻全集、『クルル』の特別版、ベルマンのこれに対する関係。そこから重要な収益。終りに今年の誕生日に100,000東独マルクの東独国民賞の問題。

5月19日。
心地よい空間の蔵書室で、ルターや16世紀に関する、私の小さな書籍コレクションと取り組む。

# ルターの理想ともたらされた抑圧……を書きたかったか?

5月20日。
家の大披露パーティー。

5月21日。
『クルル』の校正刷りに続々目を通す。

5月22日。
エーリカと相談し東ドイツ国民賞を断る。

5月23日。
咳が止まず、コデインを服用。神経に対する効き目はひじょうに快い。ただし便秘は我慢しなければならない。

5月25日。
「タイム・マガジン」担当者から写真。私はひじょうに年老い、疲れて見える。

エーリカは喫煙(1日60本)と睡眠剤を止めれば健康になると、医者は説明している。私も……。

5月28日。
ぐっすり眠る。自分の状態に対する不満が増大、企画、力を入れることのできる課題への欲求。

5月31日。
オペル「カピテーン」車をフィアット下取りを引いて、約12,000スイス・フランで購入(を考える)。

6月4日。
お祝い。何のために? 私には残りの人生が不安だ。結末に迫力がなくぞんざいな『クルル』本については、面目を失う作用をするのではないかと怖れ、またどのようになお新しい作品にとりかかれるのかわからない。ルター、フッテン、エラスムス、カール五世、レーオ十世、ツヴィングリ、ミュンツァー、ティルマン・リーメンシュナイダーの運命が私の念頭に浮かんでいるが、構成や形姿化のイメージがはっきり現れようとしない。『ファウストゥス博士』のときも『選ばれし人』のときもまだいきいきとしていた。中略。16世紀の一連の7つの歴史的性格的場面が考えられようが、そこには当時の立役者たちの立場や視点の(ユーモラスな)多様性が描かれることになる。それにふさわしい題名を見出せば、もう私にはなにがしか助けになるかのように思える。

6月5日。
転倒する。Kがプリマス車に試乗し合格点をつけたので、この車に決定。

6月6日、キルヒベルク、復活祭日曜日、わが79歳の誕生日。

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クリスマス・ツリーをやっと出してきて、飾り付ける、買ってから36年たった。




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夕食もそこそこに、月刊ALL REVIEWS)、ノンフィクション篇、『柳瀬 博一 × 鹿島 茂、『国道16号線:「日本」を創った道』を読む』をYoutubeで視聴。意外に(失礼!)面白く、質問もしてしまった。モダンジャズのレコードについて。鹿島さんとこの面でも趣味が合うことに気づいた。

https://allreviews.jp/news/5186

2020年12月22日火曜日

ニュートンなら木星と土星の大接近を予測できたろう

今朝のりんごは「大紅栄」。


『トーマス・マン日記』を読む。

新居に手放しで大満足の様子。心身に反動が来ないといいが。

1954年4月16日、キルヒベルク。

昔のやり方でソファーの隅に座り、エリナとキルマーノク卿の章を書き終わり満足。

4月23日。
水爆犠牲者12人の日本人の死に米国他は無関心と書いている。

4月24日。

「マダム・ウプレ」の章の校正刷りも読み終わり、転写。(# コピーのことだろう。)

5月2日。

カリフォルニアから届いた仕事斜面机をふたたび使う。

5月3日。

ルネサンス様式の家具、アンピール様式の椅子、円い食卓、私の蔵書室用大理石プレート机。リヴィングルーム用ソファー、食堂に精巧ガラス製品用ガラス陳列棚。

5月7日。

『クライスト論』を書き進める。

5月9日。

ゆうべ、気管に入った唾液の刺激により、長いあいだ沈静していた頑固な粘液分泌を伴う激しい咳痙攣が再発。

5月10日。

睡眠不安定。便通のあと入浴。

5月15日。

これからいかなる仕事を取り上げるべきか、腹が決まらない。第1部が出版される前に、『クルル』を先へ紡ぎ続ける気持にはほとんど傾かない。

ああ!お疲れの様子。

***

加藤周一『読書術』の再読を続ける。

100頁。若い時に芥川全集をのみ読み、他の作家をほとんど読まない……この方法を真似したかも知れない。永井荷風は森鷗外のみ読んだ……これも一時真似した💦

***

夕方、木星と土星の大接近の写真を、不精をして、iPhoneで撮ってみた。一応分離して撮れた。



***

夜、tb賞投票処理のZoomミーティング。


2020年12月21日月曜日

トーマス・マンは念願の新居へ

朝5時に、国際宇宙ステーションが見えた筈だが、寝坊して見逃した。

***



『トーマス・マン日記』。

『クルル』原稿に手を入れながら、新しい家への引っ越しを行う。もっとも本人は身の回り品を持ってホテルに避難しており、妻と娘が人を使って行ったのだが。まあ、実務はもとより無理なお育ちだし、老化が重なって、腫れ物をさわるように扱われたのだろう。

1954年3月15日、エルレンバハ。
『クルル』の書き直しを少し。エーリカと再会。背面の腰のあたりに集中するリューマチ風腰痛。座骨神経痛再来への心配。エムピリンをくり返し飲む。

ハクスリンのメスカリン賛美本を読むが好きではない。

3月20日。
ホテルへ持参すべき資料や手稿を包装。きつい作業。

3月22日。
チェーホフの死後50年にあたって何か書くことになる。

3月25日。
チューリヒ、ヴァルトハウス・ドルダーに「戻って来た」。5階の部屋。市街と湖がはるかまで見渡せる。

3月26日、ヴァルトハウス。
ホテル暮らし。落ち着かない。

3月28日。
バルザックの『暗黒物語』を読む。技法上、劇的事件の前に、長い割り込みと留保があるのは注目すべきだ。

3月29日。
ビキニでの水爆実験への批判。

4月4日。
第2章を書き進める。(キルマーノク卿。自画像。)昼食後百科事典でスコットランドの研究。

4月10日。
新しい(注によると罫線付きの最後の)日記帳をキルヒベルクへの引越し前に始める。書斎用の美しい黒紅色の絨毯を1,000スイス・フランで購入。こうした出費自体がまだそもそもかけるに値するかどうかという疑問は、もちろんくり返し現われてくる。

4月12日。
キルマーノク卿とフェーリクスとの別れの部分を書き進める。

4月15日。
ヴァルトハウスで朝食後、無数の小物を(鞄に?)詰めこむ。その後、
キルヒベルク、アルテ・ラントシュトラーセ39番地へ。

エーリカと家を見て回る。書斎と図書室とのコンビネーションは抜群。蔵書の並べ方が整理するにはかなり悪い。

カリフォルニアでのように専用の浴室もある。ソファも送らせてある。4時15分から5時半までふたたび私の椅子で休息。

やっと、念願の広い家に移れた。この家には本人は1年とちょっとしか住むことはできなかった。でも、今となっては懐かしいカリフォルニアの家が再現できて、よっぽど嬉しかったのだろう。


***

昼前から出かけて、お歳暮の手配。コロナ感染に注意しながらの電車移動。デパートでの食事もつつましく。

2020年12月20日日曜日

寒さは年寄りには禁物

『トーマス・マン日記』を読む。

よせばいいのに、と言うと失礼だが、イタリアに旅行する。意味があったとは思えない。

1954年2月7日。
寒さの中をイタリア旅行へ出発。昨年春のローマでの好印象と娘メーディが心配だったからか。ローマで一泊し、フェリーも使ってタオルミーナ着。カリフォルニアを思い起こした。

2月9日、タオルミーナ。
案の定、風邪が悪化。

2月16日、タオルミーナ。
教皇ピオ12世は重病。マンも39.3度の高熱。気管支炎。エーリカの手紙によるすすめで、『クルル』に手を入れる。

すべてを整合性あるものにし、秩序づけようという気は私にはない。それがボケに類することをあからさまにだらしなく示すことになるとしてもかまわない。

2月19日。
きのう、『クルル』の修正と削除とに取り組む。

2月22日、ローマ、ホテル・ハスラー。
基本的に失敗だった滞在を切り上げローマへ。この冬の旅は意味がない。

2月24日。
アインシュタイン75歳誕生日お祝いの手紙を書く。

2月27日。
前日、列車でフィレンツェ着。メーディの家へ。

3月1日。
おとといウフィツィ美術館へ。教皇の病状は回復しつつある。

3月2日。
ベッドですごす。風邪悪化。

3月3日。
メーディと帰路につく。ミラノ、サヴォイ・ホテル泊。

3月4日。
予定した飛行機がストライキで飛ばず、列車でチューリヒへ向かう。

3月5日、エルレンバハ。
ゴーロの出迎えで戻る。エーリカはメーディの家に宿泊したことで嫉妬。

3月6日。
元の生活に戻ったようだ。

3月7日。
新宅を点検。

3月11日。
この間、『クルル』の改訂に苦慮。

一方、ホーマー・W・スミス(Homer W. Smith 1895-1962)の『魚から哲学者へ』を楽しく読む。

注によると、『From Fish to Philosopher』(1953)、『Man and his Gods』(1952)も読んだらしい。

***

メイ・サートン『74歳の日記』を読み終えた。脳梗塞から一年経って、なんとか講演(朗読)旅行もできるようになった。孤独も、元通り、楽しめるようになった。ただし、時々怒りの「発作」が起きたり、その後涙がでて止まらなくなっている。これは、きっと、後遺症だ。身近な人間を見ていてわかる。

この後、何を読もうか考え中。『82歳の日記』にするか、『独り居の日記』にするか。

***

寒い。快晴だが南の空を見るとくっきりと雲がかかっている。アプリを使って気流の様子を見る。雲の下は暖かい風が吹いていて、こちらは寒い風が違う方向に吹いているように思える。 



***

まだ寒いが、夕方マンションの臨時理事会。一時間できりあげた。

2020年12月19日土曜日

年賀状の印刷をネットで注文した

いつもの業者でいつもの絵柄。絵柄は「牛が温泉に入っている」。ということは来年また歳男(*^^*)

12歳になるのか😅

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週刊ALLREVIEWS(メルマガ)の巻頭言総集編をnoteで公開した。

https://note.com/allreviewsjp/n/n2ef2837c46fe

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昨日朝、七尾からブリの半身(のさばいたもの)が届いた。昨夜は腹身と背の刺し身。今日の昼はブリしゃぶを食べる。至福の味。七尾の方たちはこんな美味いものを昔から食べていたのだ!うらやましい。

***

以下は、今朝の読書記録。

寒い朝。日の出前の美しい空。『トーマス・マン日記』を読み続ける。

1954年1月は、子供たち孫たちに囲まれて賑やかにあけた。『クルル』の第1巻の執筆が終わって、細かな校正をエーリカとおこなう。次に何を書くかは、考えないようにしているのか、日記には記述されていない。

最大の出来事は、新しい家の購入。

1954年1月28日、エルレンバハ。
12時売主ブルナーと不動産屋とKと4人でキルヒベルクの家屋購入の会談。255,000スイス・フランの価格で決着……公正証書作成……この結果をエーリカに通知。1933年以来のこの日記記入のなかで、疑念のない日付だ。

2月2日。
きのう、キルヒベルクの家で周旋人、建築技士、売り主ブルナー、ここを出て行くミュラーと話し合う。技術上の案件。そこに残る物、カーテン、冷蔵庫など10,000スイス・フランで引き取る。図書室の本箱の問題。

きょう家の購入。契約とサイン。小切手を書いて渡す。

2月4日。
寒さで(?)車が2台とも動かず、ハイヤーで出発。ローマヘ。

(# ゲーテのように?)

***

今夜はこれからARのオンライン・クリスマスパーティー兼忘年会。楽しみだ。

2020年12月18日金曜日

書きすぎ・読み過ぎは目に悪いようだ

相変わらず寒い、東の空に金星が明かるく光る朝。

『トーマス・マン日記』を読む。1953年分は今日で終わった。『クルル』をかなり急いで書いている。そしてユルスナールの『ハードリアーン回想録』を熟読。これで目を酷使したのだろう。年末には右目が腫れてしまった。いわゆるものもらいだろう。今年の春に自分もNetflixの観過ぎで左目が腫れたが、鬱陶しいものだ。でも、同じ病気と思うと少しうれしい(^^)

ユルスナールの本は借りることにした。


1953年12月7日。
ユルスナールの『ハードリアーン』本、喜んで読む。

12月8日。
銀行は購入額の50%を年率3.5%で貸すと言う。

11章を書き進める。

『ハードリアーン回想録』のアンティーノウスの恋物語は感動的。

12月11日。
エーリカと、堅固な館の広間とアトリエはやはり全蔵書を備えた私の書斎にするというアイデアを討論。でも実現不可能。

12月12日。
『ハードリアーン回想録』を読み終わり、創作資料文献目録に驚嘆し、最初から読み始める。

ハードリアーンの愛についての考察は『クルル』前章のフェーリクスの語りを奇妙にも想起させるものがある。

12月14日。
1月中旬の南への旅行準備をしていない。旅行前に『第一巻』を書き終えていなければなるまい。

家にとどまる願いが強い。それはいわば義務であろうが、私の身体状態により困難となっており、『第一巻』の完結への時間がもっと欲しい。読書する席の隙間風が堪えられない。椅子をずらす。

12月15日。
グラモフォン・ラジオを修理に出す。カリフォルニアで使っていた小さなラジオを使う。

12月18日。
1時半までずっと第11章を書き進める。

12月21日。
『ハードリアーン回想録』をアンダーラインをつけながらもう一度読み終わる。

12月23日。
操作するには面倒だが、放送受信力は改良され、音のミキシングができる、修理済みの電気蓄音機が到着、エーリカと試聴。

12月24日、クリスマスのタベ。
小さなリヴィングルームは心地よく調えられている。

12月25日、クリスマス初日。
きょう仕事のために机に向かっているのはおそらくただ一人の男かもしれない。電蓄の針の雑音。抗議しなければならない。

12月26日。
第三部を書き終わり、これで『クルル』回想録の「第一部」を完結。どれほどの価値があるかどうかは別として、ともかくひとつのことが成し遂げられたのだ。

12月27日。
『クルル』の浄書を通読。エーリカとKとの意見により、ズゥズゥの立ち居振舞いの変更を試みよう。

12月28日。
右の目の腺腫瘍と炎症。眼科へ行く。下瞼。

12月31日。
眼の腫れものは引くというより干からびたようだ。医者で切開しうみを出す。

***

夜は、マンションの理事会のお仕事。Tエレベーターのセールスさん、D(管理会社)のKさん、と修繕委員会Aさんと打ち合わせ一時間強。ロビーは冷える。おかげで、月刊ARはライブ視聴できず。あとでアーカイブで観る。



2020年12月17日木曜日

独りでゆっくりするのが創作の秘訣って、あたりまえか

『トーマス・マン日記』を読む。


やや落ち着いた状況なので、少しとばす。

『クルル』を少しずつ書き、新しい家をさがす。家は近くの「砦のような」のが有力となる。モンテーニュを意識した?

1953年11月27日、エルレンバハ。
長篇小説を書き進める。リスボンの物語を書き終えたあと一巻が出来上がり、別の可能性に向かって自由に息をする休憩がとれると考えると、うれしい思い。午後、休息。夜、観劇。戻ってココア。エーリカと話す。諸新聞を(チャーチル、フランス、農民戦争とルターについて)葉巻をくゆらせながら読む。午前2時になってやっと明かりを消す。――澄みきった星空。

12月1日。
『クルル』第3部第10章書き終わる。きれいに仕上がった。これからは闘牛の場の第11章。すでにすぐざっと展望。

12月2日。
『クルル』第3部第11(最終)章を書き始める。これでこの巻は結びになる。

***

『74歳の日記』も読む。


170頁。
9月27日。
検査の結果、今回は心房細動はなかった。安心して詩をまとめる。

(# この先、著者流の「詩の書き方」が記述されている。リラックスして、心を自由にすると、自然に浮かぶのだが、長いこと頭の中で推敲する。このような記述ができるようになったのが、健康回復の証か。その後、講演と詩の朗読旅行も再開する。)

2020年12月16日水曜日

「日記」にはどこまで本音を書くのか?

『トーマス・マン日記』を読む。


朝6時、読み始める前に東の空を見ると、金星があかるく輝いていた。

トーマス・マンは住居問題に悩みながらも、『クルル』の執筆に邁進。

1953年10月7日、エルレンバハ。
朝、私がときおり弱気になり、変化はすべて避けたくなる住居問題について、Kと話す。

10月11日。
「侯爵夫人の手紙」書き終わる。こんなつまらぬことになんと多くの時間を費やしていることだろう。恥ずかしい。

10月19日。
ソンディ博士の『運命分析』のショーペンハウアーへの思わざる関係。そこにある精神科医の精神病への親和性は新しいものではない。遺伝哲学、そこにはちなみに私が『クルル』のなかでくり返し暗示しているような一種の自己自身に至る「意志」がさまよっている。

10月21日。
カリフォルニアの小切手、家売却額、39,000と数百ドル、しかしそこからあれこれまだ差し引かれる。

10月23日。
第10章ほんの少し書き進める。疲れ、いらだち。

10月24日。
第10章だらだらと数行どまり。

10月29日。
第10章を書き進める。ズゥズゥの率直さ。

10月30日。
第10章を書き進める、エクセントリック。

10月31日。
『クルル』小説を書き進める。より興味をもって。

***

『74歳の日記』も読み続ける。

これを読んでいると、サートンの強さがわかる。一人の生活を続けてきた女性の強さ。

8月22日 金曜日
なぜ孤独だったかといえば、…、私という存在の真ん中に開いた穴を埋められる人は誰もいないから――その穴を埋められるのは自分だけ、自分が健康になることによってだけなのだ。だから寂しかったのは、本質的には「自分自身」を失って寂しかったということ。毎日の健康なリズムを取り戻し、仕事もできるようになった今、全然寂しいとは思わない。

***

いただきものの石川県のころ柿が今夜のデザート。美味い。


ついでにHALくんの写真も貼っておく。



2020年12月15日火曜日

トーマス・マンにも「老人力」はあった、いやかなりあった

『トーマス・マン日記』を読む。

相変わらずだが、なんとか『クルル』を書き続ける。この、「なんとか」にトーマス・マンの強さの秘密がある。周囲、特に妻Kや娘エーリカなどと、創作上の行き詰まりや、生活上の悩みを相談できた。妻や娘にはトーマス・マンを導く知恵があり、マンは割と素直にそれに従っている。

やはり亡命先で苦労している(『ツヴァイク日記』によるとだが)ツヴァイクとは、ここが決定的に違うと思った。ツヴァイクは一人で悩んでいるように見える。その悩みを日記にぶつけているのはトーマス・マンも同じだが悩み方がオープン、この「違い」により、トーマス・マンとツヴァイクの生涯の終わり方に明暗がもたらされる。トーマス・マンはツヴァイクの「弱さ」を惜しんでいたと思う。

一人だけで頑張ってはいけない。


1953年9月1日。
澄んで、真夏のよう。コーヒーのさいに、Kと建てるべき家の部屋割り、規模、必要な浴室について話す。

「ルクセンブルクへの手紙」を書き進める。

9月2日。
第9章を書き進めるが、退屈。

9月3日。
12時半土地ブローカーと車で外出。ヘルリベルクとキュスナハトを見てまわる。手が届かない価格、意気消沈。夜、観劇。

9月6日。
リスポンからの手紙の終わりを書き進める。

いくつかの土地を見学。

9月7日。
クルルの手紙、書き終わる。さらに先へ書き進める。

パシフィク・パリセイズからまだ取り寄せるべき家具、ソファーなどについて話しあう。

9月9日。
私たちの有り金、ちょうど200,000スイス・フラン、少なすぎる。中級程度の家屋建設見積もりが170,000スイス・フラン。やむを得なければ抵当権つきでなすべき。少し第9章を書き進める。

9月11日。
ミンクスで出発。

9月12日、ヴヴェ、トロア・クロス。
昨日、エーリカと出発。夜7時着。今日、11時頃不動産仲介業の一人といっしょに車で出かける。適切そうな家。シンプロン鉄道の騒音でダメ。

夜、7時チャプリンの家へ。魅力的な夫人と、5人の子供たちが、心から歓迎のあいさつ。快適な夕べ。

9月13日。
再びチャプリン邸へ。

9月16日、ルガーノ、ヴィラ・カスタニョーラ。
一昨日はブリグで一泊。昨日、ルガーノ、ヴィラ・カスタニョーラに投宿。なじみのバルコニー付き部屋。

ヴァルターと再会。

夜、エーリカが、『クルル』長篇小説でがんばるべきだという、ためになる忠告をしてくれる。

9月17日。
モンタニョーラヘ。ヘッセに『欺かれた女』を謹呈。喜んでくれた。

9月19日。
ヴァルター父娘と夕食、『欺かれた女』についてヴァルターが愛情をこめて話す。

9月24日。
第9章を書き進める。

9月25日。
テニス競技のくだりを少し書き進める。

9月26日。
かゆみには暖かい入浴が役立つ。

9月29日。
メーディが来る。

9月30日。
ヘッセ邸へ別れのあいさつに行く。

10月2日、エルレンバハ。
きのう、メーディが運転手となってヴィラ・カスタニョーラを出発。夕方、到着。新しい家政婦マーリア。

***

『老人力』を読み終えた。意外にと言っては失礼だが、面白かった。

307頁。
(わからない事を質問されても)ずるずると自分なりの論理が出てきて(自分で)面白がるのが、老人力😆 なおかつ、最後に話は発散する。(まとまらない。) これも素晴らしき「老人力」。



2020年12月14日月曜日

トーマス・マンには早く良い住居を見つけてほしいぞ

『トーマス・マン日記』を読み続ける。


イタリア訪問の高揚感も薄れてきたが、その経験を早速、『クルル』執筆に生かしている。さすがにプロ。体験を経験に昇華させるのが速い。普通は、こんな過程には数年かかるのではないかと思っている。

一方、相変わらず、住居の問題で悩んでいる。この問題を上手に片付けてくれる有能な秘書役が居ればよかったと思う。気難しいマンに太刀打ちできる人がいなかったか、商売上手と思いこんでいたであろうマン自身が自分で解決したかったか。ちょっと考えて見たい問題だ。

1953年8月7日、エルレンバハ。
第9章の進行わずか。なるほど必要な便通促進ではあるが、それによって気分が悪い。自然が私にもくろむものには驚かされる。悲しむべき晩年が前途に迫ってきているように思われる。

昼食はグランド・ホテル・ドルダーへ。私の情熱の舞台、情熱の「対照」を探して見回すが、もちろんむだだ。(# 対象じゃなくて対照という言葉を使っているのにはなにか意味があるのか?原書にまずあったてみるべきかしら。)

8月13日。
(カリフォルニアの)家のあらたな購入申し込み、50,000ドル。受け入れて、ジュネーブ湖畔に広い家を買うこと。

8月14日。
もしこの家の近くに家を建て、しかも書斎のソファーと自分の浴室とがあるならば、私は満足して、フランス語圏に移る必要などないのだが。問題はただ、私のためになお新築することが割に合うかどうかだ。

8月18日。
第9章(王との謁見)を少し書き進める。

8月20日。
リスボンとポルトガルについて百科事典を調べる。

8月22日。
チューリヒ放送局へ行き、スピーチと『選ばれし人』の子供発見の挿話の朗読。

8月26日。
売却委任状認証のためアメリカ領事館へ。

8月30日。
澄んだ秋の天候。私の気分を押さえつけるのは、『クルル』の仕事の先行きがはっきりしないことで、その完成を信ずることができない。もっと限定された――もっと品格の高い仕事でありさえすれば、と思う。

***

『老人力』も読み続ける。マンネリか、と思わせつつ読み続けさせる、これこそ老人力。読んでいる人にも老人力が備わっている。「老人力」はあいまいで便利なコトバだ。

2020年12月13日日曜日

『トーマス・マン日記』とサートンの『74歳の日記』を読み比べる

『トーマス・マン日記』を読む。

『クルル』を、とりあえず、リスボン出発の前まで書くことに決めたらしい。それ自体は喜ばしい。不承不承やるにしても、やはりトーマス・マン、手抜きはしない(できない)からだ。エルレンバハの家への不満とカリフォルニアへの思いは続く。難しいところで、カリフォルニアに居たとしても、『クルル』題材への不満は変わらなかっただろう。

1953年7月3日、エルレンバハ。
ウォーターマンの万年筆、Kが選んでくれたこの万年筆はよい。

『クルル』の第8章を書き進める。リスボン滞在をいずれにせよ一度終わりまで書いて、それから自分と小説とがどういう関係になっているかをみることに決断。

7月4日。
ソファーの隅で『ファウストゥス』小説を、それから『選らばれし人』を書き進めていた時代への郷愁。パシフィク・パリセーズの家をけっして忘れはしないだろう。この家は嫌いだ。

7月5日。
第8章を、実験的に書き進める。

7月6日。
第8章に取りかかるが、嫌気がさし悩む。

私の唯一の楽しみといえば、喫煙とコーヒーをのむこと、二つともからだには有害たが、そうなのだ。そのほか書物机に背を丸めて座ることも同じように害がある。

パシフィク・パリセーズにおけるわが家のソファーの隅がいま私に欠けているのだ。

7月7日。
12時45分まで第8章を書き進める。

7月8日。
第8章、1枚書き進める。

7月10日。
昨日来客。いつ不安はおさまるのか。おそらく終わりまで果てないだろう。

7月12日。
ズゥズゥとの対話に手を加える。

7月13日。
ズゥズゥとの対話を書き直し、先へ書き進める。

7月24日。
Kの70歳の誕生日にとうとうなった。晩餐会で私は私の祝辞を読む。お祝いの日は良く美しかった。

7月27日。
疲れた。客たちが去ってくれることを願う。孤独になることへの欲求はとどのつまり墓中の安息を目指している。進行中の『クルル』の章を先へと書き進める試み。おそろしく疲労。

7月28日。
『クルル』第3部第8章を少し書き進める。長くなったリスボンでの滞在を物語り、ふたたび取り上げねばならない第9章への展望。

7月29日。
第8章の結末はほとんど先へ進まない。

7月30日。
第8章の結尾の変更。

7月31日。
第3部第8章を書き終わる。

8月1日。
『クルル』の次章の準備をためらいながら進める。

8月2日。
『クルル』の新しい第9章(両親宛ての手紙)を書き始める。

8月3日。
ルクセンブルク宛てのフェーリクスの手紙を書き進める。

8月5日。
こっけいな『クルル』の手紙の章を苦吟しながら書き進める。

***


午後、メイ・サートンの『74歳の日記』を読み始める。引き込まれて100ページ強を一気に読んでしまった。73歳の年末に脳梗塞となり、その回復過程を記述したもの。かなり重症だったようだが、一人暮らしでの療養を、隣人や友達(犬と猫も含む)の助けを借りながら、必死にやり遂げる。

トーマス・マンの日記と比べると、やはり女性の方が苦しみに耐える力が強そうな印象を受ける。そして、トーマス・マンはちょっとした風邪でも大げさに騒ぎ立てる。メイ・サートンは本当に苦しいときは日記を書いていない。

2020年12月12日土曜日

しつこく一つのことをやりすぎないという「老人力」が身についてきた😊

『トーマス・マン日記』を、朝6時から読む。

ケンブリッジで博士号を授与された。生まれ故郷のリューベックも訪れた。トレーヴァミュンデの海岸にも行ってみた。ヒッペのことも思い出した。楽しい毎日だったが、多くの人々に愛想を振りまくのには疲れただろう。

エルレンバハに戻って『クルル』に執筆を再開するが、どうしても「乗らない」。カリフォルニアの快適な気候と使い勝手のいい家を思い出して、ため息をつく。完全なる、老人症候群。

1953年6月2日。
きのうのことはもはや分からない。

6月3日。(注によると5月3日と記してあったらしい。)
ロンドンヘ飛ぶ。6月4日、「ケムブリジ」で(名誉)博士号授与式。5日。ロンドンヘ列車で移動。サヴォイ・ホテルのすばらしい部屋。7日。ハムブルクヘ飛ぶ。8日。大学大講堂でスピーチのあと、パリへの旅とサーカスの章を朗読。9日。大コンサートホールで朗読。前置きスピーチとクックックの章。うまく朗読できた。リューベック市へ。10日。トラーヴェミュンデまでドライブ。帰途、リューベックにて、ホルステン通り、ケーニヒ通り、カタリネーウム実科中高等学校。ヴィルリ・ティムペと鉛筆。永遠の少年愛。11日。午後5時寝台列車で出発。撮影されているので出発まで活発さを保つ。

6月13日、エルレンバハ。
12日6時起床。バーゼルでパスポート検査。チューリヒに9時少し過ぎに到着。フィアットでエーリカが迎える。冒険を成し終えたことに満足。意識もうろうとして疲労困憊。きょうは8時起床。コーヒー、入浴。『欺かれた女』の校正。

6月14日。
『欺かれた女』の校正終了。この物語をもう一度読む必要がないことを望む。

6月16日。
ヨーロッパは私を強く疲労させる。なんといってもパシフィク・パリセーズのほうがはるかに静かだった。遅ればせの誕生日祝い。ウォーターマンの万年筆など。

6月17日。
『クルル』小説へは取っかかり点がない。素材としてしっくり感じないし、憂鬱になるほど見通しがきかない。そわゆえ、仕事をどうすべきか途方に暮れる状態が統き、無為の思いに私は恥じ入り、悩ませられる。こうしてもうどれだけ経ったことだろう。風邪をひく。

6月18日。
夜、咳、しきり。薬をのむ。

6月19日。
軽い気管支カタルと鼻風邪。気分が悪い。

6月20日。
紺碧の空。風邪はかなり重い。ローゼンバーグ夫妻死刑執行。不快。

80歳の誕生日までに、その前に、『クルル』は完成しなければなるまい。考えられることだろうか。少なくとも私の願いはルター小説の計画が展開して、形を成すことだ。自分の想像力が枯れ果てて自分だけが生き残り、もはや何も生み出せない、などと考えるだけでもぞっとする。

6月24日。
『クルル』の写し、屋根裏のこまごまとした原稿などのそばで発見。

6月29日。
長篇小説『クルル』の写し整理。第3部第8章を少し書き進める。

6月30日。
『クルル』の章を数行書き進める。ルターやフスについて読み、考える。

7月1日。
体重は62.5キログラム。『クルル』を少し先まで書き進める。その間、カール五世について調べる。

7月2日。
Kに『クルル』の不安定な仕事ぶりについて話す。Kは『クルル』を切に擁護し、皆がそれを望んでいるという。

***

FileListCreatorというユーティリティソフトを見つけた。コマンドでなく使いやすい。しかし、古いディスクに使ってみると、ファイルが多すぎて結果のリストが読みにくい。インデントもしてくれるといいが。贅沢?

***

ARメルマガ巻頭言総集編を作り続ける。26編をカットアンドペーストし、リンクを付け、整形するのはすぐにはできない。途中で飽きてしまう。トーマス・マンもこのように根気をなくしていたのだろうか。
日記の書評を10編くらい紹介するnote記事を書こうとしているが、これも10篇を一度にやろうとすると面倒なので、Twitterで毎日、一つづつつぶやくことにした。これなら書きやすい。Twitterが日本で人気があるのは、根気のない人が多いせいか。ちがうか。
『老人力』(ちくま文庫)を最近少しづつ読んでいる。この本にならえば、「一つのことにこだわって、連続してやりすぎない」という能力がついたというべきなのだろう。






2020年12月11日金曜日

老いたトーマス・マンは権威に強かったが、別の権威には弱かった


『トーマス・マン日記』を朝一番に読む。

ローマ訪問の余韻はこの1953年5月中、続いている。上機嫌で、健康状態も概ね良い。『クルル』執筆も再開したが、ルターの調査に「浮気」もしている。二兎を追うもの一兎をも得ず、なのだが。

1953年5月2日、エルレンバハ。
長いあいだなかったような上機嫌で目が覚める。春の恵み。なお二、三回はこの季節を味わいたいものだ!『欺かれた女』第2部の校正刷りを読む。書き改める。晩『運命の力』(ヴェルディ)。感受力を最高に集中して耳を傾ける。愉しい。最上の響き。

5月4日。
夜かゆみで睡眠を妨げられる。市内で散髪し、豪華な名刺(# !?)を注文。やはりルター研究をふたたび取りあげたい。

5月5日。
ペイントンの『ルターの生涯』を読む。

5月6日。
かなり疲労。

5月10日。(# 私は4歳。)
寒い。雨の強風。直腸付近の傷み。

5月12日。
Kの具合がよくない。コーヒーも朝食もとらずにまたベッドヘ逆戻り。心配。

5月13日。
Kのレントゲン検査。何もなくてほっとする。

5月14日。
Kは健康になる。

(# 『ルター』の1シーンを考えたりしているような記述がある。)

5月15日。
澄んで晴れた空。『クルル』の原稿と取り組む。第3部第6章を読み直し、浄書を校正。先へ進むことにする。

5月16日。
美しい天候。

『クルル』長篇小説を模索しながら先へ書き進める。

5月17日。
『クルル』第3部第8章を少し書き進める。

5月18日。
『クルル』の章を少し書き進める。直腸の痛み。皮膚科へ。

5月19日。
長篇小説『クルル』を書き進める。きわめてだるく、不活発で、やる気も信念もない。「一番いいのは……だろう」という考えがしばしば押し寄せる。

5月20日。
少し風邪をひく。美しい天候が続く。ふすま浴。

5月23日。
フリード到着。

5月26日。
真の神の朝。この季節ほど美しく住むことができるときはない。

***

古いディスクを持ち出して、USBアダプターを付けて、中身を覗いてみるという遊びをしてしまった。ディレクトリとファイルをツリー構造で見たいのだが、簡単なツールが見つからない。コマンドラインで動かす「tree」というのがあるそうで、それをインストールし、ツリー構造をたどるところまで行った。あとは、構造図をテキストかHTMLに落としたい。時間切れになったので、明日以降に回す。

こういうことをやっていると時間がいくらあってもたりない。

***

ARメルマガ巻頭言の半年分の総集編を、noteにまとめ始めた。treeをいじっていなければ、今日中に目鼻がついたはずだが、まだ、緒についただけ。明日はこちらを優先させる。

2020年12月10日木曜日

1953年4月トーマス・マンはローマ法王に個人で謁見を許された、後に『クルル』執筆にこの経験を活かす

『トーマス・マン日記』を読み進める。

『欺かれた女』の執筆が終了した。しばらくは、家族、もちろんフリードを含む、との生活を楽しむ。復活祭の休暇。放心。春。そしてローマ法王に謁見。イタリアの勲章ももらい、有頂天。このため、また『クルル』の執筆から遠ざかるのかも。しかし、ローマでの経験は『クルル』の中でリスボンでの国王との謁見のシーンに生かされている。さすが、トーマス・マン。

1953年4月7日。
仕事を失った感じ。『クルル』には気が湧かない。ほかのものは、五里霧中すぎて、核心がない。おそらく気力に欠けているのだ。エラスムスとルターが私を最も惹きつける。

4月8日。
晩、ベートーヴェンの短いが、晴れやかな交響曲第8番。

4月10日。
『クルル』を継続することが経済的に得策ということについてKと話すが、しかし私は『クルル』への不安をもつ。しかしルター=エラスムスの件はまだまったく何の中核もない。――『クルル』の原稿を見直す。第3部第6章、第7章を読み返す。博物館訪問の部分にはやはりかなり満足。

4月11日。
刑務所の資料はおそらく残念なことにパシフィク・パリセーズに残してきたようだ。しかしこの問題はまだ先の話だ。――『クルル』の資料に取り組む。書きつづけよ、ということだ。

トリスタンのLPレコード。気分爽快になる。

4月12日。
『クルル』第3部第8章を書き始める。

4月13日。
8時起床。天候は薄曇で涼しい。電気ストーブ。――新しい章をためらいながら書き進める。

4月15日。
冬への逆戻り。降雪。

4月16日。
夜、かゆみの苦痛、アルコールで鎮める。

4月18日。
アッカデーミアから、私的な謁見の件で手続きが始められたという電報。

4月20日。
旅の準備完了。1時ちょっと過ぎに昼食をとり、ほぼ2時ごろ私たちはエーリカと、(チューリヒ)市内を避けて空港まで車で行くつもり。

5月1日。
ローマ見物の後、4月29日、ピオ12世に特別謁見。

精神的社会における『ファウストゥス博士』と『選ばれし人』の名声。イタリア共和国大統領によるイタリア功労勲章の授与。

すばらしいフェーンの天候の当地チューリヒに帰着。市は魅力的。青空、進行する春。一面の新緑、花が咲き、チューリップ。

***

Kindleで、DeepLを便利に使う方法を教わった。

この記事。

「Kindle Cloud Readerで洋書を読む時にDeepL翻訳を使う」

https://sekailab.com/wp/2020/03/25/deepl-translation-with-kindle-cloud-reader/?fbclid=IwAR1VtAhMpN_DQJxSAf1n6mGLRcHMU7vURpGxWN-aGKD92p-25VzzXP0ipDw

たとえば、こうなる。翻訳済文は手直ししてある。



***

物置から、CanonのCS100を掘り出してきて、ネットワークに繋いでみた。ディスク(1ギガ)の初期化に6時間かかったが、無事写真を送り込み、テレビに映せるようになった。スライドショーも出来る。ただ、単純なネットワークストレージとして使う方法がまだわからない。


2020年12月9日水曜日

「日記」本の書評を勉強中!

『トーマス・マン日記』を読み進める。

隙間風の入る家に不満を述べながらも、なんとか『欺かれた女』を書き終える。作家魂。

1953年3月1日、エルレンバハ。
カリフォルニアの「家」への郷愁が続く。

3月2日。
きょう入浴。ぐずぐずしながら書き進める。ラジオでセザール・フランクの交響曲を少し聴く。『ルーディン』を読み終える。小さな窓際の席は晩になると冷たい隙間風のために座ることができない。

3月3日。
城館訪問の場面を少し書き進める。『父と息子』。

3月4日。
スターリンのどうやら危篤らしいニュース。紛糾した権力闘争が予見される。

3月6日。
書き進めるが、満足がいかず、苦しい。

3月9日。
『欺かれた女』を完成させるべく、先へ書き進めるように努める。晩、ベートーヴェンの三重協奏曲、ヴァイオリンが弱すぎる。

3月10日。
「チャプリン」の『ライムライト』を観る。魅力的。(# このころチャップリンも国外追放となっていたはず。)

3月11日。
入浴、ひげを剃り、身仕度を済ます。『欺かれた女』公園の描写を書き直す。

3月12日。
晩Kと、カリフォルニアを去ったことは正しかったか話す。おそらく無分別なことであっただろう。あの家は一から十まで私のもの。この家は好きになれない。

3月13日。
小説をペン・クラブで朗読。まずまずの出来。目にみえる聴衆の関心。あとから多くの共感が寄せられる。

3月14日。
きのうの出来事に満足。

3月15日。
『欺かれた女』終わりの部分を書き進める。

3月16日。
皮膚をこすらないように注意を払ったので、夜、眠りは妨げられなかった。

3月18日。
「短編小説」『欺かれた女』を書き終わる。91枚。10ヶ月。後半はしんどかった。

3月20日。
隣接の土地に私たちの希望にかなう家を家賃と同じ価格で建ててはという提案を受ける。

3月21日。
カリフォルニアから残りの荷物。読書机、食器戸棚、レコード。最もお気に入りのものが割れていて腹立たしい。

3月24日。
風邪をひき、声がしわがれ、体調悪化への兆し。夜、腹部がひどく弱り不快感があまり強いので医者に往診を頼む。まずは、安静を保つ。

3月26日。
気分まずまず。

3月27日。
リュメーリン夫人から『欺かれた女』の全浄書到着。よい仕上り。午前も午後も目を通す。

3月28日。
浄書結びの部分の校正と書き直し。

3月29日。
雑誌「メルクーア」に掲載する分の校正。

3月30日。
エーリカはストーリーを全体としてほめてくれた。

3月31日。
エーリカと浄書に手を入れる。

***


ALL REVIEWSで、「日記」というキーワードで検索される200件(以上)の書評のうち、対象書籍を読んだことがあるものを列挙してみた。意外と少ない。

『ツヴァイク日記 1912~1940』(東洋出版)
https://allreviews.jp/review/443

『70歳の日記』(みすず書房)
https://allreviews.jp/review/4414

ジャン=ポール・サルトル 『奇妙な戦争―戦中日記』(人文書院)
https://allreviews.jp/column/3673

『大読書日記』(青土社)
https://allreviews.jp/review/3417

『衝動買い日記』(中央公論新社)
https://allreviews.jp/column/2688

『富士日記』(中央公論新社)
https://allreviews.jp/column/1879

『東京焼盡』(中央公論新社)
https://allreviews.jp/review/2131

『池波正太郎の銀座日記〔全〕』
https://allreviews.jp/column/1486

『荷風と東京 『断腸亭日常』私註』(岩波書店)
https://allreviews.jp/review/2177

『青年小泉信三の日記―東京‐ロンドン‐ベルリン 明治四十四年‐大正三年』(慶應義塾大学出版会)
https://allreviews.jp/review/2712

『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』(角川書店(角川グループパブリッシング))
https://allreviews.jp/review/2356

『百代の過客 日記にみる日本人』(講談社)
https://allreviews.jp/review/2119

明日は、「読みたい」ものを探そう。


2020年12月8日火曜日

ARメルマガの巻頭言で「日記」について書いてみました😊

先程出たALL REVIEWSメールマガジン今週号の巻頭言は私が書きました。こんな感じです。




***

さて、その『トーマス・マン日記』を今朝も読んだ。スイスの寒い冬に悲鳴を上げるトーマス・マン。今までは規則正しく当日に書かれていた日記が、まとめて書かれるようになってきた。これは新たな心配。

1953年2月2日。
大雪。

その中をメーディが訪ねてくる。到着まで心配だった。

2月5日。
「ペンラート城」のことをいろいろ調べて抜き書き。(# これは『欺かれた女』に出てくる地名だったっけ?)

2月7日。
『欺かれた女』を書き進める。

2月8日。
(やっと)日が照る。氷点下10度。正午Kと少し散策。

2月9日。
シューマン外相から、レジョン・ド・ヌール十字勲章の授与を受ける。書斎で応待。

2月19日。
2月12日の午後38度4分の発熱。最高は39度5分になった。ヴィールス感染の発病だった。
イギリスのケムブリジの名誉文学博士号授与は、6月4日。条件付きで応諾。

きょう正午頃Kの不在中に身支度。その姿で机に向かう。手元が頼りない。汗ばむ傾向。

2月22日。
きのう『欺かれた女』を少し書き進める。感度過剰のラジオを試し聴きするが、どの局も明確に選定できない。音楽が聴けず失望。蓄音機はよいようだ。晩に『貴族の巣』を少し読む。

今朝検温で36度1分。夜ツルゲネフを読み続ける。

2月25日。
きのう市内へ行ってみた。精神的にいくぶんよい影響。晩、ラジオ修理させる。レコードの包みを解く。多くの望みのものが足りない。

きょうの晩やっと音楽。トリスタンの愛の場面。長い。

2月26日。
灰色の厳しい冬が戻る。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴く。ロング・プレイ・レコードはあまりに傷みやすい。(# なにがあったのか? 取り扱いのミスか機器の故障?)

2月27日。
晩、どこからかのラジオ音楽を少し聴く。

2月28日。
レコード収納戸棚、気持ちよく細工。不足ないし希望のレコードのリスト。無思慮な選択。


***

Twitterで良いサイトを教わった。ここ。

https://ci.nii.ac.jp/

ここで、たとえば「トーマス・マン クルル」とキーワードを入れて出てきた論文を読むと、楽しい!

2020年12月7日月曜日

苦労して手に入れたのに新居は住みにくいと、トーマス・マンは日記に不満をぶちまける

『トーマス・マン日記 1953-1955』を読みはじめる。


最後の日々の日記の編者インゲ・イェンスの序文は感動的。そして実に多くの人々がこの本の完成のために努力したかもわかる。

1953年1月1日、エルレンバハ。
夜中12時教会の鐘の音に聴き入る。耳と脚のかゆみをセコナールでおさえ、朝8時まで熟睡。コーヒー、入浴。朝食に蜂蜜。短編小説『欺かれた女』を書き進める。Kと子供たち(# 孫だろう)と新車フィアットに試乗。散歩。手紙のロ述。自分についての評論草稿を読む。

(# 年のはじめにあたり、新居でできるだけ従来の典型的な生活をやってみようと努力しているように思える。)

1月8日。
ヘッセから献辞付きで『全詩集』全6巻が送られて来た。すぐ礼状を出す。自室の窓に臙脂色のカーテンを取り付ける。一つの進歩。

1月12日。
散策のとき、フリードの腕にすがる。すがれるほど十分に大きくなったのだ。(# そしてすがるほど老いたマン。)

1月13日。
ひじょうに長いあいだ手提げファイルのなかで運び回された『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』資料を、新しい図書室の抽斗に保管。まもなくまた自分の書物机の抽斗に収まるだろう。

1月15日、チューリヒ、ヴァルトハウス。
昨日、アメリカからの家具の引越し騒ぎの新居を避けてホテルの大きな部屋へ移動。食堂では初めて赤いド・ヌールの綬を佩用。

Kが戻って部屋の高さ(2.5メートル)が足りずに書棚(高さ3メートル)が書斎に入らないと報告、怒り心頭。家のセールスマンは3メートルあると請け合っていたらしい。

1月16日。
昨日の怒りで安眠できなかった。

1月20日。
ホテルから新居へ戻る。

1月21日。
昨日の夕方は、
書物机の包装を解くすばらしい労働。極度に疲労。損傷を悲しむ。

カリフォルニアのベッドでくさび形マットを枕に眠る。

きょうの午前中にやっと書物机を整頓し、机上の風景はそっくりそのままに再現された。原稿、『高等詐欺師』の資料などをしまいこむ。

カリフォルニアの家の住みやすさが懐かしい。

1月26日。
午前零時半から7時45分までぶっとおし眠る。(# すごい!)

1月28日。
新たに誂えた寝室の書棚は満杯。

1月31日。
このところ猛吹雪。隙間風がひどい。

先に、巻末の訳者あとがきを読んで見る。1953年の1月の日記で上記のように新居に対して不満をぶちまけたマンは、翌年また引っ越しをするらしい。ご苦労なことだし、それが命を縮めたのではないかと気がかりなので、それにも注意して読み進めたい。

***

一昨日ファイルのローカルなバックアップを失った。音楽ファイル(旧iTunesで読み込んでいたCDデータ)は、ひと世代前のハードディスクを探ったらかなりの部分が出てきた。やはり、HDのほうがUSBより安全なのかしら。自治会以外の書類はやはりHDにもない。あきらめの心境。なにかあれば一から作る、と割り切る。

2020年12月6日日曜日

バックアップもクラウドに任せてみようかしらん

256GBの超小型USBメモリーをMacBookに挿しっぱなしにして使っていたが、4年目にして駄目になったようだ、認識しなくなった。Windows機に挿しても駄目。アーカイブ用に使っていたが、惜しいのは自治会関連の事務作業用フォルダーだけ、これしか思い出さないのだが、他は諦めることにする。買い替えも考えたが全面クラウド化を考えることにする。自治会のファイルはGmailの添付資料を漁ればほぼ復元できそうだ。


昨夜、ARオンライン定例会でおそくなり、その後はやぶさ2のお土産の入ったカプセルの着地も気になって起きていたので、今朝は8時まで寝坊した。カプセルは今朝無事に回収されたらしい。中身がしっかりしていることを期待したい。最近珍しい明るいニュース。この快挙を自分たちの力で成し遂げた「はやぶさ2」チームのマネジメントの秘密を学びたいものだ。なにか参考になるものを探そう。ARの各プロジェクトにも参考になるだろう。

***



午後、三軒茶屋に行き、『トーマス・マン日記』の1953−1955年の巻を借りた。800ページと分厚い、借り出せる期間は一応延長を含めて4週間。それ以上になったら、もう一度借り直しに行かなくてはならない。三軒茶屋に行ったからには、孫の顔を見なくてはならない。実は、ベビーベッドのサイズ調整を頼まれていたので、急いで出かけたのである。2週間前にあったときより一段と成長し、重くなった。5600グラム以上。毎日平均すると33グラム増えているそうだ。一ヶ月で1キロ増えることになる。もうじき、抱き上げられなくなるだろう。




2020年12月5日土曜日

『トーマス・マン日記』第8巻、読了


1952年12月8日。
カタル悪化。朝気管がひどくあれる。医師の診療。

お茶にウースター・ソースをかけた卵。(#怒っているらしい!)

短編小説を少し書き進める。

12月9日。
エーリカがスイス市民権を得るよう主張。気詰まり。

12月10日。
『欺かれた女』をKとエーリカに朗読。生き生きした同意に深く慰められる。

12月12日。
Kと話し合い、私が非米活動委員会に召喚されたら、アメリカ市民権は投げ出すことを決定。

12月14日。
Kはエルレンバハ(の新居)に監督に行く。私の書棚は据えられていた。

12月16日。
チャプリン(#ママ)もスイスに定住するつもりだという。

12月19日。
パシフィク・パリセーズの家に新たな買い提案。50,000ドル。新車フィアットを購入。私の老化、人生の疲労、本来の絶望状態にあってなお新居のためにこれだけ苦労する甲斐があるのか?絶えず自聞する。

(夕方)家屋購入提案受け入れの決定。

12月20日。
スイスの外国人証明書。

12月22日。
短編小説を数行書き進める。

12月23日。
Kとエーリカにより引越は続く。

12月24日。

夜、荷物を山と積み込んだ車で出発。フォリコーン経由でエルレンバハへ。

12月25日、エルレンバハ。
きのう遅く新居に致着。星の輝く穏やかな夕ベの天候。湖と山々がよく見える。

夜、風邪が悪化。

12月27日。
Kは(#この家がアメリカ式でなく使いにくいことに)不満。

12月29日。
短編小説と取り組む。

冒頭に『クルル』の章(第3部第4章)を配した「ノイエ・ルントシャウ」。

12月30日。
コーヒー、入浴、卵二つの目玉焼き。短編小説に少し手をつける。午後、市内へ出かけ、散髪と洗髪。

(#規則正しい生活が戻った。)

12月31日。
短編小説を少し書き進める。Kと美しい森の道を散歩。ムージルの『特性のない男』の新版を読む。

このあとの「諸記録」も読みたいが、次の機会にまわす。

訳者あとがき(2008年7月7日付)に森川さんはマン(1951年の)と同じ76歳になり、気力が衰えて巻の刊行が予定より遅れたことを謝られている。そしてアメリカのファシズム化への怒りも。

読了とする。(また読めるだろうか。)

「腰痛」(ToT) 定例会 議事録風のメモ

今回の「定例会」(12月5日21時〜22時半)の話題は、皆が多かれ少なかれ困っている「腰痛」です。

(ところで、次回は1月7日(木)21時でOK? マスターは@Fabioにお願いしています。)

「たかが腰痛、されど腰痛!」、「腰痛の85%は原因不明!」
皆さんと*明るく*腰痛対策を話し合いましょう!

世の腰痛コミュニティーで話題騒然!だった本。夏樹静子『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』(文藝春秋)に何が書いてあるか。📚 原因不明の腰痛に二年以上苦しむ筆者に、河合隼雄の助言がしみた。曰く、「あなたの「腰痛」は、新しい境地への生みの苦しみだ。」最終的には、断食をもちいた入院心理療法で快癒。新境地に達したかはわからないが、一年間休筆し世界や日本を旅行した。めでたし。 📚

これは参考になるのでしょうか?

まずは、皆さんの腰痛体験から。お話ください。

(がやがや!!)

以下は友の会Slackの「腰痛対策本部」で出た話題です!参考のためにピックアップしました。

対策1 ビタミン剤
炎症なら個人的にも対処がしやすいなあということで、昨日からビタミンB群とビタミンCをがぶ飲み

対策2 睡眠薬

対策3 杖を屋内でも使う

対策4 鍼灸

対策5 姿勢を変える(立ち机(例:桜木紫乃さんも))

対策6 青竹踏み、フラフープ?

対策7 重いものを持たない

対策8 LINEのオープンチャットで同病相哀れむ

対策9 原因の究明と解決に体系的に向き合う

                ゆいPさんの実例

対策10 長い映画鑑賞を避けるなどの実例

対策11 寝具を変える(腰が持ち上がらる敷きパッド、シーリーのマットレス、ベッドを広くし寝返りをしやすくする、ベッドじゃなくて敷布団

対策12 体を冷やさない→風呂、貼るホッカイロ

対策13 無理な筋トレはしない→適度な運動とストレッチ、毎日スクワット   例:『モスクワの伯爵』(エイモア・トールズ)


***

当日の話題メモ(乱筆乱文です。ご容赦。参加者のみわかる?)

これはなんだっけ?https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E3%80%81%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%84%9B/%E8%A6%87%E7%8E%8B%E5%88%A5%E5%A7%AB


ベッド選び。ゆいP
https://www.someyakagu.info/p/69/


椅子変えた。肘置きが問題。机と膝の位置変えられる。ランバーサポート付き。ワーカホリック店。スチールケース。アーロンチェア。オカムラコンデッサ。

美しいセイルチェア
https://www.hermanmiller.com/ja_jp/products/seating/office-chairs/sayl-chairs/

「専門家が厳選した「高級オフィスチェア」6モデルを座り比べてみた」
https://kakakumag.com/houseware/?id=11830


椅子選びなら ワーカホリックへ
https://www.iamworkaholic.jp/

モニターアームはどうでも良さそう。椅子の肘掛けは重要。

椅子だけが味方(腰痛に親身になってくれるの意)

steel caseのleap chair中古なら安い。メルカリ?

Fabioご推薦本田翼のゲーミングチェアはビジネス向きであるのか?
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1280202.html


枕もシーリー ゆいP

メディカル枕 Fabio使用中。良好。
https://www.cataloghouse.co.jp/bedding/pillow/1101280.html?sid=by-details_guide_201307_sph_1101280


メディカル・マットは 鹿島さんオススメ 「通販生活」でどうぞ。

2020年12月4日金曜日

Windowを並べていた仮想読書環境を1ページにまとめてみた

朝の読書はいつもどおり『トーマス・マン日記』。

1952年11月16日、チューリヒ。
校正(「ルントシャウ」の章)。(#はて?なんの本か調べないと……)

11月19日、ヴィーン、ホテル・ザッハー。
2日前に飛行場で。きのう、ホテルのホールで声明を読みあげた。

夜、講演。風邪をひいた。

11月20日。
気管支カタルだ。

11月21日。
吸入器。ペニシリン注射。

11月23日。
電気剃刀でひげそりできた。

11月27日、チューリヒ、ヴァルトハウス・ドルダー。
その後も朗読会。咳で中断しながらも成功。講演はスピーカー使用。26日。飛行場へ。

11月28日。
夜はいくらかの咳。

11月29日。
義歯の調整。

11月30日。
穏やかな冬の朝。

12月3日。
短編小説の執筆を初めて(久しぶりに)再開。

12月4日。
短編小説をペンで書き進める。

メーディの夫ボルジェーゼが脳血栓症で昏睡状態との知らせ。

12月5日。
娘婿ボルジェーゼは真夜中に死去。K(#のみ)が葬儀(イタリアでの)に行くことにする。

短編小説の原稿を前にして放心。

12月6日。
レジョン・ドヌール勲章佩用者に指名されたとの知らせ。

短編小説を少し書き進める。

『日記」は、明日までに読みおえられそうだ。すると日曜に三茶に行き、次の巻を借りるのを名目にHALくんに会える。(*^o^*)

***

最近借りた『本のリストの本』。読むには修行がいる。ここに挙げられた本を買い、借りることを考えていると時間が無限にたってしまうからだ。

***

読書環境をブログ上に作る試み。

こんな記事の形にしてみた。試用中。



読書・作業環境

読書・作業環境 2021.02.26


(1)Gmail、Twitter、Facebook

これらは、ブックマークバーから行く。

(2)大和市図書館蔵書検索、国会図書館、日本の論文を探す、Internet Archive

大和市立図書館:
https://library.city.yamato.kanagawa.jp/licsxp-opac/WOpacCommonToPwdLibraryAction.do

国会図書館
https://dl.ndl.go.jp/

「「次世代デジタルライブラリー」というポータル」 
https://lab.ndl.go.jp/dl/

NII学術情報ナビゲータ:
https://ci.nii.ac.jp/

Internet Archive
https://archive.org/

Internet Archive Scholar
https://scholar.archive.org/

(3)ALL REVIEWS

https://allreviews.jp/

(4)Slack

アプリ起動。

(5)ヴァーチャル・コワーキングスペース






https://allreviews.ovice.in/

(6)Writer、Simplenote

Writer
https://writer.bighugelabs.com/#5469338

Simplenote(iOSアプリ)

PCからは、
https://app.simplenote.com/

(7)巻頭言DB

週刊ALL REVIEWS 巻頭言総集編
https://note.com/allreviewsjp/m/m33550ebf395e

(8)Google Keep

https://keep.google.com/u/0/?hl=JA

(9)カーリル

https://calil.jp/

(10)テキスト比較ツール difff《デュフフ》

https://difff.jp/

(11)ジャパンナレッジパーソナル

https://japanknowledge.com/personal/


(12)iOSでの読書ツール

Kindle(もちろん)
ブック
青空文庫などのアプリ

帝国図書館(国会図書館内の公開デジタル図書をアプリで読める)

Open Library Reader 以下のiOS版アプリ
https://openlibrary.org/

(13)まとも検索



Boston Public Library 78rpm Collection


2020年12月3日木曜日

コタツの上に素晴らしい仮想読書環境を作った、これぞ「サイバー読書天国」

『トーマス・マン日記』を読む。

『クルル』を書くのは旅行中でもあり、相変わらず中断している。しかし、『クックック』の章を朗読して、喝采を受けているので、先行きは明るい。時間はかかるが、リスボンを離れる直前までを執筆するのはわかっているから。

1952年10月12日、チューリヒ。
オープレヒトの葬儀。

10月13日。
同上、火葬。弔辞を述べる。

10月15日。
Kがロカルノの物件の検分に行った。

10月18日から21日までミュンヒェンヘ往復飛行機での旅行。シャウシュピールハウスで「クックック」の章の朗読。拍手喝采を受けた。10月23日から24日にはベルンへ。大学で『芸術家と社会』の講演。

10月29日。
本(なんの?)の校正が溜まつて山となる。

昼食後Kとエーリカと3人でキュスナハトの先のエルレンバハの家の検分に行く。好印象。9000スイス・フランで借りることにする。1933年アローザ以来の私の記録の時期における重要な記憶すべき一日。ミュンヒェンを去ってから19年。

11月4日。
エルレンバハの家で技師と会い、書斎の書棚の注文。

11月5日。
アイゼンハウアー当選ほぼ確定。(#この日の日記には書いてないがニクソンが副大統領で最悪。)

11月6日。
グレートとビービから電報。(荷物)運送の費用は約1200ドル。

11月7日。
スイス定住許可。ノーベル文学賞はモーリアックへ。

11月11日。
フランクフルトへ。ハウプトマン講演。その後、大学で「クックック」の朗読。

11月15日。
「へラルド・トリビューン」と「ヴェルトヴォッヘ」にクリスマス向けに三冊を挙げなければならない。このところ私は新しいものを読んでないのに。

このあと、私も『クルル』の「クックック」の章を読んだ。以前は、長口舌にあきれたが、今回読んだらそうでもない。当時の科学の水準を調べて、トーマス・マンがどの程度科学書や文献を読んでいたか調べてみたくなった。

***

ヴァーチャル・コワーキング・スペースに「行って」いるうちに、自分のPC環境全体もヴァーチャルな読書天国に編成しなおして見たいと考えた。試みにウインドウを並べ、iPhoneやiPadも全部開いて、読書天国を作って遊んでみた。以下の写真。

ウインドウは

(1)Gmail、Twitter、Facebook

(2)図書館蔵書検索、Amazon、国会図書館、Internet Archive

(3)ALL REVIEWS

(4)Slack

(5)ヴァーチャル・コワーキングスペース

iPhoneは

・メモ用のSimplenote

iPadは

・読書用でKindkeとiBooks

周辺にもちろん、物理的な本たち。

なかなかいいし、ヴァーチャル・コワーキングスペースが加わるだけで楽しさが倍加する。コタツの上に巨大なサイバー読書天国が出現した。

2020年12月2日水曜日

『クルル』に出てくる教授の「クックック」という変な名前は「かっこう」のことだった

『トーマス・マン日記』

温泉での入浴と宿は体調に合わないし、結局気に入らなかった。チューリヒヘ戻る。

1952年9月10日、ガスタイン。
8時起床。10時半に出発。

9月12日、チューリヒ、ヴァルトハウス・ドルダー。
9月10日はミュンヒェン泊。翌日、熟知した土地をドライブ。スイスへ。エーリカの運転は「尊敬に値する。」夜9時に当地到着。きょうは8時半起床。

9月13日。
きのうは旅行の反動で非常に気分が悪い。個室にしたいが空いていない。読書灯がない。熟睡。

起床し、図書クラブ朗会の準備、クックックの章の前置きを書く。

(#これを新潮社版全集で読んでみた。7巻562頁をみると、この時、リズボンへの車中で、話はそこからさらに南アメリカへ、アルゼンチンヘ、ブエノス・アイレスへと進むことになっている!)

9月14日。
一人部屋へ移る。去年の三つ窓の部屋。自分で整頓し気分が良い。

9月15日。
春までの数ヶ月、イタリア旅行の後このヴァルトハウスで過ごそうとの思いつき。フランクフルトから記念講演の依頼。

マダニにかまれていたのを発見、手術してもらう。(#あぶなかったなあ。)

9月16日。
朗読する「第5章」が長いのでエーリカに短縮を頼む。

9月18日。
昨夜の講演(朗読)成功で気分良し。フリード来る。

9月20月。
きのうからハウプトマン講演を書きはじめる。

9月22日。
「ヒス殺害者ニクソン」は収賄で信用失墜。昨晩また帰米するか止めるかの議論。

9月29日。
『芸術家と社会』講演。

10月2日。
新しい計画、ヴァルトハウスに11月末まで居すわる。その間講演旅行。カリフォルニアの家が売れなくても地所を購入して、家の設計を委託。冬は南へ滞在。適切な時期に(荷物の?)空輸の注文。

10月3日。
昨夜、(親友)アルフレート・ノイマン死去の知らせ。電報・花環の注文。

***

今日も、ヴァーチャル・コワーキング・スペース〈喫茶・友の会〉に、入り浸る。多少の世間話をするくらいだが、「孤独」は軽減するようだ。

***

1954年版の表紙
From Wikimedia Commons, the free media repository

思いついて、『クルル』の登場人物「クックック」教授の変な名前を調べる、Google スカラーで「クックック」を引いてみたら、ある論文に、ドイツ語で(鳥の)「カッコー」のことだと書いてあった。なぜ、トーマス・マンがこの名を選んだのはまだ不明。教わるより、自分で考えるほうがいいかも知れない。同時に見つかった論文(*)に、『クルル』の全体の目次が当初どうなっていたかが書いてある。興味深い。5項目のうち、最初の2項目しか書かれなかった。その後の原稿が実は発見されて……という話を考えてみようか。

(*)「詐欺師フェ-リクス・クルルの告白」 の構想と成立(林進 - 大谷女子大学紀要, 1989 - osaka-ohtani.repo.nii.ac.jp)





2020年12月1日火曜日

バーチャルオフィス・サービスはおもしろいし、役に立つだろう

『トーマス・マン日記』の続きを読む。この巻もあとすこしを残すだけ。

『クルル』ファンにとっては不安な毎日の記述。つまり長編はまったく書いてないようだ。旅行中なのだからと、不安に思う(私のことです)に言いきかせる。


1952年8月12日、ザンクト・ヴォルフガング、ペンジオン・アペンバハ。
きのう5時半、荷物を一杯積み込んだミンクスで、ここオーストリアの避暑地に到着。グレートが坊やたちと迎えに出ていた。フリードは成長し、喜びと優しさに溢れていた。エヒョー時代の感情の名残。

きょうは休息。トルストイを読む。青年期の記憶の正確さによる感嘆すべき自然描写。

8月13日。
7時起床。午前中仕事をする。その後出かけ、Kが湖で水浴する間も、少し書き進める。

8月14日。
短編小説の困難を克服するのに気が乗らない。ロザーリエにもケンにも共感を持っていない。医学的経過についてはっきりしない点が残っている。

8月15日。
久しぶりの水浴び。

8月16日。
8時起床。仕事をしたが、ほとんど進まない。

8月21日、ガスタイン、ゲルケ館。
「旅行」はどんどん進んで行く。これはどうなるだろうか。

8月23日。
原稿と取り組む。温泉医を訪れる。お茶のあとライジガーが『クルル』のクックックの章を聴きにくる。

8月24日。
母娘の第一の対話を書き進める。

8月25日。
仕事をする。非常に消耗して疲労。

8月29日。
またも入浴。力が付いてきた体調。安楽椅子で仕事。

8月30日。
リカルダ・フーフの最後の頃の詩に深い感銘を受ける。「わが心よ、眠りに就け、今はその時! 永遠が冷たく吹き渡る。」

8月31日。
母娘の対話を書き進める。

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ARのボスから誘われて、oViceというソフトを使った、ヴァーチャルなコワーキングスペースに行ってみた。意外に面白いので、長居をする。世の中、便利になったものだ。夜は、これを利用した打ち合わせを傍聴。「みんなのつぶやき文学賞」運営の方針が議題。

喫茶店風なレイアウトにしてある
https://www.notion.so/oVice-3b4cbbfd9e6841c1aac01723197f8960