2020年7月31日金曜日

『共同幻想論』対談ビデオの私的書き起こしも、今年の梅雨も終りに近い

『共同幻想論』対談ビデオの書き起こし。ほぼ最後まで来た。残りは質疑応答。今日の部分での印象深いところ。(文責 私)

「鹿島:
……つまり大学とかインテリジェンスとか、そういうのとは関係のない家庭で、例えばまあ僕みたいに生まれて、何かのきっかけでインテリ業界に入っちゃって、というような人は、どんどんこれから少なくなるんじゃないかなと思う。なぜかというと階層は世界のグローバリズムによって、完全に固定される、となってくると、イギリスの『ハマータウンの野郎ども』みたいな社会が片方にあって、インテリと金持ち階級の社会が他方にあるという、二極化する恐れが非常に強い。そこのところは吉本はですね、いろんなことを言ってるんですけども、知的に上昇するということは一つの自然過程である。あるきっかけと、その人の才能なり向き不向きがあったりした場合には、そっちへいく。それは自然なのだ、別にその人が努力したとか自分の階級を脱出したいと思ったからじゃない、ということを言っていてそのことを悟って自分は気が楽になったと言っているから、彼も船大工のせがれから、ハイパーインテリになったことに関しての説明を、これはマルクス的な考え方の知的な疎外ということを、彼が考えた末のことだと思うんですけれどもね、『共同幻想論』でもそれを最終的に結構重要なところで使おう、としていたみたいですが、あんまり言及はしてないなあ。


先崎:
先生もご著作のなかで、その自然過程であるというのに、ガビーンとかなり驚いたということを言っておられてますね。


鹿島:
偉くもなんともない、自然過程ですから。」



これはどうなのかなあ。二極化してしまったのは事実かもしれないが、インテリと金持ちが一緒というのは悲しいことだろう。インテリは大衆の味方だと思っていても、大衆側はそう思っていない。21世紀の社会は悪い方向に進んでしまったのだろうか。

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新型コロナ感染者の増加はまだ続いている。今年になって、昔の友人とは一緒に飲んでいないが、まだまだ我慢が続きそうだ。

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ここで紹介されているサイトはなかなか面白い。



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BSテレビで、日立の河原子海岸を映していた。20年以上前まで夏休みに息子と海水浴をしていた、遠浅の良い海岸だったが、津波で砂浜が流され、高い防潮堤もできて、風景はまったく変わっている。今年は海水浴もできないらしい。

梅雨明け間近。




2020年7月30日木曜日

吉本隆明の1980年代の文章は読みやすい

『共同幻想論』ビデオの私的書き起こし、9日目。今日は5分間分だけ。

彼を、現代の人がどう理解するのか、に関しての言及。(文責 私)

「鹿島:
だから、一番吉本が頭に来たのは黒田寛一とか、そういうのは革共同というのを作ってですね、前衛党がなっていないから新しい前衛党を作るんだ、これはバカじゃないかと言ったわけです。前衛党を作るという風な発想自体がおかしいんだよと。じゃあそれぞれアナーキズムでですね、アナーキズムとかとかアナルコサンディカリズムで大衆の自然発生性を生かして、そのままでいいのか、といったらそんなことはない。党というものを作るのだったら、大衆の原像を徹底的に考えた上で、ハイパーインテリであると同時にですね、あの大衆のいやらしさまで全部知ってるという、両方を抑えていかなければいけないんだという、こういうイメージだと思う。だから、どっちかに足をすくわれる事のないようにということですね。

先崎:
今日、すごくそれが面白いなと思ったのはですね、先生のご著作というのはその、ハイパーインテリになろうとしている学生ですね、大学に入って知の木の実を噛んでいるという、それがですね、こうスターリニズム批判とかさまざまなことが出てきながら、家族帝国主義にさえ対向しつつ、自分をどう作り上げていくかというところが、あの先生のご著作だと、だいたい前半にいつもきっかけに出てくる。それ、おそらく先生ご自身の個人的な体験もあると思うんですね。僕が一方で感じることはですね、今その現代の若い人たち、30歳台ぐらいの人たちに特に感じるんですけれども、それが問題としてどこまでアクセスできるのかな、というのがありまして。……」


このあと、『吉本隆明全集 22 1985−1989』の中にある、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』についての書評を読んでみた。吉本はどちらも評価しているが、当然のことのように思えるが『ノルウェイの森』のほうが好きだったらしい。この書評にかぎらず、この1980年代の評論集の文章は、若々しい。今読んでも、まったく古びていない、どころか新鮮だ。プリゴジンの『混沌からの秩序』の書評では、科学的なことを素人向けにわかりやすく記述している。ということは、吉本はカオスや熱力学のことを理解していたということだ。

政治的な面での評価はまだ出来ないが、一般的には吉本の評論は十二分に現代に通じるものがあると思った。彼の頭の働きとして、物理学者のような、モノの微細な本質に細かく迫るという特徴があるようだ。それを国家に適用して、『共同幻想論』が書けたのだろう。ここには、モノゴトの本質を筆で追求していくことにのみ喜びを見いだし、金銭的にあるいは政治的な報酬は眼中にあまりない人間がいたと思える。



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鹿島先生の『アール・デコの〈挿絵本〉』と、サガンの『愛という名の孤独』を読み始める。

2020年7月29日水曜日

『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読んで少し感傷的になる

『共同幻想論』対談ビデオの、自分用文字起こしは8日目に入る。75分間分が終了し、残りは40分間程度になった。なかなか終わらないが、非常に勉強になる。

今日の分で、面白かった部分。(文責 私)

「西洋的の、知の体系の組み立て方っていうのはデカルトに遡るのですね。非常に論理的組み立てが緻密なんですよ。その緻密さでもって吉本を読むと、なんだこれ全然知的な緻密さがないじゃん、これ、ということになるわけですね。僕もそれはある程度予想できたのだけど、でも違うんだよ、やっぱり吉本は偉いんだよ、とずっと思い続けていたんですね。なぜ思い続けていたかというと、やはり世界に先駆けてスターリニズム批判を行った、ということができたと言う、これはね、世界的レベルでも誰もできなかったことなんですね。これね今になって読んでみると誰もわからなくなっているのですけれども、一々検証したら、すごい業績なんですね。
それがなぜできたかというと、単に戦術的なものとか戦略的なものでないからです、もっと根源的なものなのですね。根源的なレベルにおいて、スターリニズムを批判し、さらにはレーニンを批判し、さらにはマルクスまで遡る。さらにはフロイトの限界を指摘し、というような所までやっているわけですね。そうなってくるとね、この人のレベルは相当にすごいという風な形になる。
……
やたらに大衆というものを美化して、勝手に美化した大衆によって自分はで民衆に寄り添って、とかですね今流行の気持ち悪い言葉もありますけれども、ああいうのは大嫌いですね、吉本は。勝手に寄り添うなよ、ということだと思うのですけれども。そういうような感じで勝手にですね大衆とか実像とかそういうものを美化する、あるいは逆に大衆は愚かでありわがままであり、そういうのじゃないんだ。原像、そのまんま、を捉えるべきである。」


吉本隆明を今、読み直すとすると、この辺がポイントになるのだろう。吉本の訴えていたことを、多くの人が無視した結果、現在の悲惨とも言える日本の状況が作り出されてきたからだ。「スターリニズム」批判が、必要なのは自由主義国家の内部でももちろん必要だ。「国家」や「企業」に権力があるという「幻想」を持っていてはならず、それには常に個人の側から異議をとなえていくべきで、それは個人の「幻想」の一部をなす。

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『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読み続ける。小林勇の筆が、後半になるにつれてどんどん冴えてくる。前半は、古いメモを引っ張り出して引用しただけだったから、無味乾燥だったのだろう。露伴は次第に老いてくる。勉強と称して周の碑文を時間をかけて研究したりしているが、これも本人にとっては実は、やっとのことだったろう。戦乱にも追われ、体も弱くなる。とくに、目が悪くなったのが気の毒。書籍を自分では読むことができなくなったが、周囲のひとに読んでもらった。読んでもらったと言うより、頭に入っている内容の詳細を確認していたらしい。大量の書籍は露伴の疎開先とは別のところに疎開させていた。これも残念だっただろう。どの書籍の何巻目のどの辺にかくかくしかじかのことが書いてあるはずと、指示していたと書いてあるが、堀辰雄が寝たきりになり、奥様に指示をだすとき、別室の書棚のなかの本の位置をピタリと言い当てていたことも思い出してしまった。
戦争末期から終戦後の老いた露伴の記述は、他人事とは思えず悲しくなってしまうので読みたくない、が読みつづけずにはいられない。
露伴は1947年(昭和22年)7月30日に80歳でなくなる。私はあと9年で80歳だが、楽をして生きてきたので、もっと頑張らなくては。

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朝、ベランダで出会ったカマキリの子供。午前中ご滞在。


2020年7月28日火曜日

『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読んでいると露伴の交友の広さがわかってくる

『共同幻想論』対談、今日文字起こししている最中に、感銘をうけたところ。(文責 私)

「鹿島:
これはね個人的な感想というか、記憶をたどるとですね、全共闘の学生が反帝国主義、反スターリニズムを掲げたわけですね。しかし反帝国主義と言う前に、家族帝国主義と戦わなければいけないというのが合言葉だったのです。つまり自分が全共闘の運動をやっているとなると、家族がやめろと、とんでもないことだ、と言う。家族とまず最初にぶつかるわけです。ヘルメットを隠しておくと、ヘルメットが見つかったら、なんだこれはというようにですね、どこの家庭でも親子の大喧嘩があって、あ、君、立派なことをやっているね是非行きたまえという家族は一つもない。むしろリベラルだと言われている家族であるほど逆に親子間対立というものが激しくありまして、そういうですね、あのしがらみを振り切ってきた、というのもある……
先崎:
確かに、スターリニズムっていう言葉は、多分先生の世代は二言目には言われていた言葉ですよね。けれども、今の僕らの世代ですと、それ自体が一体何なのかっていうことを、少し解説説明しないと分からないという思いで、この本(100分 de 名著)は最初の部分で工夫をして書いたつもりなのですけれども。」



「家族帝国主義」と「スターリニズム」は今でも、というか今のほうが巧妙な形で社会を歪めていると思える。コロナ禍であらわになった、現政権の不当さ、それ以前から若者や壮年の人々を蝕んでいる経済至上主義やグローバリズムはその顕著な現れだ。

わからないと嘆きながらでも吉本を読まないといけない。わかる時はなかなか来ないが、各人がわかろうと努力することで本来の自分自身を取り戻すことになる、そして新しい自分を。

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『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読み続ける。幸福とは言えない生活の中で、書き続ける露伴。露伴は寺田寅彦(とその弟子中谷宇吉郎)や斎藤茂吉も好きだったらしい。『渋沢栄一伝』も書いている。露伴全集、また欲しくなってきた。とりあえず国会図書館デジタルで我慢。


2020年7月27日月曜日

『共同幻想論』はまだ理解できないが自分にとっての存在感が増してきた

『共同幻想論』ビデオの書き起こし、6日目。7分間分くらいやる。

今日の部分のなかから、鹿島さんの言っていること(に近いこと)を、文責、私で書き出してみる。

「吉本が『共同幻想論』をそもそも書き始めたきっかけの原体験は、おっしゃっていたように、終戦のですね、8月15日、あの時の大ショックですね。あれがなぜ大ショックだったかというと、確かに負けたというのでそのあと、吉本は、昨日まで聖戦遂行と、ガンバレ一億玉砕と叫んで、例えば高村光太郎のような人がその敗戦後しばらく経ったら、これから文化国家の建設だと言っている、なんでこんなことができるんだ、この神経というのは一体どこから来るのだ、ということを言っている。

吉本の考えていた社会というのは、伝統的社会のものですね。だけれども国の上の方の人間は国家理性で、昨日までは鬼畜米英ですけれども、明日からは日米親善で行きますという風なことができてしまう。これは一体どうなっているのか、というのがそもそもの出発点なのではないか。

だからそこでですね、吉本は個人幻想と共同幻想は逆立する、あれ「さかだち」と読むのじゃなくて「ぎゃくりつ」と読まなければいけないので、逆立する、つまり個人幻想はそれぞれの人間がいろいろ持っているけれども、必ず共同幻想のレベルになってしまうと個人幻想とはひっくり返った形で、レベルが違う段階に入ってしまうという、そのレベルの新旧の繰り上げみたいなところを研究するのがこの『共同幻想論』ということなんだと思うんですけれども、吉本的なこの逆立と言うんですか、ひっくりかえる、あるいはレベルをあげてしまうというところが、これはやっぱり難しいですね。僕はまたもう1回しっかり読んでいるんですけれども、なかなかそう簡単には分からない。」

鹿島さんが「わからない」とおっしゃるのとはレベルがちがうが、やはり私もわからない。ただし、『共同幻想論』はなにを解明しようとして書かれたのは、少しずつ呑み込めてきた(ような気がする)。





終息が見えないコロナ禍のなかの、われわれの行く先はどこなのか。そしてそこに到達しようとしたときに、どのような世の中になるのかは、全く見えない。見えないが、終戦後のような混乱をさけるためには、個人が個人の頭でしっかり考えて、個人で考えたことを実行に移さなくてはいけなさそうだ。

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『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読み続ける。小林勇の文章は非文学的で見聞の羅列だけなのだが、かえって露伴の日記を読むような気分になってきて、面白く読める。小林勇は、百鬼園のことを書き綴る平山三郎的だ、平山三郎のほうが文章は格段にうまいのだが、それぞれの「先生」との付き合い方がそっくりだ。

2020年7月26日日曜日

座りやすい椅子は本当に大切ですね

吉本隆明『共同幻想論』の対談ビデオ、次の7分間を文字起こしした。40分から47分のところ。昨日より3分少ないのに同じく一時間以上かかった。10分間まで行けなかったのは、腰が痛くなったから。やわな体になってしまったものだ。2時間弱のビデオを全部文字起こしするころには、歩けなくなりそうだ。それでは困るので、椅子を別のものに入れ替えた。今度のは食卓用の椅子。定期的に交換したほうが良さそうだ。

吉本が国家の起源論を、多分ほとんど独力で考えたのは大したものだ。『万葉集』などを参考にしたのだろうが、『万葉集』の歌垣、『古事記』のアマテラスを呼び出す歌のようなものが、東南アジア(日本と同じくらい辺境)に残っているという話も面白い。

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『一陽来復』(岩波書店)の後半を読む。井波律子さんの文章は、暖かくて読んでいて気持ちが良い、そして驚くほどの質と量の読書経験をいつの間にか伝えてくれる。稀有の存在なのに、亡くなられたのは残念至極。

2020年7月25日土曜日

大上段の話に疲れたので、『一陽来復』を読み始めた

吉本隆明『共同幻想論』の対談ビデオ、次の10分間を文字起こしした。30分から40分のところ。一時間以上かかった。午前中を費やす。昨日と同じ日課となった。

双系制社会がアジアの最辺境にあり、その内側(ということは文明が進んだところ?)に母系制社会があると鹿島さんは言う。母系制から父系制になっていくのか、どうも本当のところはわからないので、軽々には言えないと吉本は言っているらしい。

ところで、鹿島さんが例に出されたが、サザエさん一家は母系制と見てもよさそうだ。とすると、マスオさん現象が目立つ昨今の日本社会は、母系制が復権しつつあるのだろうか?

面白いが、ここを追求していると死ぬまでには終わらないだろう。片手間にやろうかしら。トッドの著作は、図書館システムを検索したら18冊くらいあった。これらを読むだけでも大変だ。先崎さんが取り上げた、和辻哲郎の『倫理学』は原稿を製本したものが、国会図書館デジタル・コレクションで読める。長大。

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気を取り直して、いや取り直すために、『一陽来復』(井波律子 岩波書店)を読むことにした。


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今日も三人分の食事を用意する必要があった。毎日だと大変だ。昔、システムを「作る」のでなく、「構築」しようと言う話があった。それと同じことにした。要するに、トンカツを買ってきて食べた。うまい。

2020年7月24日金曜日

有名作家でも書けないときはあるが、書けないということを書くのはうまい

吉本隆明『共同幻想論』の対談ビデオ、次の10分間を文字起こしした。20分から30分のところ。一時間以上かかった。午前中を費やす。

吉本は、エンゲルスとは違い、嫉妬や対幻想がいまの家族関係の原点だといったらしい。

このへんになると、また理解があやふやになる。なるほど、そうですかという感じ。まあ、鹿島さんは40年以上吉本を読んでいるのだから当たり前かもしれない。
今年はじめから言っているが、エマニュエル・トッドも読まないといけない。

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昨夜、寝る前に、『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』(村上春樹訳  中央公論新社)のなかの、「ある作家の午後 」という短編を読む。どうしても筆が進まない作家(フィッツジェラルド自身のこと)のなげきを書いたもの。かわいそうだが面白い。ゼルダがいない作家は、羽をもがれた鳥のようだ。実年齢は若いのに、老いたる作家。他の作品もいくつか読んで見る。



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一時的独身の息子殿が泊まりに来た。一部彼が持参の材料で鍋料理。名古屋の辛味噌鍋。

2020年7月23日木曜日

『アメリア・イヤハート最後の飛行』(新潮文庫)を読み終えた。軍の言うことをきいてしまったアメリアの末路は悲しい。

吉本隆明『共同幻想論』の対談、次の10分を文字起こしした。

先崎さんが鹿島さんのイントロを受ける。吉本は戦争体験の後20年考えて『共同幻想論』を書いた。国家は共同幻想の一つで、文学を志す人間には個人幻想がある。国家の起源のなりたちに「対幻想」つまり家族の問題をいれたのは、この本の肝であるという。
鹿島さんは、個人にとっては家族は一つしかない、するとどうしても家族にとらわれて考えてしまう。『マチウ書試論』では、個人の自由意志よりも家族の関係性の束縛が強いと言っている。
先崎さん:関係の絶対性は、スターリニズムに対抗するものとしては肯定できるが、我々をがんじがらめにすると言う意味で否定したい。
鹿島:「対幻想」に話を戻すと、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』と比べて考えると面白い。

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なるほど、こんなことを言っておられたのか。エンゲルスも簡単に勉強しないと……上っ面は学生時代に読んだはずだが、理解していなかった。


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『アメリア・イヤハート最後の飛行』(新潮文庫)を読み終えた。アメリアの乗機は墜落したのか、不時着したのか、彼女は生き延びたのか、そうならどこに行ったのか、この本の著者が推理するように、「ルーズベルトのスパイ」として日本軍に逮捕されたのか……謎は深まる。これを読んだら、太平洋戦争の背景が少し見えてきた。深入りするかアメリアのことだけ追求するか決めなくてはならない。

Amelia Earhart standing in front of the Lockheed Electra in which she disappeared in July 1937.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)



2020年7月22日水曜日

『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)の鴻巣友季子さんによる書評はすばらしい

週刊ALL REVIEWS Vol.58 (2020/07/13-2020/07/19)の巻頭言を書かせていただいた。昨夜購読者約1000名の方にメールが送られた。鴻巣友季子さんの書評(と村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』)を読んだ感想を書いた。

書評はこちら。

私の書いたものは以下の通り。





まだの方は、ぜひメルマガ「週刊ALL REVIEWS」を無料購読していただきたい。

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一昨日視聴した月刊ALL REVIEWSの対談、「先崎 彰容(倫理学者・日本思想史研究者) × 鹿島 茂(仏文学者)、吉本隆明『共同幻想論』を読む」。
予備知識不足で、理解できなかったので、ビデオを観ながらお話の内容を文字起こしして見ることにした。最初の10分につき、一時間かけて終了。鹿島さんのイントロの部分だけだが、文字にしてみると内容が頭に入ってきた。生中継のときは、音ズレが気になって、よく聞いていなかったのも敗因のひとつのようだ。ともかく、『共同幻想論』のポイントが「対幻想」であることと、吉本隆明の著作の読みやすいものから読むべきということは頭に入った。
今日は10分間をやるのに一時間かけたが、このペースで文字起こしするとトータル12時間かかる(*^^*)
まあ、あせらず楽しんでやっていきたい。

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午後は、『アメリア・イヤハート最後の飛行』(新潮文庫)の前半を読む。案の定謎解き仕立てで、オモシロイ。Internet Archiveに行ってみるとアメリアに関する本は山のようにある。これらを調べるのも楽しみだ。彼女の愛機の絵も描いてみよう。

2020年7月21日火曜日

吉本隆明の勉強をしてみよう



昨夜の月刊ALL REVIEWSの対談、内容にさっぱり歯が立たなかった。悔しいので、勉強してみることにした。

まずは、昨夜のYouTubeビデオ(友の会会員特典)を見直す。あらっぽく文字起こしをしてもいい。(私以外の(T_T) )チャットの発言も参考にする。

文字起こしをしながら、以下に眼を通す。
(1)『新版 吉本隆明 1968』(平凡社)
https://allreviews.jp/review/1821
これのKindle版買った。『吉本隆明1968 (平凡社新書459)』

(2)『吉本隆明『共同幻想論』 2020年7月 (NHK100分de名著) 』
https://www.amazon.co.jp/dp/414223112X/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_fqTfFbMJ4W2VA

(参考)100分 de 名著 共同幻想論に関するNHKのページ。
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/99_yoshimoto/index.html

(3)発掘した本。昭和47年版の講談社「現代の文学」シリーズの一冊(22巻)が『吉本隆明集』
これを開けてみると、「高村光太郎」、「高村光太郎小論集」、「転向論」などには義父が赤鉛筆で傍線を引いた箇所がある。これらは手がかりになりそう。

(4)図書館で予約中の本。『吉本隆明全集 22』 。これは1985-1989の書評を集めたもの。

(5)『ちくま』に連載中の鹿島先生の『吉本隆明2019』も、捜して読みたい。

頭のどこかで、いまさら吉本隆明かと言う声が聞こえるのが、障害になる。調べれば、面白くなると自分に言い聞かせる。

2020年7月20日月曜日

忙しい一日



『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(朝日新聞社)を読み終えたので、ALL REVIEWSの鴻巣さんの『猫を棄てる』の書評を読み直した。
https://allreviews.jp/review/4716

「父親を語る」ことを明日の巻頭言のテーマにするのは変わりないが、『猫を棄てる』と『夢を食いつづけた男』を正反対のものとして見るのをやめることにした。

鴻巣さんのおっしゃるとおり、村上春樹は『猫を棄てる』の淡彩画で終わっているのではなく、今までの多くの作品で「父親」を語っているのだ。これはフィクション作家なら、当たり前の技なのだ。トーマス・マンも北杜夫も辻邦生もみなやっている。

「父親」という限定された観点もこれからはやめたほうが良い。「親」や「家族」という観点のほうがよさそうだ。

午前中に書き上げた。

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朝、昔の会社の「学者重役」Yさんの訃報が届く。残念だ。難しいが彼の論文や訳書を読み直したい。

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午後は、ほとんどの時間をマンション管理組合の理事長職務を遂行するのに費やす。Tさん邸の全面リフォームは無事実行されそうだ。

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夕食を少し早く食べ、月刊ALL REVIEWSのYouTube放映を観た。やはり案じていたとおり、吉本隆明の『共同幻想論』は難しい。鹿島さんとゲストの会話はほとんど理解できなかった。これから勉強して、ビデオを見直す……気力があまり湧かない。一晩寝ればなんとかなるかも。

2020年7月19日日曜日

『アール・デコの挿絵本 ブックデザインの誕生』こぼれ話〜」を鹿島先生の書斎からの中継で観た\(^o^)/

Zoomオンライン講義、《鹿島 茂「今日は書斎から〜『アール・デコの挿絵本 ブックデザインの誕生』こぼれ話〜」》を視聴させていただいた。本日16時から17時30分まで。

昨年11月に同じテーマで、「鹿島茂コレクション アール・デコの造本芸術」展があり、門外漢ながら日比谷に行ってみて、バルビエの挿画本にしびれた。
https://hfukuchi.blogspot.com/2019/11/blog-post_9.html

今日は、鹿島先生のご自宅からの中継で、ふんだんに美しい本を見せていただきながら、解説を伺った。あいかわらず素晴らしい。魅せられる。本の装幀や組版の仕方などに関する術語も、昨年の経験のおかげでかなりわかる。『ビリチスの歌』がくわしく紹介されたが、挿画だけでなく、この本のためにデザインされたタイポグラフィも美しい。
この本を日本で再現した本があるとおっしゃっておられたが、これだろうか?お聞きすればよかった。
『バルビエ・コレクション 2 ビリチスの歌』
これも買いたいね


Grandville - Un Autre Monde - Juggler of Universesも素晴らしい。
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ナビゲーションに移動検索に移動
一瞬、このような本(『ビリチスの歌』のオリジナル)を自分でも手に入れたいなと思った。実際、そのような質問をした方もいた。もちろん、手は出ない値段なので、かわりに、鹿島先生の本を、図書館で予約した。気に入ったら、これぐらいなら買える。
『アール・デコの挿絵本 ブックデザインの誕生 ToBi selection』(東京美術)。

眼福。

2020年7月18日土曜日

植木等の『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(朝日新聞社)は爽快な本

高橋源一郎さんが毎週出演されるラジオ番組があるが、それで、最近植木等の『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(朝日新聞社)が紹介された。高橋源一郎さんの紹介が絶妙なので、入手して読んでみた。植木等の談話をもとに北畠清泰(元朝日新聞論説委員)という方がまとめられた本だ。
https://allreviews.jp/reviewer/48
植木等の語り口が充分に取り入れられており、明るく饒舌。テーマは時代を反映して暗い面もあるにもかかわらずだ。徹誠の性格や行動様式が非常に陽性だったことが影響している。北畠さんの取材能力と構成力がそれを助長したかもしれない。

それにしても、徹誠の行動は息子等の何倍も破天荒。いや、息子はマジメ人間に思えてくる。


75頁。
「闘友」(一緒に戦った仲間の意)、の一人が語る、おやじ徹誠は「無作法で、向こうみずで、遊び好きで、どこを探してもそこに深刻ぶった「主義者」の面影はなかった、しかしそれでもおやじはなんと魅力的な男だろう。」

113頁。
「現実社会に生きる人間の、たった今の救済、つまり、衆生済度こそ親鸞の思想である」

おやじ徹誠は僧侶でありかつ、水平社のメンバーであった。昼は年寄りやこどもにおもしろい法話をし、夜は若者たちに差別反対を説く。このため、何度も投獄されるが、警官や看守の暴力にめげず、かえって彼らをアゴで使うような態度をとる。息子の植木等は朝、弁当を獄に届けてから、学校に行く。

その息子は、一時、東京の寺で修行するが、住職のすすめ(だけでなく学資も出してもらった)で、東洋大学に進学、その後「おやじ」の反対を押し切って、芸能界入り。
歌だけでなく、ギターも独学し1950年代には『スウィング・ジャーナル』で新人ギタリストとして紹介される。1959年、「スーダラ節」大ヒット。おやじはこの唄は親鸞の思想に合っていると、妙に高評価した。



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今日はこのあと、オンライン読書会。課題本は『ファンベース』、一応全部読んでおいた。

只今終了。面白かった。ARの運営にも大変役立ちそうな(すでに役立っている)本だった。

2020年7月17日金曜日

読書、読書、読書

今日は読書できた。

『笑ふ人』は300頁まで進む。相変わらずディテールの記述が多いので、かなりななめ読み。とばすと本筋の理解が浅くなる。そして、われわれ後世の読者にとっては枝葉末節と思われる、たとえば英国宮廷内の諸事情は、当時の読者からすると、今でいうと週刊誌の娯楽記事を読むような感じで実は面白かったのではないかと考えた。でないと、ユーゴーが売れっ子作家にならない。

ともかく、笑ふ人と少女は成長した。

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7月20日にある月刊ALL REVIEWSの課題本、『共同幻想論』(吉本隆明)だが、YouTubeを観て視聴レポートを書こうと思い立ったので、マジメに探すことにした。本の所在がどこか夜考えながら眠り、今朝起きたらひらめいた。義父(かなり前に亡くなっている)の蔵書を少し譲り受けたがその中だ。段ボール箱を開けていたら、二箱目で見つかった。昭和47年版の講談社「現代の文学」シリーズの一冊が吉本隆明集だった。目次は以下の通り。

共同幻想論
高村光太郎
高村光太郎小論集
マチウ書試論
丸山真男論
転向論
埴谷雄高







この他、『吉本隆明1968』(鹿島茂)と、『NHK 100分 de 名著 吉本隆明『共同幻想論』』をKindle本で購入。全部目を通せるかが問題。

他に、明日の夜のオンライン読書会の課題本『ファンベース』も読むべし。半分までは来ていて先は見えているが。

もう一つ、来週早々のメルマガ巻頭言を書くために、村上春樹さんの『猫を棄てる』を読み直すべし。

嬉しい悲鳴。

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でも、図書館からまた新しく9冊借りてきた。躁状態かも。

2020年7月16日木曜日

本は精神上の公園だ

残念ながら、本の読めなかった一日。マンションに付属している公園の管理の件で、市役所の公園管理課に話を聞きに行く。余談だが、当Y市には市が管理する公園は230ヶ所あるそうだ。10人前後のスタッフでやっているようだが大変だろう。これでも人口に対比すると公園の数が少ない。しかも公園の数は減っているようだ。

遊具の土台のコンクリートは、今の基準だと、土でおおうかゴムのプレートで被覆しないといけないそうだ。土でおおうと鉄部はくさる。ゴムにしないといけなさそう。見積もりを依頼するようにマンション管理会社の担当くんにお願いした。それと、もしも遊具などのせいで怪我人が出た場合の、保証のための保険も検討する。

打ち合わせの際に、事務所内の会議室の机上には互いを区切る透明シートが設置されている。新型コロナウイルスの感染が拡大している今、大げさとは感じられない。

毎日のニュースを聞いていると、気が滅入ってくるが、感染予防のためにも、明るく振る舞う必要がある。

そのためには本を読むことが必要だ……


2020年7月15日水曜日

ユーゴー『笑ふ人』は19世紀の長編小説のお手本だ

国会図書館デジタルコレクションで、『笑ふ人』をを読みすすめる。

『ユーゴー全集. 第四巻』(ユーゴー全集刊行会 (冬夏社内))。

200頁を超えたが、やっと映画の最初のほうのシーン(笑ふ人と乳飲み子が、老人と狼のワゴンにたどり着く)においついた。『レ・ミゼラブル』もそうだが、イントロのうんちくが長い。もっとも、これの場合、船があるいは海洋小説が好きな人(私も実はそうだ)はかなり興味深く読むのだろう。プルーストの『失われた時を求めて』の、晦渋な冒頭もそうだが読み飛ばす技術が必要そうだ。

当時も小説好きな人はこうでなくては物足りないと感じたのかもしれない。その人は「今日ママンが死んだ…」といきなり書かれると唐突すぎてイヤになるだろう。時間のない現代の読者は、長編小説を読まなくなった。そして小説の世界に迷い込む楽しさを忘れている、と思う。

ビジネス・レポートでは結論を先に書けと、社内研修で教えたことがある。起承転結の構成は暇人のためのものだった。そこにロマンと人間味の入り込む余地はない。いかに正確に相手に自分の論理と意思を伝えるかが問題だった。

でも、一語何円と言われたら、どんなレポートも長く書くだろう。プログラム・コードに必要以上にコメントを入れて、ステップ数を稼ぐツワモノもいた気がする。

***

吉本隆明の『共同幻想論』を手に入れてマジメに読もうかと悩み中。いまさら感もあるのだ。でも、「過去」の人の本として素直に読んでもいいかしらとも。若いときの経歴を読むとどことなく自分に似たところもあって捨てがたい。

2020年7月14日火曜日

『The Man Who Laughs (1928)』を観、『笑ふ人』を読み始める

『The Man Who Laughs (1928)』を観た。
https://dai.ly/x22yaio

(主役の一人、MARY PHILBINは素晴らしく綺麗。)

なかなかオモシロイ。サイレント映画なので、細かいセリフのニュアンスを辿らなくていいし、要所で字幕を全画面で入れてくれるので、筋を追いやすい。筋の理解のために大切な手紙をゆっくり大写しにしてくれることもこちらとしては助かる。

****

あらすじは理解したので、邦訳版の『笑ふ人』を読み始める。宮原晃一郎訳。この方は他にユーゴーの『海の労働者・九十三年 (ユーゴー全集 第6巻』や『レ・ミゼラブル 第1-5部 (冬夏社 1921年)』も訳されている。
「英語を基礎に独学でドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語を身につけ、翻訳家となる。」とWikipediaに書いてあるが、そうならすごい。少し追いかけてみたい。

国会図書館デジタルコレクション。『ユーゴー全集. 第四巻』(ユーゴー全集刊行会 (冬夏社内))

『笑ふ人』は最初の110頁まで、すらすら読めた。1922年の訳文なのに、これにもオドロキだ。ユーゴーは亡命生活の最後に、多分ガーンジー島でこれを書いたのだろうか。当時の英国貴族のことなど調べてから書いたらしい。書かれている、英国の社会は、フランスよりも暗く陰鬱な感じがする。そもそも『笑ふ人』として見世物になった若者の存在自体が差別社会の結果であり、それは許されないことだ。ユーゴーは差別された側の人物にかえって高潔な魂が宿っていることを、この作品でも描こうとしている。

邦訳版は読み終えられそうなので、その後、英訳版と仏語版にも挑戦してみる。触りだけでも読みたい。

2020年7月13日月曜日

Hugo の L'Homme qui rit について調べた


昨日「発見」した、ヴィクトル・ユーゴーの『L'Homme qui rit』。
なぜか気になるので、今日調べてみた。

まず、日本語訳を探し当てた。『笑う男』。
国会図書館デジタルコレクション。『ユーゴー全集. 第四巻』(ユーゴー全集刊行会 (冬夏社内))、大正9年出版だから100年前の本。宮原晃一郎訳。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1718616



サイレントだが、映画を見つけた。
The Man Who Laughs (1928)
https://dai.ly/x22yaio

映画の解説はここ。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Man_Who_Laughs_(1928_film)

Internet Archiveにある英訳本。
The Man Who Laughs(Publication date 1902)
https://archive.org/details/manwholaughs01hugo/page/n9/mode/2up


Kindle版(無料)の『L'Homme qui rit』をダウンロードした。


最後に、昨日見つけた息子の所蔵本。(folio classique) 書影写真は一番上。

これだけ揃えば、勉強できるだろう。早く読みなさい。 > 自分。

2020年7月12日日曜日

『消え去ったアルベルチーヌ』(光文社古典新訳文庫)を一気読み、これからゆっくり愉しみながら読み返す



『消え去ったアルベルチーヌ』(光文社古典新訳文庫)、買ってからかなり温めていたが、やっと読む気になった。これは、サガンの『私自身のための優しい回想』(新潮文庫)を最近読んだおかげだ。サガンによると(同書172頁)、ここを読むと「一挙にドラマに入りこめ」るのだそうだ。

アルベルチーヌの不幸を知らせる電報文面がサガンによって引用されている。翻訳であるが、この文面からすると、電報を書いて語り手に知らせるのは、男性と思える。しかし、『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美先生訳)によると(160頁)、「ボンタン夫人」が電報を打ったことになっている。文面も女性の書きぶりになっている。ここはちょっと不思議に思えるので、自分で調べてみたい。プルーストがいろいろ書き換えているせいかもしれない。他の訳本にもあたってみたい。

『消え去ったアルベルチーヌ』はサガンの言うように、すらすらと筋を追えたが、いろいろと考えながら読み直すのが楽しそうだ。いろいろ考える種は、たくさん湧いてくる。これが素人の読書の醍醐味かもしれない。読書に関して言うと、下手な考え休むに似たり、は当てはまらない。このように楽しく読めるのは、高遠先生の流麗な名訳のおかげだ。

181頁。語り手は、母親に連れられてヴェネツィアに旅行する。ヴェネツィア、というところに反応して、トーマス・マンを読み返したくなる。それで、本棚を漁っていたら、偶然ヴィクトル・ユーゴーの『L'Homme qui rit』が出てきた。初めて見る本だ。息子殿が買ったのだろう。翻訳を捜したがにわかには見つからなかった。ないのかもしれない。それでも読みたいが、フランス語で読んでいると100歳を超えそうなので、英訳を捜してみようかしら。

(このブログを書いた翌日、国会図書館デジタルコレクションを、落ち着いて捜したら、『笑う人』が見つかった。『ユーゴー全集. 第四巻』(ユーゴー全集刊行会 (冬夏社内))、大正9年出版だから100年前の本。宮原晃一郎訳。)


https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1718616

このようにしていれば、『失われた時を求めて』(光文社新訳文庫)の続巻の翻訳をゆっくりと待つことができるだろう。愉しみには時間をかけるべきだ。

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実家で里帰り出産をするMちゃんを見送りには行けなかった。このご時勢なので仕方ない。ご実家の父上母上が迎えに来たので心配はないが、こちらとしてはコロナ禍をちょっと恨む。そして、これから生まれる子供はどのような人生を送るのだろうか。

2020年7月11日土曜日

長谷川町子さんも使っていた目覚まし時計 PYRAMIDTALK



これは、10年ほど前に目の悪かった年寄りが使っていた目覚まし時計だ。SEIKOの「PYRAMIDTALK」。目覚まし機能よりも、ピラミッドの頭のスイッチを押すと現在時刻を女性の声で教えてくれるのが便利。暗闇の中でも、時間がわかる。使われなくなってから大分経つが、今日持ち出してみたら、まだきちんと作動する。

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固い活字本ばかり読んでいるのも飽きたので、『長谷川町子全集 第32巻 サザエさんうちあけ話・サザエさん旅あるき』(朝日新聞社 1998年)を読むことにした。この全集は発売の時に買い揃えた。文庫本の全集も持っていたが、これはあるとき病院の図書室に寄付した。

この本の164頁に、長編を書こうとして張り切った著者が、夜眠れなくなり、何度も目を覚ましては、枕元の時計を「使う」場面が描かれている。よく、その時計の形を見ると、どうもPYRAMIDTALKらしい。時計は「二時五分です」、「四時三十一分です」と「言って」いるので、間違いないと思う。

結局長谷川町子さんは寝過ごして原稿が書けずに、使いに来た「げんこう部」の人に謝る羽目になる。明け方は熟睡できたわけで、この時計の優秀さを物語っているわけだ。つまり、明かりをつけなくても良いし、針音もしないのだ。目覚まし機能がついているので、なぜこれを使わなかったのかギモンだ。神経質な長谷川町子さんは、目覚ましをかけるとかえってそれで眠れなくなるたちだったかもしれない。

この本の、途中にすでになくなった人たちの回想が描かれている。ユーモアを持って描かれているのだが、それだけに愛惜の気持ちが強く表れているようで、何度か涙が出てきた。

この本は、長谷川町子ファンには、おおいにオススメしたい。私はこれから別巻の『長谷川町子 思い出記念館』をよんでから寝るつもりだ。PYRAMIDTALKは今夜枕元に置いておく。

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ピラミッドパワーでよく眠れるかもしれないし……

2020年7月10日金曜日

『古本屋散策』(論創社)を片手に古本屋と図書館を仮想散策

幸田露伴のことを昨日考えたが、今朝になって、『古本屋散策』(小田光雄さん 論創社)に露伴のことが取り上げられていたのを思い出した。昨年やっとの思いで購入できた本だ。



自前本なので、自由に書き込みができる。詳細な目次を見て、露伴に関係した文章を探し、印をつける。余談ながら、目次だけでは不十分なので索引がほしいところだ。自分でなにか索引代わりを考えなければ。若い時なら頭の中に索引ができるのだが。(『植草甚一スクラップブック』を読んでも同じことを考えたが……)
目印をつけた頁を眺めてみる。

256頁。
至誠堂にいた藤井誠治郎の『回顧五十年』(この本は国会図書館デジタルコレクションにあるがインターネット公開されていない、図書館にいかなくては読めない、嗚呼)に、露伴の『洗心録』(至誠堂 国会図書館デジタルコレクションで公開中)のことが書かれているそうだ。『洗心録』は随筆集といった趣の本だが、「大正名著文庫」の一冊でよく売れたという。塩谷賛『幸田露伴』(中央公論社 こちらも国会図書館に行けば読める、もしくは古本で買うか)にもこの本に関する記述があるという。。

259頁。
小田光雄さんは幸田露伴の古本をもう一冊お持ちだそうだ。「日本文芸叢書」中の『努力論』(ベタな題名だ……)。これもよく売れたらしい。この本も国会図書館デジタルコレクションで見つけることができた。別に自分が偉いからではないが、ちょっとうれしい。国会図書館デジタルコレクションではページごとの影像を見ることができるので、巻末の奥付や広告も見ることができて楽しめる。そして小田光雄さんが実物を見て教えてくださることを、自分でも確かめられる。非常に勉強にもなるし、趣味としてもオモシロイ。
小田さんの記述や巻末広告を眺めていると、露伴の業績がものすごいことがわかってくる。『椿説弓張月』などの、古典の校訂がそれだ。

262頁。
小林勇の『蝸牛庵訪問記』には出版社(岩波だけではない)と露伴との知られざる関係が記されているらしい。蝸牛庵とは引っ越し好き(?)の露伴のことだが、面白そうなので、『訪問記』は図書館で予約した。『国訳漢文大成』についても書かれているらしい。これは多分全巻が国会図書館デジタルコレクションで、インターネット公開で、読める。露伴は『水滸伝』(18巻〜20巻)の訳を受け持った。同時に『紅楼夢』(14巻〜16巻)の訳に名義貸しをしているという。実際に、国会図書館デジタルコレクションであたってみるとその通りのようだ。
小田さんはこれらを未見と2009年に書かれているが、その後たぶんインターネットでお調べになっただろう。

***

『古本屋散策』を片手にして、いながらにして仮想「古本屋めぐり」ができるのはうれしい。でも、コロナ蟄居がすんだら、ぜひ実際の古本屋と国会図書館に出かけてみたい。それを考えると、年甲斐もなく胸が躍る。

2020年7月9日木曜日

『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店)には読みたくなる本の書評が満載されている



『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店 2019年)を読む。500頁以上の本だが全編書評。井波さんは今春亡くなられた中国文学者。私より5歳年上の方だ。経歴を読むと、若くして亡くなられたのが惜しまれる。

この本は読む前に思ったとおり、人を困らせる本だった。つまり、何冊となく読みたくなる本を推薦してくれる、書評本の鑑のようなスバラシイ本。

1頁。
著者の原初読書体験。ひらがなのまとまりが意味を持つことに気づく。それ以降は濫読。たとえば、当時住んでいた西陣の貸本屋から借りて一日にニ・三冊ずつ読む。大学に入り、フランスの小説や評論を濫読。その後、中国古典へ。ある本を読み、そのつながりで次の本を読むという三昧境を経験。

41頁。
このあたりで紹介されている幸田露伴が私にも興味深く、中古で露伴全集をあやうく買いそうになり、値段でなく置き場所がないので踏みとどまった。幸田露伴は少年時代に何が望みかと尋ねられ、「芋を食って本を読んでいたい……」と答えたそうだ。そして、専業作家となってからは、早起きして9時までに仕事は済ませ、その後は読書三昧。愛書家ではなく読んだ本はどんどん始末した。いわゆる、テーマ読書をした。これはマジメに仕事をするには当たり前とも思える。司馬遼太郎や松本清張がある事柄の資料をトラックいっぱい集めたというのに通じそうだ。

83頁。
中村真一郎の『全ての人は過ぎて行く』の書評。最後の随筆集。これは即図書館システムで予約。

210頁。
『論語』を読むなら、まず中島敦の『弟子』を読むべしとのこと。早速青空文庫で読み始めた。オモシロイ。なお、その後読むべきなのは、吉川幸次郎、桑原武夫訳。そして宮崎市定の『論語の新研究』と白川静の『孔子伝』。ご本人の『完訳 論語』(岩波文庫)はおくゆかしく、紹介していない。

213頁。
現代人なら、蜂屋邦夫訳の『老子』のほうがオススメかも。

260頁。
「もう少し年をとって時間ができたら……洋の東西を問わず、また、読んだことのある本もまだ読んでいない本も合わせて、長い長い物語を次々に読み、ゆったりどっぷり物語世界に浸ってみたい……」
この気持は痛いほどわかる。井波さんは充分に読書を楽しんだのだろうか、あるいは今盛んに読んでいるのだろうか。

328頁。
ここでも『弟子』が登場。「孔子と高弟子路の類まれな信頼関係を活写した作品」とのこと。

331頁。
『サガン――疾走する生』の書評だ。「無謀な暴走をつづけ、燃え尽きたサガンを無惨というべきか、あっぱれというべきか。」だそうです。

334頁・
幸田露伴の『運命』は傑作だそうだ。これは国会図書館デジタルで眺めてみた。

335頁。
花田清輝のレトリックを学ぶべし……

388頁。
齋藤礎英の『幸田露伴』は露伴文学への絶好の水先案内。これはアクセス可能な図書館にあるし、Amazonでも(中古で)安い。

475頁。
『論語』と中島敦の『弟子』のススメの書評がもう一度。

すべてではないが、最後まで読み切った。

2020年7月8日水曜日

(紙の)本の良さは本文だけにあるのではない

古い文庫本を読んでいて、面白いのは、巻末で宣伝用に紹介されている本。その本が出版されたと同時期に、どのような本が読まれていたのかがわかる。もちろん、関連した本も紹介されているので、興味をひくものがどちらにせよ必ずと言っていいほど、ある。
この頃、読んでいるサガンの『私自身のための優しい回想』(新潮文庫)の場合は……1986年に単行本として出て、1995年に文庫本になった。平成7年。

最新刊(文庫)紹介のなかに、『アメリア・イヤハート最後の飛行』という本があった。ブリンク著、平田敬訳。「行方不明となった、女性パイロットに与えられていた秘密任務とは……」とある。アメリアのことは、リンドバーグ夫妻のことを調べた時に気になっていた。面白そうなので、図書館にないか調べてみた。あった。『アメリア・イヤハート最後の飛行 世界一周に隠されたスパイ計画 新潮文庫』という、ネタバレの題名になっていた。「246p 図版8枚」らしい。ここまで書誌を読んで、予約ボタンを押した。
かなり楽しみだ。



***



その後、『現代装幀』(臼田捷治 2003年 美学出版)に目を通す。装幀に関する知識量を増やす目的で借りたので、面白そうなところを捜しながら、飛ばし読みした。目を引いた事柄は以下。

23頁。
栃折久美子が退社した後、筑摩書房で装幀を手掛けたのは中島かほる。栃折さんの筑摩での師匠格は詩人装丁家の吉岡実。遠い師匠は室生犀星や萩原朔太郎。かれらは自著を自分で装幀したがった。

25頁。
1960年代なかば以降。「ブックデザイン」の時代となる。杉浦康平、栗津潔、勝井三雄、平野甲賀、清原悦志などが台頭。

53頁。
『数学セミナー』(日本評論新社)の幾何学的だが温かいデザインは杉浦康平の作品だった。

69頁。
『季刊銀花』(文化出版局)の表紙も杉浦康平デザイン。本屋で平積みされていると目を引いた。

90頁。
平野甲賀は晶文社の本を多数デザイン。日常的に目にしていた。書き文字使用がユニーク。

106頁。
『高丘親王航海記』(文藝春秋)の想定は菊地信義。1987年。

136頁。
このあたりから、タイポグラフィの話になる。
諸橋『大漢和辞典』の写植文字4万8千字の作成を指導したのは石井茂吉だという。1952年から1960年。

143頁。
『暮しの手帖』をデザインしたのは、花森安治。見識と品格をそなえ、読みやすくもある。

207頁。
1987年の超ベストセラー『ノルウェイの森』(講談社)の鮮やかな装幀は著者の村上春樹ご本人。装幀の力もベストセラー化の力になったのだとか。
夏目漱石を意識したかも……しれない。

2020年7月7日火曜日

『サガン 疾走する生』読了。サガンは作家であると同時にすごい読者だった。



『サガン 疾走する生』の後半を、一気に読み終えた。
最後は、文無しになり、それどころか多額の税金を滞納して(当局と係争中であったのだが)亡くなるところがサガンらしい。

180頁。
『心の青あざ』、サガンを知るために読むべき、サガンの小説をではなく。

182頁。
読者は作家に作品を求め続けるが、作家だって生身の人間だ!

187頁。
五月革命の傍らで、サガンたちは何も信じず何も変えない。

188頁。
アル中の治療で病院へ。

190頁。
ブリジット・バルドーは堅実かつ本能的に芸能界を去った。

194頁。
イザベルに口述筆記し作品を作る。

201頁。
印象的な部分を手帳に書き写したくなる、感動した箇所に印をつけたくなる。そんな文章を書くのが作家。と語るボワシュー教授。サガンの文体をきちんと読み解いている人はほとんどいないと。

204頁。
サガンは書くことを楽しんでいた。そして彼女の文体は偶然の産物ではない。「やわらかく、確固とした力のある」文体とサルトル。

210頁。
1975年。酒はやめた。膵臓炎。

217頁。
先が読めるので孤独。退屈なので小説を書く。遊びに興じ、本を読み、薬を…

248頁。
孤独は、サガンの作品の重要テーマ。理解しあえる人はめったにいない。

275頁。
書くのが楽しい。『厚化粧の女』珍しく長い。560頁。

329頁。
彼女の本棚には『ロベール』辞典が。あたりまえか。

330頁。
別荘の本棚を覗く著者。

331頁。
『愛という名の孤独』にサガンの本の買い方が書いてある。よく行くのはラスパイユ通りのガリマール書店。〈セリ・ノワール〉を2・3冊。海外文学、英米文学の翻訳ものも。

333頁。
『ユリシーズ』はついに読み終えられなかった。合わなかった。文学好きというより読書が好き。

352頁。
浴びるように本を読む。少女時代は暑い屋根裏部屋でも。

353頁。
プルーストはサガンのデータバンクだった。愛も死も、嫉妬も苦悩も退廃も病苦も……『私自身のための優しい回想』

そして死。


(自分用メモ)『サガン 疾走する生』奥付と参考文献表
https://keep.google.com/u/0/#NOTE/1usryZINg85Beq1fBMUbOSnUAoxuf-MOq6JdfGclti-8kkvNmh6Ufn1NLtBUoCg

***

JAF退会の電話をする。長年(40年)のお礼を言ってもらった。





2020年7月6日月曜日

サガンは執筆というメフィーストフェレスに操られるファウストのようだ



『サガン 疾走する生』(マリー=ドミニク・ルリエーブル 永田千奈訳 2009年 阪急コミュニケーションズ)を読み続ける。

55頁〜56頁。
当時の『パリ・マッチ』誌記事によると、サガンの日常は、スポーツカーを運転し、日光浴をし、カジノへ行き、バーで飲み、の繰り返しなのだそうだ。でも実際には、ベッド、長椅子、ハンモック、海岸、ソファ、待合室、飛行機、ホテルで常に読書をしていたのだ。

58頁。
2台めのジャガーXK140、ロードスターを購入。1台目より高性能。今でもクラシックカーとして売られているが、安くても1000万以上(^o^)

59頁。
サントロペの海はエチレンブルー。一年しか行かなかった。サントロペ滞在が流行りになってしまったから。

62頁。
くだらないことの真っ只中で、「書くこと」はくだらないことではない。

70頁。
カジュアルファッションを結果として流行らせる。

71頁。
サントロペではなく、ノルマンディーに行く。

100頁。
少女の時、一人で寝るのが怖かった。母と寝ていた。フランス電力の重役の父もフランソワーズを甘やかした。

100頁。
姉のシュザンヌは、カルフールの創業者の一人と結婚。後に離婚。

105頁。
学校は嫌いだった。話が合わないのでつまらない。年上の子たちと遊ぶ。それより読書にふける。8歳の時には父の電気自動車(テスト的に作られフランス電力の幹部社員に提供されていた)を運転していた。

107頁。
ニュース映画で、ブルドーザーで運ばれる死体を見て衝撃を受ける。

111頁。
フランスでは過去50年、「戦争」がまともに文学で取り上げられない、と著者。文学は物語を拒絶し、「言語学」に堕していると。たとえばロブグリエの『消しゴム』があるのだそうだ。

113頁。
上記のことは、ナタリー・サロートにも、サガンにも、マルグリット・デュラスにも言える。ド・ゴールが戦後最大の作家なのか。イギリス文学はそんなことはない。カズオ・イシグロの『日の名残り』を見よ。そうなのかしらん。

118頁。
シムカ・ゴルディーニで空を飛ぶ。

119頁。
アストン・マーチン・カブリオレ。1957年4月13日午後2時15分。国道488号線で事故。1.5トンの車の中に挟まれる50キロそこそこのサガン。この半年前にはポルシェ・スパイダーでジェームス・ディーンも事故を起こし死亡していた。

123頁。
過保護に育ったサガンは、治療のための薬の影響から抜け出せず、中毒になる。闘病日記『毒物』を書く。挿画はビュッフェ。

125頁。
フェラーリを買う。280キロ以上出る。

126頁。
自我を忘れるには、スピードが必要。運転していると苦しみが和らぐのだ。

141頁。
好きな時に好きなことをするのが好きなので、もちろん家庭生活には向かない。

154頁。
鬱病で入院。1961年、『素晴らしい雲』を書いた後。

155頁。
ボブ・ウエストホフと結婚。子供がほしかった。

165頁。
エヴァ・ガードナーと付き合う。

171頁。
1952年、フロランスから、フィッツジェラルドの『崩壊』をもらう。書けないということについて、書けるだけのことを書いた本。

179頁。
『消え去ったアルベルチーヌ』を読み返す。苦しみを他人と共有すると孤独から救われると感じながら。

***

夕方、図書館に行き、『現代装幀』(臼田捷治 美学出版)を借りてくる。懐かしい本の書影も載っている。


2020年7月5日日曜日

『三体 II 黒暗森林』を読み終え、『サガン 疾走する生』を読み始める

『三体 II 黒暗森林 下巻』の残り100頁を、早起きして読み終えた。

265頁。
新たな宇宙人類は、幼年期の終わりを迎えたのだ。

クラーク!

終わってみると、あっけない。黒暗森林という性悪説の宇宙観には少しうなずけないところもあるが、楽天的になれないのは現代の情勢のせいだ。ろう。そして、3巻にも期待をしたい。かと言って「『三体』ロス」には、今回はあまりならない。ある程度の結末がついたからだ。

***



引き続き『サガン 疾走する生』(マリー=ドミニク・ルリエーブル 永田千奈訳 2009年 阪急コミュニケーションズ)を読み始める。サガンの執筆の秘密を知りたい。

著者前書きによると、限られた50名ほどに話を聞き、ゆかりの地を訪ね、作品を読みこなして執筆したとある。取材の手法はオーソドックスと思う。

最初には、やはり私立アトメール校時代からの親友だったフロランス・マルローに話を聞きに行き、その後に会うべき人々を紹介してもらっている。そして学生当時、フランソワーズが読んでいたのは、スタンダール、フロベール、フォークナー、ヘミングウェイ、カミュ、フィッツジェラルド、アンドレ・マルロー( (*^^*) )、プルースト。
フロランスは、ドストエフスキーやトルストイを紹介した。絵画など広い意味の芸術も。

16頁。
フロランスによると

フランソワーズは、孤独に耐えられなかった。

23頁。
夏の静かなで気持ちがいいパリで父親と暮らしながら、執筆三昧。『悲しみよこんにちは』だ。

本が売れ、印税でジャガーを買い、運転のできないベルナール・フランクをドライブに誘い出す。

51頁。
モーリヤックは、若いが批評家賞受賞は当然、と述べた。学校で教わったとおりに文章を書いたと本人は言っているようなのだが……やはり天才!

2020年7月4日土曜日

デジタル・ケイブ7月イベント、「トークライブ『三体Ⅱ黒暗森林』刊行記念 訳者・大森望さんをお迎えして」は楽しかった!



「トークライブ『三体Ⅱ黒暗森林』刊行記念 訳者・大森望さんをお迎えして」(デジタル・ケイブ)を視聴した。福田和代さんが上手に大森望さんから興味深いお話を引き出した。

個人的には、「達磨は面壁だ」という話が面白かった。
そして、『時のきざはし 現代中華SF傑作選』や『折りたたみ北京』や『月の光 現代中国SFアンソロジー』などを読みたくなった。『三体』の前日譚、『球状閃電』という作品もまだ未訳だがあるらしい。英語版があればさがしたい。『三体』のコミック版もインターネット(テンセント)にあるらしいが、読むかどうかは私としては微妙。
『三体』の第3作の翻訳は来年でるようだ。気が早いが楽しみ。
『黒暗森林』の冒頭の蟻の出てくるシーンの意味もわかった。そして最後まで頑張って読むとごほうびがあるらしいことも知った。

最後にクラークの影響について質問したが、やはり大きな影響を与えているらしい。これにはかなり喜んだ。

***

肝心の『三体 II 黒暗森林 下巻』だが、まだ読み終えていなかった。

104頁。
「蟻」のイメージが再出。

108頁。
すべてのものにワイヤレス給電できるのが当たり前の未来世界。

115頁。
『すばらしい新世界』では、ほとんどのものの表面に、個人向けCMが表示される。

119頁。
でも、一般の飲食物は、合成品なので、美味しくない。自然食品は贅沢品。「地上」に降りないと食べられない。

127頁。
「Killer5.2」ウィルスの暴走で何度も死にかける主人公。

132頁。
木星軌道の基地では重力が6分の1なので、立っていても座っていて仕事しても疲れない。「木星」というところがクラークへのオマージュになっている。いや、小松左京か?

210頁。
『2001年宇宙の旅』を直接引用している。モノリスのことを。

このあたりから話は大変な事になってくる。着地できるのか不安。でもそのあと、さっき書いた大森望さんの話を聴いて安心した。

***

熊本など、九州では大雨の被害。心配だ。新型コロナウイルス感染者もまた増えた。

2020年7月3日金曜日

『三体 II 黒暗森林 下巻』(早川書房)はますます面白い



『三体 II 黒暗森林』(早川書房)下巻を読み進める。なるべくネタバレなしで、印象というより気づいたことを書く。

24頁。
『時計じかけのオレンジ』が引用されている。作者はビデオを観たのだろうか?それとも映画館で?

34頁。
ミルトンを引用。

69頁以降。
185年の冬眠からの覚醒が描かれる。覚醒した人の浦島太郎ぶりが描かれるが、ここはクラークの『3001年終局への旅』へのオマージュと思う。直接の証拠の文章はないがマチガイない。

75頁。
遠くからくる三体艦隊は日露戦争時のバルチック艦隊を思わせる。

87頁。
「いまはリモート会議が通例……」

だそうだ。衣服にはヴァーチャル(?)な模様をつけるのが流行りらしい。

94頁。
史強が……\(^o^)/

100頁。
Yが破壁者?Aではなかったのか?

***

40日ぶりにかかりつけの内科医院への通院。特に問題なし。

***

焼き茄子を食べる。皮付きのまま魚焼き器でよく焼き、切れ目を入れて醤油やごま油をたらして、身をすくって食べる。うまい。大きな茄子のほうが良さそうだ。

2020年7月2日木曜日

『三体 II 黒暗森林』(早川書房)は上巻を読み終え下巻へ、月並みながら風雲急



『三体 II 黒暗森林 上』(早川書房)、新宿のIデパートに買い物(新生児用のおくるみなど)のお供で行きながら、電車内でほぼ最後まで読む。帰ってきてシャワーを浴びてから、『同 下』も少しだけ読む。

***

205頁。
「ここがどこだか、ほんとに知らないんだよ。地形からして北欧のようだけど。……」「……そういうことは知らないほうがいいんです……どこだかわかったら、そのとたん、世界が小さくなってしまう……」

このあたり、美しい記述だ。でも私は下品なので、『(地球)幼年期の終(わ)り』に影響されているかも、と思ってしまう。

217頁。
「ルーブル美術館に連れていってください」

いいですね。

219頁。
「わたしが今回来たのは、あなたにハリ・セルダンになってもらうためです」

もちろん、アシモフへのオマージュ。コロナ休み中に『ファウンデーション』シリーズを読み直しておいてよかった。

232頁。
モナリザが変形し、壁も変形し、氷のように溶けていく。

ここも「美しい」。

238頁。
「非媒質型核融合エンジン」という原注。これはどの程度のホラなのか判断できない。

306頁。
「遺伝子誘導ミサイル」。これには一本参った。

313頁。
軌道エレベーター。ここもクラーク先生へのオマージュだ。『楽園の泉』を読み返さなければならない。
ついでにジュール・ヴェルヌも。

下巻。

12頁。
マイクロプロセッサ一千億のノイマン型コンピュータ。で人間の脳を直接ハードウェア・シミュレートする。(*^^*)

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東京都で107名の新規判明感染者。新宿に行ったのは軽率だったか。でも用事だけですぐ帰ってきた。帰りは急行に乗らず空いた鈍行で帰ってきたし。神奈川、千葉、埼玉でも二桁の数字。再度緊急事態制限がでるのは時間の問題。

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『三体』訳者の大森望さんのYouTube講演会があるので、その主催団体にクラウドファンディングするという形で申し込んだ。土曜日の夜だ。

2020年7月1日水曜日

『三体 II 黒暗森林 上』(早川書房)の読書順調



『三体 II 黒暗森林 上』(早川書房)を順調に読み進める。

なるべく本筋に関係ないところでなるほどと思った部分は……

105頁。

ただの書き手と、本物の作家との違い……文学が人物を描く過程には、最高の状態がある。その状態になると、作中人物は作家の思考の中で、生命を得て、作家は彼らをコントロールできなくなる。……作家は……彼らの生活の細部を覗き魔みたいに観察して記録する。それが名作になる……

114頁。

思考の肋骨からつくりだした……イブ……

156頁。

面壁者に対抗する破壁人は、ノイマン、墨子、アリストテレス、そして面壁者自身。

なかなか、「奇想天外」で楽しませていただける。

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12時からオンラインセミナーで、佐藤尚之さんが著書『ファンベース』の紹介の話をされたので視聴。コアな顧客が売上を支えるので、この人達に情緒的にアプローチせよとのこと。面白かったし、ALL REVIEWSの運営にも役立つ話だった。この本のオンライン読書会が再来週あるので、その準備にもなった。



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図書館の開館時間が20時までになったので、前の通り、買い物のついでに本を借りてきた。新規に4冊。『三体 II 黒暗森林』を読み終え次第、こちらに取り付くつもりだ。