私としては早起きして、風呂、朝食、掃除を済ませて、9時半にでかけた。行く先は駅前スーパー。トイレットペーパー購入のため。9時45分から並んで、10時開店をまち、すぐ入店して無事に1パック入手。開店5分で売り切れた。
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「論語対談」レポートを以下にまとめた。
明日、整形してnote記事にする。
「論語」をとりあげたきっかけ
鹿島:出口さんは『哲学と宗教全史』(
https://allreviews.jp/isbn/4478101876 )や、『人類5000年史』(
https://allreviews.jp/isbn/4480069917 )など「通史」にチャレンジされている。日本では珍しい。私はフランスの通史を訳した。出口さんに書評していただいた。(『フランス史』(講談社)
https://allreviews.jp/review/3256 )
私は少し前に澁澤榮一の伝記を書いた。(
https://allreviews.jp/review/3104 )その時、澁澤榮一自身が書いた論語の注釈本も読んだ。(筆者注 『論語講義』でしょうか。)
渋沢がいかに論語を読んだか。それをいかに事業展開に生かしたか。それを話す前に…論語をとりあげたきっかけを述べてみる…
例えばバルザックの理解には当時の社会や歴史の研究が必要だ。歴史家があつかっていないところ、たとえばサン・シモン主義(20年代後半から30年代にはやった。)が重要。ユゴーの『レ・ミゼラブル』もそうだし、バルザックもそうだ。ナポレオン三世の第二帝政もそうだ。(出口さんは大きくうなずいている。)サン・シモン主義はモノ・ヒト・アイディアの3つが循環して利益を生み出すとする。フランス人はメンタリティに平等が入っているので、競争を嫌う。ロシアもそうだ。アングロサクソンは競争一本槍。当時、澁澤栄一は欧州に行きサン・シモン主義を取り入れたかもしれない。しかしそれだけでなく、一方で論語のエートス(倫理観)も取り入れた。この二つで出来たのが澁澤榮一の日本的資本主義である。
ふたつめのきっかけ、最近凝っている、「家族人類学」のキーポイントは直系(父―子―孫三世代が同居する)家族類型だ。エマニュエル・トッドによると発達の一定時期に成立する。論語も直系家族を基にしている。そもそも中国は共同体社会で思想は平等である。ここから共産主義が生まれる、強い独裁者がいて下が平等でないと成立しない。ここがトッド理論のサワリ。その中で、直系家族の哲学である論語の時代はBC500年、ユダヤ民族を除けば非常に古い。この事を世界史の文脈で考えてみたい。
出口:私は「保険屋」なので素人の観点で申し上げたい。
ナポレオン三世はたしかに面白い。『世界史の10人』(
https://allreviews.jp/isbn/4167911469 )で取り上げた。第二帝政では社会主義であり労働者階級を大事にするというサン・シモン主義と皇帝制とが共存していた。フランスの為政者には珍しく、英国と仲が良かった。第二帝政は王制とも共和制とも言えない。私はパリが好きだが、「今の良きパリ」はほとんど第二帝政でできた。トッドも好きだ。彼によると日本は男女差別による少子化をなんとかしないといけない。差別の原因の一つは長子単独相続制。職業も固定化し、社会の流動性はない。これは一般にはヨーロッパの特徴でもある。
これに対しては中国は不思議に社会流動性が高い。相続が均等に分かれていく。財産が細切れになるので、流動性が高くなる。中国を考える上で大切なものは、漢字と紙と始皇帝という天才。中国の特性は封建制がなかったこと。始皇帝の統一によって一君万民の中央集権社会ができた。官僚が紙に書かれた文字で広い中国社会を統治している。文書行政の「一君万民」の社会であり、中間に「やさしい殿様」はいなかった。中国では上に政策があり下には対策がある。市民は互いの人間関係を使って自分で自分の身を守る。わかりやすいのは「秘密結社」。
そのような社会で諸子百家、ここでは孔子のような人がどうして現れたのか。孔子の時代(知の爆発の時代)にはプラトンもアリストテレスもブッダも現れた。天才の現れる時期だった。なぜか。地球温暖化と鉄器の普及で農業がうまく行きだした。余剰生産物を使って威信財交易もはじまった。社会の余裕のおかげで勉強する人が現れた。威信を表すものは例えば周では玉器や青銅器だった。後に周が滅びてそれら青銅器の文字を読み書きできるようなインテリ職人が他の地方に分散した。こうして中華思想の走りをインテリが地方に伝える、漢字の魔力である。インテリは各国で宮仕えするが、宮仕えが嫌な人は浪人する。それが諸子百家となる。
「論語」のおもしろさ
鹿島:私なりに易しく言ってみる。論語には「礼」という言葉が頻繁に出てくる。「礼」とは宮廷の儀礼と考えて良い。すると孔子は礼儀作法の指導者だった。今で言うとブライダル・マナーやセレモニー・マナーそして宮廷マナーの塾長だった。母親はシャーマンだが、その母方の祖父にいろいろ学んだのだろう。賢い孔子の学び方はブッキシュだった。「詩」(詩経)と「易」(易経)をオタッキーに勉強した。ただし「論語」ではシャーマニズムを嫌っており、その要素の部分は哲学的に変えて理論武装している。
したがって勉強好きだった孔子は弟子にも「考えろ」、勉強しろと教えている。つまり知識を覚えるだけでは駄目と。そして孔子は勉強し考えることが本当に好きでそうしていると幸せを感じていたらしい。
いろいろな弟子がいた。なかでも顔淵は勉強好きだったので非常に可愛がっていてその死の時のなげきは激しい。
別の弟子、子路は駄目生徒だった。何回教えても身につかない。でも孔子は目をかけた。
いろいろな弟子によりかかれた論語なので、なかで孔子のことばの受け取りかたがちがう。そこが論語の面白さでもある。
勉強好きの人が現れるのは直系家族の特徴だ。直系なので祖父母の教育力が大きい、したがって勉強好きの子供が成長する。
出口:年寄りを手厚く扱って老年まで養う。おばあさん仮説が有名だが、群れ社会全体での生存率が高くなる。これは差別化戦略だ。差別化された群れの秩序を守るのは血統と礼儀。王権や君主権を安定させる。
平清盛と頼朝は福原と鎌倉に引っ込んで、(儀式まみれのうるさい旧権力から離れて)政治を行った。
孔子は「礼」のかなりの部分を自分でも創った。周の大物の夢を見たとして「礼」を記述。こうして作り上げた体系を諸侯に売りに行こうとした。
鹿島:土地私有制のもとに代々続く直系家族が成り立つ。祖先崇拝が出てくる。相続だけでなく、他のことで孔子はフィロソフィー(一般原理)に従った。
出口:戦国の七雄などがあり、中国は欧州より広大なので、一般化した原理でないと諸国に通用しない。中華という国が昔あって、そこに伝説の人がいたと仮定して理論武装した。ともかく孔子は勉強が好きだった。
鹿島:孔子が好きな勉強のために引用した文献は今では分からないものが多い。今の文献学でやってもわからない。論語は詩とか易とか古いものと新しいものを見分ける文献学にもなっている。ニーチェの『道徳の系譜』に通ずる。(聖書には新旧の話が含まれており、それを見分ける。)
文献学は見分けのルールを体系化する。なぜ「古い方」がいいのかなど。これはフィロソフィー(哲学)すなわち「考える」ルールである。孔子は文献学好きであり哲学好きである。
出口:孔子はそのルールを知っていた。昔の文章を集めて整理する。他国に通用するものができた。(でも)総理大臣にはなれなかった。仕方ないのでルールを体系化して弟子に教えた。プラトンにも似ている。プラトンも政治家をあきらめてアカデメイアという学校を作った。
鹿島:確かに孔子とプラトンは似ていますね。ギリシャが急に勃興したのは都市国家ではあったが、直系家族的なところがあって、知識の受け渡しが出来たからと言われている。
「論語」と中国、「論語」と日本
鹿島:中国史をやってみると孔子の論語は中国と全然関係ないではないか、真逆ではないのかという気になる。
出口:孔子の言っていることは立派。立派すぎて毎日言われると嫌になる。中国の面白いところは諸子百家という豊富なヴァリエーションがあること。マジメな儒家よりも、皮肉で自由な老荘思想のほうがインテリには好かれる。
流動化する庶民の世界は互いに助け合う、任侠団体の助けなどで、実利的に生きる。
役人はクールに法家思想でいく。一方、人民は助け合いで対抗する。このようにいろいろな選択肢があることで、中国社会は安定して存続してきた。永久平和の世界連邦はいまやディストピアと思われている。諸子百家はその逆を行ったものだった。いろいろな人がいることが中国社会の強みだった。
鹿島:そうですね、1対1では中国人は日本人に勝つ。10対10なら日本人が強い。なぜなら中国人は「諸子百家」だから。リレーのような団体競技なら日本人が強い。
共立で30年、明治で12年教師をやったが、共立は直系家族大学で、ルールがあまりなく運営がファジー。たとえば教授と事務の間に副手がいてうまく問題を調整する。明治は巨大で、副手はいない。教師と事務は直接交渉する。法家思想で統治される。なんでもルール化され文書化してある。始皇帝の中央集権制に似ている。
日本で直系家族が生き残ったのは、規模が小さかったから。中国は中央集権で、共同体家族だった。族長のもとでは多数の核家族があって、それらは平等だった。平等ということは財産平等で、遺産は全部平等に分ける。農地でなく羊や牛馬は分けやすい。
フランスでは数え方は60進法。これは遊牧民の数え方で、この数え方なら財産も分割しやすい。遊牧民は平等であり、牛や羊は分割して相続しやすい。英国も似たような12進法。直系家族と共同体家族の接点がどこかにあった。始皇帝は遊牧民だのなかに直系家族の父親が入り込んで生まれたかもしれない。
出口:四大文明は独自に発生したのでなく、メソポタミア文明が徐々にエジプトやインダスや中国文明に伝播した。たとえば、商や周の戦争では戦車(チャリオット)が使われた。宦官制度も。岩波の『シリーズ中国史』で読める。今5分冊のうち2冊めまで出ている。中国は草原文化と海域文化の出会いで生まれた。
鹿島:最初の話題で、いま、女性進出が日本では遅れているが、一旦始まると早くなる。なぜなら、日本は世界では最も辺境。辺境の社会は男女平等。卑弥呼のいた日本は実は双系制家族で、少し女性に傾いていた。それが基底にあるので。
出口:明治期に国民国家をつくろうとした。天皇制をそのツールとしようとした。その儀式のロジックに家父長制を基本としている朱子学を使った。そして、戦後の製造業の工場で男性の長時間労働を推進するために男尊女卑の社会が作られた。その結果少子化現象が起きている。
鹿島:男性社会で子供など生みたくないという女性の拒否反応が起きている。ただし、辺境社会なので、変わるとすると早いだろう。
司会:そろそろ時間です。
質問:澁澤栄一の論語解釈の分析をお願いします。
回答:鹿島:暴利を貪らない金儲けは正しい。二松学舎の三島中州について、論語を読み直し、ギブとテークの釣り合いをとれば良いと考えた。サン・シモンの社会民主主義に通じる。英米型の暴利を貪ってもいい資本主義とはちがう。
出口:ルターが聖書に立ち戻ったように、澁澤栄一は朱子学ではなく原点である論語の理想そのものに立ち戻った。(ここまで)
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昨日の「レ・ミゼラブル対談」も記事にしてみたいが、別の原稿も書きたいので、タイムリーには出来ないだろう。
https://www9.nhk.or.jp/kaigai/les-miserables/column/column_1.html