2017年8月31日木曜日

お墓参りにいってきましたの巻

 毎年、暑さがすぎた頃、茨城に墓参りに行く。今日は暑いどころか肌寒い天候。途中の高速道路で相当雨に打たれたが、お寺で卒塔婆をうけとり、お墓に着いた頃はほとんど上がっていて助かった。

 いつも行くうどん屋さんでランチの後、透析を受けているという従兄弟を訪ねる。おもったより元気で、すこし安心。

 帰りは、常磐道のつくばJCTから圏央道とやらに乗り、海老名まで走って東名上りに乗り換えるルートをこころみた。途中暗くなって往生したが、まったく渋滞なしなので走りやすい。距離はあるが、首都高を通らないので料金は少し割安。割引があったようだ。詳細不明。



狭山PA、駐車場工事中。

 なお、愛車の10年以上前のDVDカーナビでは、常磐道から東北道間の圏央道に対応できていない。iPhoneのMAPアプリを使ってみたら、なかなか具合が良かった。クラウドの良さですね。

 久しぶりに、一日で400キロ位走って疲れたのでもう寝ます。おやすみなさい。

 お寺さんの庭に咲いていたこの花の名前を調べないと。


2017年8月30日水曜日

脳の話題は非常に興味深い、そして今の状況が見えてきた

 自分用教科書としている「記憶のメカニズム」の復習が終わったので、ここ数日主にYouTubeで新しい話を仕入れることにしている。

 今日はこの方の話を視聴、吉田雄紀さん。全脳アーキテクチャ若手の会 第16回勉強会の【神経科学をカジュアルにトーク】というセッション。

 もちろんお話も興味深いが、最後もスライドで紹介いただいた文献類が参考になりそうだ。失礼して画面の写真を貼らせていただく。次の読書検討用のメモ。



 このうちの「人工知能 Advent Calendar」というサイトを見始めたが、よく出来たサイトで、この分野の教科書になりそうだ。説明がおもしろく、図が綺麗だ。三分の一ぐらいまで読んだ。

 そしてここから紹介された「Bluebrain」というサイトも凄い。「The goal of the Blue Brain Project is to build biologically detailed digital reconstructions and simulations of the rodent, and ultimately the human brain.」だそうです。

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 他の時間は昨日、飲み会のついでに青葉台のBook1stで仕入れた「闘う文豪とナチス・ドイツ」を読む。もちろん、文豪とはトーマス・マンのこと。しかも「トーマス・マン日記」の解説をしている。

 「トーマス・マン日記」はまだ半分しか読んでいない。3,4年かかっている。全部を生きているうちに読み終えたいものだ。


2017年8月29日火曜日

「記憶のメカニズム」読み終わった、次の段階へ進もう

 「記憶のメカニズム」(高木貞敬)を今朝までに読了。再読だが、この基礎的な本は役に立つ。たとえば以下の通り。

 196ページ〜197ページに、ヒデーンのRNA説が紹介されている。
(1)記憶されるべき情報のインパルスがあるパターンでニューロンに発生しRNAが作られる
(2)RNAが特異なアミノ酸を発生させる
(3)このタンパク質が分解し休止中の伝達物質を活性化シナプスを活動させる

 あるパターンのインパルスがシナプスを超えて次の神経細胞を興奮させる。これが記憶の痕跡となる。

 昨日も見たとおり、この「教科書」は、概観レベルをひろく浅く述べている。

 そこで、最近のネタをまたYouTubeで得る。若い方たちの狭いがホットな話が聞ける。たとえば、
 見学美根子さん。(神経細胞は実は多種多様な形をしている(写真は画面キャプチュアです。ご容赦)。そして脳内のニューロンの数は860億個だと。)



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 昨日、はしゃぎすぎたので、今日は休養。映画「秘密の花園」を観た。人間を活性化する良い実(?)例だ。面白い。

2017年8月28日月曜日

いままでの教科書「記憶のメカニズム」(高木貞敬)を超越したい



13ページ。
 「記憶のメカニズムは複雑なので、研究者はまず動物の行動に注目」したとある。つまりアルジャーノンが登場したのはこのせいだ。

 26ページ。
 「(筋肉のような)組織のレベルの記憶」があるとおっしゃる。ニューロンだけじゃない。

 31ページ。
 「(ニューロンの数は)百億個以上」。あとで述べる林(高木)朗子さんは850億個という数字を出しているが、これもニューロンの数のことか?よく比較される銀河系の星の数との対比はどうなるのか。

 こういったコトたちは、以前読んだおかげで、身に染み付いたような感覚(幻覚?)がある。するともっと勉強がしたくなるものだ。

 高木さんご本人はこの基礎的な本のあとがきでいくつか、他の本を紹介している。これらを読みなさいと。

「脳の話」、「人間であること」 (時実利彦)
「ニューロンの生理学」(伊藤正男)
「脳の機能と物質」(黒川正則)
「神経系の発生・分化と可塑性」、「高次脳機能と中枢プログラミング」

なにしろ1976年の岩波新書なので、最近の話題も知りたい。というか、もっとわかったことがあるのではないか。

 まずYouTubeで「記憶」というキーワードで検索。
 樹木希林さんが脳の中を養老先生とさまようNHKの番組ビデオがまずでた。そのあとここ2-3年間の一般向け講演会のビデオを観た。
出演している方は
 林(高木)朗子さん (面白い。)
 池谷裕二さん (いつも通り(^^)。彼の本は何冊か読んだ。)
 北村貴司さん (この話を理解するには掲題の本は役立った。)
など。
 これらの方々の著作や論文を調べようと思う。

 あと、例によって松岡正剛先生のサイトを調べたら、良いページを発見。ここも精査してみたい。

 ところで、まだ掲題の本の再読は半分までしか進んでいないが、内容は逐一覚えてはいないが、読んだときの理解は前より速い。これも記憶の特性なのだろう。

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 昨夜英国グラスゴーでのバドミントン世界選手権で、奥原希望さん(日本ユニシス)がシングルスで優勝。めでたい!

以下はTV画面を写しちゃいました。ごめんなさい。


 この数分前まで、文字通りの死闘を戦い抜いたとは思えない、笑顔。

2017年8月27日日曜日

今回もアルジャーノンに花束を供えました

 「記憶」に関する作品中の白眉、「アルジャーノンに花束を」を、読み返すことにした。何回目かは「忘れた」(^^)

 昼から出かけることになっていたので、長編ではなく中編のほうにした。2時間ほどで読めた。「心の鏡」(1999年 早川書房)に収められている。

 ネタバレですが、ダニエル・キースは主人公の手記の形をとっており、知能が発達する前と衰えてからの文章がすごい。翻訳の文章にも工夫が凝らされておりスバラシイ。長編の方もさわりは読んでみよう。最初と最後(友だちの鼠の墓に花束をあげてくれと主人公が頼む所。)

 記憶をはじめとする知能が衰えることに、怖さを感じる。老いることに通じるからだ。これは程度の差こそあれ、すべての人が避けられない。怖さの克服には修行が必要だ。

 #最近「記憶」に関する読書をしたがる原因はここにある。修行とは程遠く、乱読に近い。

 この作品は中編がヒューゴー賞、長編がネビュラ賞を貰っている。映画化もされた。「まごころを君に」(学生時代に映画をみてびっくりし、後に気づいて原作を読んだ。クリフ・ロバートソンはアカデミー主演男優賞、音楽ラビ・シャンカール)



 つぎは「記憶のメカニズム」に決めた。これも再読。名著だと思っている。

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 東日本橋の家具卸店にいき、食堂椅子を三脚注文してきた。電車の中で「記憶のメカニズム」を大分読む。

2017年8月26日土曜日

「フランドルの冬」へ「心の旅」を

 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を本棚から取り出したら、偶然に「フランドルの冬」(加賀乙彦 1967年 筑摩書房)が出てきた。こういう偶然には「あたり」が多い。



 46年ぶりに読んでみた。出版は1967年だが、買って読んだのは1971年と本にメモしてあった。ほこりと黴でページが少しざらざらしている。

 主人公の精神科医師は加賀乙彦の分身。留学に向かうとき「カンボージュ号」で欧州へ向かう。加賀乙彦は辻邦生と違い、公式な留学生だ。

 当時の鬱屈した状況が小説世界にも反映しているようだ。このあとの五月革命を、加賀乙彦は経験しなかったのか。辻邦生のように経験したほうが、文学的には良かったのかもしれない。

 本のメモには読了日が1971年7月15日と書いてある。この本を再発見したとき、冬の夜汽車で吹雪の光景を窓から見ながら読んでいた記憶があるのだが?

 記憶はあてにならない。

 午後は、記憶つながりで発見した映画「心の旅」(Regarding Henry 1971年 米国 マイク・ニコルズ監督)を観る。

 なかなかの佳品。敏腕弁護士(ハリソン・フォード)が、拳銃で撃たれ記憶を失う。リハビリをして徐々に良くなるが、「敏腕弁護士」ではなく、良い人になっていく。家族の絆も取り戻すのでなく、新しく作り直す。

 記憶はなくなったほうが良いことも有る。しかし世間の記憶は簡単にはそれを許さない。

 記憶の社会的側面をうまく描写した映画だ。さすがはマイク・ニコルズ。

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 記憶つながりで、アイリッシュの「黒いカーテン」を畏友に紹介された。それをAmazonで検索していたら、誰かの書評に…
   『宇宙気流』アシモフ、
   『非Aの世界』ヴァン・ヴォークト、
   『流れよわが涙、と警官は言った』フィリップ・K・ディック
が紹介されていた。

 SNSで少し情報を流すと、それに応じて多くの情報が集まる。

 これも社会的記憶?

2017年8月25日金曜日

おぼつかない記憶をたどり、ひぐらし読書を続ける

 朝早く目覚め、記憶について考えた。朝ドラ「ひよっこ」で記憶が飛んだ父親が出てきたが、昔見た映画でも記憶をなくし、取り戻す話が出てきた。題名を思い出せない。

 しかし「記憶喪失 英国 映画」で検索した、「心の旅路(Randοm Harvest)」を提示する検索エンジンは凄いと思う。断片は自分も思い出してた。「コールマンひげ、ガースン、川のそばの家、白黒映画での花」。
 検索のやりかたは頭脳の記憶と同じメカニズムか?

 原作の「Random Harvest」(ジェームス・ヒルトン)を少し読むことにした。英語は読みやすい。

 Kindleでは100円かかるのでやめて豪州グーテンベルクにてテキスト入手。iPadのSafariからiBooksヘPDFで転送できた。Kindleへの転送もできるが少し遅い。結局はSafariのリーダー表示で良いことに気づく。

 このときKindleの自分の「ライブラリ」でみつけたSimon Newcomさんの天文学関係らしい大部の書物は何だろう。忘れているけれど、あとで読んで見る。その下にクラークの「第三惑星」のサンプルがあった。

 忘れていたものを発掘できたが、これもIT化されているが記憶想起の一種。(^^)

 起きて、記憶がテーマの自分の蔵書は何が有るか考えた。

 記憶に関する「参考書」。すごすぎて参考にならないかもしれないが。

(1)「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」←その二重世界をつなぐのが記憶
(2)「幼年期の終わり」←未来記憶(悪魔の姿)と集団意識に埋没する記憶

 これらも取り出して斜め読み。面白い。



 (1)の本の隣に「フランドルの冬」(加賀乙彦)が見つかった。1971年に呼んだ旨のメモが裏表紙に書いてあった。46年前の冬に吹雪の中を帰郷する夜汽車で感激してよんだが、どこに感激したかさっぱり覚えていないので、読み直すことにした。

 どこに感激したかは明日書きます(^^)

 夕食の買い物帰り。暑いが秋を予感させる夕焼け。


2017年8月24日木曜日

アヴィニョンの記憶からファーブルの机が浮かび出る

 蝶の幼虫の記憶は、蛹から成虫へと変態する時、継続するのか?するのだという研究があるらしい。神経系も作り直されるのに記憶が残るとは不思議なのだが…という。でも幼虫を見ていると成虫の特長(色や形)が垣間見えるので、私は記憶が残っても不思議はないと思う。乱暴な意見だ。

 「記憶」はいわゆる還元主義では説明しきれないところがあると思う。

 昨日読んだ「風車小屋だより」(ドーデ)だが、小学生の時によんだ記憶がある。今回、別の本で再読してドーデが描いたイメージが損なわれたかというとそうではない。アヴィニョン郊外の風車小屋とその周辺の情景は実際の経験のように脳裏に浮かぶ。この情景は人間の頭の中だけで記憶されているのではないのではないか。時空超越記憶?

 人間には連想能力がある。(生物にもあるだろうが。)「風車小屋だより」を読んで、ミレイユ・マチユーの「Quand on revient 」を思い出した。故郷アヴィニョンへ凱旋帰郷する人の姿が、貧しかったミレイユの心情と合わせて、みごとに唄われる。

 歌詞の最後にはアヴィニョン橋が登場。

 するとアヴィニョン橋の上で踊る人々の姿とそれを描いた童謡も思い出される。

 いくつかのアヴィニョンのイメージを抱いて、八年前定年後の旅行でアヴィニョンに行った。観光地化された街だが、二晩泊まると街の香りが体に染み付いたような気になる。

 旅行ではすっかり忘れていたが、「昆虫記」のファーブルにとって、アヴィニョンは特別な街であった。多くの年月をここで過ごしたはずだ。あのアヴィニョンの街角をファーブルも歩いていたとなると、ファーブル自身の記憶もこちらに乗り移っているかもしれない。(ここ半分以上妄想。)



 「昆虫記」10巻と奥本さんのファーブル本をぱらぱら読みながら、昼寝した。海野さんの撮影されたファーブルの机が夢に出てきた。

 記憶はどのように保存されるか…わからないが追求してみるのも面白そうだ。

***

 朝日新聞社に保存していた私の記憶のなかから、次の2冊が発掘され、今朝の広告として蘇った\(^o^)/




2017年8月23日水曜日

「風車小屋だより」(ドーデ)を読んだら、懐かしくて涙が出たぞ、そしてミレイユ頑張れ!

 創元社の世界少年少女文学全集(1950年台の出版)が何冊か、子供の頃本棚にあったのを思い出すことが有る。そのなかに「フランス編3」というのがあり、よく読んだ。

創元社のHPには内容が紹介されている。創元社エライ。

***
『世界少年少女文学全集13 -フランス編3』
translator:杉捷夫/他 Publisher:創元社(SogenSha)
1953
「ものを言うかしの木」 ジョルジュ・サンド(George Sand)
「マテオ・ファルコーネ」 プロスペル・メリメ(Prosper Mérimée)
「月曜物語」 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet)
「風車小屋だより」 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet)
「めぐりあい」 ギイ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant)
「小犬のピエロ」 ギイ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant)
「ライオンのめがね」 シャルル・ヴィルドラック(Charles Vildrac)
「にんじん」 Poil de Carotte ジュール・ルナール(Jules Renard)

***
 今日は「風車小屋だより」を捜した。国会図書館のデジタルコレクションに戦前の訳(櫻井氏)の岩波書店版があった。130ページ位なので、PCで読んでしまった。面白かった。



 前に読んだのは小学生のときだったし、多分訳文も子供向けだったろうが、寸分変わらぬイメージが頭に浮かんできた。ドーデの力量だろう。

 冒頭、著者がはじめてアヴィニョン郊外の古ぼけた風車小屋に足を踏み入れ、野うさぎたちは逃げ出し、二階の梟に白い目で見られるところが、一番好きだった。

 「月曜物語」もよんでみようかしら。

 朝、Twitterを覗いたら、Mirelle Mathieuがロシア公演に行ったという記事を見つけた。彼女もアヴィニョン生まれ。年に負けず元気で頑張って欲しい。彼女の唄声で、私の学生時代が破綻を免れたと思う。恩人。





2017年8月22日火曜日

LPのリストを作りながら、「犬婿入り」(多和田葉子)を読みましたという日記

 歯医者に行く前にメールをチェックしていたら、むかし勤めていた会社の先輩から電話があり、9月に懇親会をやるとのこと。了解。

 歯医者の今回の治療が終了したが、領収書をもらい忘れて帰宅。また行かなきゃ(^^)

 細切れ時間を利用して、LPレコードのコレクションリストを作り続ける。クラシックのLPではじめて買った1960年頃の日本版でデータベースにないものがいくつか有る。マスターが判明すれば別リリースとして自分で登録すればいいのだが、マスターを判別するのが難しい。慣れればできるようになるのだろう。JazzのLPはほとんどデータベースにあるが、デイブ・ブルーベックのベスト盤(日本での企画モノ)で、出所不明なのが有る。これは曲名や録音日時やパーソネルを調べて、データを定めないといけない。

 マジメにやろうとするとリンボウ先生の書誌学とおなじような地道な作業が必要だ。一端データを登録したら、世界の人が(大袈裟)それを使うのでいい加減な事はできない。

 「犬婿入り」(多和田葉子 1993年 講談社)が届いていたのを思い出して、読んだ。内容はよく解らない、あるいはピンと来ないけれど、文章は凄い。読ませる。



 Macbookが音を立てたのでびっくりしたが、iPhoneの着信を知らせてきた。ためしにボタンをクリックしたら、なんと通話が出来た。いつの間にかiphoneの設定が変わっていたようだ。便利なような煩わしいような複雑な気持ち。

 電話の内容は、今朝の先輩からの懇親会の日程変更だった。

2017年8月21日月曜日

レッド・ガーランドとウイントン・ケリーのどちらが?

 どちらが上手いのかというとわからない。奏法が違うのだという。コード主体からメロディー主体へと移ったマイルスのコンボにいたレッドがウィントン・ケリーに変わった。

 ウィントン・ケリーの方が玄人受けするらしいが、手持ちの乏しいLPを聴き比べると、私にはレッドが好ましい。どうせ素人ですから、テクニックよりも聴いて気持ちがいいかどうかだ。

 レッド・ガーランドには、大御所ビル・エバンスに通じるところがあると思う。ま、もう少し聴き比べてみよう。

 てなことを考えながら、LPを聴き、聴いたLPをDiscogsに登録していく。10枚近くになった。



 このあと思いついて「真夏の夜のジャズ」をYoutubeで観た。子供のとき(1960年)に観て以来だ。数十年ぶりに観ると皆若い。子供時代には凄いおじさんおばさんが出演しているなと思ったが、今見ると皆若々しい。そんなものだ。

 ついでにYoutubeでビル・エバンスのLPを聴く。最近アップされたものは音質がいい。「りんご音楽」やめたけれど、これなら大丈夫ですね。

 こうしていると読書が進まない。でも好きなことをやっているのが一番だ。

2017年8月20日日曜日

今日もLPレコードを聴いたり、Discogsでリストを作ったりして楽しく遊びました

 昨夜の大雨に引き続き、スカッとしない天候。

 JazzのLPレコードを聴き、ライナーノーツを斜め読みしたりして過ごす。

 やはり記憶力を補うためリストを作ろうと、ソフトを捜した。なかなか見つからない。なければ自分でDBソフトで作ろうかとも思ったが、面倒くさそうなのでやめる。

 いろいろ捜して、DiscogsというWebサイトにたどり着いた。

 LP(CDも含んでいるかも)のデータを所有者が蓄積してくれている。こちらとしては、登録したいLPをたとえばレコード番号で検索し、見つかったら自分のコレクション(レコード棚)に登録しておける。細かいデータを自分で登録する必要は殆どなさそうだ。蓄積されているデータの量が膨大だ。米国のも英国のも日本のも、データはある。項目名などの日本語化もされている。

 実は、似たようなサイトは日本にもあり、サインインもしてみたが、データ量が少なく、応答が素晴らしく遅いので、使用を諦めたばかりだ。Discogは速いし、UIも洗練度は足りないがまずまずだ。これから使いながら注文を出す、というか使い方の質問をメールで出しながら使用してみたい。LP関連の英語の勉強にもなりそうだ。

 iPhone用のアプリも有る。まあまあ使いやすい。

 昨日と今日聴いたLPをコレクションに登録してみた。


 この作業をすると、ディスコグラフィの勉強にもなる。このLPはUK版だったのか…などといった気づきが有る。趣味として悪くない\(^o^)/

 なお、登録したデータはCSV形式でダウンロードもできる。これも役に立ちそうだ。レコードの現在価格もでてくるのはご愛嬌。

2017年8月19日土曜日

RED GARLANDのLPレコードを2枚引っ張り出して聴いたぜ

 部屋の片付けをした。読書はお休みして、LPレコードを久しぶりに持ち出して聴いてみた。
 
 「The P.C. Blues」(1972年 PR 7752)、「When There Are Grey Skies」(1972年 PR 7258)。




 どちらも学生時代か就職直後に買ったものだろう。いい買い物だったと思う。なぜなら…

 ひさしぶりにLPレコードで聴いてみて、奏者の息遣いまで知れるのに驚く。そしてRED GARLANDのリリシズムにも感心する。

 ところで、「The P.C. Blues」はライナーノーツの曲の順序とプレスされたレコード上の曲の順序が入れ替わっているのに気づき戸惑った。米国の製品だけれど、かなりこのへんはいい加減(^_-)






 ジャズのLPレコードはまだもう少し有るので、部屋の片付けついでに発掘しここしばらくは聴いてみよう。

 所蔵レコードの管理ソフトウェア(本で言うブクログみたいな)がないかどうか調べてみよう。音楽ストリーミングサービスで聴くより、モノとしてのLPを手にしライナーノーツを読むほうが音楽を楽しめる、ような気がする。

2017年8月18日金曜日

「天書 『文字渦』9」を読むには王羲之を知らないと

 いけないだろうと思い、王羲之を調べ(遊びながらですが)始めた。YouTubeで某国公共放送の30分ものビデオを観る。偉い人だったらしい。某国皇帝は彼の真筆と言われているものを珍重するあまり、墓の中まで持っていった。けしからん。

 王羲之はとにかく字を書くことが好きで、常に膝の上で指で字を書く訓練をしていたので、膝の上の衣服が擦り切れていたという。これは真似しないといけない。そういえば高校の書道の浪岡先生もそうしろとおっしゃっていた。天然パーマの浪岡先生。

 ともかく4世紀頃のひとなので、真筆は少ないというより殆ど無い。模写したり(模写とは言わないのかな?臨書?)石碑に彫らせたりしたが、意外なのは石碑は拓本を皆がとるのですぐ碑面が傷んでしまう、風化もするし、石碑が長持ちするとはいえない、ということだ。

 デジタル画像のほうが長持ちしそうだ。1000年以上経ってみないとわからないけれど。



 「書道全集4 中国4 東晉」を出してみる。ほとんど王羲之の書ばかり。臨書しないことには話にならないが、「蘭亭序」は長いので、「快雪時晴帖」(吹雪の後スカッと晴れたときに友人に出した手紙)にしようか?でも書道全集の写真が不鮮明。やはり皆手軽なので拓本とりまくったのだろう。ググると画像はたくさん出てきた。

 松岡先生に訊いたら、教えてくれた。王羲之は心底をなかなか見せない人だと。私としては少し困った。自分で理解しないと。でも書と字で理解するのも面白そうだ。

 そもそも「天書」の寓意を知りたいのだが、修行をつまないとわからないようだ。まいった(^^)

 いろいろ捜していたら、また森鴎外の隷書に出会う。これも臨書してみたくなった。とにかく字が上手いなあ。

2017年8月17日木曜日

日記や旅行記そしてブログの文章は生き物だ

 超ロングセラー「理科系の作文技術」には『まとまった文章を書き始める前に目標規定文を書きなさい』という教えがあった。目標規定文は、その後に長く続く文章の設計や記述や推敲の道標となる。

 目標規定文は、どうしても必要なら書き直しても良い。文章を書いているうちに新たな知見が生まれることが有るからだ。

 ブログを書く場合、たいていはブログの題名を決めてから書く。そうしないと議論が発散してしまうことがあり、いわゆるとっちらかった記事になってしまう。この面ではブログの題名は「目標規定文」ににているけれど、毎日ブログを書いていると、題名とは関係ない方面に話題が進んでしまうことが有る。横道にそれる、枝葉末節に入り込んでしまう、など。

 かなり以前から、日記や旅行記を読むのが好きだった。日記で私の狭い読書範囲内で最も浩瀚なものは、「トーマス・マン日記」である。ドイツ語は不得手なので、邦訳を読んでいるけれど、断続的では有るが10年以上読み続けてもまだ終わらない。やっと第二次大戦が終わった所まで来た(読み進んだ)。邦訳本が高価なので、新本ではとても買えない。最初の数巻は出版してからだいぶ経っていたので、それぞれ数千円で買えた。これから読みたい部分は新本と古本ともに高価。数年様子を見ようと思っている。その間ヒマなので安い独語版を読もうとドイツ語を習いはじめた。ものになるには2年ぐらいかかりそうだ。時間がかかるほど都合がいい。



 枝葉末節にいってしまった。話を元に戻す。
 
 日記が何故好きか。それは筆者の考えがどんどん変わっていくのを見届ける楽しみである。ある経験をした筆者は、もともと持っていた思想をガラリと変えることがある。好意的に言えば成長だし、悪意を持ってみれば変節。私は人がいいので、全てを成長と見る、あ、少なくとも変移以上のものとみなす。

 旅行記は、日記のこの性質をもっと劇的に短時間で見せてくれる。旅先のハプニングは本人にとっては大変だが、それを観ているものにとっては筆者本人の反応が面白い。たとえば、辻邦生さんの仏国への旅行記では、旅行中に運転していた車が故障したり、車上荒らしに遭う。そこで彼が落ち込む様と奥様がなぐさめる様子が興味深い。

 面白いだけでなく、出来事と筆者の遭遇による変貌は、積極的な意味がある。文学的にも論理的にも筆者の考えが他の人の考えや事物の影響により、発展したり変化したりする。通常は、考えが蛸壺から出て、良い方向に進む様子が、日記や旅行記に見て取れる。

 可愛い子には旅をさせるべきだ。自分の可愛い思想を世間の荒波に晒してより洗練されたモノに変化させるべきなのである。

 昨日まで読んだ多和田葉子さんの「言葉と歩く日記」(日記と有るが旅行記でも有る)はこのような次第で本当に楽しく読んだ。通奏低音のような主題が「言葉」なのでより興味深く読めた。芭蕉の旅行記たちとも通じる面白さ。

 ブログは日記や旅行記の一ジャンルと言えるだろう。ブログを書き、題名と文章の齟齬になやみ、書き直す。翌日の自分も含めた読者の目に晒すことにより、ブログ記事は発展の糧を得る。

 ときどき、ブログ自体が意思を持っていて、自分はそれに使役されているのではないかとも妄想する。古代エジプトの書記の生活をも連想する。円城塔さんの作品も。

2017年8月16日水曜日

「言葉と歩く日記」(多和田葉子)は、最近一番の「掘り出し本」

 実はあまり期待しないで買ったのですが(しかも中古で)、これは面白い本でした。

 小説の場合よく、読み終わるのが惜しいので少しづつ読みたいがつい読みふけってしまい、結局すぐ読み終わるということが有る。この本も、言葉をテーマに、日記風に書いたエッセイだが、そんな本にしては珍しく約一日で読み終わった。たくさん赤えんぴつで印をつけた。



 日本語と外国語についてもまた勉強したくなった。参考になりそうな本も紹介されている。「日本語に主語はいらない」、「英語にも主語はなかった」など。英独仏などの言語圏で発展した文法は、世界ではあまり通用しないのだそうだ。

 「言葉と歩く日記」のいいところは、巻末に「この本で紹介された本」として100冊位の本が紹介されていること。そのうち数割は興味があるので、このあとが大変だ。図書館や安売り古本に出ていないか調べる作業が待っている。

 多和田さんの他の本も読みたい。とりあえず、安く出ている芥川賞受賞作品を注文した(^^)

***

 年金が入ったので、ひさびさに床屋に行きさっぱりした。

 レコードプレーヤーのまわりを片付けて、これもひさびさだが、LPレコードを聴く。50年前のLPでもまともな音が出るのが嬉しい。


2017年8月15日火曜日

「言葉と歩く日記」、言葉を捜しながら日記を綴るとは、ブログ書きにも使える良いアイディアだ

 「言葉と歩く日記」(多和田葉子 2013年 岩波新書)を半分まで読む。須賀敦子さんを思わせるがもっと柔軟な感じの文章を書かれる。

 通常の日記以外に、言葉との遭遇を書こうとされている。これはいいアイディアで、ブログ書きにも応用できそうだ。

 20ページ前後に、鉛筆で書くほうが、仕事にメリハリが付いて疲れないという話がある。「仕事にとって重要なのは、仕事を邪魔してくれる要素」という一節も。

 すると、Kindleで読書するより、iPadで時々寄り道しながら電子書籍を読むほうが、「良く」読めるかもしれないなどと妄想。他にも面白い話が満載。ドイツ語を学び始めたので、ドイツ語の単語の話は参考になる。



 多和田さんは、今回の大発見だった。なぜ、いままで知らなかったのだろう。他にも、未読の、良い文章家はいそうだなあ。

 なぜか、Hemingwayの文章論を集めた本を読みたくなった。たしか、「Ernest Hemingway on Writing」。図書館で借りようかなあ。とりあえず、Kindleでお試し。

2017年8月14日月曜日

「海へ」(南木佳士)…草餅とホーソンの関係



 最近読み漁っている南木佳士さんの作品。「海へ」(2004年 文春文庫)。出版年は新しいが書いたのは病気回復のすぐ後らしい。

 したがって(?)、似たような病後の人は読むのには注意が必要だろう。ただし、後書きに著者が書いてあるように、時間が経って、より客観的に病気を見つめる余裕ができてからなら、この作品の良さがわかりそうだ。

 山に住まう主人公が、みずからにリハビリとして課す海岸への旅行。旧友の医師の娘の描写がうまい。娘と食べている草餅を食べたくなるし、娘が愛読(高校の現代国語の教科書!)するホーソーンの短編「大望の客」も読みたくなる。

 「恢復する」、「生きる」、「死を迎える」とはどういうことなのかを考えさせる作品だ。

 ホーソーンの「大望の客」の荒正人訳はすぐには入手できそうもないので、原文をオンラインで読みました。荒正人訳、読んでみたいなあ。

 南木佳士さんの本はもっと読んでみたいと、こころが言ってます。

2017年8月13日日曜日

「LION ライオン 25年目のただいま」という風変わりな日本語題名の映画を観た、泣いた(T_T)

 今年春に日本でも封切られた映画。インドで幼児期に迷子になった主人公が、貧しい母親と離れ、タスマニア島の豪人夫婦に育てられるが、かすかな記憶以外にほとんど手がかりのない自分のルーツを、Googleアースと友人の助けを借りて探し出す。

 Garth Davis監督のドキュメント風の演出がいい。貧しさが原因の小悪人は出てくるが、全体としては人間の優しさや思いやりが感じられる、これは監督や原作者(主人公自身)の、言いたかったことそのものだ。

 おすすめ映画です。予告編ほかはここで。映画の原題は「Lion:A Long Way Home」です。字幕なしならYxxxxxxで観ることがいまのところ出来ます。

 原作をKindleお試しでダウンロードしてみたが、ほとんど辞書無しで読め、わかりやすい。映画を観たあとだからかも。原作の殆どを映画は忠実に映像化しているようだ\(^o^)/



 原作は日本語に翻訳されていて評判もいいが、高いので買えない。Amazon Wishリストには入れておいた。

2017年8月12日土曜日

「我的日本語」(リービ英雄)は宿題を増やす「親切」な先生みたいな本だ\(^o^)/

 今日も、朝は涼しかった。涼しさをより長く保存するために、エアコンをつけた部屋で「我的日本語」を読む。



 まずはその達意の日本語に驚く。ほぼ完璧。少し引っかかるのはこちらの日本語の認識に問題が有るのだろうと思わせる。

 万葉集のうち、短歌ばかり読んでいて長歌はよまねーだろうと言われ、あわてて学生時代に買った岩波文庫を引っ張り出す。仙台の金港堂書店のカバーがぼろぼろになっているのがせめてもの気休め。

 彼には、日本語で書くことに意味がある。日本語ワープロはつかわない。変換という作業が嫌いだというところにも快哉を叫んでしまう。ついでに、手書き入力を教えてあげたいくらいだ。

 ピリオドのない文章という見方も私には新鮮。

 李恢成や、中西進の「山上憶良」、李良枝の「由熙」、多和田葉子の「エクソフォニー」、沼野充義、水村早苗の「日本語が亡びるとき」、そして著者自身の「我的中国」をはじめとする著作。

 このような「宿題」を増やしてくれるリービ英雄先生は、キビシイが実はやさしい先生のような人だ、がんばろう\(^o^)/

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 昨夜から今朝にかけての収穫には「科学図書館」というサイトも有る。ここは凄い!すばらしい!

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 夏休みの「学習」は絶好調。夏バテしてはいられない。

2017年8月11日金曜日

南木佳士さんの短編集「ダイヤモンドダスト」を読む

 昨日の遠出のつかれで、今日はおとなしく読書。

 南木佳士さんの短編集「ダイヤモンドダスト」を読んでみた。



 「阿弥陀堂だより」に感激して、南木さんのものを読んでいる。すでに読んだ「草すべり」に続けて読む短編集だ。

 疲れた医師だけでなく疲れた看護士も出て来る。医療の現場も他の仕事と同様、思うに任せぬことのほうがおおそうだ。人の命に関わる仕事だけに、その影響はおおきく個人にのしかかる。

 自然と、心や体を病む医療関係者もでてくるのだろう。病み上がりの心もとない感じがよく書けている、と思う。自分も先日、簡単では有るが手術入院をしたつらい経験と照らし合わせながら読んでいる。

 つぎの南木佳士の本も注文した。「海へ」。

2017年8月10日木曜日

国立博物館平成館のタイ展に行き、森鴎外のことも考えた

 珍しく外出。

 知人から招待券を頂いたので、というと身も蓋もないが、重い腰を上げて、出かけました。

 夏休みの地下鉄は空いているし、仕事ではなく遊びの方々が多い。面白いコスプレ(アリスかな)のお嬢さんも乗っている。

 タイの仏像たちは、普段日本で見る仏像より、優しい顔で、肢体は若々しい伸びやかな感じ。時代が下るに連れて、豪華に(金無垢のものもあった)なるが、爽やかな感じはなくなります。

 帰りに、気がついたが、平成館の前庭には、森鴎外の館長時代の執務室あとという看板がありました。



 ここで何を考えていたのか、夜書く文章のプロットでも考えていたのか、気になります。

 この時代の著作を読んで探ってみよう。いま、Wikipediaで見たら、最晩年で小説類はあまりない。しかし日記=委蛇録(1918年1月 - 1922年7月)がある。そして、手元の森鴎外選集に収録されているので、これを読んでみます。

 上野公園は広いので歩いたら疲れました。もっと体を鍛えないと。


2017年8月9日水曜日

暑いのでじっとしておられず、出かけたり読んだり謎解きしたり

 昨夜ダウンロードした青空文庫の「日和下駄」(永井荷風 底本は「荷風随筆集 上 日和下駄」 (岩波文庫 緑 41-7) )を読む。

 大正時代に明治初期以前を追想して書かれたものなので、最初はとりつきにくいが、知らないものは構うなの精神で読んでいくと、次第に引き込まれ、あっという間に読み終える。中村真一郎先生の「文章読本」で推薦されていただけ有る。スバラシイ文章だ。荷風はこれからも読み続けたい。

 歯医者に行く。今回治療したかったところは先週治療済み。前歯上下の清掃をしてもらう。一箇所、今回は「様子見」にするが、よくブラシや糸で磨かないと右上糸切り歯の側面が虫歯になるよとオドカサれた(T_T)

 「新潮9月号」を駅ナカの書店で購入。現金がないので東急のポイントで買った。便利だ!

 帰って、アイスキャンデーを舐めながら、「天書」(円城塔 「文字渦」連作の9番目)を読む。文字面は追えるが、内容がさっぱりわからないのはいつもどおり。王羲之や道教についてしらべなければならぬ。「天書」は天から降ってきた64ビット表現のプログラムなのか???? 謎です。



 36度以上の一日。今夜も暑そうなので、眠れそうもない。謎解きには最適か。

 とりあえず、夕食の支度をしないと。買い物に出かけるのはイヤダなあ。

2017年8月8日火曜日

「文章読本」後半の参考文獻の始末に困惑、どうやって読めばいい?



 今日読んだところ(目次で言うと、口語文の改革)から、紹介されている作家や文章を出現とは逆に列挙してみます。私が読みたいあるいは読み直したいと思ったものだけです。

大江健三郎
庄司薫
三島由紀夫
大岡昇平
椎名麟三
武田泰淳
野間宏

伊藤整
阿部知二
堀辰雄
横光利一
中河与一
川端康成
稲垣足穂
堀口大学訳「夜ひらく」
萩原朔太郎
佐藤春夫「田園の憂鬱」
谷崎潤一郎「文章読本」「細雪」
永井荷風「日和下駄」
志賀直哉

 例によって良い文章を書きたいなら、良い文章をお手本にしなさいと中村先生はおっしゃっている。なるほど、これらを咀嚼玩味したら、役に立ちそう。

 とにかく、収穫がありすぎる。文体に注意しながらどれも読んでみたい。
と悩ましくなる、最後まで「文章読本」は「困った」本でした\(^o^)/

 なぜ困るかというと、青空文庫でカバーしていない、つまり著作権が切れていない人が多いからです。こうなると、近所の図書館が早く改装開館してもらわないと困る。来年4月までの辛抱だ。

 P.S. 庄司薫さんだけはリアルタイムで主要作品は全部読み、全部持っている\(^o^)/

2017年8月7日月曜日

「文章読本」は「読書案内」なのだと思いつつブクログ再開

 先日少し読み返した井上ひさしの「自家製文章読本」に触発されて、中村真一郎先生の「文章読本」を読み進める。(1975年 文化出版局)

 口語文の成立、口語文の完成、口語文の進展と目次通り読んだ。あとは口語文の改革を残すのみ。

結局は文章上達のコツは名文をたくさん読むこと。と至極最もなお話なのだが、その例証に引用する作家たちの紹介が上手く、全部読みたくなる。

鴎外・漱石はもとより、露伴・正宗白鳥・国木田独歩など。
手軽にこれらの作家の文章を読むには青空文庫が絶大な力を発揮する(^_-)

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 ところで、最近加盟した「本の虫(Bookwor.ms)」というマストドンインスタンスで、本の虫の人たちと話していたら、読書ログをどうして取っているかという話になった。

 7年前くらいに加入した「ブクログ」を思い出し、久しぶりに開いてみた。すると思いがけなかったのだが、150冊以上の本が登録されており、感想もほとんど記入されていた。こんな本を読んでいたのか、と我ながら感心することしきり。

 やはり、またブクログに読んだ、あるいは読みたい本たちを登録しようと思った。書誌の検索にさきだって、ISBNナンバーのバーコードを読み取るキカイも発掘したので、遊びながらやるとにする。全蔵書のリストを作ろうという考えは、大変なので捨てる。身近にある本だけでよい。

 キカイの写真はこれ。




2017年8月6日日曜日

「懐メロは楽しい」という年になったのか?

 昨夜はNHKの夏の紅白とも言われる懐メロ番組を熱心に観た。ときどき一緒に唄ったり、あれは誰だと家人と言い合ったりしながら。

 でも冷静に考えてみると、菅原都々子さん以外は、私からすると懐メロ歌手でなく、バリバリ現役歌手あるいは「新しい」歌手である。たとえば、あみん。菅原都々子さんは青森県の三本木(今の十和田市)出身、伯母と同じ年で友だち(^^)

 小林旭の「熱き心に」はカラオケで歌わせていただいている曲なので、念入りに聴く。

 ついでに、今朝YouTubeでまた「熱き心に」を聴いて、カラオケの練習。

 そうしているうちに、YouTubeがHi-Fi SETの曲を推薦してきた。もちろん聴いた。「朝陽の中で微笑んで」。ユーミン作の曲は難曲がおおいが、これは極めつけ。かならず失敗するのだが、またカラオケで歌いたい。

 Hi-Fi SETは、私が会社に入って数年目の年に結成された。ハーモニーに魅了されて、LPを数枚買った。すり減ると困るので、カセットにダビングし、朝晩聴いていた。寝る前と朝起きて出かける前。薄壁の六畳+1Kの安アパートの部屋なので、音量は絞って。冴えない独身サラリーマン生活の一服の清涼剤。実は精神衛生の面で大恩を被っている。ありがたや。

 山本潤子さんは、いろいろな事件があり、夫君もなくされて今は活動を休止しているようだが、ぜひ復活して欲しい。美しい歌声は魅力的だ。彼女は私と同じ年だろう。まだ若い\(^o^)/



 ということで、Hi-Fi SETのCDを聴きながら、これを書いている。Apple Musicを経済的理由で脱退したので、CDにしたが、音質がいいし、CDのパッケージやブックレットをみるのも楽しい。もっとも昔のLPのライナーノーツを読む楽しみには劣る。

 洋楽のLPを聴きながら歌詞対訳を読み、随分語学の勉強をさせて頂いたと思う。最近はドイツ語も始めたので、昔から南仏なまり仏語を教わっているミレイユ・マチュー先生のドイツ語歌唱にもお世話になっている。彼女にも大恩がある。ともかく思い切り唄うのがいい。

 懐メロの懐かしいという字にはいろいろな意味と感慨が含まれている。懐メロ万歳!!

2017年8月5日土曜日

「草すべり」(南木佳士)を読み終え、伊藤博文の英語能力について感心し、クラシックとジャズのCDも聴く

 隠居生活は楽しからずや…

 「草すべり」(2011年 文春文庫)は、「阿弥陀堂だより」で感心した南木佳士さんの短編集。泉鏡花文学賞をもらっているようだ。山歩きで自分を取り戻そうとする医師(つまり南木佳士さん自身)を描く。

 出て来る山仲間、特に女性、のバイタリティが凄い。病後の医師自身も懸命に歩いて本当の(健康な)汗をかく、というくだりが羨ましい。少し見習いたい。井戸水で冷やしたビールが旨いというところも見習いたいです(^^)

 同時並行で中村真一郎先生の「文章読本」(1975年 文化出版局)を読み始めた。最初の方に伊藤博文が英語に通暁していたという話だ出て来る。
 少し、検索してみると面白い資料に遭遇した。拓殖大学『語学研究』 122号 2010年3月の101ページに塩崎智さんがヘンリー・クルーズなる米国の人物を紹介していて、彼と伊藤博文が交わした英文書簡が掲載されている。他に伊藤博文の英語での演説原稿も掲載されている。

 たしかになかなか達意の文章で、伊藤博文が英国に密出獄した前後に必死で勉強したことが窺える。

 Wikipediaに「Japanese students in the United Kingdom」という項目もある。これを手がかりに少し勉強しよう。

 なお、「文章読本」の最初は、本来は、文語文と口語文のお話で、明治初期には漢文をベースとした文語文が論理的には数段口語文より優れていたという話。このベースがあったので、明治の人は英語やドイツ語などの理解力に優れていたのだろうと。なるほどです。もっと読んでみます。

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 きょうのBGMのCDはベートーベンのチェロ・ソナタとユーロピアン・ジャズ・トリオ。


2017年8月4日金曜日

Bookwor.ms(本好きが集うインスタンス)でケヴィン・ケリーという勉強課題をいただく

 しばらくマストドンから離れていたが、3日ほど前にBookwor.msというインスタンスを知り、アカウントを作ってみた。

 まだ、出来たばかりらしく「住民」は多くないが、皆さん、本については一家言もつ人ばかりのようだ。騒がしいインスタンスもあるけれど、ここはゆったりとした空気が流れている。自分の読書に関してしみじみ語る、マストドンのお手本のような場所だと思える。

 今朝、「ケヴィン・ケリー著作選集」(達人出版会)の存在を、ここで教えていただき、早速読んでみた。年金暮らしなので、0円というのがありがたい。Amazonでは2000円以上で販売もされている。

 ケヴィンさんは雑誌Wiredの初代編集長だったらしい。したがって、彼のブログの抄訳「著作選集」は、インターネットをはじめとする科学技術と人間の未来を語ることが多い。最初の方の記事はWhole Earth Catalogの精神を継いでいるような、ワクワクした感じを抱かせる。そして、全体として今後のわれわれの生活がどうなっていくかを独自の観方で述べている。

 達意の翻訳は堺屋七左衛門さん。この方がBookwor.msにアカウントを持っておられる。

 ケヴィン・ケリーを調べるという、新しい課題を隠居生活にもたらしてくれたBookwor.msに感謝している。そして、できるだけ、じぶんもここに投稿したいなと思う。

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 りんご社の音楽ストリーミングサービスから脱退したらアプリから自分がリッピングしたCDの曲までもがなくなり、がっくり。でも、あらためてCDを聞いていると音質他それなりの良さは有る。今度はLPも聞いてみよう。

2017年8月3日木曜日

「ロビンソン漂流記」の作者デフォーは面白そうな人物だ


 「ロビンソン漂流記」(吉田健一訳 1951年 新潮文庫)を読了。60年位前に読んだ子供用読み物とはちがう面白さがあった。見捨てた船の残骸が島に流れ着き、それから生活のための資材を苦労して運んだことと、主人公の周到な性格で、生存が可能になった。しかし28年もこの島で生活したことには改めて驚く。英国に戻ってからの生活再建については初耳だった。吉田健一さんの訳文はさすがと言うしか無い。終戦直後の文章なのに古臭さを感じさせない。

 この本の前に読んだ「十五少年漂流記」のヴェルヌよりも、デフォーの人となりのほうが面白そうだ。そこで松岡先生に教えてもらうことにした。

 松岡正剛先生は、知らないことがないのだろうか、早速詳しい話を教えてくれた。

 これで、デフォーという複雑な人物(漱石は嫌いだったらしい)のことに興味を覚えた。少し調べます。全集はInternet Archiveで読める。他にもたくさん資料がある。

2017年8月2日水曜日

夏休みの読書課題「十五少年漂流記」を読み終え「ロビンソン漂流記」へかかる

 夏の読書は肩のこらないものにかぎる。先日入手しておいた「漂流記もの」にとりかかる。



 まず相当懐かしい「十五少年漂流記」(波多野完治訳 1951年 新潮文庫)。昨夕、3時間ほどで読み終える。

 15人の名前は覚えられない。ブリアン、ドノバン、ゴードン、ジャック、バクスター、サービス、モコ、ウィルコクスあと7名は誰だっけ?
 大人も後半に登場するが描かれた性格が類型的。

 少年とはいえ、大人と同様な人間臭さで、ドラマを演じる。ヴェルヌの狙いもそこにあったらしい。本人の序文に書いてあると波多野先生がおっしゃっている。ヴェルヌはマジメだなと思う。ドイルのようなブラックなところがない。

 子供の頃に読んだのは、少年向けの訳文で、ピクニックのような楽しさが感じられたが、波多野訳ではサスペンスも十分訳出されている。

 ヴェルヌがお手本にした「ロビンソン漂流記」もこれから読みます(^^)

 昨日は大雨だったが部屋に閉じ込められているとこのような小説をよんでいて感じが出る。特にあらしの場面(^^)

2017年8月1日火曜日

井上ひさし「自家製文章読本」は書きたい放題で面白い



 昨日発掘した「自家製文章読本」(1984年 新潮文庫)が意外に面白い。「意外」とは失礼だが、堅苦しい文章のお作法だけでなく、古今の文章や作家をなで斬りにしているからだ。

 そうして、この本をよむとページごとに、あるいはそれ以上に引用された本を読みたくなる。多分そこが井上ひさしの狙いだったのだろう。

 たとえば、
 谷崎潤一郎、三島由紀夫、中村真一郎、丸谷才一の「文章読本」
 芭蕉の「奥の細道」、「たけくらべ」、豊田利幸の反核論、アランの「芸術論集」、バルザックのすべて、志賀直哉の「暗夜行路」と「城の崎にて」、漱石の初期と後期の小説、世阿弥の「花鏡」、時枝誠記の「文章論の一課題」、鴎外の「寒山拾得」の「水が来た」の句。
 最初の30ページ強で、これだけの文章を読みたくなる。あと、200ページは残っているm(_ _)m

 井上ひさしご本人はその何倍かをこれを書くために読破しているのだろう。煙草を吸いながら。

 この本を昔、30歳代のとき、読んでもあまり感激しなかったのは、とてもかなわないと思ったからだろう。いまでもかなわないが、素直に感心できる。あるいは、感心するしか無いと分かるようになったらしい。

 身の回りの本を少し整理した。