2021年8月31日火曜日

堀江敏幸さんの『余りの風』(みすず書房)で植草甚一さんの文章と生き方の魅力を再認識


朝読書。

堀江敏幸さんの『余りの風』(みすず書房)を読む。

あとがき→植草甚一→索引(大事だ)→とたどり、
177頁。「耳打ちする声――植草甚一」

「非効率的な芋蔓式の連想だけに可能な夢想に満ちあふれ、しかも忘却を前提」とした「膨大な情報」は「読み手に威圧感を与えるようなことはけっしてない。」

「検索やソート」に頼らない」

植草甚一の書き物の不思議な魅力、当時の若者(自分)に受けたワケをうまく分析してくれている。


304頁。(あとがき)

本書、『余りの風』は、十数年前に刊行した『書かれる手』とおなじく、さまざまな媒体に発表した批評的な散文をまとめたもの……

『書かれる手』も読むべきだろう。これが芋蔓式読書。楽しいが効率は悪い。

同じく堀江さんの『本の音』の題名の由来。

「読み終えた一冊一冊から響いてきたさまざまな音を記録しておく。」「本ノオト」。そして「本音」。

246頁の引用。(昨日ブログ参照)。

247頁。

「書評はひとりではできない。著者がいて、本があって、その本を対象にした感想文をいついつまでに渡しなさいと命じてくれる編集者がいて、さらにそれを活字にする媒体があって、ようやく成立するものだ。」

***

「みを(miwo) - AIくずし字認識アプリ」をダウンロードして使ってみている。楽しい。iPhoneだと、変換後の文字表示が混み合うのでiPadのほうが良さそうかと思い、今、ダウンロードして使おうとしたら、サーバーがダウンしている。すごい人気だ。

また明日、やってみよう。

http://codh.rois.ac.jp/miwo/

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8月が終わろうとしている。オシゴト一段落で気が抜けて疲れが出てきた。明日からまた新たな気持で、ゆっくり進めたい。

「書評の調査収集P」は、書評集を読んだあとの初出情報のゲット・整理方法、対象書籍情報の整理方法、書評家ごとの書評情報データベースの整理方法(当初はGoogleスプレッドシート)などを個人で。あとはSlackチャンネルでいかに情報交換すべきかの腹案を作る。これらのレポートを9月末作成する。

「コミュニティ・マネジメントM」は、仕切り直しで、マニュアル(M)をどういうスタンスで書くかを決めたい。コミュニティ・マネージャ向けに書く。一般的な手法の整理。つまり(ソフトランディング、MOIなど)をして、それらをCMがどう適用すべきかについて既存成功モデル例を使って書く。9月中週イチ作業で、9月末マニュアル完成をめざす。

他、「文字起こし(宇野重規回のうち50分弱)」もある。ペース配分をうまくやる必要がある。

なお、この3件のオシゴトの根底には「民主主義を信じる」ということがあるのに気づいた。

2021年8月30日月曜日

やや散漫なオシゴトのメモ


堀江敏幸さんの書評集『本の音』(晶文社)を、借りてきた。あとがきから読む。 引用すると、

「……書評の器に盛ったおかげで、ただ漫然と読んでいただけでは理解できなかったこと、人と話をするだけでは腹に染みてこなかったことが、はっきりとした輪郭をともなって見えてくる。」

と謙遜されている。たしかに書評(らしきもの)を書くことは我々にとっても深い読み・理解への道だろうと思った。

***

朝読書の時間に「コミュニティ・マネジメント・マニュアル」の材料集めをした。

「ナッジ」について、三中さんの『読む・打つ・書く』の194、196、200、207頁を参照してマニュアルにどう書くか決めたい。

以下は引用。

「書評読者をポジティブに“ナッジ”する――「それとなくほのめかす、軽く誘導する、という意味」(那須・橋本 2020, p. 3)――のは賛同的書評によく見られる戦略だ。」

「冒頭行の「嫌な予感」という言葉は潜在的読者層を本書から早々と遠ざけるネガティブな“ナッジ”として威力を発揮するだろう。」

「書評を通して働きかけてくる(あるいは“ナッジ”してくる)書評者」

「自分の書評を見てその本を開く気になるというのは、自分で自分を“ナッジ”しているということではないだろうか。“ナッジ”という概念はもともと他者に対する働きかけを合意している。しかし、存在論的に見れば“今日の私”は“昨日の私”とは別々なのだから、過去の私が書いた書評が現在の私を“ナッジ”すると解釈しても特段の不都合はないだろう。そういう時間軸に沿った“自己加圧的ナッジ”の能力が私が書き続けてきた書評に潜んでいると考えるのはとても興味深い。もちろんその“書評ナッジ”が自分だけでなく、私の書評を読んだ他の読者に対しても何らかの作用を及ぼすとしたらそれはそれで私の望外の喜びだ。」

新規加入者にはやや手厚い歓迎と適切なSlackチャンネルへの誘導を。
既存加入者には“ナッジ”だ。

その間の共通考慮点はMOI論(『スーパーエンジニアへの道』)かな。

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『ナッジで、人を動かす 行動経済学の時代に政策はどうあるべきか』 
著者名 キャス・サンスティーン/著 田総 恵子/訳
出版者 NTT出版
出版年月 2020.9

そもそも「ナッジ」とは何かをよく知らない!

まず世の中の評判を知りたいので、試しにこの本を借りてみることにした。

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午後、YPさんと打ち合わせ。

「書評調査/収集」第一次レポートは、記事にしていただくことになった。その簡略版note記事は性格曖昧なのでボツ。自分でもそう思っていたのでこれでいい。レポートが記事化されるのは嬉しい。

「コミュニケーション・マネジメント(CM)」はまだ考えがまとまらないので、一ヶ月延期していただいた。一ヶ月でできるかもややギモンだが、頑張ってみる。

9月前半は文字起こしと書評調査/収集の二本立て。その間CMに関して調査。イソガシイが楽しんで出来ることをやりたい。

今日の打ち合わせの自分用備忘メモを一時的にSimplenoteに書き込んである。作成資料の保管方法を考える。Googleドキュメントに個人用フォルダー作るか。

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BGM。

Ten preludes, op. 23 and op. 32
by Rachmaninoff, Sergei, 1873-1943; Rachmaninoff, Sergei, 1873-1943. Preludes, piano, op. 32. Selections; Richter, Sviatoslav, 1915-1997
Columbia
Publication date 1962
https://archive.org/details/tenpreludesop23o00rach/01_Side_1_Ten_preludes__op._23_and_op._32.mp3


2021年8月29日日曜日

『スーパーエンジニアへの道』のMOI論はコミュニティ・マネジメントにも使えそうだ

朝、昨日の孫との遊び疲れで眠い目をこすりながらも、なんとか6時に起きて、『パサージュ論』と『スーパーエンジニアへの道』を行ったり来たりしながら読んで、コミュニティ・マネジメント・マニュアルの作成案を考える。文章に書き表しながら考えるのが効率が良いと再認識。

以下はメモ。午前中、他のバージョン(よりマニュアルに近い形で先月書いておいたもの)の文章に、内容をマージした。

何を狙ったギロンをすべきか?
会とスタッフの活動の活性化?
コア・メンバーの「生産性」を上げる?

イベント参加者を増やす?
会の規模を大きくする?
この方面ではない?

CEOが困っていたのはコア・メンバーと候補者を活性化するために必要そうな「手」が足りないこと。

手を増やせば本当に活性化するのか?
メンバーに時間がないだけ?

人生の第一義と思っていない?

『スーパーエンジニアへの道』あらためてめくってみる。


MOIモデルの部分を読む。M動機づけ、O組織化、I技術革新と訳すと今回のためのニュアンスなくなるが。使えそう。第二章。

『パサージュ論』の解説を一応読み、本文(?)を拾い読み。

仏国立図書館で作られた膨大なメモ。袋への分類。■と■にはさまれたのは分類(袋)名。

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ふと調べた、こんな賞が昔あった。毎日書評賞。鹿島さんも堀江さんももらっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%9B%B8%E8%A9%95%E8%B3%9E

他にも書評に関する賞はあったのだろうか。調べるべし。

***

夕方、『【月刊ALL REVIEWS】古屋 美登里 × 豊崎 由美、呉明益『複眼人』(KADOKAWA)を読む』を視聴。お二人の息のあった紹介につられて、『複眼人』をご近所図書館で予約してしまった。誰も他に予約者が居なかったのはちと意外だった。

2021年8月28日土曜日

モチベーション喚起のために「ナッジ」を使おう

5時半起床。

『オルフェウス・プロセス』を再読してみる。経営学もしくはリーダーシップ論として書いてあるのだが、そこが物足りない。もっと音楽論を詳しくやってほしかった。室内楽演奏家の自発性など。

教育用ビデオを観ても同じ。

朝のデザートに、今年はじめての新物りんごを食べた。青森県産サンつがる。走りにも関わらず甘い。


以下、孫の世話に向かう電車の中で短い時間で書いたもの。

今回の仲間は成熟した人達だし、忙しい中の空き時間をボランティアとして集ってくれる人達だ。自発性というよりモチベーション喚起が問題となる。オルフェウスは例として出すだけにする。

その意味でワインバーグも同じ。「教育」しようとするのは間違い。今回の話では「マネジメント」の意味を変えなければならない。特に上からのマネジメントは不要だ。

ここで「ナッジ」というコトバを思いついた。三中さんが『読む・打つ・書く』で言っていたナッジだ。小さなきっかけを作って自分でやる気を引き出す。短いこま切れ時間で高いパフォーマンスを得る。能力が高い人なら、ナッジを与えれば良い。いや、自分でナッジを創り出してもらう。その「きっかけ」の「きっかけ」をリモートで与える!難しそうだが。

「顔なじみ」作戦は有効そう。リモートでも「クチコミ」だ。当人の魅力がわかれば、その人からの「クチコミ」は強力だろう。
改めて、「ナッジ」は「クチコミ」でやるか?

具体的方法。新規加入の方への応答に、「やりたいこと」の質問を入れて、答えにより適切なSlackチャンネルヘ誘導する。

例えば読書好き(みんな?)は黙々と読書チャンネルなど。

既存メンバーには、定例会やチャンネル内の会話により、同上の質問をする。

自由時間の少ない人が多いので、まずはこま切れ時間でできそうな事を考えていただく。継続は力なり。

ナッジがあればパフォーマンスがあがる。それを自覚してもらう。これも経験談的マニュアルが必要か。

その例として「天声人語」チャンネルを使う。

楽しさ、緩さ(縛りはないこと)をどう意識させるか。

ナッジ・コンサルタントを設ける。偉くない人として。

マネージャーのいないマネジメント。自分で自分をプロデュ―スする。

***

孫とまた散々遊んで、疲れて帰宅。今夜は早寝だ。


2021年8月27日金曜日

堀江敏幸さんの書評集『振り子で言葉を探るように』の題名の「振り子」の深い意味


『振り子で言葉を探るように』を読み続ける。

本の題名と納められている書評題名に使われている「振り子」というコトバの意味。あとがきに書いてあった。

短い書評の中では、本の題名を縒り返すことは不可能で、「本書」などとあっさり書かねばならない。しかし、

431頁。「「本書」などとあっさり片付けてしまった書物の、どこか気が付かない、深いところに、べつの言葉の水脈が眠っているのではないか。もっと時間をかけて汲み上げるべき言葉の層があるのではないか。」

堀江敏幸さんは自分の中の振り子が本の中の水脈に反応する瞬間をゆっくりと待て、と教えてくれている。

「振り子」とは砂漠の中で深くかくれた地下水をさぐりあてる、いわゆるダウジングに使う道具である。

自分の中に振り子を育て、心を落ちつけて、振り子のゆれを感じとるには長い時間が必要だ。これは丸谷才一さんの「藝』に通じる話かと思う。

貴重な時間を使って書かれた書評をいくつも読めるのは、現在に生きる我々の幸福と言えるのだ。書評が宝石のように周囲の光を吸い取り反射する姿を見ると畏敬の念を抱く。

堀江敏幸さんは194頁の「振り子で言葉を探るように」というモラレスの『エル・スール』の書評9行を書くのに20年を要したと言う。

書評は言葉の砂漠の上を飛ぶ飛行機だ。行き暮れて不時着したときにそこで操縦士は太古の隕石の欠片を拾うかも知れない。翌朝修理した飛行機で飛び立つときに隕石の欠片を忘れてはいけない。

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一方、こういう意見もある。


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本日、ARのオシゴト「書評の調査収集」の第一次調査レポートを作り一般向け関連note記事とともに納品。次の「コミュニティ・マネジメント」のマニュアル作成にとりかかる。しばらく放置しておいたので気分をこちらに向けるのに時間がかかった。作成作業は30日と31日に行う。

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BGM。



LP。Cello Concerto。




2021年8月26日木曜日

『振り子で言葉を探るように』に収められた書評は「奇跡」を思わせる

 https://music.apple.com/jp/album/bach/1452627720

エレーヌ・グリモーのこのアルバムは最高。

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起床前、仮想書評集全集を作るという途方も無いアイデアが下りて来た。

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朝読書。


堀江敏幸さんの書評集『振り子で言葉を探るように』を読む。

不思議な題名だ。「あとがき」を読むとその深い意味がわかる。この「あとがき」は図抜けた書評論となっており、この書評集の編集の凄さも語ってくれる。借りて読む本ではなく、手元で愛蔵すべき本だ。そして書評に対する「私見」はすでに書評集『本の音』に書いたともおっしゃる。

とりあえず借りる手続きをした。

それにしてもここにおさめられた書評たちを、堀江敏幸さんはどうやって書かれたのだろうか。人事を尽くして天命を待つ?書評自体がそれぞれ宇宙として存在している。どれだけ過去の読書の蓄積があり、どれだけ文章を彫琢したのか想像を絶するが、「書評集」としてその成果を手軽に読めるのは、奇跡のような気がする。気がするでなくて、奇跡そのものだ。

書評を読むことにより、自分ひとりでは不可能な読書体験ができるのは、不思議だし嬉しい。

***

以下、「業務」用メモ。

当面ブログをもとにして「書評集を読む楽しみ」を作る。note記事化した。これはしばらくブラッシュアップして「仮想書評集全集」のマニフェストとなることを狙う。現状のものは公開note記事に使う。

「書評プロジェクト」の第一次レポートも書いた。明日見直した後、両者をチェックに回したい。

2021年8月25日水曜日

書棚の整理には見た目でなく使用者の使い方を重んじるべし、『立花隆の書棚』の教訓

朝読書。


『立花隆の書棚』。鈍器本(泣)。

ネコビルの敷地は10坪。見た目は乱雑な書棚。立花さんの頭の中では整然としてるのだろう。
「精密書棚撮影術」がすごい。

『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』

速読には音楽的にでなく絵画的(全体から部分ヘ)に読むのが良い。
最後の「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」、が非常に面白い。さてネコビルの本たちはどうなるのか。

フリーマン・ダイソン『多様化世界』は朝食後にまわすことにして、これから朝風呂と燃えるゴミ捨て。

***

ダイソン後回し。明日?

書評の勉強プロジェクト案から書いてみよう。(夜までかかった。明日ブラッシュアップ)

CMで大切なのは個人の面白さが原動力の自発性というやつも書評プロジェクトに絡めると良い。もちろん巻頭言プロジェクトも。

BGM。

Piano Concerto In A Minor
by Dinu Lipatti; Robert Schumann; Edvard Grieg; Herbert von Karajan; Alceo Galliera; Philharmonia Orchestra
Odyssey (32 16 0141)
Publication date 1967

https://archive.org/details/lp_piano-concerto-in-a-minor_dinu-lipatti-robert-schumann-edvard-grieg/disc1/01.01.+Concerto+In+A+Minor+For+Piano+And+Orchestra%2C+Op.+16%3A+I.+Allegro+Molto+Moderato.mp

2021年8月24日火曜日

『本の中の世界』(湯川秀樹)、『遊読記』(種村季弘)、『振り子で言葉を探るように』(堀江敏幸)に目を通す

朝読書。昨日借りてきた本4冊に目を通す。(立花隆さん流に読む。つまりすべてを読もうと努力するのはやめておいた。)

湯川秀樹『本の中の世界』(岩波新書)

まえがき
「本を読んでいるうちに、本のつくり出す世界に没入してしまえたら、それは大きな喜びである。本を読んでいるうちに、いつのまにか本をはなれて、自分なりの空想を勝手に発展させることができたら、これまた大いに楽しいことである。」

 


種村季弘『遊読記』(河出書房新社)1992年。

1991~1983の新聞掲載書評集。主として朝日新聞掲載。

あとがき
著者には他に『書国探検記』(筑摩書房)という書評集がある。1984年。
そのときより今回の方が書評のスペースが少い。(400字詰め2枚半から3枚)

すると書評は芸当に近いものになる。当人も遊び、人様にも遊んでもらうしかない。(後者は遊んでいただけたかギモンだそうだ。)

私は、ほとんど読んでいない(空白の30年)本たちの書評。これを全部とりかえすには書評に頼るしかない。

36頁。「大福が食いたい」という題名も内容も確かに芸。解る人には解る。昔ながらのあんこの詰まった読み物が食いたい。たとえばバルザック。

 


堀江敏幸『振り子で言葉を探るように』(毎日新聞社)

357頁。(『したくないことはしない 植草甚一の青春』の書評)
植草甚一は第二次世界大戦中も東宝社員として仕事のためと称して洋書や洋雑誌を読み耽った。
本当にやりたかったのは、海外の小説を原語で読み、その喜びを人に語ること。

358頁。
「勉強」とは、好きなことを好きなだけ、妥協なしに、かつ楽しくやっていくこと。定められた路線に乗ってではなく、寄り道しながら、ゆっくりと、本人の言葉を借りれば「大正式散歩」のやり方で進んでいくこと。さらに、そこで得た知と喜びを他者と共有すること。

これは1970年代の若者にやっと理解された。#稀有のことだ。

359頁。
面倒なことを間引く社会状況には、過程を重視し楽しむ植草流は合わない。#失われた30年。21世紀に復活を望みたい。

「あとがき」的部分。
オブジェとしての本も大切だ。

他に『本の音』2002年晶文社2011年央公文庫がある!書評の私見はそちらに書いたとのこと。でも、本を読んで言葉の水脈をたどるのは大変であるという言葉はしみる。

初出一覧。媒体毎日新聞など。

あと『暇なんかないわ大切なことを考えるのに忙しくて』(ル・グィン)があるが、朝のお仕事後にまわす。レポートするかは微妙。最晩年のブログから作ったエッセイ本。


堀江敏幸さんの本で言及された、辻佐保子『辻邦生のために』(中公文庫)にも、書評集の部分があるのを発見。素晴らしい。書評ではないが、あえて言えば架空の本の書評「「浮舟」の構想をめぐって」が、またいい。書棚の本を探っていくと書評はたくさん埋もれている。そして本の背中は全部見えるようにしておく必要をまた痛感した。

「書評の勉強」のマニュアルを書いて疲れたので音楽を聴く。


***


2021年8月23日月曜日

『Foundation』を観るためにAppleTVに加入すべきだろうか?

アシモフ:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

「アイザック・アシモフのSF小説「ファウンデーション」をAppleが実写化する「Foundation」の最新予告編が公開 - GIGAZINE」

https://gigazine.net/news/20210820-foundation-trailer/

これを観るためにAppleTVに入るべきか、そのときAppleMusicは解約するか、iCloudストレージも含めAppleOneに入り直すのかそれが問題だ。これから一ヶ月悩むことだろう。

新訳本も読むべきなのだが、時間。

***

三中さんの『読む・打つ・書く』の説後感をもう一度整理すると良さそう。自分を“ナッジ”するため。

コミュニティの活性化にも上手に成員を“ナッジ”すべし。J. M. ワインバーグの『スーパーエンジニアへの道』に通じる。

***

ピアニストとしてのラフマニノフ

The Art Of Sergei Rachmaninoff - Vol. 1
by Frédéric Chopin; Robert Schumann; Sergei Vasilyevich Rachmaninoff
RCA Camden (CAL 396)
Publication date 1957

https://archive.org/details/lp_the-art-of-sergei-rachmaninoff-vol-1_frdric-chopin-robert-schumann-sergei-vasil/disc1/01.01.+Sonata+In+B+Flat+Minor%2C+Op.+35%3A+First+Movement%3A+Grave%3B+Second+Movement%3A+Scherzo%3B+Third+Movement%3A+Marche+Funebre%3B+Fourth+Movement%3A+Finale%3A+Presto.mp3


西側の世間は作曲家ラフマニノフに何を求めたのか。

The Romantic Rachmaninoff
by Tutti Camarata; The Kingsway Symphony Orchestra
London Records (SPC 21029)
Publication date 1968

https://archive.org/details/lp_the-romantic-rachmaninoff_tutti-camarata-the-kingsway-symphony-orche/disc1/01.01.+Rhapsody+On+A+Theme+Of+Paganini%2C+Op+43.mp3


若くして病に倒れたオグドン(1937年生まれ)はラフマニノフをどう言う気持ちで演奏したのか。

Plays the Rachmaninoff Piano Sonatas
by Sergei Vasilyevich Rachmaninoff; John Ogdon
RCA Red Seal (LSC-3024)
Publication date 1968

https://archive.org/details/lp_plays-the-rachmaninoff-piano-sonatas_sergei-vasilyevich-rachmaninoff-john-ogdon/disc1/01.01.+Piano+Sonata+No.+1+in+D+Minor%2C+Op.+28.mp3

***

「書評の勉強」用に書き散らしたメモ。そろそろ形を整えていきたい。

まずは「書評」のことを大雑把に知る必要がある。素人なので。(玄人っているのか?)

そのために書評を何故読むのかを考えつつ、なるべく多くの、ただし好きな書評家の書評集を読んでみている。これに意外に時間がかかる。速読すればいいとはかぎらない。本を読むのは楽しみのためなので、機械的に読み進めることはできない。書評を読むと対象本が読みたくなってしまう事があり、その欲求は全部抑えるわけにはいかない。

(書評を)読むだけでなく、自分でも書いてみる、これらの相互作用が書評そのものの理解と効用に大きな影響を及ぼすことも分かって来た。

書評の歴史も朧げにわかってきた。初出の場所について国会図書館の情報も深く理解できるようになる。

書評の長さと書評自体のもつ機能効用の関係性も分かってきた。

書評家により、媒体により書評の性格も変わる。書評を広く捉えるべき。

書評対象の本のジャンルもひろげたい。

立花隆さんの書評も書評の一種。主として書評掲載媒体による制約によって長さが決まり、対象読者も決まるので書評の書き方も変わる。自分に合った書評かどうかを意識的に判断しながら読んでいこう。

そろそろ自分で書評を書くことにも目を向けて、その立場でもう一度書評を読むことを考え直すと、書評読みの幅が広がり、深さも増すだろう。

#レポート書く良いプロセッサんはないか?

dynalistで筋書き?広い画面、Blog、note?専用Webページ?



2021年8月22日日曜日

立花隆さんの書評集も集めるつもりだ


朝読書。一昨日見つけ出した(あるいは本に呼ばれた)『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』(立花隆)を拾い読みする。東京堂で週刊誌の書評のための本を紙袋2つか3つも費用は週刊誌持ちで買い出しする話には相変わらず羨望の念を抱く。しかも、読んで少しでも参考にした本は絶対に捨てないという暮らしぶりにも。私にはとうてい「書庫兼仕事場の猫ビル」は建てられない(だろう)。100冊読んで1冊の本を書く話は、司馬遼太郎や松本清張ほどでないと思うけれど。

ファイマンのNASAレポートの話を読んでいたら、その次(186頁付近)にフリーマン・ダイソンが登場する。以前読んだときにも気になったらしく、ページの端が犬の耳になっている。今回は『宇宙をかき乱すべきか』(ちくま文庫)と『多様化世界』(みすず書房)と『ガイアの素顔』(工作社)が読みたくなったが、調べると『多様化世界』しかご近所図書館にはない。とりあえず借り出す手配をした。『ガイアの素顔』は古本で手頃に入手可能な値段。『宇宙をかき乱すべきか』はやや高い。猫ビルで貸し出ししてくれないだろうか。

ともかく、立花隆の書評集は系統的に読んでおくべきだと思う。ノンフィクションの書評が多いのが魅力。そして良書の紹介につとめていて評価を読者に任せている点がユニークと思う。

***

巻頭言の原稿を完成に近いものとして、なんとか、書いた。もう12時。昼食の後また手を入れ、今夜まで寝かして微修正しチェックに回すことにする。チェックしてくれる仲間がいるのは嬉しいし幸せなことだ。

BGM

Rhapsody On A Theme Of Paganini Op. 43 / Concerto No. 1 In F-Sharp Minor Op. 1
by Sergei Vasilyevich Rachmaninoff; Leopold Stokowski; Eugene Ormandy; The Philadelphia Orchestra
RCA Victor (LCT 1118)
Publication date 1954

https://archive.org/details/lp_rhapsody-on-a-theme-of-paganini-op-43-con_sergei-vasilyevich-rachmaninoff-leopold-st/disc1/01.01.+Rhapsody+On+A+Theme+Of+Paganini+Op.+43+(Theme%3B+Variations+1+To+24).mp3


ラフマニノフの生涯(特にアメリカに渡ったあと)を調べたくなった。

とりあえず、これを観る。いや、時間がない。

https://youtu.be/NsiGgvlQrd0

https://youtu.be/WdufxRMVvK0

2021年8月21日土曜日

丸谷才一の「構への大きい」書評は読書の宇宙を明るく照らし出す

丸谷才一『山といへば川』(中公文庫)を拾い読み。

346頁。

「作家の批評 辻邦生『トーマス・マン』」を読んでみた。この本は愛読していたので。

「高度な知識人でしかも有能な作家である人が、多年尊敬を献げて来た偉大な作家を論ずるときだけ、かういふ充実した本を書くことができる。辻邦生の『トーマス・マン』はそんな性格の本である。」
349頁。

「さういふ、構へが大きくて威勢のいいマン入門の書として、これはいかにもこの著者にふさはしい本になっている。」

つまり、ドイツとフランスの市民性の相違を辻邦生が論じていることを褒めている。

これは「週刊朝日」1984年3月11日号に載った書評ということだ。『トーマス・マン』が岩波書店から発行されたのは、同書奥付によれば1983年1月24日。一年間タイムラグがある。この原因までは調べきれないだろう。ともかく辻邦生とトーマス・マンのファンにとては見逃せない書評だ。

この素晴らしい書評を読むと『トーマス・マン』だけでなく、トーマス・マン、辻邦生に関連する本をいろいろとたくさん読み漁りたくなる。一つの書評が壮大な書物宇宙を照らし出すという好例だ。 



2021年8月20日金曜日

『読書人 読むべし』を使って書評記事探索の練習


朝読書。

『読書人 読むべし』は百目鬼恭三郎の「毒舌」で敬遠されると言うことだが、我慢して(?)読むと、快刀乱麻を断つ口調で読者の立場に立ちながら親切な読書案内をしてくれる。書評集としては、鹿島茂さんの『歴史の風 書物の帆』の元祖のような本なのである。取りあげられる本のジャンルを目次に従って挙げてみる。

日本の古典
飲食の本
歌舞伎の本
旅の本
探検記と地誌
神話
伝説と昔話
中国の古典
伝記
辞書

と幅広い。科学分野がないがこれはないものねだり。文系リベラル・アーツ好みの人には受けるラインアップだろう。

百目鬼(「どうめき」と読むのが正しいと今調べてわかった)の本はもっと読んでみたくなった。まずはご近所図書館へ。

なお、この本(新潮社昭和59年刊行)の巻末広告には

『新古今和歌集一夕話』(百目鬼恭三郎)
『現代の作家101人』(同)
『本のある生活』(高田宏)
『ブックストアで待ちあわせ』(片岡義男)

など魅力的な本の題名と解説が並んでいる。これも重要な情報源と有り難く眺める。

百目鬼恭三郎がどの雑誌に書いていたかは、国立国会図書館デジタル・コレクションで、全文検索してみると手がかりがつかめる。(ただし他に新聞関連を調べないといけない。)

朝日ジャーナル
英語青年
オール讀物
科学朝日
學鐙
季刊芸術
経済往来
芸術新潮
月刊自由民主
現代
広告月報
国文学:解釈と鑑賞
史学雑誌
自然と文化
週刊文春
週刊ポスト
小一教育技術
小五教育技術
小説新潮
小二教育技術
小四教育技術
小六教育技術
諸君!
書誌索引展望
新日本文学
新刊展望
新潮
新潮45
新聞研究
自警
総合教育技術
太陽

短歌
短歌現代
知識
中央公論
東京人

文芸春秋
プレジデント
別冊文藝春秋
宝石
望星
ユリイカ
幼児と保育
リクルートキャリアガイダンス
レコード芸術
労働経済旬報

以上290件弱。国会図書館に行けば記事はほとんど全部読めるはず。このやり方で書評家の書いた記事を検索すると良い。

たとえば藤森照信さんの書いた雑誌記事ならこれ。


少し先が見えた。

#やはり国会図書館で泊まり込みの仕事したい。

***

休憩してLPで音楽を聴く。

Three Concertos For Viola D'Amore / Two Concertos For Mandolin
by Antonio Vivaldi; Max Goberman; New York Sinfonietta
Odyssey (32 16 0137 / 32 16 0138)
Publication date 1968

https://archive.org/details/lp_three-concertos-for-viola-damore-two-conc_antonio-vivaldi-max-goberman-new-york-sinf/disc1/01.01.+Concerto+In+D+Minor+For+Viola+D'Amore%2C+Strings+And+Harpsichord%2C+P.+288%3A+Allegro.mp3

窓から見える2軒先のアパートの屋根のメンテナンスを見学する。双眼鏡でも眺めさせていただく。屋根のてっぺん(「棟」というのだろうか)と軒先を修理している。最近の大雨と風で痛みが早そうだ。働いている人は暑い中で大変だろう。このあと、断熱材のようなシートを敷き詰めて、その上に重しとして屋根材を置いて、早く帰ってしまった。明日は土曜日だが仕事するのか、夜雨が降ったらどうするのかなどいらぬ心配をする。

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巻頭言のラフ案に手を入れる。やはり最初の構想通り丸谷才一の書評集を題材に書評の基本勉強の成果を書くことにした。日曜夜までに提出可能とする。

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渡辺一夫の『フランス・ルネサンス文芸思潮序説』(岩波書店)がひよっこり出て来た。本棚のすみで大きな本に隠れていた。1969年発行の第4刷、600円。学生時代にわくわくしながら読んだ本。モンテーニュについてもこの本で教えてもらったと思う。懐かしい。


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夕方、注文していた古本、丸谷才一の書評集『山といえば川』(中公文庫)が届く。内容は明日。 

もう一冊、これは物置から発掘した本だが、『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』(立花隆)も。100冊の方はフィクション本のことかも?

#猫ビルにも泊まり込みたいなあ。

2021年8月19日木曜日

コロナ禍のなか自宅に籠城して書評の勉強に励む

 変わりやすい天候だったのが、少し変化してきた。秋になろうとしているけれど、残暑は厳しくなりそうだ。夕方、スーパーへ買い物に行く道すがら撮った写真。コロナ禍のなかでも月はきれいだ。一年以上スーパー以外で買い物をしていない。


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朝読書は、昨日借りてきた藤森照信さんの書評集『建築探偵、本を伐る』(晶文社)。

「あとがき」によると、著者は『週刊朝日』の書評ページに参加するように誘われたときに、丸谷才ーや秋山駿などプロの文学者をこわいもの見たさで参加したという。集められた多くの新刊書から好きなだけ取り、他の委員と楽しく飲食談笑して帰るといった贅沢な運営に驚いた。その後毎日新聞の書評欄にも執筆。取りあげるのは、暗い大学時代に読んで恩のあるブンガクではなく、絵や図や土や木や石に近いもの、その延長にあるもの。「ズレ」た方面への目配りが自分の書評の特徴と言える、とのこと。

なるほどこの方面の書評の勉強が不足していたと反省する。実は数年前ある人に、ARの書評には理科系のものが少ないと苦情を言ったら、それなら適当な書評家を知っていれば教えて欲しいと言われ、そのままになっていた。天文学の分野なら2人いたが、紹介に至らなかった。もっともっと視野を広げなければならない。

藤森照信さんの書評対象は確かにユニーク。そしてこちらの分野の本を好む人もブンガクに劣らず多いだろう。街の書店に行ってどんな本が売れているのかも参考にしなければならない。媚びる必要はないが。

やはり、書評の勉強の道は果てしない。あせらずのんびり進むしかない。

藤森さんは1946年生まれ。話はあいそうだ。彼のオヤジ・ギャグにも全部反応できる。とりあえずこの本の書評には全部目を通すことにする。

この本のこと(と書評の対象本の分野)を来週の巻頭言に書く手もある。即物的な(文学的背景のない)書評があるなど。

その場合の参考

https://allreviews.jp/column/368

(森まゆみさんの↑この記事は素晴らしく参考になりそう。)

https://allreviews.jp/review/459

https://allreviews.jp/review/990

https://allreviews.jp/column/3618


2021年8月18日水曜日

やっと晴れ間が見えた

『本当の翻訳の話をしよう』の「増補版」(新潮文庫)の書評。

https://book.asahi.com/article/14416214

この本は買わないと。

***

朝読書は『モンテーニュ私記』。

67頁。

「およそ30年間のかれの後半世は、文字通り宗教戦争と共にあった」

68頁。

「良心に恥じずに生き抜くことを「試みる」(エセイエ)」

74頁。

「本当の理解者を見出すには18世紀を待たなければならなかった」

内乱とペスト両者との戦い。

***

その後『光る源氏の物語』も読む。

204頁。

昔の人の記憶力の素晴らしさ。俊成、ユーカラ、保己一。

205頁から。

「葵」に来て初めて紫式部の能力が存分に発揮されているのだとのこと。


***

午前中、ブログ「書評の勉強」を書きすすめる。

https://hirosbookreviewstudy.blogspot.com/2021/07/blog-post_30.html

来週後半に、これをもとにオシゴトのレポートを書く予定。

強いにわか雨。10分ほど。正午に近いので(?)虹は出なかった。

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夕方、ご近所図書館で、4冊借りてきた。『鼎談書評 三人で本を読む』で紹介された、百目鬼恭三郎の本も借りてきた。冒頭の「架空講演」が面白そうだ。超毒舌?

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朝日新聞朝刊、「折々のことば」、「間違いの記憶を保っていることが必要」(『日本人は何を捨ててきたのか』)という鶴見俊輔の言葉が紹介されていた。このブログの存在価値もそこにある。考えたプロセスも記録しておくことが有効だから。

それとは独立に、新聞の書籍広告の有用性についても考えた。


2021年8月17日火曜日

『モンテーニュ私記 よく生き、よく死ぬために』(筑摩書房)、もったいなくて少しずつ読む

朝読書。しばらく読むのを中断していた『モンテーニュ私記 よく生き、よく死ぬために』(筑摩書房)を読む。

余生を過ごし始めたモンテーニュは無為に悩む。そのなか……(21頁)

書くという仕事は精神を一時の変調から救って、それを正常に戻すのに役立った。

著者(保苅瑞穂さん)は研究者ではない。だからこそ、(25頁)

モンテーニュという人間の魅力について、語りたい。

この本の魅力の源泉はここだ。

26頁。

わたしはその人(モンテーニュ)に本の中で偶然巡り合った。

355頁。あとがき。

書くのに10年かかったこの本は、『エセー』の書評と言っていいのだが、数日で書いた書評と同列にはできないだろう。まあいろいろな「書評」があっていい。

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来週のメルマガ巻頭言のラフ案

対象本 『いろんな色のインクで』(丸谷才一の書評集)

発行年奥付2005年 装「釘」 和田誠 「ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙」と帯にある。

丸谷才一が書評をこのように捉えている。

ラーメンまたはいろんな色、書評集の編集にも丸谷は長けている。

丸谷の書評はこの時代の書評の歴史そのもの、あるいは丸谷が日本の書評を作ったと言える。

書評の基礎勉強には、この本を読む、この本の書評(鹿島さん)を読む、『歴史の風…』のARでの紹介記事と、堀江さんの書評を読むと良さそう。

ぜひ、書評読みになり、自分で書評を打ち、書評の開く世界を楽しんで欲しいと「自分に」言い聞かせる。この本いいねと同様に、この書評いいねもみんなと言い合いたい。

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今日は『山といへば川 』(中公文庫)  1995/9/1を注文しておいた。丸谷才一の書評集。

その丸谷才一の大野晋との対談(書評)、『光る源氏の物語』を午後、読み続ける。興が湧き、150頁くらいまで一気に読む。

丸谷才一が紫式部を1人の作家として扱い、縦横に批評するのが面白い。「源氏物語」と紫式部が身近に感じられる。

そして、161頁のアーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』がイギリスで好評を博したわけは、ヴァージニア・ウルフなど知識人たちが人気者プリンス・オブ・ウェールズのゴシップを思い浮かべて、理解しやすかったから、と言う記述にはなるほどと思った。



2021年8月16日月曜日

「書評ワンダーランド」(仮称)の構想を妄想

朝起きしてまず、Kindleで『心臓に毛が生えている理由』 (角川文庫 米原 万里著)を読む。

モスクワ大学経済学部長の以下の発言が引用されている。米原万里でなくても、恥ずかしい。

「知識は豊富なんだけれど羅列なんですよ。それを体系化して現実の全体像を把握するのが学者の仕事だと思うのだが。日本は学問観が違うのかなあ」」

https://a.co/aO9uM0Z

(949/2727 34%)

同書の新聞紙面表現批評、古い皮袋に新しい葡萄酒、とこれは米原万里さんが日本の新聞をほめている。

(1354/2727 49%)

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朝読書で『三人で本を読む』(文藝春秋)に目を通す。

あとがき。

丸谷才一。文藝春秋読者賞受賞のコトバ。必要なとき対立をはつきりさせて、わだかまりを残さない、話し合ひ方の模範試合。文藝春秋で書評を載せるのは初めてだったが、座談会という形式は菊池寛の創案。

山崎正和。出席者は二重の会話を交はさねばならない。出席者どうしと讀者のためと。

木村尚三郎。早春の協奏曲。嵐もあるが花も咲く。協奏のメンバーは3人プラス速記者と編集者の計5人。

この期間中、山崎氏は吉野作造賞、読売文学賞(1984年)。丸谷氏の『忠臣蔵とは何か』(1985年)はベストセラー。

書評部分で紹介されている百目木恭三郎『読書人 読むべし』(新潮社)は図書館で注文した。「読書のための読書」の本らしいので。

ARで探ってみると、「鼎談書評」本は他にもありそう。『固い本 柔らかい本』というのがご近所図書館にある。これも借りてみよう。ところで『丸谷才一全集』がご近所図書館にあるのに気づいた。今夜見てこよう。

『完本 茶話』やはり借りるべきだ。泣菫は10年以上ほぼ毎日書いた。谷沢永一と浦西和彦が編集。

ということで積ん読増加好きには『鼎談書評』をおススメする。💦

BGMはこれ。

https://music.apple.com/jp/album/wilhelm-kempff-plays-bach-transcriptions-for-piano/1452591249


***


シャワーを浴びながら、「書評ワンダーランド」(仮称)の構想を妄想。

キャッチフレーズ、〈書評を「読み、打ち、楽しむ」〉。

仮想空間と一部実空間にて以下のような「書評と戯れる」世界を構築する。この世界の構築や運営はトップダウンでなく構成員の自発活動による草の根運動による。

(1)書評を読むエリア:ARや「書評集」や新聞掲載書評、雑誌掲載書評を読んで気に入った書籍を入手するなど活用する。

(2)書評を打つエリア:読んだ書籍について自分勝手に書評を打って(書いて)しまう。公開されたものについて感想を交換し合うこともできる。

(3)書評を楽しむエリア:書評の読み書きを通じて書籍宇宙を探検して楽しむ。読書会、年間ベスト書評選び、書評シンポジウム、書評ミニコミ誌配布(販売含む)なども行う。昔の書評の博物館もある。

10年ぐらいかけて実現したい。きっと楽しいぞ。 


BGMはこれ。

https://music.apple.com/jp/album/schubert-the-piano-sonatas/1452185547?l=en

2021年8月15日日曜日

丸谷才一/大野晋『光る源氏の物語』は『源氏物語』に対するなんと900頁の書評本


丸谷才一/大野晋『光る源氏の物語 上下』(中公文庫)を昨日ご近所図書館で借りてきた。二人のやり取りが面白いということなのだが、期待以上の内容。

2冊で900頁以上あるが、これは全体で『源氏物語』の書評と言ってもいい。源氏物語というスケールの大きい著作の書評をしっかりやるには900頁でも足りないくらいなのだ。下巻に瀬戸内寂聴さんの解説がついており、「源氏物語を読んだことのない人にぜひ読んでもらいたい」とある。つまりこの本を読むと源氏物語に直接ぶつかるよりも取り付きやすい。なによりこの本は読んで面白い。「読んだ人には、これを読んで、いかに自分がかいなでにしか読んでいなかったかを、肝に銘じて欲しい」とも。単行本でこの『光る源氏の物語』が出たのが1989年、文庫化が1994年。この解説を書いたとき、寂聴さんは源氏物語の現代語訳をしていたのだろうか。おいおい調べたい。

まだ最初の部分しか読んでいないが、たしかに自分も「かいなで」にしか読んでいなかったと思う。学生時代から原文と与謝野晶子訳で一応通読はした。与謝野訳のごく一部は青空文庫のボランティア校正もした。谷崎訳と瀬戸内訳はほんの一部分だけ読んだだけのので当たり前かも。この本をきっかけにまた、原文(JKP)、ウェイリー版、林望さんの『謹訳源氏物語』も読んでみたい。各国語に訳されたものもできるだけ。そして『紫式部日記』もぜひ読みたい。

負け惜しみで言うと、このように「書評」は書評読者の読書宇宙を大いに拡大深化させるすごい効果がある。

宇宙といえば、瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』の端本を捜したら、その横にしばらく見つからなかった『2001 filming the future』が見つかったので嬉しかった。これも丸谷/大野の書評本のもたらした効用。

今朝は、5時頃、大雨による避難指示通知がスマートフォンに届いて大きな音を出したので起こされた。昨夜はビデオ『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観て夜ふかししたのでつい二度寝して結局寝坊した。おかげで予定の『鼎談書評 三人で本を読む』の学習予定が一日伸びた。明日朝やるつもり。

***

ところで、映画も原作本に対する映画監督による書評と捉えることが出来る。すると、ARに映画(評)のパートを設ける意味ができる。などと妄想。


2021年8月14日土曜日

私がブログを書いているのは認知症の予防と対策練習のためと言える

 布団をかけて暖かくして寝たからか、寝過ごして6時40分になっていた。気にせず、朝読書。


巽孝之さんの『想い出のブックカフェ』(研究社)についてもう一度書いてみる。

viii頁。

「想い出のブックカフェは、すでに至るところにある。」

彼の言うブックカフェとは、そこで自由に本を読み気が向けば好きな仲間と本のことを語り合う仲間がいるところ。理想郷が現世に出現するたいせつな場所のこと。

4頁。

読書会の効用の話を読みながら考えた。
書評を読むのは一人でも手軽にできる読書会なのだろう。

第I部

米国の読書会一般の話。女性が多い。
『ジェイン・オースチン・ブック・クラブ』の話。

第II部

(読売)新聞書評委員の仕事の大変さ。
1ヶ月に最低10冊から20冊の書評対象候補作を読む。じっさいに選び出される本は月に2冊か3冊。
他に毎日新聞の「ほんの森」や文芸雑誌『すばる』の読書日記、エッセイ形式。
共同通信の文芸時評。毎月の文芸雑誌をくまなく読む。
この本にはこの時代の全書評が収録されている。

続いて朝日新聞夕刊(その後日曜版)書評委員時代の全書評。2005年から2007年。日曜版の場合、書評対象本は落札制。

第III部

学術書評の方法。
『翻訳の世界』誌(後に『eとらんす』と改名)で「現在批評のカリキュラム」を連載。学会誌に掲載した書評も。

新聞書評との違いは……もう少し読んでみないと言い表せない。

第IV部

沼野充義さんとの対話。
四方田犬彦さんとの対話。
高山宏さんとの対話。

最後のは抱腹絶倒。

第V部

310頁。
読書共同体の決戦、ティプトリー賞(ポスト・フェミニズム作家への賞。)戦記。まずティプトリーの経歴そのものが興味深い。

エピローグ

書庫改築のポイントは本の背表紙がすべて見えること。
本書も読者にとっての思い出のブックカフェやライブラリーになって欲しいとのこと。

索引(著者名50音順、著作名を含む)30頁強。自前でない本の場合、この索引内容を取り込んでおきたいが、手段をどうするか。手書きで自分のファイルに書き写す?

***

昨夜録画しておいた番組(下記)を観る。身につまされる。

認知症は怖くない。受け入れることが大切。その前に自分の好きなことを明るく出来るようにしておくことが大切だろう。周囲の理解を得ることも大切、そのためにも様々な束縛を軽減しておく必要がある。天真爛漫。悟り。ありのまま。遊行。

私がブログを書いているのも認知症の予防と対策練習のためと言える。数十年前のことよりここ数年のことが思い出せない。これは上記の番組に出てきた蛭子さんが数年前に著書を出したのにすっかり忘れている症状と似ている。

2021年8月13日金曜日

『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』をはじめ有用な気付きが多い幸せな一日


『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』を読了。荒俣宏さんの饒舌さに圧倒される。

さあ、これで追いかける対象の方やものがいくつか増えた。著者である荒俣宏さんはもちろん、平井呈一、「うさぎ家」、紀田順一郎さん( https://allreviews.jp/reviewer/59 )、「角川武蔵野ミュージアム」。

メモ:

318頁~。

米で『ディープ・スロート』、『フラッシュ・ゴードン』を、
英で『愛のコリーダ』、『スターウォーズ』、『七年に一度の夏』を観る。
日魯漁業をやめる。工作舎へ。
紀田順一郎の古典映画コレクション

320頁。

水木しげる先生と妖怪話で気が合う。

323頁。

「驚きを知でアースしないこと」。水木妖怪学のポイントもそこにある。

324頁。

プリニウスには「科学的」精神がある。正解のみを求めないという面で。ファインマンの話に通じる。

328頁。

シェヴァルの理想宮(妖怪城)。

358頁。

プルースト論。

360頁。

紀田順一郎さん、219年ゲスナー賞。書誌学
「平井呈一年表」(書名は正しくは『平井呈一 生涯とその作品』。これはS図書館で借りるつもり。)

うさぎ家ふたたび。

373頁。

IBM370のプログラマだったアラマタ青年は夜中の作業の前の時間つぶしに並木座で映画見物。

1988(昭和63)年、『帝都物語』がヒット。

398頁。

コレクターは「永遠に廃棄できないゴミ」の番人。例、植草甚一。

424頁。

52年前神保町、「大屋書房」「同洋書部」。「いもや」のてんぷら定食、「さぼうる」。懐かしき店たち。

448頁。

「角川武蔵野ミュージアム」令和2年11月6日開館。

https://kadcul.com/

***

Twitterでここを教わった。素晴らしい。使えそうだ。

「明治期出版広告データベース」(国文学研究資料館)

http://base1.nijl.ac.jp/~meiji_pa/


***

ここも教わった。

https://www.amortowles.com/the-lincoln-highway-history/

DeepLで翻訳しながら読んだ。エイモア・トールズの秋の新作『The Lincoln Highway』の予習にちょうどいい。Carl Fisherという人物も興味深い。調べたいが、時間が……。

https://en.wikipedia.org/wiki/Carl_G._Fisher

新作本の予習にはこれも観るべし。
『100 Years on the Lincoln Highway 』

https://youtu.be/SIW2-bH84u4 @YouTube

***

「あらゆる本は書評の要素を含む」

津野海太郎『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』(平凡社)を読みはじめてそう思った。私はしばしば後書きから本を読むが、この本の300頁からの後書きと304頁からの参考文献を読んでピンと来たからだ。本は単独では存在し得ない。著者の読んだ本からのこだまがその著書の中でカリヨンのように高くまたは低く鳴りひびく。

丸谷才一『木星とシャーベット』(マガジンハウス)の22頁に、このことが詳しく書かれていること(と解釈できるご意見)を発見。

「孤独な個人の権威によつてではなく、文学の伝統に促されて書いてゐる。……文学から文学を作る方法は別に異様なものはない。」

なるほど!こんなことに気づきながら読書できるのは、楽しい。

***

これは有用なTweetだ。Facebook経由で教わった。

とりあえず、単独でみらい翻訳を試した。早い。明日はDeepLと比較したい。

https://miraitranslate.com/trial

どちらにせよ、Web上の英文の記事などは翻訳しながら読むのが、私には効率的だ。どらえもんのほん訳コンニャクが実現したようなもの。

2021年8月12日木曜日

芥川賞受賞作はどちらもスバラシイ


以下は午前中にTweetした文章そのまま。

石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」を『文藝春秋9月号』で読みました。素晴らしい。
前半のたゆたうような文章が、後半になり一気に流れるように終末へと続く。ともかく一読をお勧めします。

よくわからない文章ではあるが、気に入ったということは伝わるだろう。寺田寅彦や夏目漱石(の作品)などが登場するので親近感を持った。将来有望な方で早く次回作が読みたいが、じっくり育ってほしいという気もする。

BGM。

https://music.apple.com/jp/album/gabriel-dupont/830522285

せっかくなので、「彼岸花が咲く島」(李琴峰さん)も読んでしまった。こちらは最初から引き込まれて一気に読み終える。筆力がスバラシイ。手慣れた感じすら受ける。

BGM。

https://music.apple.com/jp/album/gabriel-dupont-la-maison-dans-les-dunes-gustave-samazeuilh/1433833912

このガブリエル・デュポンという作曲家は知らなかったが、偶然聞いてみるとすごく良い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%9D%E3%83%B3

https://fr.wikipedia.org/wiki/Gabriel_Dupont

 

少し追いかけてみたい。

***

中元の買い物で出かけたこともあり、書評の勉強は今日はお休み。スミマセン。


2021年8月11日水曜日

装丁する本の裏表紙の上部にバーコードが印刷されることを和田誠は嫌った

 昨夜、寝る前の読書。米原万里『心臓に毛が生えている理由』(角川文庫)。

このなかの「花より団子か、団子より花か」の中のラーゲリ(旧ソ連の強制収容所)に入れられた女性たちの挿話。つらかったのは必ずしも寒さや空腹でなく、情報が遮断されたこと、本も筆記用具も所持できなかったこと。生き延びる工夫は記憶の中の「本」をお互いに声に出して「読む」ことだった。

「それからは毎晩、それぞれが記憶の中にあった本を声に出してああだこうだと補い合いながら楽しむようになる。かつて読んだ小説やエッセイや詩を次々に「読破」していく。そのようにしてトルストイの『戦争と平和』やメルヴィルの『白鯨』のような大長編までをもほとんど字句通りに再現し得たと言う。」

—『心臓に毛が生えている理由 (角川文庫)』米原 万里著 Kindle位置No.690/2727付近。

https://a.co/bHqtTyB


『収容所のプルースト』を思わせる。

https://allreviews.jp/review/2045

***

朝読書、『いろんな色のインクで』を読み続ける。

134頁。

『スプートニクの恋人』これは「ノヴルでなくてロマンスである」とのこと。

184頁。

薄田泣菫の『茶話』のこと。詩人は人生を二度生きる。泣菫は二度目の人生で随筆を書いた。
『完本 茶話』上中下を図書館で借りよう。解説も読みたいので。

210頁。

和田誠の『装丁物語』の話。(和田誠は広辞苑に従い「装丁」派。丸谷才一は大漢和辞典に従い「装釘」派)

裏表紙(カバー)にバーコードが印刷されることが多いが、デザイン上よろしくないと和田誠は抵抗したそうだ。さて『いろんな色のインクで』の装釘(和田誠)は? バーコードの位置は帯の上。


書評集で書評を読む時、初出媒体は何かを調べてから読むべし。文体を含め、丸谷才一のはがらりと異なる。

***


BGM。

"Emperor" Concerto
by Ludwig Van Beethoven; Artur Schnabel; Frederick Stock; The Chicago Symphony Orchestra
RCA Victrola (VIC-1511)

https://archive.org/details/lp_emperor-concerto_ludwig-van-beethoven-artur-schnabel-freder/disc1/02.01.+Concerto+No.+5+in+E-Flat%2C+Op.+73+(%22Emperor%22)%3A+II.+Adagio+Un+Poco+Mosso%3B+III.+Rondo%3A+Allegro+.mp3


Cantata No. 45 / Cantata No. 105
by Johann Sebastian Bach; Helen Watts; Agnes Giebel; Tom Krause; Ian Partridge; L'Orchestre De La Suisse Romande; Ernest Ansermet; Les Choeurs De La Radio Suisse Romande; Pro Arte De Lausanne
London Records (OS 25996)

https://archive.org/details/lp_cantata-no-45-cantata-no-105_johann-sebastian-bach-helen-watts-agnes-gi_0/disc1/01.01.+Cantata+No.+105+%22Herr%2C+Gehe+Nicht+Ins+Gericht%22.mp3

2021年8月10日火曜日

ブログは継続期間と内容の検索方法がモンダイ

以下のTweetに目を引かれた。



これはすごい。ぜひ私のブログでも見習いたい。あたりまえだが、内容では勝てない、そこで日数(期間)で勝とうと考えた。期間で言うと彼女のは7年間、私は2016年秋からなので、今5年目。あと3年続けると記録を破れそうだ。とりあえず、そこを狙いたい。

内容に関しては、少しでも自分のブログの価値を高める工夫をしよう。とりあえず、検索キーワード例を追加した。


これらのキーワードでブログを検索してみると、随分雑多な、ではなくて、いろいろなことを書いていると我ながら感心する。そして今、手掛けている「書評の勉強」の記事作成にもぜひ役立たせたいと改めて思った。キーワード例を追加したり、もっと良い検索方法と検索結果の編集方法を考案したい。

追記:アーシュラ・K・ル・グィンのブログを眺めていると、このようなシンプルな形式のブログの読みやすさと、資料としての使いやすさを感じた。見習う。

2021年8月9日月曜日

向井敏の書評集『残る本 残る人』(新潮社)での話題には後輩としてだが共感できる部分が多い

朝4時50分、あまりのうるささに目を覚ましベランダに出る。迷いこんでいたらしきセミ君に退去いただき、エアコンもつけて無事また就眠。

しかしすぐ目が覚めて、以下の記事をTwitterで見た。面白い研究だが、意味があるようなないような。いやあるのだろう。

https://gigazine.net/news/20130806-simulating-1-second-of-real-brain/?fbclid=IwAR2S9OtQC8zw7lnxf8JN3k_WgR2kUws_hr-AOQtXQyixAlZEPjsm6iH92rA

***

朝読書。6時10分から。


向井敏『残る本 残る人』(新潮社)に目を通す。

https://allreviews.jp/review/2352

まずは、「あとがき」の主旨など。

今後生き残るだろう本の良さを知らせたい。

書評内で著者の作品歴もたどると申し分ないだろう。記憶に残る著者達に関して。

両者ができるにはスペースが必要で、週刊朝日(当時)2500字、毎日新聞2000字もらえたので可能になった。

最初の書評集は『書斎の旅人』。他に『机上の一群』。これはまだAmazonのカートに入っている(はず)。

巻末の初出情報を見ると、毎日新聞(1989年〜2000年)、週刊朝日(1989年〜1993年)が主。他、東京人(1997年)、大航海(1995年)、ジャパン・アベニュー(1991年)、文藝春秋(1989年)。

* 

向井敏は1930年生まれ。私からすると「叔父さん」位の年代。取り上げられている話題がピンとくる。

ところでトーマス・マンは1875年生まれで父より30歳上。祖父の年代なのだ!これは(私としては)嬉しい発見。

思い立って尊敬する著述家たちの生まれた年代を調べてみた。区分けは少し強引か。

私の祖父世代

パウル・トーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875年6月6日 - 1955年8月12日)

私の父(1906年生まれ)世代

植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)

森 有正(もり ありまさ、1911年11月30日 - 1976年10月18日)

私の「叔父より少し若い」世代

丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)

辻 邦生(つじ くにお、1925年(大正14年)9月24日 - 1999年(平成11年)7月29日)

向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002年1月4日)

私と同世代(💦)

村上 春樹さん(むらかみ はるき、1949年1月12日(昭和24年 - )

鹿島 茂さん(かしま しげる、1949年11月30日 - )

『残る本 残る人』の書評中で気になった単語は。

丸谷才一、小西甚一

村上春樹のやみくろ、(現代日本への批評だ)。

和田誠と映画字幕

岡本綾子

中村紘子

椎名誠

丸谷の訳し論じた源氏(も読みたい。『光る源氏の物語』大野晋との対談。図書館で予約済み。)

7時半。朝風呂へ。


2021年8月8日日曜日

丸谷才一『いろんな色のインクで』はこの本そのものを読むことがとても愉しい書評集

書評集の題名には趣向が凝らされているようだ。

鹿島茂さんの『歴史の風 書物の帆』という題名については以前書いた。

https://hfukuchi.blogspot.com/search?q=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E9%A2%A8%E3%80%80%E6%9B%B8%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%B8%86

この書評集を読んで書いた以上の考察が、私を書評の勉強に駆り立てた。

前回読んだ丸谷才一の『蝶々は誰からの手紙』。蝶は三好達治の詩を思わせ、同じ詩でヨットの帆も連想させる。安西冬衛の詩も少し思い出す。

この書評集の冒頭の「はしがき」に並んだ様々な色のインク瓶のことが出てくるが、これは今回読む『いろんな色のインクで』に呼応する。そして帯の言葉にも「手紙」が登場している。なお、装丁はもちろん和田誠。「はしがき」のインクと筆記具の話も趣き深い。


本文冒頭は……

「I 書評のレッスン」

「藝のない書評は書評ぢゃない」

挑戦的な題名だが、丸谷さんの書評を知っている人にはそうでもなく、内容は丁寧な書評の書き方の手引きになっている。書評ファン必読。

その後の「実例」書評。ふたつ。

「マンゾーニ『いいなづけ』の書評を書き直す」

「カズオ・イシグロ『日の名残り』の書評に書き足す」

「II 74の書評」

スバラシイ書評満載。いくつも読みたくなる本が紹介される。たとえば、

「ミセス・ブラウンの配色」では『マティス・ストーリーズ 残酷な愛の物語』。

「辺境のキリスト教」では『聖者と学僧の島』。

「文学的伝説」では『失われた世代、パリの日々』。

ここまでしか読んでいないが、まだまだ読みたくなりそうだ。

「書評集」そのものが読んで楽しいことを再認識させてくれる、古本で安く買ったのだがすごいコストパフォーマンス。


2021年8月7日土曜日

『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)はインパクトのあるマジメな書評集

今朝のTwitterでジーンズの『神秘の宇宙』が話題になっている。

ジーンズ鄕のことはトーマス・マンや戸坂潤との関連で少しブログに書いたので、今朝のいくつかのTweetを面白くよんだ。ウルフの『波』や『群像』今日発売版をゆっくり読んでみよう。

https://hfukuchi.blogspot.com/search?q=%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA

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孫を預かる土曜日。ワクチン接種の副反応が……などとは言っていられない。さんざん遊んで夕方6時半の電車に父親ごと乗せる。孫は来てよし帰ってよし。

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この眼鏡の絵がいいね! カバーデザイン:多田進さん

昨日読んだのが『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)。読売新聞の書評欄に2001年から2004年に書いた書評と、米原万里展の図録に2008年に書いた全著作書評。藤沢周平の追悼文が掲載されている。この本の井上ひさしの書評はどれも単なる本の話題だけではなく、現代社会の持つ問題点を深くえぐる内容である。井上ひさしはつくづく誠実な人間だったのだと思わせる。

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一昨日注文した『いろんな色のインクで』(丸谷才一 マガジンハウス)が届いた。最初のインタビュー記事の題名が「藝のない書評は書評じゃない」と振るっている。楽しみだ。明日のブログで一部でも速報する。


2021年8月6日金曜日

『想い出のブックカフェ ― 巽孝之書評集成』(研究社)を読み始めた(「書評の勉強」)

朝6時起床。あまり気分良くないが、熱はない。

朝活読書開始。以下のメモを書いたが、朝食後ワクチン接種した方の腕の痛さからかなり気分が悪くなりロキソニンを飲んで寝てしまった。メモにはもっと手を入れる必要がある。


巽孝之さん『想い出のブックカフェ ― 巽孝之書評集成』(研究社)。

プロローグ

解釈共同体(読書会のことだった―第I部)
『ホメるのが怖い』と書評誌と日曜のトースト
新聞書評と書評誌書評と学術論文(書評)
もどって第I部から第IV部までの構成。

第I部

ブッククラブ

第II部

読売新聞書評(説書委員)
毎日新聞「読書日記」
『すばる』読書日録
共同通信文芸時評「読む旅に語りたい」
朝日新聞書評委員時代の全書評

第III部

学術書評の方法
学会誌掲載書評

第IV部

対談集

第V部 

読書共同体の決戦――ティプトリー賞戦記

エピローグ

ベテラン書評家の書評集は歴史的証言。
友人たちに送る手紙。絵はがき。
メタ書評
別荘の書庫改造
「カフェ・オーディネール」下北沢

索引(著者名50音順、著作名を含む)30頁強。

このぐらいの情報を揃えておけば、興味のもてる書評集を検索でき、原本をAR図書室にそろえて、個人使用用にコピーサービスできそう。***

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夕方の句。

接種済み午睡の覚めてヒグラシや

かなり気分は良くなった。食事は規則正しく出来ている。

2021年8月5日木曜日

書評集『蝶々は誰からの手紙』(丸谷才一)の書評文章中の批評精神に脱帽



『蝶々は誰からの手紙』を朝の一時間(6時~7時)で本文を読みおえる。

306頁。

村岡素一郎『史疑』(民友社)の話が出て来たので、国会図書館デジタルで眺める。この本の末尾にある民友社の宣伝頁で紹介されている本と著者のラインアップがすごい。福地桜痴の『幕府衰亡論』もある。

313頁。

「兼ねる辞書」で、丸谷才一の机の回りの本の様子がわかる。その中で『日本国語大辞典』に自分の言葉に関するメモを貼りこんで、スクラップブックとしても活用しているという話がさらりと書いてあって凄い。

323頁。

「読書という快楽への誘惑者」で向井敏が紹介されている。「読書という快楽への誘惑者として最高の人」と。「毎日新聞」「週刊朝日」「文學界」「東京人」ヘ寄稿。向井敏の言葉、「数百字の渺たる書評が大冊の評論にはるかにまさる『批評』を蔵している例は数知れない」も紹介。向井の方法の特質は次の通りだそうだ。

1.格式や序列を無視。差別から遠い。
2.ディテイルを大事にした。
3.大局観。(教養と博捜のたまもの)
⒋新人を見出す眼力。(鹿島茂、村上春樹、池澤夏樹など)
まとめると「好きこそものの上手なれ」。

向井敏の『残る本 残る人』を注文してしまった。

https://allreviews.jp/review/2352

344頁。

「考へるための道具としての日本語」の一節。

「言語には伝達の道見という局面のほかに、思考の道具といふ性格がある。人間は言葉を使ふことができるから、ものが考へられる。言葉が寄り添はなければ、思考は単純になつたり、しどけなくなつたりする。その思考の道具としての日本語についてはちつとも配慮しないのが近代日本の言語政策であつたし、言語観であつた。」

355頁。

「いま日本経済はあやふく、政治はひどいことになってゐる。」

2002年7月31日朝日新聞夕刊の記事だがこれも現在書かれたと言っても通用する、いや現在の方が切実と思えるような文章である。丸谷才一の先見性。

末尾に「初出一覧」が掲載されている。ここは重要。その後に「書名索引」と「著者名索引」と「訳者名索引」があり便利。

書評の初出媒体の主なところは、

・毎日新聞(あたりまえか)

・朝日新聞

・日本経済新聞

書名索引には100冊弱の本。

奥付けの後ろに出版社の本の紹介付き宣伝のページがあり、これを読んで、『いろんな色のインクで』を注文してしまった。

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新聞記事横断検索サイトを一つ見つけた。私は大昔にNiftyのIDを取っていたのですぐアクセス可能だった。記事のダウンロードには料金が必要。

https://business.nifty.com/gsh/RXCN/

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新型コロナワクチン(ファイザー社製)接種2回目。近所のかかりつけ医のK内科クリニックで受けた。いまのところ副作用なし。解熱剤はこの春同じクリニックで処方してもらったものがあるが使わなくて済みそうな気がする。希望的観測。

2021年8月4日水曜日

『蝶々は誰からの手紙』は丸谷才一流書評の教科書だ

もちろんすべての書評をロハで読むわけにはいかない。少し前の書評集なら古本で安く入手できる。それを手元に置いて書物の宇宙を探検する手掛かりとするのが、大人の知恵では無かろうか。

書評そのものの価値を宣伝し過ぎると、古本の書評集の価格も騰がってしまうおそれがあるが、まずは心配しなくても良さそうだ。少し残念な希望的観測。

古本になったときの値段こそ、その本が読者にとって望まれているかどうかの判断材料である。良いかどうかではないのが悲しいのだが。

朝活読書をここ数日続けているが、じっと読んでいると腰が痛くなってくる。時々は動かないといけない。同様に読んでばかりいると頭の筋肉が痛くなってくるので、書いたり話したりしないといけない。

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ともかく、『蝶々は誰からの手紙』を立ったり座ったり寝転んだりしながら読み続ける。

266頁。

「中年男になると」はイタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』の書評。著者はジョイスの年上の友人で実業家・作家。代表作『ゼーノの苦悶』。

丸谷才ーは『トリエステの謝肉祭』の方を買っている。その作品原題『老年』の英訳にジョイスは『中年男になると』と題を与えた。そしてアナトール・フランスより巧みだと評したが、丸谷才ーはプルーストに勝ると好評価。

この書評を読むと、書評が読書宇宙そのものと思えてくる。素晴らしいのだが、『トリエステの謝肉祭』を読まなくても読んだ気になってしまう。これも丸谷才ーの技なのでありがたく受け取る。

239頁。

「日本近代文学は彼ではじまった」津野海太郎『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』

私の場合この書評の題名「日本近代文学は彼ではじまった」と津野海太郎と書名『滑稽な巨人坪内逍遙の夢』だけでノックダウンされて、PCのところに行って図書館で予約してしまう。もちろん「じつに愉快で、哀れが深くて、読みごたへのある伝記」と言う丸谷才一の意見があったからだが。

246頁。

「あの戦争から60年」

「あのいくさのあひだ書き記された日記類は多いが。共感を禁じ得なかったのは清沢洌『暗黒日記』。マス・ヒステリーの日本を誠実にそして知的に批判し、希望を捨てない。敬愛の念をいだいた。」毎日新聞に2005年8月14日の掲載された書評だが、今もいや今だからこそこの本を読みたくさせる記述。

259頁。

「作文で困ったとき」

「近代日本語は口語体の成立以来、小説家によって作られた傾向があるのだが、その代表である自然主義作家たちは語彙が貧弱で、それが社会全体に強く作用してゐたからである(たとへば政治家の言葉づかゐの低調さ)。『日本語シソーラス』はこの文明の疲弊を正す本になるかもしれない。」

この批評精神も見事だし当時(2003年毎日新聞掲載)だけでなく、今にも見事に通用するのは恐ろしいくらいだ。

上記4つの書評は丸谷才ーの考えるところの、良い書評のお手本のようなものだ。

このような書評模範例の紹介と、初出情報のダイジェスト、対象本の傾向などを「書評の勉強」ページに追加したい。

2021年8月3日火曜日

書評集『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)は書物宇宙に行くための宇宙船

 

米原万里の書評集『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)を少しめくって見ただけなのに、打ちのめされそうになった。

最近は勉強のために書評集をよく読んでいる。あまりなじみのない書評家の書評集の場合、まずは、まえがき、目次、あとがき、索引、文庫本なら解説を読む。ここまでで、この書評家がどんな態度で書評を書いているかを知る。勉強中なのでメモを取る。その後、目をひく書評、愛読している著作家の本の書評を自分の判断で拾い読みしていくのが通常の手順なのだが、今回は違った。

巻末の解説で、丸谷才一が米原万里をベタ褒めしている。これはもちろん米原万里の赫々たる書評家経歴が物語るように、その書評が素晴らしく切れ味が良く丸谷才一が好きな「構え」の大きさがある、つまり文明批評になっているからだ。丸谷才一の『笹まくら』の書評が著者の目から見ても素晴らしいからでもある。ちなみにこの書評の題名は書評集の表題ともなっている。……

『笹まくら』はたしかに文庫本で読んだはずだがかなり(30年?)前なので筋を朧げにしか覚えていない。この書評にやや詳しく紀介してあるので思い出した。多分自分の覚えているよりも鮮明な「打ちのめされるような」記憶に塗り替えられて。

ここまで来て、読書の宇宙というコトバが頭に浮かぶ。米原万里が居て、丸谷才一が居て、この書評が書かれて、書評集の標題作になり、私がそれを手にとり、しかも昔まがりなりにも『笹まくら』を読んでいないと私にとっては成立しなかったのだが、どちらにせよ厳然として存在をしていた読書の宇宙があった。そのことに震えるような感動を覚えるし、その感動をもたらしてくれる「書評」という文章形態に感謝の念すら感じるのだ。

まだ下手な文章だが、これを書き直すと「書評の勉強」ページの材料になりそう。次回の巻頭言にもしたいぞ。

***

ついでなので『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)も密林で注文してしまった。(『打ちのめされるようなすごい本』の書評を掲載している書評集。)

『丸谷才一全集』も日本の古本屋さんで注文しそうになったが、置き場所がないので思いとどまる。近所の図書館で借りる。(泣)。

『笹まくら』の文庫本は置き場所を奇跡的に思い出して無事に保護した。

書評宇宙船を使った読書空間疑似宇宙旅行は愉しいね。とTweet。

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BGMを聴きながら、もっと打ちのめされることにする。つまりもっと読む。

The Complete Flute Concertos
by Antonio Vivaldi; Jean-Pierre Rampal; I Solisti Veneti; Claudio Scimone
Columbia Masterworks (D3S 770)

https://archive.org/details/lp_the-complete-flute-concertos_antonio-vivaldi-jean-pierre-rampal-i-solis/disc1/01.01.+Concerto+No.+1+In+F+Major%2C+P.+261%2C+%22La+Tempesta+Di+Mare%22%3A+I+-+Allegro%3B+II+-+Largo%3B+III+-+Presto.mp3


2021年8月2日月曜日

「書評はおもしろい」と丸谷才一が『蝶々は誰からの手紙』で教えてくれた

午前中は町内会(自治会)のオシゴト、敬老祝品配布先調査のチラシの印刷に時間を費やす。誰かがやらなければならない仕事なのだが、もう10年以上やっているので、そろそろ若い人に代わってもらいたい。しかし町内会の活動をしているのはお年寄りばっかり。若い人は忙しいのだ。きちんと予算をつけて人を雇うべきなのではないか。単独の町内会では仕事量が少ないので複数の町内会がまとまればいいのではないか。今度提案してみたい。

***

BGM

Dvořák: Piano Quintet In A Major, Op. 81
by Antonín Dvořák; Peter Serkin; Alexander Schneider; Felix Galimir; Michael Tree; David Soyer
Vanguard (SRV-288SD / SRV-288 SD)

https://archive.org/details/lp_dvok-piano-quintet-in-a-major-op-81_antonn-dvok-peter-serkin-alexander-schneid_0/disc1/01.01.+1.+Allegro+Ma+Non+Tanto.mp3

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朝一で『ブック・カーニヴァル』を読みつぐ。『終末のオルガノン』も読みたくなる。

***


昼寝の前に『蝶々は誰からの手紙』を読みすすめる。

昨日、この本の抜粋を作りながら考えたことをもう一度反芻してみた。なぜ書評に関わるのかの答えは、書評を読むことが書物を読むことと同質の喜びを与えてくれるから、なのではないか。三中さんの言葉を借りれば、私の「工房」のなかでは本を読むことと、書評を読み・書くことが有機的に結びついている必要がある。

61頁。
篠田一士の『現代イギリス文学』のなかの書評の話も読んでおきたい。

***

「書評の勉強」を書き継ごうとしながら、以前の井波律子の『書物の愉しみ』の内容を思い出そうとした。ブログには図書館で借りて読んだときの印象しか書いていなかった。実際に「書評の勉強」の一部にするには、印象記だけでは不十分で、

https://www.iwanami.co.jp/book/b454625.html

に書いてあるような情報つまり、目次内容・初出一覧・主要作品名索引/主要著者名索引などが欲しい。上記ページにリンクを貼るといいが、初出情報や索引ワードなどはやはり実物にあたって手に入れなくてはならない。基本は実物の本に当たらなくてはならない。手間を惜しんではいけない。

2021年8月1日日曜日

丸谷才一『蝶々は誰からの手紙』を読むと書評の勉強がはかどる


『蝶々は誰からの手紙』の冒頭を読んだ。丸谷才一の書評論は、日本の書評を語る上で絶対に避けて通れない。「良くも悪くも」丸谷才一は書評の帝王で、書評の地位を高めた功労者。書評は文化の批評として大切なものという認識を深めさせてくれる。

少し引用する。30頁〜31頁。毎日新聞の「今週の本棚」に関する和田誠との対談。

「高価な学術書を買って読むのは大変だけど、評者のダイジェストした五枚を読むのは楽ですよ」

「書評はいわゆる読書人はもちろん読むべきものです。でも読書人でない人はもっと読むべきものだ」

そこで和田誠の言っているように、読んで面白い書評ということがあるわけだ。

36頁。

「新刊の良書に一通り目を通すことは不可能だろうが、書評をある程度読むことはむずかしくないし、それは時間の上手な使い方かもしれない。」

44頁。歴史的なことの記述。

「「週刊朝日」の書評ページ「週刊図書館」は1951年」(昭和26年)2月にはじまったのだから、まもなく42年目を迎へようとしてゐる。……扇谷正造はいはば日本の書評文化の創始者であった。……「文藝春秋」は……1977年(昭和52年)、半藤一利編集長のときに「鼎談書評」をはじめた」

「代表的な書評者は……」(たくさんあるので今日は略す)

45頁。

「週刊朝日」の書評欄の代表作を選んだ『週刊図書館40年』3巻があるそうだ。日本文化の縮図となっているそうだ。調べたらこれは近所の図書館で借りられるので予約しておきたい。

47頁〜48頁。

「戦後日本の書評文化は二人のジャーナリストによつて作られた……「週刊朝日」の扇谷正造と毎日新聞の斎藤明です。」

この直後にイギリスの書評の歴史の記述もある。そしてその水準の高さについても。

51頁。

「「週刊朝日」はイギリスの書評を目ざしてゐる、……「週刊図書館」草創期の筆者は、浦松佐美太郎、河盛好蔵、坂西志保、中島健蔵、中野好夫、など」

44頁の書評家とともに、これらの書評家についてもこのブログのどこかに業績をまとめておきたい。特に彼らの『書評集』について。

55頁。

「扇谷編集長は「週刊朝日」の読者を想定するのに、「高等女学校卒プラス十年の人生経験」といふのを考えてゐた……おもしろくて役に立つ。たとへば鹿島茂による『医心方』「房内編」(筑摩書房)といふ平安期のセックスの教科書の書評、すごい反響でしたよ。」

まだ、先は長いのだが、どこを読んでも勉強になりそうな本だ。買ってよかった。

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ARの巻頭言チームのなかの会話で、ミチコ・カクタニさんの話が出た。この方のことも知りたい。たとえば、ここを読んでみよう。

https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/library/national/041498kakutani.html