ファーブルが昔から好きだった。最近見た(見直した)動画、「アルマス」は彼の終焉の地であり、『昆虫記』を書き上げた仕事場である。庭(というより邸内の野原)は彼の重要なフィールドであり、かつ愛すべき小さな机を含む書斎部屋もある。ファーブルは野外観察を愛した、その観察なくしては名作『昆虫記』はありえない。
これが理想的仕事場であろう。単に書斎というと欠けるものが多すぎる。
作家にせよ学者にせよ書斎の机や本棚や資料棚のバックグラウンドに広大な「フィールド」が広がっていなければならない。
『書斎の王様』(岩波新書、1985年)という好著がある。話題が書斎のみにかぎられるが、面白く「参考」になる。参考をかっこでくくったのは、ここで紹介されている莫大な蔵書数を誇る書斎は、昭和の遺物なので現代の老年には実現不可能ということがワカルという意味。不可能なだけではなく、逆にこれを目指してはいけない、インターネットで我々に必要なうちのかなりな部分は、もっと手際よく実現できる。
アシモフが父親から百科事典を譲り受け、屋根裏の窓なし豪華書斎に設置して、科学読み物執筆に利用できると大喜びしたことが、『アシモフ自伝』に書いてある。私も平凡社の世界大百科を揃えたいと、ごく最近まで思っていた。しかし、価格の高さと設置場所のないことで、二の足を踏んでいた。この悩みは、昨年ジャパンナレッジ(有償)に加入することで解消された。世界百科を買う30分の1程度の年間価格で、最新版の世界大百科も日本百科も歴史事典も東洋文庫も文庫クセジュ他多数が全文検索できる\(^o^)/
考えてみると、他のインターネット上の無料有料サービスを活用すると、過去現在の書籍や論文や資料、絵画、音源などが無数に手に入る。四庫全書や康煕字典などを作らせていた皇帝よりも、庶民であるわれわれのほうが条件がよい。なんともスバラシイことではあるまいか?
ただし、条件がいいだけで、ここからうまく情報を検索して、理解して、活用できるかどうかは、個人の資質による。必死で研鑽をつまないといけない。
昨夜、衛星放送TVで水木しげる先生のお話を視聴した。彼の晩年の仕事場の写真はiPadのロック画面にしてある。しかし、彼の場合もフィールドが問題。ニューギニアの「楽園」にあこがれ、世界のおばけグッズを収集していたかれのフィールドは人間や他の生き物のココロを含む広大な宇宙であったのだろう。
自分のフィールドに自由に行き来できる書斎(仕事場)を創るのが、夢ということになる。さてどうしたもんじゃろう。そもそも私のフィールドはどこにあるのか?
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