2017年11月14日火曜日

明晰夢を見る能力があるなら、明晰夢を活かそう


 「サリンジャー…」を読み終えて、彼の著作をすこし紐解いている。「Franny and Zooey」は三種類の翻訳本(鈴木・野崎・村上訳)がある。もっとありそうなので探してみたい。原書も学生時代に持っていたのだが、どこかにいってしまった。ひょっとすると実家においたままでもうなくなっている可能性もある。Kindleで入手をかんがえようかしらん。

 Zooeyの冒頭で、洗面台の棚の中の雑多な商品を列挙する記述がある。そのうちの一つ、最近の訳では「デンタル・フロス」となっているものを、「塗蠟絹糸」としたり(#理屈にあった訳ではあるが非現実的)、「歯ブラシ」と大胆に意訳しすぎたものもある。

 時代とともに翻訳の結果は変わっていく。これは仕方がない。文脈上破綻がなければ許されるのだろう。「クリネックス」は三者ともおなじで今となっては問題ないが、1960年台では日本の読者のほとんどはわからなかっただろう。箱入りのティッシュをみたことがない人には無理。

 そもそも、時代とともに移り変わる商品名を、長く残るべき文芸作品に使うかどうか、については慎重に考えなくてはならない。この場面で40種類も並べたのはサリンジャーのやりすぎなのではないか。

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 朝の5時によく目が覚める。忙しいときは起きてしまうが、暇なら二度寝する。今朝の5時に起きた時に、TwitterやFacebookを覗いてしまった。面白い記事があったので、Tweetした。




 この後、この記事の方法でたしかにいつもより鮮明な夢をみた。しかし、油断してメモを取らなかったので、内容を忘れた(T_T)

 明日からはメモ用紙と鉛筆を枕元に用意しておこう。

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 サリンジャーは、多分戦争体験が邪魔をして、「夢」と潜在意識を有効に使えなかったので、作品発表に行き詰った。という仮説も考えた。今後検証してみたい。

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 「私のファッション屋時代」(赤木曠児郎 1997年 近代文芸社)を読み始めた。赤木画伯は湯川博士に影響されて入った、岡山大理学部物理学科出身だが、数式が苦手で教養部時代に物理の単位を落とした。と書いてあった。よく卒業できたとおもうでしょう。

 先日の日仏会館での講演会で、種明かしがあった。当時岡山大学には東大や京大から夏休みなどに有名教授が集中講義に来た。それに出席して講義だけ聴けば、単位をくれたのだそうである。のんびりした良い時代だ。

 それでいて、卒業の2,3年後に得体のしれないことをやっている(つまり「まとも」な会社に就職していない画伯を心配して先生が訪ねてきて、就職を世話しようとしたらしい。ますます良い時代だ。

 画伯は私より15年先輩だ。

2017年11月13日月曜日

「サリンジャー 生涯91年の真実」ついに読了、手元に置きたい本だ…

 ラストスパート。

 495ページ。「フラニーとズーイ」出版前、例によって神経質になっているサリンジャーに、ニューズウィークなどの記者がパパラッチもどきの取材合戦。かわいそうだ。

 502ページ。1961年、「フラニーとズーイ」は案の定、読者には大人気。しかし、評論家や同業者からは冷たい評価。
 #「嫉妬」というコトバが頭にうかぶのは私だけでは無いだろう。一時の村上春樹さんのケースもこれに似ている。

 524ページ。沈黙のしかし忠実な読者は最大の味方。評論家なんかほっておけ。

 568ページ。1974年、ニューヨーク・タイムズ紙の電話インタビューに珍しくも30分も話した。「(作品を)発表しないとすばらしい平安がある。」

 その後は離婚や結婚を経験したが、「発表しない」作品を書き続けて、2010年、91歳で死去。
 #彼は天国でも、閉じこもって書いていると思う。邪魔のない天国で…

 この本には、巻末に索引や年譜(訳者作成)、詳しい注釈が付いている。座右に置きたい本だが、諸々の理由で、図書館に預けておきます(*^^*)
 読みたくなったら、2日くらいで近所の分室に届くし、他に借りる人はなさそうだし。



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 次に読むつもりで、古本1円で注文していた赤木先生の本も届いた。

2017年11月12日日曜日

サリンジャーのタイピングは2本指、私も(以下略)

 「サリンジャー 生涯91年の真実」、470ページまできた。第3コーナー過ぎて欅のあたりかも。

 355ページ。「ライ麦畑…」発表後は、名声を「虚名」と感じて悩み、ますます引きこもり症状が悪化。

 356ページ。憂鬱から逃れるため、フロリダやメキシコに旅行。しかし期待していた新しい小説の執筆はできなかった。このころラーマクリシュナに傾倒。

 359ページ。作中人物には救いがやってくるが、作者たるサリンジャー本人はなかなか救われない。

 371ページ。1953年、ニューハンプシャー州コーニッシュというど田舎に転居。ライフラインもない廃屋に住み、自分で手を入れる。結構これは楽しんだし、少ない住民とも仲良くやっていけた。少し天国に近づいたかも。

 388ページ。しかし、女子高生の自発的インタビューと思っていたのが、地元新聞の差し金だったことに激怒。再び引きこもる。自分の土地の周りに高さ2メートルの塀を立てる。

 424ページ。若い妻との間に娘が生まれた。なれない妻は病院のない土地で暮らすのは不安だった。子育てはなんとかなったが、執筆ができない。ついに、敷地内に防空壕のような建物を建て、そのなかにこもって執筆をする。

 #意外に快適そうな(子供がよく作る秘密基地めいた)環境だ。うらやましい。ますます天国的(*^^*)

 コンクリートの箱の中で、使い古したタイプライターを2本指で叩く。周りの壁にはメモが無数に貼ってある。

 456ページ。「ゾーイ」に出てくる、「太っちょのオバサマ」がキリストだという話。「太っちょのオバサマ」のために人は仕事をする。

 #これを、わかっていながら、サリンジャー本人は悟れないとすると、彼の性格の「弱さ」が問題になってくる。どうしたものか。

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 大相撲九州場所が始まった。マドンナ健在。しかしひさびさ出場の横綱稀勢の里が、玉鷲に負けた(T_T)

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 息子とLINEでお互いの作った夕飯の写真を交換。親ばか(*^^*)

 私のカレー。

息子のハンバーグ。


2017年11月11日土曜日

「サリンジャー 生涯91年の真実」は面白すぎてこまります

 佳境に入ってきた。面白いといっては、少し申し訳ないが、ページを繰るのがもどかしいほどだ。

 222ページ付近。戦争により精神を病んだ彼だが、「書く」ことで、精神の平衡をからくも取り戻した。アメリカには戻らず、除隊せずにドイツで暮らす道を選ぶ。当時の体験から書いたのが「想い出の少女」。本棚をあさって読んでみたが、背景を知って読むと、一層感慨深い。悲しい話だ。

 226ページ。サリンジャーは戦後一年間、ドイツで戦犯の捜索、逮捕を行っていた。この期間、結婚もしている。

 234ページ。米国に戻る。妻はサリンジャーを溺愛していた母親と折り合いが悪く、欧州に戻ってしまう。サリンジャーは作家業に戻ったが、編集者とトラブルが続き、編集者嫌いとなる。

 248ページ。ニューヨーク市内を離れ、郊外に移り住む。ヴィレッジの誘惑のない場所で執筆に専念。ニューヨーカー誌の専属作家にもなった。生活に追われての執筆という軛からは逃れることができた。いよいよ本格的に長編小説(ライ麦畑…)に取り掛かれる。

 280ページ。文名のあがったサリンジャー。カート・ヴォネガットやフィリップ・ロスやアップダイクに影響を与えた。
 #この作家たちの作品もベストセラーになり、日本でも読む人が多かった。

 290ページ。「エズメに…」を書く。無垢な少女に心の傷を癒されるX軍曹(サリンジャーのこと)を描く。#「エズメ」もこれから読み直したい。「シーモア・序章」も読み直すぞ。

 300ページ。やっとできた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。自信を持っていたが、また編集者や出版社とトラブル。担当者は作品の良さを認めたが、エライさんがわかってくれない。なんとか、出版にこぎつけるが、トラブルに嫌気が差し、1951年クイーン・エリザベス号でイギリスに旅立つ。イギリスでも出版の運びにはなっていたが、その直前にまた、米国に舞い戻った。帰りは
モーリタニア号に乗船。
 #このあたり「ノルウェイの森」出版のときの村上春樹を思わせる。村上春樹はその後も作品を発表し続けるが、サリンジャーはなぜやめたのか。「研究課題」

 出版された「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、思いがけないほど大きな反響を呼び始めた。



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 息子から外猫写真がまた届いた。違う猫だ。しかも目にLEDが仕込んである。アンドロイド猫かもしれない(嘘)


2017年11月10日金曜日

サリンジャーはやはりPTSDだったのか

 1945年の夏、ニュルンベルク出入院して治療を受けている旨、ヘミングウェイに手紙を書いている。213ページ。

 書く力を再発見して、その力を持たない兵士たちのために用いた。戦争体験から生じた疑問、生と死、神について、人間の存在などの問題に対する解答を得ようとした。219ページ。

 これがどのように後年の隠棲につながるのか。スラヴェンスキーの物語は続く。

 戦争の体験は、おぼっちゃま育ちのサリンジャーにはきつすぎた。母親の愛情がここでは裏目に出てしまったのはやむを得ないのか…

 母親といえば、「フラニーとズーイ」の、「ズーイ」冒頭に出てくるユーモラスなグラス夫人が思い出される。もちろん、サリンジャーの母親がモデルだろう。

 本を探したら、文庫本が3冊出てきたぞ。



 私が学生時代を過ごしたのは1960年台から70年台前半。「ライ麦畑…」や「フラニーとズーイ」は学生たちのなかでは、人気のある本だった。原書を持っている人が多かった。私も持っていて、なんとか読んだが、やはり野崎孝さんの訳本の助けを借りないと、楽しめなかった。進んだ友人は「ナイン・ストーリーズ」なども読んでいたらしい。

 映画「卒業」(日本では1968年封切)の原作本も、頑張って読んだ気がする。映画をさきに観たので、英語がよくわかったつもりになっていた。

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 外猫のはなちゃん。友人いや弟が居なくなったので少しさみしそう。



2017年11月9日木曜日

赤木曠児郎さんの講演会と、辻邦生―パリの隠者展、どちらも良かった

 寒風の中を恵比寿の日仏会館まで出かけたが、その価値はあった。

 辻邦生さんの高輪の書斎の古びた机。書き込みのあるパリの地図、佐保子夫人が描いた多数のマンガ。日記の原稿の細密な字。どれも興味深い。書斎の棚を写した写真にはトーマス・マン全集が認められた。

 よく観てから、出ようとしたら受付の女性が「どうぞ」と記念冊子を渡してくれた。ありがとう。

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 赤木さんの講演には少し時間があるので、近所を散歩してみた。日本離れした街並み。


 コンビニでお茶を買ったが、従業員はみな外国の方だった(・・)

 赤木さんは時間を30分オーバーして喋った。講演は最初で最後かもしれないとおっしゃる。私の精密な画風の源泉は物理学を専攻したことと、洋裁という手仕事に関わって、物事を深く追求するところから来るのだとも。






 

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 国会図書館デジタルコレクションを読むのに不便を感じていたが、よさそうなアプリを見つけた。操作性と画質が、オリジナルなビューアーより格段によい。

2017年11月8日水曜日

ノルマンジー上陸後の戦闘でサリンジャーの心に何が起きたのか

 昨日のイベントで疲れ気味だが、無事終了したので気分は良好になった。片付けを少しだけやって、午後は読書。

 「サリンジャー 生涯91年の真実」を読み進める。

 経済的に恵まれた家庭の息子として「良い子」を演じながら、文筆への道を自ら切り開いたサニー。小説家として認められつつもあった。ただし、望んでいた理想追求の文学だけでなく、「売れる」小説も書かなくてはならない。フィッツジェラルドと似た状況で、尊敬もしていたようだ。ヘミングウェイの「マッチョ」さよりは親近感を抱いていたのだろう。

 小説家として大成するには家庭から独立する必要があった。軍隊入隊により、それを実現するという道をとった。もちろん真珠湾攻撃後の米国の国内事情が大きく影響はした。

 士官にはなれなかったが、下士官となり、ドイツ語とフランス語の能力を活かせる防諜部隊の一員としてまず1944年1月、イギリスに向かう。

 ノルマンディー上陸作戦に参加。詳しくは家族への手紙にも書いていないが、凄烈な経験をしたとみられる。

 パリ入城。彼の目の前でナチス協力者が市民にリンチを受け殺される。ナチス協力者を市民から保護できない状況だったという。

 ホテル・リッツでヘミングウェイに会う。お世辞を言うとヘミングウェイも愛想は言ってくれた。ヘミングウェイがルガーで鶏の頭を吹き飛ばしたという有名なエピソードが紹介される。留保付きだが。

 全部読んでいないし、即断はできないが、この後かなり経ってから、サリンジャーが人嫌いにといわれ、作品を書いても発表しないという異常な状況におちいる原因は、1944年の戦争体験にあるのでは無いかと思う。

 少なくともこの仮説は検証する価値がありそうだ。

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 気分を変えて「北極探検談」を読む。

 なかなか北極にいかずヨーロッパとロシアを遍歴した日下部大先生は、ようやく北極海への航海に出る。今で言う北極海クルーズに近い。

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 読んでいた「北極探検談」は「前編」だった。「後編」を探したが、Google Playには見つからない(T_T)

 国会図書館デジタルコレクションには後編があったが、ブラウザで読もうとすると画質が悪くて読むに耐えない。少し試行錯誤して、次のような逃げ手を見つけた。

『国会図書館デジタルコレクションのビューアーだと版面が粗くて読めない場合の対処

(1)国会図書館デジタルコレクションで読みたい本を捜す
(2)「印刷する」ボタンでPDF化(50コマまでできる、トリミングなど調整後にPDF化する)
     (なお限られたページだけならJPG化して見る方が美しい)
(3)デスクトップにダウンロード
(4)iCloud経由でiPadに送って見る(iBooksで読むと扱いやすいかも)』

 とりあえず後編はこれで読んで見る。もっと簡単な方法はないかなあ。 
 


2017年11月7日火曜日

日下部四郎太「大先生」の文章は時代を感じさせない

 朝は情報収集に最適。

 下の写真は1ヶ月前のもので、きょうの記事にぴったりなので載せました(*^^*)



 























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 月沈原こと仙台に新しくできた大學に集まった学者たちの著作と論文を読んでストーリーにまとめてみたい。なかなかいい宿題。

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 風邪気味でかならずしも体調は良くないが、きょうは大切な両家会食があるので、三軒茶屋にでかけます。少しは酒も飲めるといいが…

2017年11月6日月曜日

「ピアニストは指先で考える」が、サリンジャーはアタマで考えすぎたかも

 「ピアニストは指先で考える」の最後を読んだ。

 209ページからの「さまざまなピアノ」を読むと、簡単な近代ピアノの歴史が見えてくる。

 1904年ごろのドビュッシーが駆け落ち先で購入したブリュートナー。彼は自宅にはプレイエルやベヒシュタインを持っていた。両方アップライト。

 リストが好んだのはエラール。ショパンはプレイエル、「蜂蜜色の音」だそうな。

 往時のエラールに似ているのがウィーンのベーゼンドルファー。

 ホロビッツ等亡命ピアニストが好んだのがスタインウェイ。

 安川加寿子先生は戦後、ヤマハとブリュートナー。

 スタインウェイにはハンブルクとニューヨークがある。

 ベーゼンドルファー・インペリアルの音はいいが、弾きこなすのは難しい。

 アルド・チッコリーニ(誰だろう?)はファツォーリ。

 223ページ。湿度はピアノの鳴りに影響すると言われるが、楽器そのものもそうだが、ピアニストの指先と鍵盤間の滑りが絡んでいるらしい。野球のピッチャーの指先とボールの関係に似ているのか?

 284ページ。全盛時のポリーニの完全無欠な演奏。アラウは完全すぎると批判。体操のコマネチもそうなのだと(*^^*)

 全体として楽しい話題が満載の本だった。ピアノ好きにおすすめ。

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 リビングに散乱した息子殿の本やCDやパンフレットなどを片付ける。本棚
内のスペースが足りない。入り切らないのは紐でくくって「納戸」部屋へ。前よりこちらは乱雑だ。エントロピーを減少させるのは巨視的には不可能だが、局所的短期的には減らしたいものだ。あまり頑張ると疲れるので、少しずつやることにしよう。このお皿もどこかのみやげ品。



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 先週図書館から借りた本のうちの5冊目。「サリンジャー 生涯91年の真実」を読み始める。Webでお馴染みスラウェンスキーさんの本。4600円で手が出なかったが、図書館で見つけてラッキーです。でも600ページ😅

 青柳さんの本の写真はこちらを向いてニッコリしているが、サリンジャーの写真はそっぽを向いて難しげな顔だ。ピアニストと作家の違いだと青柳さんが書いていた。



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 人間ドックの予約をした。毎年年末恒例。終了後の忘年会が楽しみ。

2017年11月5日日曜日

「ピアニストは指先で考える」らしい、料理人は舌で考えるよね



 「ピアニストは指先で考える」(青柳いづみこさん 2007年 中央公論新社)を昨日から読んでいる。青柳さんのホームページはここ。そしてこの方はたくさん本を書いていらっしゃる。私の図書館にも今借りているもの以外にかなりあるので、別の本も読んでみるつもり。

 身近な人の引越し手伝いで疲労気味なので、今日は午後寝転がって読み続けた。技術的なところは理解できないが、ピアニストの逸話などが散りばめられており、そこは読みやすい。

 99ページ。すぐれた即興演奏家ショパンは自分の曲を演奏するときインスピレーションでいろいろ違うふうに弾いたが、その「霊感」を楽譜に定着できるかというとそうではなかったらしい。

 #これは講師をやった経験からもわかる(おこがましいが)。うまくいった講義はなかなか再現できない。講師としての能力がないせいだが、そうでもない要素もあるような気がしていた。また、教育を商売としたいと目論む人からは、詳細な講師ガイド(マニュアル)を書けと言われたが、難しくてなかなかできなかった。また、有能な先輩講師の「講師ガイド」を読むと、骨子のみだったので、詳しいことを質問したら、「そこは自分で考えろ、それが講師の役割だ」と突き放された。

 104ページ。リストは、ピアノの表現を追求してより良いパフォーマンスを目指した。ショパンはおなじく表現を追求して自分の意志を伝えることに努めた。

 109ページ。ラヴェルは技師の家に生まれ、機械好き。ドビュッシーは自然が大好き。ラヴェルは体が硬い。ドビュッシーは猫のように柔らかい。彼らの演奏のみならず作品にもこれらが影響している。

 175ページ。ポリーニの驚異的な記憶力。たいていの曲は一度弾けば覚える。

 176ページ。もっとすごいのはギーゼキング。楽譜を見ただけで音符だけでなく演奏の仕方までアタマにいれる。

 177ページ。リヒテルは作曲家への敬意から、後年は楽譜を前にして演奏した。これの利点はレパートリーが広がること。難点は譜めくりさんが必要になること。

 #今ならiPADアプリで譜めくりさん不要となるらしい。リヒテルなら使ったかもしれない。

 といった具合でまことに面白い。

 何ページか忘れたが、青柳さんは公演前の明け方に頭のなかで演奏の「おさらい」をするそうで、これが効果的と書いておられる。これも研修講師と似ている。ピアニストと講師の共通点を整理してみるという宿題を思いついた。

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 今週から家族が3名から2名に減った。寂しいが、よいこともある。

 例えば、料理作りが途端に楽になった。なぜなら、料理レシピは2名用が多い。小型の扱いやすい鍋やフライパンが使える。スーパーのパック入り食材はほぼ2名用になっているなどなど。たいていの料理は一挙に2人前作れるので、一人だけ(自分)後回しで作って食べるという悲しい事態が避けられる。

 他の家事も労力が3分の2になる。年寄りにはありがたいことだ。