2020年7月31日金曜日

『共同幻想論』対談ビデオの私的書き起こしも、今年の梅雨も終りに近い

『共同幻想論』対談ビデオの書き起こし。ほぼ最後まで来た。残りは質疑応答。今日の部分での印象深いところ。(文責 私)

「鹿島:
……つまり大学とかインテリジェンスとか、そういうのとは関係のない家庭で、例えばまあ僕みたいに生まれて、何かのきっかけでインテリ業界に入っちゃって、というような人は、どんどんこれから少なくなるんじゃないかなと思う。なぜかというと階層は世界のグローバリズムによって、完全に固定される、となってくると、イギリスの『ハマータウンの野郎ども』みたいな社会が片方にあって、インテリと金持ち階級の社会が他方にあるという、二極化する恐れが非常に強い。そこのところは吉本はですね、いろんなことを言ってるんですけども、知的に上昇するということは一つの自然過程である。あるきっかけと、その人の才能なり向き不向きがあったりした場合には、そっちへいく。それは自然なのだ、別にその人が努力したとか自分の階級を脱出したいと思ったからじゃない、ということを言っていてそのことを悟って自分は気が楽になったと言っているから、彼も船大工のせがれから、ハイパーインテリになったことに関しての説明を、これはマルクス的な考え方の知的な疎外ということを、彼が考えた末のことだと思うんですけれどもね、『共同幻想論』でもそれを最終的に結構重要なところで使おう、としていたみたいですが、あんまり言及はしてないなあ。


先崎:
先生もご著作のなかで、その自然過程であるというのに、ガビーンとかなり驚いたということを言っておられてますね。


鹿島:
偉くもなんともない、自然過程ですから。」



これはどうなのかなあ。二極化してしまったのは事実かもしれないが、インテリと金持ちが一緒というのは悲しいことだろう。インテリは大衆の味方だと思っていても、大衆側はそう思っていない。21世紀の社会は悪い方向に進んでしまったのだろうか。

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新型コロナ感染者の増加はまだ続いている。今年になって、昔の友人とは一緒に飲んでいないが、まだまだ我慢が続きそうだ。

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ここで紹介されているサイトはなかなか面白い。



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BSテレビで、日立の河原子海岸を映していた。20年以上前まで夏休みに息子と海水浴をしていた、遠浅の良い海岸だったが、津波で砂浜が流され、高い防潮堤もできて、風景はまったく変わっている。今年は海水浴もできないらしい。

梅雨明け間近。




2020年7月30日木曜日

吉本隆明の1980年代の文章は読みやすい

『共同幻想論』ビデオの私的書き起こし、9日目。今日は5分間分だけ。

彼を、現代の人がどう理解するのか、に関しての言及。(文責 私)

「鹿島:
だから、一番吉本が頭に来たのは黒田寛一とか、そういうのは革共同というのを作ってですね、前衛党がなっていないから新しい前衛党を作るんだ、これはバカじゃないかと言ったわけです。前衛党を作るという風な発想自体がおかしいんだよと。じゃあそれぞれアナーキズムでですね、アナーキズムとかとかアナルコサンディカリズムで大衆の自然発生性を生かして、そのままでいいのか、といったらそんなことはない。党というものを作るのだったら、大衆の原像を徹底的に考えた上で、ハイパーインテリであると同時にですね、あの大衆のいやらしさまで全部知ってるという、両方を抑えていかなければいけないんだという、こういうイメージだと思う。だから、どっちかに足をすくわれる事のないようにということですね。

先崎:
今日、すごくそれが面白いなと思ったのはですね、先生のご著作というのはその、ハイパーインテリになろうとしている学生ですね、大学に入って知の木の実を噛んでいるという、それがですね、こうスターリニズム批判とかさまざまなことが出てきながら、家族帝国主義にさえ対向しつつ、自分をどう作り上げていくかというところが、あの先生のご著作だと、だいたい前半にいつもきっかけに出てくる。それ、おそらく先生ご自身の個人的な体験もあると思うんですね。僕が一方で感じることはですね、今その現代の若い人たち、30歳台ぐらいの人たちに特に感じるんですけれども、それが問題としてどこまでアクセスできるのかな、というのがありまして。……」


このあと、『吉本隆明全集 22 1985−1989』の中にある、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』についての書評を読んでみた。吉本はどちらも評価しているが、当然のことのように思えるが『ノルウェイの森』のほうが好きだったらしい。この書評にかぎらず、この1980年代の評論集の文章は、若々しい。今読んでも、まったく古びていない、どころか新鮮だ。プリゴジンの『混沌からの秩序』の書評では、科学的なことを素人向けにわかりやすく記述している。ということは、吉本はカオスや熱力学のことを理解していたということだ。

政治的な面での評価はまだ出来ないが、一般的には吉本の評論は十二分に現代に通じるものがあると思った。彼の頭の働きとして、物理学者のような、モノの微細な本質に細かく迫るという特徴があるようだ。それを国家に適用して、『共同幻想論』が書けたのだろう。ここには、モノゴトの本質を筆で追求していくことにのみ喜びを見いだし、金銭的にあるいは政治的な報酬は眼中にあまりない人間がいたと思える。



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鹿島先生の『アール・デコの〈挿絵本〉』と、サガンの『愛という名の孤独』を読み始める。

2020年7月29日水曜日

『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読んで少し感傷的になる

『共同幻想論』対談ビデオの、自分用文字起こしは8日目に入る。75分間分が終了し、残りは40分間程度になった。なかなか終わらないが、非常に勉強になる。

今日の分で、面白かった部分。(文責 私)

「西洋的の、知の体系の組み立て方っていうのはデカルトに遡るのですね。非常に論理的組み立てが緻密なんですよ。その緻密さでもって吉本を読むと、なんだこれ全然知的な緻密さがないじゃん、これ、ということになるわけですね。僕もそれはある程度予想できたのだけど、でも違うんだよ、やっぱり吉本は偉いんだよ、とずっと思い続けていたんですね。なぜ思い続けていたかというと、やはり世界に先駆けてスターリニズム批判を行った、ということができたと言う、これはね、世界的レベルでも誰もできなかったことなんですね。これね今になって読んでみると誰もわからなくなっているのですけれども、一々検証したら、すごい業績なんですね。
それがなぜできたかというと、単に戦術的なものとか戦略的なものでないからです、もっと根源的なものなのですね。根源的なレベルにおいて、スターリニズムを批判し、さらにはレーニンを批判し、さらにはマルクスまで遡る。さらにはフロイトの限界を指摘し、というような所までやっているわけですね。そうなってくるとね、この人のレベルは相当にすごいという風な形になる。
……
やたらに大衆というものを美化して、勝手に美化した大衆によって自分はで民衆に寄り添って、とかですね今流行の気持ち悪い言葉もありますけれども、ああいうのは大嫌いですね、吉本は。勝手に寄り添うなよ、ということだと思うのですけれども。そういうような感じで勝手にですね大衆とか実像とかそういうものを美化する、あるいは逆に大衆は愚かでありわがままであり、そういうのじゃないんだ。原像、そのまんま、を捉えるべきである。」


吉本隆明を今、読み直すとすると、この辺がポイントになるのだろう。吉本の訴えていたことを、多くの人が無視した結果、現在の悲惨とも言える日本の状況が作り出されてきたからだ。「スターリニズム」批判が、必要なのは自由主義国家の内部でももちろん必要だ。「国家」や「企業」に権力があるという「幻想」を持っていてはならず、それには常に個人の側から異議をとなえていくべきで、それは個人の「幻想」の一部をなす。

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『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読み続ける。小林勇の筆が、後半になるにつれてどんどん冴えてくる。前半は、古いメモを引っ張り出して引用しただけだったから、無味乾燥だったのだろう。露伴は次第に老いてくる。勉強と称して周の碑文を時間をかけて研究したりしているが、これも本人にとっては実は、やっとのことだったろう。戦乱にも追われ、体も弱くなる。とくに、目が悪くなったのが気の毒。書籍を自分では読むことができなくなったが、周囲のひとに読んでもらった。読んでもらったと言うより、頭に入っている内容の詳細を確認していたらしい。大量の書籍は露伴の疎開先とは別のところに疎開させていた。これも残念だっただろう。どの書籍の何巻目のどの辺にかくかくしかじかのことが書いてあるはずと、指示していたと書いてあるが、堀辰雄が寝たきりになり、奥様に指示をだすとき、別室の書棚のなかの本の位置をピタリと言い当てていたことも思い出してしまった。
戦争末期から終戦後の老いた露伴の記述は、他人事とは思えず悲しくなってしまうので読みたくない、が読みつづけずにはいられない。
露伴は1947年(昭和22年)7月30日に80歳でなくなる。私はあと9年で80歳だが、楽をして生きてきたので、もっと頑張らなくては。

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朝、ベランダで出会ったカマキリの子供。午前中ご滞在。


2020年7月28日火曜日

『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読んでいると露伴の交友の広さがわかってくる

『共同幻想論』対談、今日文字起こししている最中に、感銘をうけたところ。(文責 私)

「鹿島:
これはね個人的な感想というか、記憶をたどるとですね、全共闘の学生が反帝国主義、反スターリニズムを掲げたわけですね。しかし反帝国主義と言う前に、家族帝国主義と戦わなければいけないというのが合言葉だったのです。つまり自分が全共闘の運動をやっているとなると、家族がやめろと、とんでもないことだ、と言う。家族とまず最初にぶつかるわけです。ヘルメットを隠しておくと、ヘルメットが見つかったら、なんだこれはというようにですね、どこの家庭でも親子の大喧嘩があって、あ、君、立派なことをやっているね是非行きたまえという家族は一つもない。むしろリベラルだと言われている家族であるほど逆に親子間対立というものが激しくありまして、そういうですね、あのしがらみを振り切ってきた、というのもある……
先崎:
確かに、スターリニズムっていう言葉は、多分先生の世代は二言目には言われていた言葉ですよね。けれども、今の僕らの世代ですと、それ自体が一体何なのかっていうことを、少し解説説明しないと分からないという思いで、この本(100分 de 名著)は最初の部分で工夫をして書いたつもりなのですけれども。」



「家族帝国主義」と「スターリニズム」は今でも、というか今のほうが巧妙な形で社会を歪めていると思える。コロナ禍であらわになった、現政権の不当さ、それ以前から若者や壮年の人々を蝕んでいる経済至上主義やグローバリズムはその顕著な現れだ。

わからないと嘆きながらでも吉本を読まないといけない。わかる時はなかなか来ないが、各人がわかろうと努力することで本来の自分自身を取り戻すことになる、そして新しい自分を。

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『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読み続ける。幸福とは言えない生活の中で、書き続ける露伴。露伴は寺田寅彦(とその弟子中谷宇吉郎)や斎藤茂吉も好きだったらしい。『渋沢栄一伝』も書いている。露伴全集、また欲しくなってきた。とりあえず国会図書館デジタルで我慢。


2020年7月27日月曜日

『共同幻想論』はまだ理解できないが自分にとっての存在感が増してきた

『共同幻想論』ビデオの書き起こし、6日目。7分間分くらいやる。

今日の部分のなかから、鹿島さんの言っていること(に近いこと)を、文責、私で書き出してみる。

「吉本が『共同幻想論』をそもそも書き始めたきっかけの原体験は、おっしゃっていたように、終戦のですね、8月15日、あの時の大ショックですね。あれがなぜ大ショックだったかというと、確かに負けたというのでそのあと、吉本は、昨日まで聖戦遂行と、ガンバレ一億玉砕と叫んで、例えば高村光太郎のような人がその敗戦後しばらく経ったら、これから文化国家の建設だと言っている、なんでこんなことができるんだ、この神経というのは一体どこから来るのだ、ということを言っている。

吉本の考えていた社会というのは、伝統的社会のものですね。だけれども国の上の方の人間は国家理性で、昨日までは鬼畜米英ですけれども、明日からは日米親善で行きますという風なことができてしまう。これは一体どうなっているのか、というのがそもそもの出発点なのではないか。

だからそこでですね、吉本は個人幻想と共同幻想は逆立する、あれ「さかだち」と読むのじゃなくて「ぎゃくりつ」と読まなければいけないので、逆立する、つまり個人幻想はそれぞれの人間がいろいろ持っているけれども、必ず共同幻想のレベルになってしまうと個人幻想とはひっくり返った形で、レベルが違う段階に入ってしまうという、そのレベルの新旧の繰り上げみたいなところを研究するのがこの『共同幻想論』ということなんだと思うんですけれども、吉本的なこの逆立と言うんですか、ひっくりかえる、あるいはレベルをあげてしまうというところが、これはやっぱり難しいですね。僕はまたもう1回しっかり読んでいるんですけれども、なかなかそう簡単には分からない。」

鹿島さんが「わからない」とおっしゃるのとはレベルがちがうが、やはり私もわからない。ただし、『共同幻想論』はなにを解明しようとして書かれたのは、少しずつ呑み込めてきた(ような気がする)。





終息が見えないコロナ禍のなかの、われわれの行く先はどこなのか。そしてそこに到達しようとしたときに、どのような世の中になるのかは、全く見えない。見えないが、終戦後のような混乱をさけるためには、個人が個人の頭でしっかり考えて、個人で考えたことを実行に移さなくてはいけなさそうだ。

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『蝸牛庵訪問記』(岩波書店)を読み続ける。小林勇の文章は非文学的で見聞の羅列だけなのだが、かえって露伴の日記を読むような気分になってきて、面白く読める。小林勇は、百鬼園のことを書き綴る平山三郎的だ、平山三郎のほうが文章は格段にうまいのだが、それぞれの「先生」との付き合い方がそっくりだ。

2020年7月26日日曜日

座りやすい椅子は本当に大切ですね

吉本隆明『共同幻想論』の対談ビデオ、次の7分間を文字起こしした。40分から47分のところ。昨日より3分少ないのに同じく一時間以上かかった。10分間まで行けなかったのは、腰が痛くなったから。やわな体になってしまったものだ。2時間弱のビデオを全部文字起こしするころには、歩けなくなりそうだ。それでは困るので、椅子を別のものに入れ替えた。今度のは食卓用の椅子。定期的に交換したほうが良さそうだ。

吉本が国家の起源論を、多分ほとんど独力で考えたのは大したものだ。『万葉集』などを参考にしたのだろうが、『万葉集』の歌垣、『古事記』のアマテラスを呼び出す歌のようなものが、東南アジア(日本と同じくらい辺境)に残っているという話も面白い。

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『一陽来復』(岩波書店)の後半を読む。井波律子さんの文章は、暖かくて読んでいて気持ちが良い、そして驚くほどの質と量の読書経験をいつの間にか伝えてくれる。稀有の存在なのに、亡くなられたのは残念至極。

2020年7月25日土曜日

大上段の話に疲れたので、『一陽来復』を読み始めた

吉本隆明『共同幻想論』の対談ビデオ、次の10分間を文字起こしした。30分から40分のところ。一時間以上かかった。午前中を費やす。昨日と同じ日課となった。

双系制社会がアジアの最辺境にあり、その内側(ということは文明が進んだところ?)に母系制社会があると鹿島さんは言う。母系制から父系制になっていくのか、どうも本当のところはわからないので、軽々には言えないと吉本は言っているらしい。

ところで、鹿島さんが例に出されたが、サザエさん一家は母系制と見てもよさそうだ。とすると、マスオさん現象が目立つ昨今の日本社会は、母系制が復権しつつあるのだろうか?

面白いが、ここを追求していると死ぬまでには終わらないだろう。片手間にやろうかしら。トッドの著作は、図書館システムを検索したら18冊くらいあった。これらを読むだけでも大変だ。先崎さんが取り上げた、和辻哲郎の『倫理学』は原稿を製本したものが、国会図書館デジタル・コレクションで読める。長大。

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気を取り直して、いや取り直すために、『一陽来復』(井波律子 岩波書店)を読むことにした。


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今日も三人分の食事を用意する必要があった。毎日だと大変だ。昔、システムを「作る」のでなく、「構築」しようと言う話があった。それと同じことにした。要するに、トンカツを買ってきて食べた。うまい。

2020年7月24日金曜日

有名作家でも書けないときはあるが、書けないということを書くのはうまい

吉本隆明『共同幻想論』の対談ビデオ、次の10分間を文字起こしした。20分から30分のところ。一時間以上かかった。午前中を費やす。

吉本は、エンゲルスとは違い、嫉妬や対幻想がいまの家族関係の原点だといったらしい。

このへんになると、また理解があやふやになる。なるほど、そうですかという感じ。まあ、鹿島さんは40年以上吉本を読んでいるのだから当たり前かもしれない。
今年はじめから言っているが、エマニュエル・トッドも読まないといけない。

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昨夜、寝る前に、『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』(村上春樹訳  中央公論新社)のなかの、「ある作家の午後 」という短編を読む。どうしても筆が進まない作家(フィッツジェラルド自身のこと)のなげきを書いたもの。かわいそうだが面白い。ゼルダがいない作家は、羽をもがれた鳥のようだ。実年齢は若いのに、老いたる作家。他の作品もいくつか読んで見る。



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一時的独身の息子殿が泊まりに来た。一部彼が持参の材料で鍋料理。名古屋の辛味噌鍋。

2020年7月23日木曜日

『アメリア・イヤハート最後の飛行』(新潮文庫)を読み終えた。軍の言うことをきいてしまったアメリアの末路は悲しい。

吉本隆明『共同幻想論』の対談、次の10分を文字起こしした。

先崎さんが鹿島さんのイントロを受ける。吉本は戦争体験の後20年考えて『共同幻想論』を書いた。国家は共同幻想の一つで、文学を志す人間には個人幻想がある。国家の起源のなりたちに「対幻想」つまり家族の問題をいれたのは、この本の肝であるという。
鹿島さんは、個人にとっては家族は一つしかない、するとどうしても家族にとらわれて考えてしまう。『マチウ書試論』では、個人の自由意志よりも家族の関係性の束縛が強いと言っている。
先崎さん:関係の絶対性は、スターリニズムに対抗するものとしては肯定できるが、我々をがんじがらめにすると言う意味で否定したい。
鹿島:「対幻想」に話を戻すと、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』と比べて考えると面白い。

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なるほど、こんなことを言っておられたのか。エンゲルスも簡単に勉強しないと……上っ面は学生時代に読んだはずだが、理解していなかった。


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『アメリア・イヤハート最後の飛行』(新潮文庫)を読み終えた。アメリアの乗機は墜落したのか、不時着したのか、彼女は生き延びたのか、そうならどこに行ったのか、この本の著者が推理するように、「ルーズベルトのスパイ」として日本軍に逮捕されたのか……謎は深まる。これを読んだら、太平洋戦争の背景が少し見えてきた。深入りするかアメリアのことだけ追求するか決めなくてはならない。

Amelia Earhart standing in front of the Lockheed Electra in which she disappeared in July 1937.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)



2020年7月22日水曜日

『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)の鴻巣友季子さんによる書評はすばらしい

週刊ALL REVIEWS Vol.58 (2020/07/13-2020/07/19)の巻頭言を書かせていただいた。昨夜購読者約1000名の方にメールが送られた。鴻巣友季子さんの書評(と村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』)を読んだ感想を書いた。

書評はこちら。

私の書いたものは以下の通り。





まだの方は、ぜひメルマガ「週刊ALL REVIEWS」を無料購読していただきたい。

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一昨日視聴した月刊ALL REVIEWSの対談、「先崎 彰容(倫理学者・日本思想史研究者) × 鹿島 茂(仏文学者)、吉本隆明『共同幻想論』を読む」。
予備知識不足で、理解できなかったので、ビデオを観ながらお話の内容を文字起こしして見ることにした。最初の10分につき、一時間かけて終了。鹿島さんのイントロの部分だけだが、文字にしてみると内容が頭に入ってきた。生中継のときは、音ズレが気になって、よく聞いていなかったのも敗因のひとつのようだ。ともかく、『共同幻想論』のポイントが「対幻想」であることと、吉本隆明の著作の読みやすいものから読むべきということは頭に入った。
今日は10分間をやるのに一時間かけたが、このペースで文字起こしするとトータル12時間かかる(*^^*)
まあ、あせらず楽しんでやっていきたい。

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午後は、『アメリア・イヤハート最後の飛行』(新潮文庫)の前半を読む。案の定謎解き仕立てで、オモシロイ。Internet Archiveに行ってみるとアメリアに関する本は山のようにある。これらを調べるのも楽しみだ。彼女の愛機の絵も描いてみよう。