2020年7月30日木曜日

吉本隆明の1980年代の文章は読みやすい

『共同幻想論』ビデオの私的書き起こし、9日目。今日は5分間分だけ。

彼を、現代の人がどう理解するのか、に関しての言及。(文責 私)

「鹿島:
だから、一番吉本が頭に来たのは黒田寛一とか、そういうのは革共同というのを作ってですね、前衛党がなっていないから新しい前衛党を作るんだ、これはバカじゃないかと言ったわけです。前衛党を作るという風な発想自体がおかしいんだよと。じゃあそれぞれアナーキズムでですね、アナーキズムとかとかアナルコサンディカリズムで大衆の自然発生性を生かして、そのままでいいのか、といったらそんなことはない。党というものを作るのだったら、大衆の原像を徹底的に考えた上で、ハイパーインテリであると同時にですね、あの大衆のいやらしさまで全部知ってるという、両方を抑えていかなければいけないんだという、こういうイメージだと思う。だから、どっちかに足をすくわれる事のないようにということですね。

先崎:
今日、すごくそれが面白いなと思ったのはですね、先生のご著作というのはその、ハイパーインテリになろうとしている学生ですね、大学に入って知の木の実を噛んでいるという、それがですね、こうスターリニズム批判とかさまざまなことが出てきながら、家族帝国主義にさえ対向しつつ、自分をどう作り上げていくかというところが、あの先生のご著作だと、だいたい前半にいつもきっかけに出てくる。それ、おそらく先生ご自身の個人的な体験もあると思うんですね。僕が一方で感じることはですね、今その現代の若い人たち、30歳台ぐらいの人たちに特に感じるんですけれども、それが問題としてどこまでアクセスできるのかな、というのがありまして。……」


このあと、『吉本隆明全集 22 1985−1989』の中にある、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』についての書評を読んでみた。吉本はどちらも評価しているが、当然のことのように思えるが『ノルウェイの森』のほうが好きだったらしい。この書評にかぎらず、この1980年代の評論集の文章は、若々しい。今読んでも、まったく古びていない、どころか新鮮だ。プリゴジンの『混沌からの秩序』の書評では、科学的なことを素人向けにわかりやすく記述している。ということは、吉本はカオスや熱力学のことを理解していたということだ。

政治的な面での評価はまだ出来ないが、一般的には吉本の評論は十二分に現代に通じるものがあると思った。彼の頭の働きとして、物理学者のような、モノの微細な本質に細かく迫るという特徴があるようだ。それを国家に適用して、『共同幻想論』が書けたのだろう。ここには、モノゴトの本質を筆で追求していくことにのみ喜びを見いだし、金銭的にあるいは政治的な報酬は眼中にあまりない人間がいたと思える。



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鹿島先生の『アール・デコの〈挿絵本〉』と、サガンの『愛という名の孤独』を読み始める。

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