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2017年5月18日木曜日

老いてまた書を習う、また楽しからずや

 数日前から、手習いを再開した。明らかに空海を勉強したせいである。喜ばしい。

 「再開」としたのは、高校生時代に書道の授業を受けて
感じるところがあったからだ。書道の先生のお名前がすぐには出てこない。調べれば分かるが…。彼はお前の姉さんのX子はよく練習した。ところがお前はほとんど授業中遊んでいたとお小言をくれた。遊んでいたのではない、一枚書くとそれ以上上手には書けないとわかったので、教科書のお手本の由来を調べていたのである。

 このおかげで、最近読んでいる本に出て来る、昔の偉大な書家の名前に親しみがある。考えれば良い授業だった。当時はつまらなくても後で受けてよかったという授業は多い。数十年かけないと良さはわからない。効果を気にしてすぐカリキュラムの手直しをするのは愚の骨頂だろう。

 いま、読みつつ有るのは石川九楊先生の『書を学ぶ』(1997年 ちくま新書)。初心者向けの本なのだが、手習い再開老人には便利だ。



 序章、「書の美しさはどこからくるか」。良いイントロ。

 第一章、「書の技法」。(今、ここ)

 「1 文房四宝」、まず、道具の選び方。紙、筆、墨、硯、下敷、文鎮、筆巻、以上が七つ道具だ。私は当面、iPadの毛筆ソフトを使うので不要。余裕ができたらいい筆や紙を買いたい(*^^*)この態度は石川九楊先生には怒られそうだが、貧しいので許してもらう。

 「2 手本の選び方と書体」。
まず、楷書から始める。仮名も同時に。後に、行書・草書に進む。これは、アグリーです。
 楷書の手本は「雁塔聖教序」(褚遂良)か、「九成宮醴泉名銘」(欧陽詢)。この「法帖」(手本の印刷本)を買いなさいとあるが、やはり、予算の都合上、インターネット上の画像で我慢しておく。余裕が出来たら…

 仮名の手本は「寸松庵色紙」と「枡色紙」を選ぶ。書法だけでなく構成法も同時に学ぶこと。はいはい。

 「梅雪かな帖」のほうが現代的でいいかもしれない。

 歌の場合は仮名を書きながら歌うのが良いと。なるほど。

 行書は「三折法」で書かれた「松風閣詩巻」(黄庭堅)から。高校で習った「蘭亭序」や「集字聖教序」(王羲之)は後にする。前者が楷書と馴染みが良いから。

 草書は「自叙帖」(懐素)だそうです。

 これらの手本を弛みなく学び続ける。そのうちに自分なりの書体が出来てくる。ただし、その後も臨書は続けるべし。

筆の持ち方や永字八法などはこの後出て来るが、必要に応じて読んでいこう。

 石川九楊先生は高校の先生とおなじく、基本に忠実にしっかりやれと書いておられますが、こちらは古希に近づいている人間が趣味で書くので、好きにやらせていただきます。注文済みの會津八一先生の本も参考になるでしょう(*^^*)

2017年5月7日日曜日

漢字が書けるし仮名も有る日本語は面白い

 石川九楊先生の『書を学ぶ』(1997年 ちくま新書)を謹んで読み始める。

 最初に総論がある。14ページ。

 「西欧言語学が、文字を言葉に外在するものと考え…我々とは異質な言葉と文字の関係をつくり上げた…」

 15ページ

 「東アジアにおいては…「形写による表音」という文字・漢字と化した…「書きぶり」を伴う発語=書字が内在的である…」

 17ページ

 「筆記具と紙(対象)との接触の手応えの中から、対象を識り、対象を識ることによって自己を識る…自覚された触覚が筆跡として対象に残される…「筆触は思考する」…」


 まさに、我が意を得たり、と言うと格好いいが、数年前にも石川先生の本を読み、このようなことは教わっていた。それをまた最近思いだしたというに過ぎない。「筆触」を忘れないために、iPadやスマホに手書きソフトを入れてメモや文章を書いていたが、それは続けている。

 ともかくしばらくは、例を見て臨書しながら、この本を読み進めよう。臨書の最初は褚遂良の「雁塔聖教序」の楷書の「日」かしら。


 うーん。まだ、形が写せるだけで、考えてない。修行しないと(T_T)
 
 草書、行書、楷書の順に漢字書法は成立してきたわけだが、やはり、習うには完成度の高い楷書からはじめて、行書や草書へそして雑書体も勉強すべきだろう。

2017年4月29日土曜日

書の勉強を再開しよう

 石川九楊先生の本を一冊発掘。もっとあったような気もするが、まずこれを読むことにする。『日本語の手ざわり』(2005年 新潮選書)。以前は手書きの効用に注目して読んだが、今回は空海の書法に注目して読む。

 NHKで昔やった、石川先生が空海の雑書体の碑文をみにゆくビデオを「中国語字幕版」(こんなのがあるんですね)で観る。「空海 至宝と人生 第2集」

 するともっと石川先生に書と空海について教えてほしくなった。古書を一冊注文した。『書を学ぶー技法と実践』。

 以前、息子様に台灣土産でもらった、花文字で書いた名前の額も机に飾った(*^^*)



 iPadで動く毛筆ソフト「Zen Brush2」も360円で購入。

 あとは、連休中に書道の道具、息子が中学の時使ったやつを探し出すぞ。

2017年4月28日金曜日

トイレで読む本は間違って選ぶのがよい、住所はいくつも並行して持つのがよい

 尾籠な話で恐縮だが(口ばっかりですが)、今朝いつもの用足しに行くときいつものように読みかけの本を持っていった。座っておもむろに開いてみると、第三巻のつもりが第二巻だった。仕方ないのでパラパラめくっていると、いままで気づかなかった、文庫本解説ならぬ対談があるのに気づいた。そこで対談をありがたく読んだ。

 今、ハマっているが、いろいろ気が多いので、なかなか読み終えない夢枕版の空海の文庫本『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(2010年 徳間文庫)の第二巻の後ろの、夢枕氏と岡本光平氏(現代書家)の対談だ。

 空海がハマった「書」の話が中心である。彼の異常とも言える言語能力は、どうも「書く」ことにより鍛えられたと、勝手に解釈した。
 そして「雑体書」と雑体書の中の「飛白体」に興味をひかれた。これらについても調べが必要だ。たとえば、ここを見る。石川九楊先生にも「相談」する

 そして、絵が絶望的に下手な私にとっては、手書きで行うべきなのは、「書」であろうと、今思った。とりあえず、今日のプロジェクトは「飛白体」で書いてみること。雑体書のなんたるかをその過程で知ることとしよう。このアイディアは本の選択を間違ったおかげ。さっそく書いてみた(*^^*) やっぱり下手だが、筋はいい(嘘)。



 ところで、空海の第三巻には、こんなことが書いてある。密教という当時の新しい知識を知るには、梵語を深く知る必要があった。たとえば言葉の多義性からくる深いニュアンスの理解力など。空海は総合力を発揮してそこまで短期間に理解を深めた。

 また、密の根本は天を素晴らしいと思うだけでなく人も素晴らしいと思うこと。そして同じ天の裡にあるなら、唐にいようと日本にいようと大差はない。

 したがって、長安にいようと日本に帰ろうとかまわないわけだ。ちょっと謎が解けた\(^o^)/

 なるほど、するとパリにいてもどこにいても構わない。なぜなら若いときにパリで過ごした人にとっては、どこまでも理想のパリがついてくる。こう言ったヘミングウェイ(『移動祝祭日』)にも通じる。森有正先生も晩年はよく日本とパリと両方に滞在していた。弟子の辻邦生先生も、パリと日本両方に住居を持っていた。どちらでも自由に仕事が出来ていた。

 うらやましいですね。