なんとか、夏風邪が治った気がする。飲み会がセットしてあったせいかも知れない(*^^*)
***
ということで、「昭和酒場研究会」にでかけた。なにしろ、早めの昼食を兼ねているので、早起きして身支度や家事を済ませて、10時過ぎに家を出た。日本海を遠ざかる台風くずれの低気圧の影響の雨も、9時半頃にはあがり、青空が広がっている。同じ沿線の駅から10分程度歩き、Tという寿司屋さんへ。
昔の会社の仲間なので、当時の話題が多い。現在の暮らし向きの話も少々。こんな本の紹介もあった。この本なかなか見つからない。
昔の会社の話題が出ると予告があったので、往路の電車社内で少しインターネット検索していたら、こんな資料が見つかった。
http://www.fourmilab.ch/documents/univac/
だれが作ったのか調べておこう。
実際には、当時の社内の雰囲気や、共通の知人の思い出話など…硬い話は抜きだったので助かった。顔や癖などは鮮明に思い出すのに、名前が出てこないという人が多い。健全に老化していると言えるのだろう。
***
皆と別れた後、30年ほど一緒に飲んでいるI先輩と、駅前の中華系無国籍料理店(飲み物・小皿料理300円均一)で飲み直す。この場合たいてい、日本の行末はどうなっていくのかを慨嘆することになる。今回はそこに香港情勢も加わる。懐かしい街の優しい香港人が迫害されるのはゴメンだというところは一致。
***
急いで帰宅し、夕食の買い物に出たが、きれいに晴れ上がった空の月と木星が輝いていた。
***
今日は一行も本を読まなかったが、たまにはいい。I先輩には、仕事もなく無駄金もないが、それだけに(ほとんどを図書館で借りて)本が、今までで一番たくさん読めると自慢しておいた。
そして今思い出したが、彼(先輩)によれば、最も怖いのは本を読む気力がなくなることだそうだ。原因は主に病気だが、要注意。
2019年10月4日金曜日
2019年10月3日木曜日
NDCで遊んでみた
『かぼちゃと風船画伯』を読了。谷中安規は、終戦直後、焼け出された場所で野宿に近い状態で暮らしていた。1946年の夏、自分で植えたかぼちゃが実るのを楽しみにしていたが、その前に栄養失調で亡くなった。若いのに無念。風船画伯の絵(版画)はなかなかまとまったものが見つからない。町田の版画美術館にはあるかも知れない。調べて、あるようなら行ってみよう。
ところで、152頁に、内田百閒は一時奥様と別居して他の女性と暮らしていたとある。うーむ。
***
NDC(日本十進分類法)のWebページを見つけた。学習用には良さそう。https://ndc.datasearch.jp/#/ndc9#
実用的には、こんなページがあるようだ。
https://www.jla.or.jp/committees/bunrui//tabid/789/Default.aspx
NDC Finder
http://inforg.slis.tsukuba.ac.jp/ndcfinder/index.html
Theme Cat
http://inforg.slis.tsukuba.ac.jp/themecat/index.html
ある本のNDC番号を調べるには、国会図書館オンラインで検索し、詳細な書誌情報を出してみると良いそうだ。
こんな画面になる。
***
悪乗りしたければ、http://weblib.jpn.org/ を使って自分の蔵書管理システムを構築すればよいが…やりすぎ。そして、私のようにISBN番号のない古い本ばかりを持っているとこのシステムはあまり役に立たない。国会図書館オンラインの、マイリストを利用するのがいいのかも知れない。
ところで、152頁に、内田百閒は一時奥様と別居して他の女性と暮らしていたとある。うーむ。
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NDC(日本十進分類法)のWebページを見つけた。学習用には良さそう。https://ndc.datasearch.jp/#/ndc9#
実用的には、こんなページがあるようだ。
https://www.jla.or.jp/committees/bunrui//tabid/789/Default.aspx
NDC Finder
http://inforg.slis.tsukuba.ac.jp/ndcfinder/index.html
Theme Cat
http://inforg.slis.tsukuba.ac.jp/themecat/index.html
ある本のNDC番号を調べるには、国会図書館オンラインで検索し、詳細な書誌情報を出してみると良いそうだ。
こんな画面になる。
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悪乗りしたければ、http://weblib.jpn.org/ を使って自分の蔵書管理システムを構築すればよいが…やりすぎ。そして、私のようにISBN番号のない古い本ばかりを持っているとこのシステムはあまり役に立たない。国会図書館オンラインの、マイリストを利用するのがいいのかも知れない。
2019年10月2日水曜日
『かぼちゃと風船画伯』を読むと内田百閒の谷中安規への好意をせつないほど感じる
『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』は一応読了。
***
まだ、腹が本調子でなく疲れ気味なので、吉田健一攻略は脇において、『かぼちゃと風船画伯』(吉田和正 1998年 読売新聞社)を読むことにする。(ここは、吉田健一の影響で、現在形を使いたい。)
副題が「愛と幻想の版画家・谷中安規の生と死と」となっている、これを見るとあまり知られていない版画家の紹介を編集者は狙ったのだろう。こちらは、内田百閒先生の愛読者なので、名前と画業のいくばくかは知っていた。そして、内田百閒先生の描く風船画伯は、春風駘蕩だったが、この本を読むとその印象が、暗い方に傾いていく。とにかく貧乏。内田百閒の比ではない。
128頁。新聞連載の『居候匆々』の画料は10回分50円。谷中安規の当時の極貧な生活費は8円弱なので、これは7ヶ月分。貯金すればいいのに、タクシーを乗り回し、風呂に行き、喫茶店でウェートレスにソーダ水をおごる。将来に備えるなどという俗な概念は風船画伯には皆無。やっと、ありついた仕事なのに連載をしていた時事新報が潰れてしまい、36回で終了となってしまった。
***
谷中安規の版画は内田百閒の著書によく使われている。前から好きだったが、今回それが「大好き」に変わった。どこかで原画を見たい。
1946年に栄養失調で亡くなってしまうが、内田百閒がいなかったら、もっと早く体を壊しただろうと思う。
***
関西電力の高浜原発がらみの献金問題。深い闇が隠れていそうで怖い。
***
まだ、腹が本調子でなく疲れ気味なので、吉田健一攻略は脇において、『かぼちゃと風船画伯』(吉田和正 1998年 読売新聞社)を読むことにする。(ここは、吉田健一の影響で、現在形を使いたい。)
副題が「愛と幻想の版画家・谷中安規の生と死と」となっている、これを見るとあまり知られていない版画家の紹介を編集者は狙ったのだろう。こちらは、内田百閒先生の愛読者なので、名前と画業のいくばくかは知っていた。そして、内田百閒先生の描く風船画伯は、春風駘蕩だったが、この本を読むとその印象が、暗い方に傾いていく。とにかく貧乏。内田百閒の比ではない。
128頁。新聞連載の『居候匆々』の画料は10回分50円。谷中安規の当時の極貧な生活費は8円弱なので、これは7ヶ月分。貯金すればいいのに、タクシーを乗り回し、風呂に行き、喫茶店でウェートレスにソーダ水をおごる。将来に備えるなどという俗な概念は風船画伯には皆無。やっと、ありついた仕事なのに連載をしていた時事新報が潰れてしまい、36回で終了となってしまった。
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谷中安規の版画は内田百閒の著書によく使われている。前から好きだったが、今回それが「大好き」に変わった。どこかで原画を見たい。
1946年に栄養失調で亡くなってしまうが、内田百閒がいなかったら、もっと早く体を壊しただろうと思う。
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関西電力の高浜原発がらみの献金問題。深い闇が隠れていそうで怖い。
2019年10月1日火曜日
『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』の『時間』論は説得力があると感嘆
『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』を読み進めた。170頁まで。『時間』(昭和51年)に関する評論が目立つ。他の本たとえば『ヨオロッパの世紀末』にも「時間」に関する話題は多いのだという。ボードレールの詩と時間の関係など。114頁。
115頁。文学は「読める」か「読めないか」である。従って、シェイクスピアも大衆小説も同じ基準で語ることができる。
119頁。百パーセント嘘の随筆が小説(*^^*)『宰相御曹司貧窮す』(別名『デタラメロン』 昭和29年)は、80パーセント嘘。そもそも「書く」ことが「嘘」のはじまり。
157頁。『時間』の文章。「何を言っているのか…」「意味を取り違えられないように言葉の秘術を尽す…」。『書架記』でとりあげたヴァレリーの文章も同じだ、わかりにくいのではない。
152頁。ともかく基本は「時間」。人間の基本もひとりひとりの時間。たとえば、今朝は10月1日なのでカレンダーを一枚めくった。それの積み重ねが一年であり、永遠にもつながる。それをゆっくり考えるのが人間=時間。(ここは私の感想です。)
このあたりの章は「時間略解」なのだが、ここを読んで『時間』を読み直すのをサボってはいけないと思った。
***
昨日夜から、胃が痛いと思っていたら、今日の午前中は胃腸の風邪の症状が出た。食事は簡単にして、暖かくして昼寝したら、気分は少し良くなった。数日間、悪夢を見ていたのも、これの前兆だったのだろう。
***
週間ALL REVIEWSの16号が無事発刊。ちょっとゴタゴタしたが、無事に出たので安心。
今回の巻頭言は、孫崎享氏の近著『日本国の正体「異国の眼」で見た真実の歴史』に関するもの。読み応えあり。
まだの方、右上のリンクから(Webバージョンの場合)、即刻購読登録願いますm(_ _)m
2019年9月30日月曜日
『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』を読みながら漱石の苦闘も思い浮かべる
ご近所の工事現場。小規模だが賃貸の集合住宅ができる予定。
これは基礎工事のためだが、地面を面白い形に掘って、コンクリートを流し込もうとしている。迷路状になっているが、これを眺めた後、昼寝したら、この迷路に迷い込んで出られなくなった夢を見た。体は小さくなっていたのだろう。割と怖かった。寝る前に知人のお土産で大きな大福を食べたので、興奮したのかも知れない。
***
『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』(角地幸男 新潮社装幀室装幀 2014年 新潮社)を110頁まで読んだ。吉田健一がいかにして日本語で著述ができるまでになったかを描く。
11頁。書物の引用は間違っている方が本当だ。つまり、引き写すのでなく、読んで理解したもののほうが真実と言うに値する、とあった。なんだか、元気が出る話。
32頁。まず、英国のことを片付けるために、英国三部作を書いた。「英国の文学」、「シェイクスピア」、「英国の近代文学」。ナチュラルに英国文学を語ってしまうのがすごい。夏目漱石が愚直に「英国文学」と格闘したのとは大違い。後に、「東西文学論」、「文学概論」も書く。漱石も「漢文学」を書けばよかったのに。
自叙伝的な「交遊録」を読むべきだ。読んだが忘れているのかも知れない。
53頁。「余生の文学」に言及。これは明後日読む。
96頁。シェイクスピアは「大衆文学」を書いたのだとして、大衆文学の時評を書き始めた。
これは基礎工事のためだが、地面を面白い形に掘って、コンクリートを流し込もうとしている。迷路状になっているが、これを眺めた後、昼寝したら、この迷路に迷い込んで出られなくなった夢を見た。体は小さくなっていたのだろう。割と怖かった。寝る前に知人のお土産で大きな大福を食べたので、興奮したのかも知れない。
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『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』(角地幸男 新潮社装幀室装幀 2014年 新潮社)を110頁まで読んだ。吉田健一がいかにして日本語で著述ができるまでになったかを描く。
11頁。書物の引用は間違っている方が本当だ。つまり、引き写すのでなく、読んで理解したもののほうが真実と言うに値する、とあった。なんだか、元気が出る話。
32頁。まず、英国のことを片付けるために、英国三部作を書いた。「英国の文学」、「シェイクスピア」、「英国の近代文学」。ナチュラルに英国文学を語ってしまうのがすごい。夏目漱石が愚直に「英国文学」と格闘したのとは大違い。後に、「東西文学論」、「文学概論」も書く。漱石も「漢文学」を書けばよかったのに。
自叙伝的な「交遊録」を読むべきだ。読んだが忘れているのかも知れない。
53頁。「余生の文学」に言及。これは明後日読む。
96頁。シェイクスピアは「大衆文学」を書いたのだとして、大衆文学の時評を書き始めた。
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明日からは、ハロウィン商戦だという構えで、消費税不況を乗り越えようとするスーパーの工夫は実るか?
2019年9月29日日曜日
『書物とともに』(寿岳文章)は参考になること満載だし、なによりオモシロイ
『書物とともに』読了。
Bibliographyを書誌学と訳すか、特定の書誌(例えば個人の著作目録とか)と訳すか、の大論争がマッケロウの『文学研究者のための書誌学入門』(An Introduction to Bibliography for Literary Students)をきっかけに巻き起こった話が紹介される。
そしてウィリアム・ブレイズの『書物の敵』などの紹介も。カクストンの評伝も。Internet Archiveで読めるので、読もうかしら。イギリスの活字文化がわかる。
書誌学は過去の書籍を研究するけれど、出版業の未来を考える「出版学会」が立ち上げられたときの講演(1969年)も収録されている。この本の編者の布川角左衛門さんもその立ち上げに参加している。
最後(293頁付近)で、低俗な政治家の影響や高度経済成長に狂奔する人々の影響で、書物の危機が訪れていると述べる。良い出版者が不在であると。
出版学会とは盲点だった。調べるべし。
http://www.shuppan.jp/
***
人間的にも興味の出てきたので、寿岳文章さんに関する本を二冊また図書館システムで予約。
Bibliographyを書誌学と訳すか、特定の書誌(例えば個人の著作目録とか)と訳すか、の大論争がマッケロウの『文学研究者のための書誌学入門』(An Introduction to Bibliography for Literary Students)をきっかけに巻き起こった話が紹介される。
そしてウィリアム・ブレイズの『書物の敵』などの紹介も。カクストンの評伝も。Internet Archiveで読めるので、読もうかしら。イギリスの活字文化がわかる。
書誌学は過去の書籍を研究するけれど、出版業の未来を考える「出版学会」が立ち上げられたときの講演(1969年)も収録されている。この本の編者の布川角左衛門さんもその立ち上げに参加している。
最後(293頁付近)で、低俗な政治家の影響や高度経済成長に狂奔する人々の影響で、書物の危機が訪れていると述べる。良い出版者が不在であると。
出版学会とは盲点だった。調べるべし。
http://www.shuppan.jp/
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人間的にも興味の出てきたので、寿岳文章さんに関する本を二冊また図書館システムで予約。
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今日、稀勢の里の断髪式があった。
2019年9月28日土曜日
『書物とともに』は読んで楽しい本だ
『書物とともに』を180頁まで読む。朝、昼、午後に分けて。
66頁。「製本師」は「書物の敵」かという議論。必ずしもそうは言えないし、装幀家ばかりでなく、製本をする人も尊重しないとダメである。
68頁。活字の大切さ。寿岳文章さんは、活字の良し悪しが本作りで最も大きな要素だという。で、この当時(1950年ころ)には、良い活字がないのを嘆く。戦前より退歩した。ラテン文字は26文字であることも手伝い、良い活字がたくさんある。日本には…というわけだ。光悦本などの木活字の素晴らしさにも触れる。ここも追求してみたい話題だ。
72頁。「人間書物」という話題もオモシロイ。イリーンが『書物・その起原と発達の物語』で冒頭に取り上げているそうだ。もちろん、日本にも「語部」がいた。
114頁。モリスの活字の美しさの議論。
ともかく良い本だ。明日には読み終えるだろうが、ゆっくり読み直したい本。
***
『平野甲賀[装丁]術・好きな本かたち』(平野甲賀 1986年 晶文社)も読んだ。装丁の手順が少し飲み込める。平野さんの装丁で使われる「文字」は手書きなのだった。加工にマッキントッシュは使うのだとか。
***
ワールドカップ・ラグビー、アイルランドにも勝ってしまった。オドロキ。
2019年9月27日金曜日
『居候匆々』(内田百閒)の挿画は谷中安規の版画、その素晴らしさにひっくり返った
朝六時起床後の読書、今日は『居候匆々』(内田百閒 1984年 旺文社文庫)。数ヶ月前に先輩から頂いた文庫本で、読まずに放り出してあったが、何の気なしに手にとった。内田百閒唯一の新聞小説だそうだ。苦学生が学校の先生の家に住み込む話だが、この本には多くの版画が挿入されている。そしてそれがみなすばらしく存在感を発揮している。谷中安規の版画だ。
文庫本なので、縮小されているのだが、それでも迫力がある。発表当時の新聞は見つけるのが大変そうだが、単行本が昭和12年に小山書店と言う所から出ているらしい。これは、国会図書館に行けば、デジタル本だが、見ることができる。近いうちに機会を作って拝んで来たい。
谷中さんの自画像。これはパブリックドメインらしい。棟方志功を思わせるが、実際にお互いに知っていたらしい。
***
集合住宅の庭の草刈りの日で、エンジン音がうるさい。そこで、まだ午前中だが、図書館に本の交換に行ってきた。10冊きれいに返して、予約しておいた7冊を持ち帰った。
まず、『書物とともに』(寿岳文章 布川角左衛門編 1980年 冨山房百科文庫)を50頁ほど読む。書籍の良さはその内容だけが決めるのでなく、装幀が問題であるとおっしゃっている。今の自分の興味にピッタリだ。(興味に応じて選んだので当たり前だが。)
2019年9月26日木曜日
『天才たちの日課』はミーハー的にオモシロイ
『本当のような話』は今朝また、6時に起きて読み、無事に朝食前に読み終えた。
『東京の昔』や、最近読んだ『瓦礫の中』のように、戦災前の東京へのノスタルジーを感じる作品だった。
***
毎朝、本を読むという習慣を数日続けてみた。読書の能率が、朝は上がるような気がする。
『天才たちの日課』(メイソン・カリー 金原瑞人/石田文子訳 戸塚康雄デザイン 堀節子装画 2014年 フィルムアート社)も並行して読んでいたが、これも読了。有名作家やアーティストの日常創作生活をまとめた本。実は読むのは二回目。オモシロイというより、参考になる本。今回の朝読書も、この本をヒントにして始めた。日本人で取り上げられているのは村上春樹だ。
この本で、バルテュスの日常(毎日絵を書く、晩年はスイスの豪華な山荘で、節子夫人に助けられながら…)を知って、彼の評伝を図書館で注文した…ことは昨日も書いたなあ。
『東京の昔』や、最近読んだ『瓦礫の中』のように、戦災前の東京へのノスタルジーを感じる作品だった。
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毎朝、本を読むという習慣を数日続けてみた。読書の能率が、朝は上がるような気がする。
『天才たちの日課』(メイソン・カリー 金原瑞人/石田文子訳 戸塚康雄デザイン 堀節子装画 2014年 フィルムアート社)も並行して読んでいたが、これも読了。有名作家やアーティストの日常創作生活をまとめた本。実は読むのは二回目。オモシロイというより、参考になる本。今回の朝読書も、この本をヒントにして始めた。日本人で取り上げられているのは村上春樹だ。
この本で、バルテュスの日常(毎日絵を書く、晩年はスイスの豪華な山荘で、節子夫人に助けられながら…)を知って、彼の評伝を図書館で注文した…ことは昨日も書いたなあ。
2019年9月25日水曜日
吉田健一の『本当のような話』、話は本当でないだろうが、社会批評は本当だ
また、朝6時起きして『本当のような話』を180頁まで読みすすめる。話の筋はたわいがない。そしてもちろん、筋を追って読むような古風な小説ではない。
83頁。「今の東京は明治以後に一切の計画を抜きにして出来上った町で折角の関東の大震災や今度の戦争中の空襲も区劃整理と町の根本的な改造に役立てられず、…」と手厳しい。
吉田健一のこの訴えを真面目にとらず、東京という町をおざなりに発展させてしまった我々は、東北の大震災とそれに伴う原発事故をも教訓と出来ずに、チャンスだった社会の改造にも失敗している。人間として基本的な問いかけ、どのような理想を目指して生きていくのかを考えることを、ないがしろにするわれわれの性格には絶望をすら覚える。
***
装幀の勉強を始めるために、新たに平野甲賀さんの本を二冊予約。『天才たちの日課』で知った、バルテュスの評伝も予約した。これは装幀とはあまり関係ない(だろう)。
そして、恩地孝四郎さんの著書(挿画も)も読むべきだと知り、国会図書館デジタルコレクションでいくつか眺める。これなども、面白そうだ。
83頁。「今の東京は明治以後に一切の計画を抜きにして出来上った町で折角の関東の大震災や今度の戦争中の空襲も区劃整理と町の根本的な改造に役立てられず、…」と手厳しい。
吉田健一のこの訴えを真面目にとらず、東京という町をおざなりに発展させてしまった我々は、東北の大震災とそれに伴う原発事故をも教訓と出来ずに、チャンスだった社会の改造にも失敗している。人間として基本的な問いかけ、どのような理想を目指して生きていくのかを考えることを、ないがしろにするわれわれの性格には絶望をすら覚える。
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装幀の勉強を始めるために、新たに平野甲賀さんの本を二冊予約。『天才たちの日課』で知った、バルテュスの評伝も予約した。これは装幀とはあまり関係ない(だろう)。
そして、恩地孝四郎さんの著書(挿画も)も読むべきだと知り、国会図書館デジタルコレクションでいくつか眺める。これなども、面白そうだ。
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