『トーマス・マン日記』を読み進める。
生活習慣(たとえば朝の入浴や、午前中の仕事)は、私が真似している事が多い。
1952年5月1日。
澄んだ天候、でも風邪気味。
5月2日。
アドルノから長文の手紙、『クルル』を完成するよう主張している。
5月3日。
昨夜睡魔と戦いながら『悪霊』を読了。スタヴローギンはレーヴァキューンを思い起こさせる。子宮と月経について抄録。欺かれた女の物語のための形式を見出す試み。そのあとリスボン近郊について抄録。
5月4日。
クックック一家との交際を語り進める気持ちが失せる。
5月10日。
考えていたよりも早く今月の終わりに当地を発って、スイス航空でチューリヒに飛び、先ずはスイスに滞在したいという意図が(当局に?)認められる。
(この日、私は3歳)
5月13日。
『芸術家と社会』講演を何とか録音した。
5月14日。
(『欺かれた女』)物語の冒頭を数行書く。
5月19日。
短編小説を少し書き進める。
5月20日。
ハインリヒとともに過ごした若きローマの日々を思い、この市に再会する日々の状況を思う。短編小説を少し書き進める。
5月21日。
短編小説を少し書き進める。
5月23日。
チェーホフの『死の影』、優れている。
5月24日。
私たちの出発は6月23日に確定。エーリカは今月末。短編小説を苦吟しながら書き進める。
5月25日。
短編小説を少し生き生きと書き進める。
6月1日。
六時ごろエーリカは、ニューヨークへ飛ぶ。
6月4日。
夕食後、旅行に持っていく本の選択。これは前もって送られることになる。
6月5日。
7時半に起床、コーヒーのあと入浴。ここで、いつものように、すでに課題を熟考する。
短編小説を書き進める。
カーン女史に1933年から51年までの日記を銀行に預けるべく荷造りさせる。「文学的価値なし、しかし私の死後20年経たないうちは何人も開封すべからず」と書くことにする。
6月6日。
マンの77歳の誕生日。
***
赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう)先生が、夜9時からのTBSテレビの番組『世界ふしぎ発見!』に少し出演された。短いインタビューで、内容は乏しかったけれど、週5日も街角で絵を書くなど、お元気な姿を見ることができて嬉しかった。コロナ禍のパリ、気をつけていただきたいものだ。
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