つなぎとして『伽藍とバザール』の山形浩生さん訳を読み直す。ざっくり言うとトップダウンの組織でなくて、ボトムアップの民主的組織でシステム開発を行うほうがうまくいくという話だ。(そうじゃないと言う人もいるだろうが、その人の意見も正しいと思う。そもそもこの手の物事の意味に「正解」はない、と私は思う。)
鹿島茂さんは(僭越ながら私も)1960年代末から1970年代始めの学生運動時代を経験している。いわゆるノンポリ学生の私が、当時の学生運動のなかに求めた(そしてそれが果たせずザセツした)ものは、空想的社会主義的要素だった。(原始共産制にも憧れたがこれはさすがに無理と気づいていた。)
個人が尊重され、個人が主体となった民主政治がなされ、弱者も含めて分配も公平にされる。物事を決めるのは政治権力でなく、独立した個人の合議による。戦後民主主義の洗礼を受けていたノンポリ学生はそんな世界が来るのは近く、今参加している学生運動はそのための重要なステップを築くものと信じて疑わなかった。その学生運動があんな無残に潰えるとは……信じられなかった。でも現実(つまり就職)の波は、容赦なく足元をすくい、われわれいや私は流された。それから50年たち、なつかしい神保町の地にたち、PASSAGE by ALL REVIEWSの入り口に立つ時、昔のはかない夢がかすかな光芒をもって蘇るのを目撃する。パリのパサージュにもそんな雰囲気があるのを鹿島茂さんは感じ取ったと書かれている。
PASSAGE by ALL REVIEWSは限定された範囲ながらも「共和国」としてかろうじて存在している。そのまだ幼くはかない存在が、現実という嵐に吹き飛ばされないようにするには、ここに集う我々がそれぞれの立場で小さなしかし継続的な努力を重ねるしかない。参加者(棚主や顧客や運営者)が、お互いの意見を尊重しつつ、自分の意見をも持って話し合う。なにか問題点が生じるとして、それを解決するのはお互いの話し合いしかない。愚直にこれを守っていくしかないことは、1970年代以降の社会の動きをみれば、火を見るようにあきらかだし、困難でも続けるしかない。
ところで、PASSAGE by ALL REVIEWS(とALL REVIEWS)では、政治的発言はやめておこうという暗黙の了解がある。したがって、「民主主義」とか「専制」とか「共和国」など言うコトバはさけることにしたい。そのうえで、コトバに気をつけて言うと……
ここに集う我々皆は、誰にも邪魔されずに、自分の好きな本を売り・買い・批評しあうことが楽しみながらできる。これは簡単なようで実はとても難しい、そしてそれを保証するのは誰でもない、われわれPASSAGE by ALL REVIEWSに集う人たちなのだ。***
明日からは、もっとくわしく、『パリのパサージュ-過ぎ去った夢の痕跡』を読みながら書きます。
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