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2017年3月3日金曜日

体調回復準備万全(*^^*)

 節制のおかげでだいぶ体調は回復し、近々受ける手術にも耐えられそうな気がしてきた。

 昨夜の朝日新聞夕刊で、三谷幸喜さんのコラム(私は愛読者)を見ると、「ブレイキング・バッド」という米国ドラマが面白いと書いてあった。信じやすいたちなので観たくなった。



 Amazonビデオで捜すと、あった。初回は無料で観られるが、2回以降は有料(300円/回)である。どうしようかな?無料になるまで暫く待つか、病院の有料テレビ(1000円/カード)を使ったつもりで300円ずつ払うか?

 ともかく、新聞はインターネットとは違った雰囲気で情報を与えてくれるメリットが有る。トイレで読むのも簡便で、靴が湿ったときの乾燥にも使える。

 高額な購読料なのでこんなことがないとやめてしまいたくなる。資源ごみで出すときにも重いですしね。

 朝日新聞は小学生の時からだから60年近く読んでいる。昔ほどのステータスはなくなった。ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト社会主義が消滅したからかもしれない。
 こちらの見る目が変わったとも言えるけれど。

 昨日一日、iPhoneを外出で使ってみたが、便利だ。格安SIMを購入して入れてやることにしよう。

2017年1月6日金曜日

三谷さんと池上さんに妙な親近感、ブログ書きの基本をみる




 朝日新聞木曜夕刊に連載されている三谷幸喜さんのエッセイ「ありふれた生活」は愛読している。たまに読み忘れるけれど、それでも読者に後ろめたさを感じさせないという、ユルさ。名人芸だ。

 1月5日掲載回には、17年間の連載の苦労話が載っている。()私の補足
(1)400字詰めにすると2,600枚(どーだ) 16冊の本になっている(買ってよ! 電子書籍になったら買います−私)
(2)話の重複は、このコラムに関しては編集者がチェック(どーだ)
(3)他の雑誌等の原稿との重複(どーだ)は、狐狸庵先生だってやってるので勘弁して
(4)和田誠さんにずっと挿絵をお願いしてる(どーだどーだ)
(5)和田誠さんの画も字もかきかたが好きで真似している(みーだ)ので今回は自分も描いてみた(どーだ)

 これを読むと、連載エッセイもブログ書きも似たようなものとワカル。(勝手に一緒にするなといわれそう。)

 このブログも現在のペースで10年くらい続けると(その保証はどこにもないが)、1日400字としても、トータル3,650枚となる。堂々たる長編になる。

 話の重複は大いにあるが編集者が居ないのでチェックできない。ブログの検索機能(右上にあります)で自己チェックするしかない。年寄りのことなので同じ話が出てくるのは勘弁して欲しい。

 遠藤周作先生も、「沈黙」みたいな力作では推敲に力をいれたろうが、狐狸庵名義のエッセイはそんなことはしないで、書き飛ばしたのだろう。

 唯一羨ましいのは、挿絵の件。やむをえずブログでは写真を使うのだが、上手なポンチ絵ならいうことはない。これは、頑張ってマンガを習って自分で描くしか無い。今年はこれを目標の一つにしました。
 
 今朝の「あさイチ」で、(こう書くと「おじん」と言われるのを最近発見。若い人はあさイチなんか見ていない。仕事している。)池上彰さんが出てきて、ニュース解説に模型(システム屋さんのいう「モデル」ですね)を使うときの苦労を述べていた。どうしてもアイディアがでないと風呂に入っちゃうというところが、自分としては受けた。

 こういう模型(図解)で、話題の本質を切り取るのは、良い修行になったということだったが、全面的に賛成だった。

 そこで私もマンガの修行をして、ブログに添えたい。以上、希望を述べましたm(_ _)m 



 なお、ブログの内容に関しては、最近リルケの著作を参考にできることに気づいた。もちょっと勉強して報告いたします。

2016年12月14日水曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その4(第二部上)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。
 
 第二部は「文化運動とその周辺」。「文化運動」?と思ったが、中身を読んで、了解した。この本の筆者にとっては、「文化運動」と労働運動や政治活動は切り離せない。あるいは、「文化運動」の一端として他の活動がある。その最大の理由は昭和二〇年八月一五日までの苦しい生活にある。

 「(敗戦直後の国内問題のうち)主要な命題は政治的には「天皇制存廃」「戦犯追放」の問題であり、経済的には「食料確保」「産業再建」の問題に要約された。」とある。(35ページ)
「戦後の民主勢力は、政治的には社会党と共産党、経済的には労働組合と農民組合が主な組織」とも述べる。(35ページ)
「この4つの民主団体と、密接、不可分」ではありながら、「全然別個なグループの中心に」居たと筆者は述べている。(35ページ)

 このグループは「文化運動」においては「盛岡文化懇話会」を組織し、民主人民戦線内では「文懇グループ」と呼ばれた。

 このあと、いわゆる「文化人」の戦争中の行動を批判している。高村光太郎や横光利一(筆者は「敬愛する」と書いているが)の戦争中の行動や発言に失望した旨の記述が続く。

『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治、1,956年、現代社)著者の蔵書
また、前述の鈴木東民の「ナチスの国を見る」も紹介している。これは読んでみたいが、国会図書館に行くしかなさそう。

 この鈴木東民が編集局長だった、当時の読売新聞は「アカハタに近いといわれたりした」とある(42ページ)ので、今から考えると驚き!しかし、正力松太郎を中心とする会社側との労働争議に敗れ、鈴木は「岩手の民主戦線へ参加する」。(43ページ)

 「朝日新聞は新岩手日報との特殊関係(未調査 福地)から多くの記者を岩手に疎開させた」(45ページ)このため、終戦後の新聞業界のストで、新岩手日報だけがストを決行する事となる。
 
 このあと、筆者(三浦)の「文化運動」についての記述が続く。
新岩手日報、東北文庫への寄稿、「岩手出版文化協議会(筆者は幹事)」に参加した「生活者」誌の編集、文化人グループとの交流など。
 このあたりは、資料にあたって調べなければならないが、今のところそのような余裕がないので、将来への重たい宿題としたい。