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2016年12月31日土曜日

大晦日今年の憂さは中掃除

 ある忘年会で友人が言っていた。「家庭内のもつれた糸は無理してまで完全には解きほぐすな。」
 仕事など人事全般にもいえそうだ。

 易経のことを調べているが、黄小娥先生の『易入門』を読んでいたら、ヘッセの『ガラス玉演戯』からの引用が出てきた。

 さっそく調べてみた。夜中なので本を取りに行くのは面倒なので、Kindleで捜した。Kindle Unlimitedにあった。ラッキー。(今朝本を出してみたら、出所は同じでした。高橋健二訳) 以下は黄小娥先生がふれておられた、Kindle本のなかの一部。



 (このような引用も許されるかな。iPadの画面キャプチャーを使いました。不都合なら取り下げます!)

 クネヒトの修行時代の先生の一人が、易をクネヒトに教えた。クネヒトは、易をマスターしそして易のエッセンスをガラス玉演戯に取り入れようとする。
 
 『高い城の男』よりは、易の取り上げ方が上手い。

 易の卦は、最近私が考えている「呼び水」の一種とかんがえられるだろう。問題を真剣に探求しているとき、解決への道(知恵)は実は自分の中にある。そして卦という「呼び水」により、隠された知恵が表面化し、意識の表面に登ってくる。

 修行しなさい、と師が弟子に言うとき、「呼び水」の捜し方は最初に伝授する。それ以上は教えない。弟子の内部に本来の知恵が育っていないと、「呼び水」は無益な、いや有害なものになる。
 本来の知恵を自らのなかに育て、「呼び水」の作用で泉のように流れ出すように弟子が努力することを修行と言う。

 年末大掃除も「呼び水」の一環かもしれない。
 知恵あるヒトは大掃除によって、スバラシイものを自分にもたらす。単にキレイにするだけが大掃除ではない。

 そして人事に関することは、ときには掃除しないでなりゆきにまかせる必要がありそう。

 昨日拭いた窓ガラスを、今朝の日光で透かしてみると、少し汚れが残っている。これはまた拭いておきましょう。

2016年12月30日金曜日

歳末の掃除はかどる寂しさや

 忘年会ラストは、高齢おじさまたちとの恒例人間ドック終了後。体調不良が治ったので、ドック終了時の医師のアドバイスも余裕で聞き流した。勇躍外国人観光客もそぞろ歩く新宿の街へ。

 終了後、ロマンスカーに乗り、しあげの飲み物とつまみとで、一人宴会をしながら帰るのが無上の楽しみ。

 乗り換え駅のホームで、手袋をはめていたら、後ろから肩をたたかれた。振り向くと上品な女性が笑みを浮かべている。夢かと思ったが、「これを落としましたよ!」と私の手に、アメを乗せてくれ、立ち去っていった。飲み屋のレジでくれるおまけのアメを手袋を出すときに落としたのだった。

 アメをしゃぶりながら帰る。

 夜中に目をさまし、『高い城の男』で、しきりに取り上げられた「易」に関する本をKindleで捜す。

 『黄小娥の易入門』(黄 小娥 著) がKindle Unlimitedで読めるのを発見。さっそくダウンロードして読み始めたが、数ページで眠気に負けてダウン。
 今朝、続きをかなり読んだ。易の基本がわかりやすく書かれている。文章に品がある。アメのオバサマのような感じ(何が??)。昭和37年のベストセラーだったのも頷ける。郷里の本屋で立ち読みしたのを思い出した。



 硬貨6枚で占えるそうなのでやってみよう(^^) 「易経」も読んでみよう。

 年末大掃除は、珍しく事前にかなりの部分をやってあるので、あとは窓拭きと照明器具のホコリ払いくらい。楽勝だ。捗ったのは仕事量が減って家事に時間が費やせるようになったからだ。寂しくもあり嬉しくもある。まあ、体が丈夫なだけでもよしとしなければ。

2016年12月25日日曜日

旨いご馳走を食べたら、ビデオを観て本も読む

息子様からのクリスマス・プレゼント\(^o^)/

クリスマス・イブのご馳走の準備では、よく家人と意見の相違が生じる。「(いつもより)高級な材料を使っているのだから、丁寧に調理し、見栄え良く盛り付けてね!」、「ハラ減ってるんだから、適当でいいでしょ。それより早くビールのみてー。」「サーモンはサラダの上にバラの花のように…。」
 まあ、なんとか無事終了。


 フィリップ・K・ディック(面倒なので(^^) PKD と略す)の『高い城の男』を読み続ける。チルダンという米国人骨董商とセレブな日本人夫妻との会話とチルダンの心理描写の絶妙な組み合わせ。

 同時並行でPKDをテーマとした様々なビデオを、Youtubeで観る。TEDもあるし、フランスで制作されたものもある。フランスでもPKDは人気あるんですね。いや、PKDの皮肉はフランスや日本でのほうが本国アメリカでより評価されやすいのかも。(あくまでも個人の主観的感想です。)


 このように(一般の)ビデオと小説を交互にみていると、媒体の違いに意識が向いてくる。

 ひとに見せられるビデオを実際に制作するのには大変な時間と金と手間がかかりそうだ。「ベンツSL220に乗って…」と一言書けば、セレブな感じを表現できるのが小説なら、実車を用意して通行を遮断してロケするのに何日もかかって10秒の作品を作るのがビデオだろう。

 コストパフォーマンスは圧倒的に違う。小説のほうが受け手を考えさせるという意味で、優れている。狙うところが違うといえばそれまでだが。

 われわれの仕事にもこのような事象は発生していそうだ。
 システムのプレゼンテーション(ユーザーインターフェース)の重要性はよくいわれる。ただし、システムの対象となる仕事上の概念をハンドリングするのに、気の利いた手段は他にもあるに違いない。
 システム・ユーザーのIT成熟度によって、話が異なってくるという厄介さも、ビデオと小説の関係に似ている。

 ところで、普段とちがう料理をうまく失敗せずに作るには、最終的な(食べる前の)イメージを、きちんと定義する必要がある。このイメージを定義するには言葉は非常に無力で、絵やビデオが強力なのは間違いない。やれやれ。

2016年12月24日土曜日

楽しくも悲しいそして面白いクリスマス・イブがやってきた

 浮世の雑事に追いかけられ、ブログの仕込みができてない。「等身大」の話でいきます。

 昨夜、香港から夜遅いキャセイ便で帰る息子様を羽田に迎えに行った。高速湾岸線でベイブリッジを渡り終えた頃、ガムを噛む奥歯に違和感。運転しながらこわごわ舌の先で探ったら、なんと右の奥歯の金属冠がはずれてしまっている。年末なのにとがっくり。

 今朝、いきつけの歯医者さんに駆け込んだら、歯の根がほとんどなくなっているので、来年そうそうブリッジにしましょうとのこと。
(ベイブリッジと歯のブリッジ。はは、面白い???)

 しばらく行かなかったのに、またまた歯医者がよいとなりそうだ。トーマス・マンもよく歯医者に行った話を(歯無しでなくって)、日記に書いている。(恐れ多いが)同病相憐れむとすると、やはりクリスマスの買い物は彼の『日記』か?

 さて、羽田の駐車場(成田でもおなじようなことに気づいたが)では、各階に各種の鳥(羽田だから?)のイメージが関連付けられている。今回は五階に車を駐めたが、五階の「鳥」はフクロウ。他の階にもそれぞれハクチョウやクジャクなどが割り当てられている。



 あとで、階数を思い出すのに苦労する人がおおいのだろう。フクロウと覚えるほうが忘れにくい。イメージのうまい活用。
 なお、車を駐めた位置(今回G531番だったが、)は、さすがにイメージが付属していないので、自分で携帯で写真を撮っておく。



 さて、帰ってきてから寝床の中でまたiPadのKindleアプリで『高い城の男』を読み続ける。昨日も書いたが、フィリップ・K・ディックの風刺のきいた小説を読んでいると、笑いをこらえるので苦しい。『猿の惑星』の原作もそうだったかしらん。

 風刺をうまく交えたタッチで、映画を作り直して欲しい。(リドリー・スコットでは無理でしょうが、)ウディ・アレンなら出来る。

 易経を用いて行動の指針を得る場面が頻繁に出てくる。面白そうなので、自分でもやってみたくなった。クリスマス・プレゼントは筮竹

2016年12月23日金曜日

ビデオと小説のイメージ喚起力と現実変革力

 『高い城の男』を、忘年会に向かう電車の片隅で読む。フィリップ・K・ディックの筆力に引き込まれて、降りるべき駅に停車するまで気づかず慌てておりた。コンコースを歩きながら折りたたみ傘を座席に忘れてきたことに気づく。それくらい面白いということか。

 まだ邦訳を三分の一しか読んでいないが、昨日までに観たビデオ版から受ける印象とはあきらかに異質なものを感じる。小説で読むとビデオ映像から受けるやりきれない暗さが感じられない。

 リドリー・スコットは原作を読んで、自分なりの世界観に照らし合わせ、映像作品を作った。ほぼ彼の創作と言っていいだろう。そして彼の狙った効果は十分に発揮される。我々は混乱し、困惑し、世界の不条理さをたっぷりと味わう。この点でリドリー・スコットの思い通りである。映像のプロの技はすごい。しかしそこに、「やられた」感がある。

 小説から受ける印象は、乾いた、皮肉な、そして時にはユーモアすら感じられるものである。そして、フィリップ・K・ディックは知的な困惑を読者に起こさせ、読者自身が考えて、この世界の不条理性を把握することを促す。イメージを作るのは読者自身である。

 ビデオにせよ小説にせよ、「正しくない世界」を「より正しい世界」へと変革することを、受け手(視聴者・読者)に促す。

 どちらのメディアの受け手のほうが、社会を良い方に導くように動きやすいか? この種のことを考えるには、この『高い城の男』は良い題材である。これを提出したディックに拍手を贈りたい。



 今日こそクリスマス・ツリーの飾り付けをしないと。

2016年12月22日木曜日

自分へのクリスマス・プレゼントは松岡正剛先生に選んでもらう(かも)

30年もののツリーセット!

 『高い城の男』をAmazon videoで観た。『ブレードランナー』とは違った面白さ。フィリップ・K・ディックはやはり研究対象になる。

 原作を読んでいないので、Kindle本を買うことにする。ただし、原作とビデオは、第二次世界大戦で米国が負けてナチス・ドイツと日本に占領されているという設定は同じだが、内容はかなり違っているそうだ。
 
 ビデオを観たあとは、かなり重たい気持ちになり、胃痛がぶり返しそうになったので、暗いイメージを自分で排除できる小説本を読むほうが気楽かもしれない。

 ただし、ビデオを観ただけでも、この作品が提示する各種のテーマは勉強したいという気持ちを誘う。易経、第二次大戦中と直後の世界情勢、ユダヤ人への迫害、旧約聖書、などなど。小説を読めばもっと課題が見つかって楽しいだろう。
 
 最近は新しいことを学ぶには、まず、オンラインの百科事典(JKの世界大百科と日本大百科など)を見て基本知識を得て、つぎに読むべき参考書を松岡正剛先生のサイトに行って教わることにしている。ほぼハズレがなく殆どの著者や本についての知識が得られる。素晴らしいサイト。自分でもこんなサイトを作れればいいなあとも思う。
 
 今回のフィリップ・K・ディックについては、こんな記事が見つかった。この記事を読むと「エントロピー小説」という「ヴァリス三部作」も読みたくなる。
 
 かくして勉強プロジェクトのバックログは毎日溜まっていく。まあ、借金のようなもので、溜まるほど尊敬されるような気もする。
 
 年末のこの時期には、古いクリスマスツリーを出して飾り付けながら、自分へのクリスマス・プレゼントも考える。大抵は少し値のはる書籍である。今年の第一候補は『トーマス・マン日記1946−48』。中古で8,000円。二年ぐらいかけて読むので、ものすごく高いというわけではない。フィリップ・K・ディックの本たちも候補に入れるか?悩ましい。