2017年2月22日水曜日

『マイルス・デイビス自叙伝 2』紹介(最終回)



 1987年、「ツツ」がグラミー賞をとった。
 欧州や日本へ公演に行く。米国と違い、俺を尊敬してくれる。
 1988年、大親友のギル・エバンスが死んだ。音楽のアプローチが似ていた。金儲けはへただった。
 ジェームス・ボールドウィンも死んだ。
 年末に気管支肺炎にかかった。シシリーと離婚。

 1989年。ワーナーから「アマンドラ」を出した。コロムビアは1985年に作った「オーラ」を出した。

 自分はこの時にも芸術家として成長していた。従来通りにだ。

 成長という目でみると、ウェイン・ショーターやトニー・ウィリアムスやハービー・ハンコックとやることにより、高音域で音楽をとらえられるようになった事が大きい。感謝している。

 ジャズ・ミュージシャンは常に成長し、変化しなくてはならない。批評家は面倒くさがるが。

 黒人は日本人と似ているところがある。笑うのが好きで、型にはまらない。

 コカインもタバコもやめた。

 俺の人生で創造的だったのは、1945年から1949年まで。1954年から1960年。1964年から1968年も悪くはない。そして現在。絵も描き、作曲もし、すべての知識を活用している。

 毎日の演奏のたびに一歩前進するように頑張る。(原本は1989年に出版された。マイルスは1991年65歳で亡くなった(T_T) )

 自叙伝を読んで、今まで敬遠していたマイルスのCDをきちんと聴けるようになった。ジャズとは何かについて、少し解るようになった。

 この自叙伝には数多くのミュージシャンの名前があがっている。主要な人々については、別途勉強したい。その意味で良いものを読んだ\(^o^)/ 息子様が彼のCDを大量に所有していて、助かった。

0 件のコメント: