2020年7月12日日曜日

『消え去ったアルベルチーヌ』(光文社古典新訳文庫)を一気読み、これからゆっくり愉しみながら読み返す



『消え去ったアルベルチーヌ』(光文社古典新訳文庫)、買ってからかなり温めていたが、やっと読む気になった。これは、サガンの『私自身のための優しい回想』(新潮文庫)を最近読んだおかげだ。サガンによると(同書172頁)、ここを読むと「一挙にドラマに入りこめ」るのだそうだ。

アルベルチーヌの不幸を知らせる電報文面がサガンによって引用されている。翻訳であるが、この文面からすると、電報を書いて語り手に知らせるのは、男性と思える。しかし、『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美先生訳)によると(160頁)、「ボンタン夫人」が電報を打ったことになっている。文面も女性の書きぶりになっている。ここはちょっと不思議に思えるので、自分で調べてみたい。プルーストがいろいろ書き換えているせいかもしれない。他の訳本にもあたってみたい。

『消え去ったアルベルチーヌ』はサガンの言うように、すらすらと筋を追えたが、いろいろと考えながら読み直すのが楽しそうだ。いろいろ考える種は、たくさん湧いてくる。これが素人の読書の醍醐味かもしれない。読書に関して言うと、下手な考え休むに似たり、は当てはまらない。このように楽しく読めるのは、高遠先生の流麗な名訳のおかげだ。

181頁。語り手は、母親に連れられてヴェネツィアに旅行する。ヴェネツィア、というところに反応して、トーマス・マンを読み返したくなる。それで、本棚を漁っていたら、偶然ヴィクトル・ユーゴーの『L'Homme qui rit』が出てきた。初めて見る本だ。息子殿が買ったのだろう。翻訳を捜したがにわかには見つからなかった。ないのかもしれない。それでも読みたいが、フランス語で読んでいると100歳を超えそうなので、英訳を捜してみようかしら。

(このブログを書いた翌日、国会図書館デジタルコレクションを、落ち着いて捜したら、『笑う人』が見つかった。『ユーゴー全集. 第四巻』(ユーゴー全集刊行会 (冬夏社内))、大正9年出版だから100年前の本。宮原晃一郎訳。)


https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1718616

このようにしていれば、『失われた時を求めて』(光文社新訳文庫)の続巻の翻訳をゆっくりと待つことができるだろう。愉しみには時間をかけるべきだ。

***

実家で里帰り出産をするMちゃんを見送りには行けなかった。このご時勢なので仕方ない。ご実家の父上母上が迎えに来たので心配はないが、こちらとしてはコロナ禍をちょっと恨む。そして、これから生まれる子供はどのような人生を送るのだろうか。

0 件のコメント: