『文字渦』(第一回)で川端康成文学賞とやらを貰った円城塔さん。空海つながりで連作『文字渦』を途中から読み始めたばかりなので、少し驚いた。
それでは、ということで少し調べてみると、学生時代は物理学をやっていたらしい。その後「ウェブ・エンジニア」を経験した後、作家を専業としたらしい。珍しい経歴として紹介されることもあろうが、もちろん本人にはこのキャリアは、必然だったのだろう。
文字に対する興味がお有りになるらしく、作品にもその傾向が見て取れる。
となると、同じく物理出身でSEの経験もあり最近は文字に関する興味を覚えている私としては、少し彼の作品を捜して読んでみたいと思い始めた。
Kindleの本棚には『Self-Reference ENGINE』よいう、彼のデビュー作(たぶん)が、潜んでいた。数年前に購入して、途中まで読んで中断していたらしい。
こういうことが最近よくある。もの忘れというより、精神が不活発になって、物事の始末を付けきれない。
ただし、嘆いても始まらないので、余裕とかじっくり考えるという老人力がついたと、考えておく。本も、読み切れなければ、いつかはまた読むだろうとかまわずにほっておく。書(iPadのアプリで画面に書くことを書と言えればだが)の練習も、度々中断している。
定年時に始めた、薄幸な天文学者リービットさんの伝記調べも断続している。もっとも、何かを調べるとき、派生的に出てくる興味対象を、追いかけることが多く中断が多いのだが、派生したことを調べるのは非常に面白いので、それも良しとしよう。
テーマを追いかけるたびに、都度都度ブログを書いておくと、次回再開するときに好都合だと最近思っている。本文検索も簡単にできるので、前回何をどこまで調べたかがわかりやすい。
ブログで小説を書く人もいるだろう。
ともかく、Kindleで『Self-Reference ENGINE』読もう。Audibleにも円城塔作品がある。これも聴いておこう。
2017年5月14日日曜日
2017年5月9日火曜日
川端康成文学賞は短編が対象なんですね
就職以降、文学雑誌に遠ざかっていたが、突如として今年の「新潮」五月号、六月号を買ってしまった。理由は円城塔さんの短編連作「文字禍」を、空海つながりで読みたくなったため。正確には五月号をこの理由で買ったのだが、六月号は予定していなかった。
しかし、新聞広告(新聞広告や書評については別途書いてみます)で、川端康成文学賞が「文字禍」に与えられたと聞き、その受賞の言葉と受賞作を読みたかったので、また駅ビル書店で購入。
さっき書いたように、連作全体の題が「文字禍」なのであり、川端賞はその第一回の作品に与えられた。期せずして、読みたかった第一回分もすぐ手に入ったわけだ。
「文字禍」はニ回分しか読んでいないが、「小説らしくない」小説だ。話が抽象的いや概念的なのだ。昔風に言えば高踏的。空海が唐で文字を扱うシステムを作っているというのが五月号の話だが、受賞の「文字禍」は始皇帝時代の俑を8000体(?)作った職人が人偏の字を三万字も竹簡に書いておいたというお話。謎の阿語生物群というのも出て来るが、まだ意味不明。数千画の字なんてあるのか??
このあたりの本当か空想かわかないところが面白い。さすがに理系出身の作者だという人がいそうだが、そもそも小説とは昔からそんなものだ。読んだ当初には微妙な違和感が有る方が、ずっとそのことを考えることができて、長く楽しめる。
「文字禍」はこれからも「新潮」に掲載されそうなので、楽しみにして駅ビル書店に毎月通わなくてはならない。これこそ「文字禍」そのもの。
なお、この短編以外にも六月号には森田真生さんの「数が作った言語」というフレーゲの解説作品も載っていて「面白い」。昔の文学雑誌とはイメージが変わっているので驚いている(*^^*)
いまに、計算機のプログラムも掲載されたりするのではないか。
しかし、新聞広告(新聞広告や書評については別途書いてみます)で、川端康成文学賞が「文字禍」に与えられたと聞き、その受賞の言葉と受賞作を読みたかったので、また駅ビル書店で購入。
さっき書いたように、連作全体の題が「文字禍」なのであり、川端賞はその第一回の作品に与えられた。期せずして、読みたかった第一回分もすぐ手に入ったわけだ。
「文字禍」はニ回分しか読んでいないが、「小説らしくない」小説だ。話が抽象的いや概念的なのだ。昔風に言えば高踏的。空海が唐で文字を扱うシステムを作っているというのが五月号の話だが、受賞の「文字禍」は始皇帝時代の俑を8000体(?)作った職人が人偏の字を三万字も竹簡に書いておいたというお話。謎の阿語生物群というのも出て来るが、まだ意味不明。数千画の字なんてあるのか??
このあたりの本当か空想かわかないところが面白い。さすがに理系出身の作者だという人がいそうだが、そもそも小説とは昔からそんなものだ。読んだ当初には微妙な違和感が有る方が、ずっとそのことを考えることができて、長く楽しめる。
「文字禍」はこれからも「新潮」に掲載されそうなので、楽しみにして駅ビル書店に毎月通わなくてはならない。これこそ「文字禍」そのもの。
なお、この短編以外にも六月号には森田真生さんの「数が作った言語」というフレーゲの解説作品も載っていて「面白い」。昔の文学雑誌とはイメージが変わっているので驚いている(*^^*)
いまに、計算機のプログラムも掲載されたりするのではないか。
2017年4月9日日曜日
空海本を発掘し新刊雑誌も購入、ウィトゲンシュタイン本まででてきた
腹痛が治り、足腰に力が入る様になったので、納戸部屋のガラクタを踏み越えて空海本を掻き集めてきた。
意外にたくさんある。全集には「東陽堂書店」のラベルが貼ってあった。神保町まで行ったのか。拾い読みすると、松本清張さんが「密教の水源をみる」(1994年 講談社文庫)で、恵果との初対面の場面を冷静に分析しているのが、面白かった。たしかに皆、空海を褒め過ぎるので、本来の(?)空海像がわかりにくいと思う。ただし、調べていくと皆圧倒されるのだろう。
「新潮」5月号に円城塔さんが、やはり空海のことをテーマにした短編「種字」を書いているらしいので、駅ビルの書店まで行き、立ち読みし結局買って帰る。奇想天外。ただし、短編連作の一つなので、他も読みたくなり、すこし読後感が薄い。単行本出版を待つか。
こういった文芸雑誌を買うのは久しぶりだ。若くなった気分(*^^*)
空海本の横に、ラッセルとウィトゲンシュタインの本(世界の名著)があったので、これも拾ってきた。これから哲学を勉強してもいいなと思う。花咲く春はいろいろ気が多くなる。
土日とも雨で、せっかく満開になった桜が散り始めている。
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