就職以降、文学雑誌に遠ざかっていたが、突如として今年の「新潮」五月号、六月号を買ってしまった。理由は円城塔さんの短編連作「文字禍」を、空海つながりで読みたくなったため。正確には五月号をこの理由で買ったのだが、六月号は予定していなかった。
しかし、新聞広告(新聞広告や書評については別途書いてみます)で、川端康成文学賞が「文字禍」に与えられたと聞き、その受賞の言葉と受賞作を読みたかったので、また駅ビル書店で購入。
さっき書いたように、連作全体の題が「文字禍」なのであり、川端賞はその第一回の作品に与えられた。期せずして、読みたかった第一回分もすぐ手に入ったわけだ。
「文字禍」はニ回分しか読んでいないが、「小説らしくない」小説だ。話が抽象的いや概念的なのだ。昔風に言えば高踏的。空海が唐で文字を扱うシステムを作っているというのが五月号の話だが、受賞の「文字禍」は始皇帝時代の俑を8000体(?)作った職人が人偏の字を三万字も竹簡に書いておいたというお話。謎の阿語生物群というのも出て来るが、まだ意味不明。数千画の字なんてあるのか??
このあたりの本当か空想かわかないところが面白い。さすがに理系出身の作者だという人がいそうだが、そもそも小説とは昔からそんなものだ。読んだ当初には微妙な違和感が有る方が、ずっとそのことを考えることができて、長く楽しめる。
「文字禍」はこれからも「新潮」に掲載されそうなので、楽しみにして駅ビル書店に毎月通わなくてはならない。これこそ「文字禍」そのもの。
なお、この短編以外にも六月号には森田真生さんの「数が作った言語」というフレーゲの解説作品も載っていて「面白い」。昔の文学雑誌とはイメージが変わっているので驚いている(*^^*)
いまに、計算機のプログラムも掲載されたりするのではないか。
2017年5月9日火曜日
2017年4月12日水曜日
空海の悩みもそうだが、長谷川郁夫さんの「編集者 漱石」が面白い!
徐々に読書が楽しくなりつつある。体調との関連があるのだろう。エンジンがかかってきた。
空海熱はすこし冷めつつある。『密教の水源をみる』(松本清張)のちょっと突き放した記述が、今回のポイント。ただし、空海の人間性を考え得たというところが大きい。
『三教指帰』で空海自身が若き自分を語っている。儒教をベースとした現実出世主義には、もちろん飽き足らない。道教の語る厭世主義もちょっと違う。仏教の語る、悩める人(まず自分)への救いに希望を持った。もちろん、悟りの境地そして理性主義はすでに身についていただろう。衆生を救う力を持たなければならず、そのための最新の知識や方法は、本場(中国本当はインド)に行かないと手に入らない。
うまく手に入ったのが中国密教というツール。かれはそれを持ち帰り、空海自身の密教と言う形で花開かせて、嫌っていた権力も手に入れる事になってしまった。
これは彼の本意だったのか?そうだと思う。しかし、長安の街歩きで発見した、自由な自分も懐かしかっただろうと思う。
1000年以上前の人なのに、空海が皆に好かれいや話題にされる理由は、彼のこのような複雑性言い換えれば現代性だと思う。かれの俗物性をなじるだけでなく、彼の多様な側面を推測して、自分の身に置き換えて考えるのが、空海熱を楽しむコツだと思う。突っ込みどころが多いというのがスターのいや超人の超人たる所以だ。
日曜に買った雑誌「新潮」を読む。長谷川郁夫さんの「編集者 漱石」が面白い。漱石の初期作品(幻影の盾や草枕や猫他)の成立の舞台裏が知れる。長谷川さんの評伝「吉田健一」も読みたくなった。
キケンキケン(*^^*)
昨日までの雨が晴れて、春らしい雲が浮かぶ空のもと、これから買い物に出かけます。デパ地下のカレイの塩焼きが楽しみ。
空海熱はすこし冷めつつある。『密教の水源をみる』(松本清張)のちょっと突き放した記述が、今回のポイント。ただし、空海の人間性を考え得たというところが大きい。
『三教指帰』で空海自身が若き自分を語っている。儒教をベースとした現実出世主義には、もちろん飽き足らない。道教の語る厭世主義もちょっと違う。仏教の語る、悩める人(まず自分)への救いに希望を持った。もちろん、悟りの境地そして理性主義はすでに身についていただろう。衆生を救う力を持たなければならず、そのための最新の知識や方法は、本場(中国本当はインド)に行かないと手に入らない。
うまく手に入ったのが中国密教というツール。かれはそれを持ち帰り、空海自身の密教と言う形で花開かせて、嫌っていた権力も手に入れる事になってしまった。
これは彼の本意だったのか?そうだと思う。しかし、長安の街歩きで発見した、自由な自分も懐かしかっただろうと思う。
1000年以上前の人なのに、空海が皆に好かれいや話題にされる理由は、彼のこのような複雑性言い換えれば現代性だと思う。かれの俗物性をなじるだけでなく、彼の多様な側面を推測して、自分の身に置き換えて考えるのが、空海熱を楽しむコツだと思う。突っ込みどころが多いというのがスターのいや超人の超人たる所以だ。
日曜に買った雑誌「新潮」を読む。長谷川郁夫さんの「編集者 漱石」が面白い。漱石の初期作品(幻影の盾や草枕や猫他)の成立の舞台裏が知れる。長谷川さんの評伝「吉田健一」も読みたくなった。
キケンキケン(*^^*)
昨日までの雨が晴れて、春らしい雲が浮かぶ空のもと、これから買い物に出かけます。デパ地下のカレイの塩焼きが楽しみ。
2017年4月9日日曜日
空海本を発掘し新刊雑誌も購入、ウィトゲンシュタイン本まででてきた
腹痛が治り、足腰に力が入る様になったので、納戸部屋のガラクタを踏み越えて空海本を掻き集めてきた。
意外にたくさんある。全集には「東陽堂書店」のラベルが貼ってあった。神保町まで行ったのか。拾い読みすると、松本清張さんが「密教の水源をみる」(1994年 講談社文庫)で、恵果との初対面の場面を冷静に分析しているのが、面白かった。たしかに皆、空海を褒め過ぎるので、本来の(?)空海像がわかりにくいと思う。ただし、調べていくと皆圧倒されるのだろう。
「新潮」5月号に円城塔さんが、やはり空海のことをテーマにした短編「種字」を書いているらしいので、駅ビルの書店まで行き、立ち読みし結局買って帰る。奇想天外。ただし、短編連作の一つなので、他も読みたくなり、すこし読後感が薄い。単行本出版を待つか。
こういった文芸雑誌を買うのは久しぶりだ。若くなった気分(*^^*)
空海本の横に、ラッセルとウィトゲンシュタインの本(世界の名著)があったので、これも拾ってきた。これから哲学を勉強してもいいなと思う。花咲く春はいろいろ気が多くなる。
土日とも雨で、せっかく満開になった桜が散り始めている。
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