記憶を数時間でなくすなんとか先生みたいになってきた。なので「メモ帳」アプリは手ばなせない。
***
午前中は少し頑張って、国会図書館デジタルで古い書評を探した。
方針として…
(1)佐藤春夫、永井荷風、森鷗外ライン
(2)堀辰雄、芥川龍之介、夏目漱石ライン
で、書評を探す。要するに自分の好み。
まず、「佐藤春夫」、「永井荷風」などををキーワードに国会図書館デジタルをサーチしたらいくつか収穫があった。
本日(2019年3月10日)のデスクトップ画像(画面キャプチャー)を参照。10個以上の収穫。やればできる^^;
地道に探して書評を拾い読みしていると、なんとなく鼻が效くようになってきた。単行本を探すだけでなく、春陽堂文庫などの卷末解説も狙い目だ。
***
午後は、こたつで『砂の惑星』を読む。途中でYoutubeに行き、映画やビデオを見たら、昔の鮮烈さが感じられない。本を読んで自分のイメージがふくらんだからか?
***
夕方、また雨が降り出す。地球は水が豊富で幸せだ。
***
ルーブルで2011年の今日みたモザイク。美しい。
2019年3月10日日曜日
2019年3月9日土曜日
THE WORLD IS A BOOK AND THOSE WHO DO NOT TRAVEL READ ONLY A PAGE
Jが花壇の手入れ中に転んだ。軽い打撲傷で済んだが、気をつけてもらわないとこまる。
と思っていたら、近所の駅で人身事故。ホームにいた乘客が特急電車にはねられた。残念ながら死亡されたようだ。合掌。
花粉も飛びまくり、あまり良い一日ではない。珍しく晴れたのだが。
***
「書評」ハントもあまり成果が上がらなかった。とりあえず、堀辰雄の卒論から出発して、芥川龍之介、鷗外、漱石などとたどる案を考えはじめた。かなり青空文庫が利用できそう。
***
『砂の惑星』の読書は、順調。20冊に1冊ぐらいの「あたり」と言える。昨日の読み始めの数ページ目からそうだったが、物語世界にすっぽりと沒入できている。今の所(250ページ付近)主人公よりも、その母親や父親の心理描写が秀逸だと思っている。母親が聖アウグスティヌスの精神と肉体に関する言葉を引用していたので、アウグスティヌスの本を眺めたりもしている。そして、数年前香港の地下道で見かけた、『世界とは一冊の本であり、旅に出ない者は同じ頁ばかり読んでいるのだ。』という文句を思い出した。
この時写真を撮った。なかなか見つからなかったが、今あてずつぽうにAmazonPhotosの2014年のところをクリックしたら、写真が出てきた。驚いた。
この写真は、撮った直後にやった研修で若者に見せた記憶がある。つまらない自慢をするオヤジと思われただろう。
と思っていたら、近所の駅で人身事故。ホームにいた乘客が特急電車にはねられた。残念ながら死亡されたようだ。合掌。
花粉も飛びまくり、あまり良い一日ではない。珍しく晴れたのだが。
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「書評」ハントもあまり成果が上がらなかった。とりあえず、堀辰雄の卒論から出発して、芥川龍之介、鷗外、漱石などとたどる案を考えはじめた。かなり青空文庫が利用できそう。
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『砂の惑星』の読書は、順調。20冊に1冊ぐらいの「あたり」と言える。昨日の読み始めの数ページ目からそうだったが、物語世界にすっぽりと沒入できている。今の所(250ページ付近)主人公よりも、その母親や父親の心理描写が秀逸だと思っている。母親が聖アウグスティヌスの精神と肉体に関する言葉を引用していたので、アウグスティヌスの本を眺めたりもしている。そして、数年前香港の地下道で見かけた、『世界とは一冊の本であり、旅に出ない者は同じ頁ばかり読んでいるのだ。』という文句を思い出した。
この時写真を撮った。なかなか見つからなかったが、今あてずつぽうにAmazonPhotosの2014年のところをクリックしたら、写真が出てきた。驚いた。
この写真は、撮った直後にやった研修で若者に見せた記憶がある。つまらない自慢をするオヤジと思われただろう。
2019年3月8日金曜日
『デューン 砂の惑星』(酒井昭伸訳)は面白そうだ
OLD REVIEWSに関し、貴重なご意見をくださった方がいらっしゃる。
(1)校正のダブルチェックが必要だ。
(2)“OLD REVIEWS”でなく、“ALL REVIEWS CLASSIC”とか“ALL REVIEWS HERITAGE”と呼ぶほうが良い。
(3)旧仮名が苦手なので、新仮名版もあるといい。
改善案を考えてみた。
(1)に関しては今の体制ではできないので、当面は「校閲君」などのソフトを使って対処するしかない。時間も十分かけるべきだ。
(2)確かに提案いただいた方が、良い名前だ。今の名前は語呂合わせなので…。要検討。
(3)できるかどうか検討する。技術的にはソフト「まるやまる君」の援用で可能。サイトのページ構成に工夫が必要だ。
***
コンテンツ・ハントはあまり進まなかった。青空文庫で佐藤春夫の書いた「堀辰雄のこと」くらいか。トーマス・マンの『詐欺師…』に関する書評があるといいのだが、見つからなかった。
***
『デューン 砂の惑星 上』(フランク・ハーバート 酒井昭伸訳 2016年 早川書房)を読み始めた。以前、映画ではなくってTV化されたものを見た。なかなか良くできていたが、そのイメージが頭に残っていて、意外にストーリーに入り込める。得てして映像イメージが読書を邪魔することがあるが、今回は大丈夫だ。理由はなんだろう。監督の感性と自分の感性が合うからか。監督の腕が良くて、自然にイメージを刷りこまれたのか。
(1)校正のダブルチェックが必要だ。
(2)“OLD REVIEWS”でなく、“ALL REVIEWS CLASSIC”とか“ALL REVIEWS HERITAGE”と呼ぶほうが良い。
(3)旧仮名が苦手なので、新仮名版もあるといい。
改善案を考えてみた。
(1)に関しては今の体制ではできないので、当面は「校閲君」などのソフトを使って対処するしかない。時間も十分かけるべきだ。
(2)確かに提案いただいた方が、良い名前だ。今の名前は語呂合わせなので…。要検討。
(3)できるかどうか検討する。技術的にはソフト「まるやまる君」の援用で可能。サイトのページ構成に工夫が必要だ。
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コンテンツ・ハントはあまり進まなかった。青空文庫で佐藤春夫の書いた「堀辰雄のこと」くらいか。トーマス・マンの『詐欺師…』に関する書評があるといいのだが、見つからなかった。
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『デューン 砂の惑星 上』(フランク・ハーバート 酒井昭伸訳 2016年 早川書房)を読み始めた。以前、映画ではなくってTV化されたものを見た。なかなか良くできていたが、そのイメージが頭に残っていて、意外にストーリーに入り込める。得てして映像イメージが読書を邪魔することがあるが、今回は大丈夫だ。理由はなんだろう。監督の感性と自分の感性が合うからか。監督の腕が良くて、自然にイメージを刷りこまれたのか。
2019年3月7日木曜日
OLD REVIEWSのネタをまた発見→「科学が文章となる過程」(戸坂潤)
青空文庫に行き、書評を探していたら、戸坂潤の『読書法』が目についた。国会図書館デジタルで検索してみると昭和13年に三笠書房から出版されたものが読める。
読みやすいので青空文庫のほうでひととおり読んだ。その中で、次の文章が目についた。
***
7 科学が文章となる過程
J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』(藪内清氏訳)が重版になった。初め『新物理学の宇宙像』という題で訳されたのだそうだが、今度は原名(Mysterious Universe)の直訳にして出したものである。一九三〇年に原著者がケンブリッジ大学のレード講演に基いて書かれたもので、論文というよりも正に「エッセイ」というべきスタイルにぞくする。
第一章は「滅び行く太陽」、第二章は「近代物理学の新天地」、第三章は「物質と輻射」、第四章は「相対性原理とエーテル」、第五章は「問題は混沌として」(Into the Deep Waters)というのである。私は最初この原本を開けて見た時に、実を云うと、章題のつけ方のこの流儀にやや反感に近いものを感じた。何か大変俗悪な、素人をおどすような気分で書かれているような予感がしたからである。処が読み始めるとスッカリ感心して了った。実に心憎い程の切れ味を有った叙述なのである。巻を措く間も惜しく、読んで了ったものだ。尤も本はごく小さく四六判一四〇頁程のものであるが(訳本の方も二百頁程だ)。
ジーンズは物理学的観念論者の典型ともいうべき人であろうが、そういう哲学は勝手にしゃべらしておけばいいだろう。他にも沢山いることだ。併し科学的名文家としてのジーンズは充分に尊重されていいと思う。同じく物理学的観念論者の一人であるエディントンも亦、食い込むような厚みのある説明を与える叙述力を持っているが、ジーンズはこの本で、もっと掌を指すように、又もっと手玉に取るように、対象を生々と転がしている。
日本にも自然科学者で科学的文章の名文家が少なくない。私の知っている限りでは石原純博士とか仁科芳雄博士などがそうだ。だが英語国民やフランス語国民の自然科学者には、その「科学」が「文章」にまでなって了っている達人(?)が日本よりも多いのではないか、というような気がする。と云うのは、之は単に文章の問題ではない、科学自身の社会的生存に関する問題であるからだ。
*
(下記のファイルの一部を切り取って引用しました。)
底本:「戸坂潤全集 第五巻」勁草書房
1967(昭和42)年2月25日第1刷発行
1968(昭和43)年12月10日第3刷発行
入力:矢野正人
校正:土屋隆
2007年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
***
引用されている、「J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』」という本は、2年前私が探した本に違いないと思った。(2年前のブログはこれ、「雨降りなので宇宙論を勉強しよう」。)
トーマス・マンが『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』のなかで、「クックック教授の宇宙論」としてもちいた知識の種本だろう。
『神秘の宇宙』はいまでもAmazonさんで入手できる。『神秘の宇宙―新物理学の宇宙像 (昭和12年) ジーンズ 』
原書はInternet Archiveですぐ見つかった。ちょっとだけ読んだ。あとで(いつになるか?)じっくり読んで、トーマス・マンが当時の最新宇宙論をいかに深く理解していたか調べてみたい。
***
試しに原書の数行をOCRにかけてみた。完璧にできた。アルファベットはいいなあ!
***
2011年の今日。リュクサンブール公園にて。
読みやすいので青空文庫のほうでひととおり読んだ。その中で、次の文章が目についた。
***
7 科学が文章となる過程
J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』(藪内清氏訳)が重版になった。初め『新物理学の宇宙像』という題で訳されたのだそうだが、今度は原名(Mysterious Universe)の直訳にして出したものである。一九三〇年に原著者がケンブリッジ大学のレード講演に基いて書かれたもので、論文というよりも正に「エッセイ」というべきスタイルにぞくする。
第一章は「滅び行く太陽」、第二章は「近代物理学の新天地」、第三章は「物質と輻射」、第四章は「相対性原理とエーテル」、第五章は「問題は混沌として」(Into the Deep Waters)というのである。私は最初この原本を開けて見た時に、実を云うと、章題のつけ方のこの流儀にやや反感に近いものを感じた。何か大変俗悪な、素人をおどすような気分で書かれているような予感がしたからである。処が読み始めるとスッカリ感心して了った。実に心憎い程の切れ味を有った叙述なのである。巻を措く間も惜しく、読んで了ったものだ。尤も本はごく小さく四六判一四〇頁程のものであるが(訳本の方も二百頁程だ)。
ジーンズは物理学的観念論者の典型ともいうべき人であろうが、そういう哲学は勝手にしゃべらしておけばいいだろう。他にも沢山いることだ。併し科学的名文家としてのジーンズは充分に尊重されていいと思う。同じく物理学的観念論者の一人であるエディントンも亦、食い込むような厚みのある説明を与える叙述力を持っているが、ジーンズはこの本で、もっと掌を指すように、又もっと手玉に取るように、対象を生々と転がしている。
日本にも自然科学者で科学的文章の名文家が少なくない。私の知っている限りでは石原純博士とか仁科芳雄博士などがそうだ。だが英語国民やフランス語国民の自然科学者には、その「科学」が「文章」にまでなって了っている達人(?)が日本よりも多いのではないか、というような気がする。と云うのは、之は単に文章の問題ではない、科学自身の社会的生存に関する問題であるからだ。
*
(下記のファイルの一部を切り取って引用しました。)
底本:「戸坂潤全集 第五巻」勁草書房
1967(昭和42)年2月25日第1刷発行
1968(昭和43)年12月10日第3刷発行
入力:矢野正人
校正:土屋隆
2007年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
***
引用されている、「J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』」という本は、2年前私が探した本に違いないと思った。(2年前のブログはこれ、「雨降りなので宇宙論を勉強しよう」。)
トーマス・マンが『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』のなかで、「クックック教授の宇宙論」としてもちいた知識の種本だろう。
『神秘の宇宙』はいまでもAmazonさんで入手できる。『神秘の宇宙―新物理学の宇宙像 (昭和12年) ジーンズ 』
原書はInternet Archiveですぐ見つかった。ちょっとだけ読んだ。あとで(いつになるか?)じっくり読んで、トーマス・マンが当時の最新宇宙論をいかに深く理解していたか調べてみたい。
***
試しに原書の数行をOCRにかけてみた。完璧にできた。アルファベットはいいなあ!
***
2011年の今日。リュクサンブール公園にて。
2019年3月6日水曜日
面白かったことは記録しておかないとどこかに消えてしまう
OLD REVIEWSは作れる見込みが立ったので、
(1)コンテンツの収集と
(2)作成ノウハウのブラッシュアップ
を行うことにする。
***
花粉症のせいか歳^^;のせいか、頭がぼーっとする。今日は、コンテンツの目星をつけると称して、国会図書館(デジタル)をぶらぶら見て歩いた。いくつか見つかった。
***
(1)昨日取扱つた、正宗白鳥は、探すともっとオモシロイものが出てきそうだ。数日前のブログも参照。
(2)堀辰雄から見た芥川龍之介。(含む堀の卒論。)
(3)十返一の『作家の世界』に「堀辰雄論」があった。十返さんは意外ながら著作権切れの著者の仲間に入っていた。
(4)片山孤村の『現代独逸文学観』のなかの「トーマス・マンの詩人觀」。
(5)トーマス・マンを昔どう評価していたか、その歴史をたどるのもよさげ。
***
他に思いついて、調べはじめたのは、原二郎先生のモンテーニュ関連論文。二つ見つけたが、もっとありそうだ。大学の紀要や学会誌も探さないと見つからないだろう。とりあえず、2番目の論文(「世界」(通号 254) 1967.01 p.234~237 に掲載された)を国会図書館で見てコピーしてくる。
***
成果の割に、時間がかかった。でも楽しいからいい。そしてブログはその楽しさを定着し、増幅していく。
(1)コンテンツの収集と
(2)作成ノウハウのブラッシュアップ
を行うことにする。
***
花粉症のせいか歳^^;のせいか、頭がぼーっとする。今日は、コンテンツの目星をつけると称して、国会図書館(デジタル)をぶらぶら見て歩いた。いくつか見つかった。
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(1)昨日取扱つた、正宗白鳥は、探すともっとオモシロイものが出てきそうだ。数日前のブログも参照。
(2)堀辰雄から見た芥川龍之介。(含む堀の卒論。)
(3)十返一の『作家の世界』に「堀辰雄論」があった。十返さんは意外ながら著作権切れの著者の仲間に入っていた。
(4)片山孤村の『現代独逸文学観』のなかの「トーマス・マンの詩人觀」。
(5)トーマス・マンを昔どう評価していたか、その歴史をたどるのもよさげ。
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他に思いついて、調べはじめたのは、原二郎先生のモンテーニュ関連論文。二つ見つけたが、もっとありそうだ。大学の紀要や学会誌も探さないと見つからないだろう。とりあえず、2番目の論文(「世界」(通号 254) 1967.01 p.234~237 に掲載された)を国会図書館で見てコピーしてくる。
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成果の割に、時間がかかった。でも楽しいからいい。そしてブログはその楽しさを定着し、増幅していく。
2019年3月5日火曜日
OLD REVIEWS試作版第一弾:「巴里にてのツルゲーネフと島崎藤村」(正宗白鳥)
「巴里にてのツルゲーネフと島崎藤村」 正宗白鳥
私は永井荷風氏の「ふらんす物語」と、島崎藤村氏の「エトランゼエ」とは、幾度も通讀してゐる。どちらも二三十年前の書物だが、日本の文學者の歐洲印象記で、これ以上に味はひのあるものは私にはまだ見當らないのである。異郷生活の淋しさに震へてるる藤村氏と、青春の夢を恣まゝにして異郷の美しさに陶醉してゐる荷風氏と、兩者趣きを異にしてゐるが、どちらの心境も私には面白い。
ところで、荷風氏は、「自分には巴里で死んだハイネやツルゲーネフやショパンなどの身の上が不幸であつたとはどうしても思へない」と云ひ、彼等がこの藝術の都に生を終るまで滯在してゐられたことを、早くも巴里に別れを告げねばならぬ氏自身の境遇に引き比べて羨んでゐる。これも詩人の空想として面白いのだが、實際に卽して考へると、ハイネその他の異國人のフランスに於ける生活がそんなに樂しかつたであらうか。私にはさうは思はれない。ツルゲーネフがフランスの知友に與えた書翰を、かつて讀んだことがあつたが、他國人としての氣兼ねがそこに現はれてゐた。死後に編纂されたその書翰集の英譯本のうちの解説に、彼の知友であつた、或フランス文學者が、死後發表の書翰を讀んで、ツルゲーネフに對して氣まづい思ひをした次第が書いてあつた。生前のツルゲーネフは、他國人として、あれやこれやの知人に對しうまく調子を合せてゐたのであらう。安倍仲麻呂だつて唐の詩人墨客と親しんでゐるうちにも氣骨が折れたことであらう。
私は、この頃、ツルゲーネフの散文詩を新たに讀直して、感に打たれてゐるが、それにつけて、彼の巴里に於ける晩年の生活の、いかに淋しく、いかに痛ましかつたかを想像してゐる。私などは若い時分に、この散文詩を上の空で讀んでゐたが、今讀むとこの作者の死を前にした暗澹たる心境に歎息されるのである。人生絶望の賦と云つてもいゝこんな作品も、異郷孤獨の生活から産み出されたのではないかと、私には想像される。ツルゲーネフは、あまつたれた素質をもつた作家らしいが、晩年の心境を詠じた幾十種の散文詩は峻嚴である。日本の或古文人の作品に見られるやうな風流で緩和されたところなんか全く無いと云つていゝ。アルプスの絶頂の山と山との對話の如きは、峻嚴冷徹であつて、國木田獨歩は北海道旅行を材料とした小品のなかに、その散文詩の一二句を巧みに借用してゐるが、獨歩の文章のなかでは、それ等の詞句の働きが弱小である。むしろ感傷的な味はひを 持つてゐるに過ぎない。
藤村氏の「エトランゼエ」は、氏の海外旅行の動機によるのか、はじめから淋しさうであるが、その淋しさが月日のたつにつれて次第に深まつて、最後に「幻影」の生みだされたことに、私は興味を覺えるのである。氏もツルゲーネフの如くあまつたれた素質を有つた詩人であるが、華美な都會巴里に於て、極端な暗澹たる氣持に捉へられたことがあるのだ。芭蕉信仰の藤村氏は、「さびしさに居るものはさびしさを主とす」などと云つてゐるが、巴里に於ける氏の淋しさは、芭蕉のやうな生やさしい風雅なものではなかつたらしい。
「慰め難い無聊と、信じ難いほどの無刺戟とから、私は全く外界に縁故もなければ關係も ない自分を見つけることがあつた。‥‥さういふ私の側へは、あのエトランゼエがやつて來てゐた、否でも應でも私はその話し相手に成らねばならないやうな氣がした」と云つて その有樣を叙してゐるが、私にはそれが笑ひ事とは思はれない。そのエトランゼエは、現實の形を具へた人間ではない。影法師のやうなものだ。「外からこつそりやつて來るものゝやうでもあり、かうした長い旅の途中に隱れ潜んでゐたものゝやうでもあり、私がエトランゼエを迎へ入れる心持は一寸説明することが出來なかつた。ただ感ずることが出來た。あたかも暗夜の實在を感じ得られても、それを説明することの出來ないのに似てゐた」と作者は云つてゐる。街上を散歩して何かを見て感じたりすると、早く、下宿へ歸つて、そこに自分を待つてゐる筈の例のエトランゼエすなはち影法師にその感じを話したい氣持になるのだ。ツルゲーネフの散文詩になりさうな心境であり場景である。
藤村氏は詩人である。「エトランゼエ」のうちには、フランス旅行者たるいろいろな日本人が注意深い筆で描かれてゐるが、人聞描寫はさう巧みであるとは思はれない。事に觸れて異郷生活の淋しさに襲はれ續ける有様を私はこの一篇の藝術的生命として認めてゐる。
しかし、中年期に異郷で「幻影」と淋しく暮してゐた藤村氏は、老來却つて、その暗澹たる境地を脱して、平明なる藝術に刻苦してそこに安んじてゐるやうになつた。日本の詩人である藤村氏が、つまりは、ツルゲーネフの散文詩のやうなものを綴らないのは、當然であると云ふべきか。
***
<出典>
『文壇的自敍傳』(110ページ〜) 昭和13年 中央公論社 …「国立国会図書館デジタルコレクションより」 下の画像も。
<参考> 読者の便宜のため、国会図書館デジタルへのリンクをはってあるが、必ずしも正宗白鳥の読んだ書籍とはかぎらない。
「異邦人:別名エトランゼエ」(島崎藤村)
「散文詩」(ツルゲーネフ)
「新編ふらんす物語」(永井荷風)
Amazon書誌情報へのリンク。2019年3月5日現在。
「エトランゼエ」(島崎藤村)
「散文詩」(ツルゲーネフ)
「ふらんす物語」(永井荷風)
あとがき
ここを使うともっと検索がはかどるかも知れません。国会図書館だけでなく全国の公共の図書館もサーチできるそうです。「国立国会図書館サーチ」(NDL Search)
私は永井荷風氏の「ふらんす物語」と、島崎藤村氏の「エトランゼエ」とは、幾度も通讀してゐる。どちらも二三十年前の書物だが、日本の文學者の歐洲印象記で、これ以上に味はひのあるものは私にはまだ見當らないのである。異郷生活の淋しさに震へてるる藤村氏と、青春の夢を恣まゝにして異郷の美しさに陶醉してゐる荷風氏と、兩者趣きを異にしてゐるが、どちらの心境も私には面白い。
ところで、荷風氏は、「自分には巴里で死んだハイネやツルゲーネフやショパンなどの身の上が不幸であつたとはどうしても思へない」と云ひ、彼等がこの藝術の都に生を終るまで滯在してゐられたことを、早くも巴里に別れを告げねばならぬ氏自身の境遇に引き比べて羨んでゐる。これも詩人の空想として面白いのだが、實際に卽して考へると、ハイネその他の異國人のフランスに於ける生活がそんなに樂しかつたであらうか。私にはさうは思はれない。ツルゲーネフがフランスの知友に與えた書翰を、かつて讀んだことがあつたが、他國人としての氣兼ねがそこに現はれてゐた。死後に編纂されたその書翰集の英譯本のうちの解説に、彼の知友であつた、或フランス文學者が、死後發表の書翰を讀んで、ツルゲーネフに對して氣まづい思ひをした次第が書いてあつた。生前のツルゲーネフは、他國人として、あれやこれやの知人に對しうまく調子を合せてゐたのであらう。安倍仲麻呂だつて唐の詩人墨客と親しんでゐるうちにも氣骨が折れたことであらう。
私は、この頃、ツルゲーネフの散文詩を新たに讀直して、感に打たれてゐるが、それにつけて、彼の巴里に於ける晩年の生活の、いかに淋しく、いかに痛ましかつたかを想像してゐる。私などは若い時分に、この散文詩を上の空で讀んでゐたが、今讀むとこの作者の死を前にした暗澹たる心境に歎息されるのである。人生絶望の賦と云つてもいゝこんな作品も、異郷孤獨の生活から産み出されたのではないかと、私には想像される。ツルゲーネフは、あまつたれた素質をもつた作家らしいが、晩年の心境を詠じた幾十種の散文詩は峻嚴である。日本の或古文人の作品に見られるやうな風流で緩和されたところなんか全く無いと云つていゝ。アルプスの絶頂の山と山との對話の如きは、峻嚴冷徹であつて、國木田獨歩は北海道旅行を材料とした小品のなかに、その散文詩の一二句を巧みに借用してゐるが、獨歩の文章のなかでは、それ等の詞句の働きが弱小である。むしろ感傷的な味はひを 持つてゐるに過ぎない。
藤村氏の「エトランゼエ」は、氏の海外旅行の動機によるのか、はじめから淋しさうであるが、その淋しさが月日のたつにつれて次第に深まつて、最後に「幻影」の生みだされたことに、私は興味を覺えるのである。氏もツルゲーネフの如くあまつたれた素質を有つた詩人であるが、華美な都會巴里に於て、極端な暗澹たる氣持に捉へられたことがあるのだ。芭蕉信仰の藤村氏は、「さびしさに居るものはさびしさを主とす」などと云つてゐるが、巴里に於ける氏の淋しさは、芭蕉のやうな生やさしい風雅なものではなかつたらしい。
「慰め難い無聊と、信じ難いほどの無刺戟とから、私は全く外界に縁故もなければ關係も ない自分を見つけることがあつた。‥‥さういふ私の側へは、あのエトランゼエがやつて來てゐた、否でも應でも私はその話し相手に成らねばならないやうな氣がした」と云つて その有樣を叙してゐるが、私にはそれが笑ひ事とは思はれない。そのエトランゼエは、現實の形を具へた人間ではない。影法師のやうなものだ。「外からこつそりやつて來るものゝやうでもあり、かうした長い旅の途中に隱れ潜んでゐたものゝやうでもあり、私がエトランゼエを迎へ入れる心持は一寸説明することが出來なかつた。ただ感ずることが出來た。あたかも暗夜の實在を感じ得られても、それを説明することの出來ないのに似てゐた」と作者は云つてゐる。街上を散歩して何かを見て感じたりすると、早く、下宿へ歸つて、そこに自分を待つてゐる筈の例のエトランゼエすなはち影法師にその感じを話したい氣持になるのだ。ツルゲーネフの散文詩になりさうな心境であり場景である。
藤村氏は詩人である。「エトランゼエ」のうちには、フランス旅行者たるいろいろな日本人が注意深い筆で描かれてゐるが、人聞描寫はさう巧みであるとは思はれない。事に觸れて異郷生活の淋しさに襲はれ續ける有様を私はこの一篇の藝術的生命として認めてゐる。
しかし、中年期に異郷で「幻影」と淋しく暮してゐた藤村氏は、老來却つて、その暗澹たる境地を脱して、平明なる藝術に刻苦してそこに安んじてゐるやうになつた。日本の詩人である藤村氏が、つまりは、ツルゲーネフの散文詩のやうなものを綴らないのは、當然であると云ふべきか。
***
<出典>
『文壇的自敍傳』(110ページ〜) 昭和13年 中央公論社 …「国立国会図書館デジタルコレクションより」 下の画像も。
<参考> 読者の便宜のため、国会図書館デジタルへのリンクをはってあるが、必ずしも正宗白鳥の読んだ書籍とはかぎらない。
「異邦人:別名エトランゼエ」(島崎藤村)
「散文詩」(ツルゲーネフ)
「新編ふらんす物語」(永井荷風)
Amazon書誌情報へのリンク。2019年3月5日現在。
「エトランゼエ」(島崎藤村)
「散文詩」(ツルゲーネフ)
「ふらんす物語」(永井荷風)
あとがき
ここを使うともっと検索がはかどるかも知れません。国会図書館だけでなく全国の公共の図書館もサーチできるそうです。「国立国会図書館サーチ」(NDL Search)
2019年3月4日月曜日
金栗四三の『ランニング』を見つけて読んだ!
午前中は、確定申告書の最終作成と、Jのボランティア仕事のお手伝い。確定申告書は完成したので、例年ならすぐ税務署に出かけるのだが、天気が悪いのでやめた。明日は晴れそうなので行って来るつもり。
***
昨夜、金栗四三に興味を持ったので、「国会図書館デジタルコレクション」に、著書を探しに行った。お目当ては日記なのだが、見つからなかった。そのかわり『ランニング』という本を見つけた。大正5年、菊家出版部からの出版。明石和衛, 金栗四三 共著と書誌に書かれている。巻頭には嘉納治五郎の書を掲載してある。
前半が金栗の書いたもので、彼が苦心しながら編み出した長距離走練習法が書かれている。そして、ストックホルム・オリンピックに参加したときの体験も少し書いてある。短距離走の外国選手の体の大きさは非常なもので、三島弥彦は全くかなわなかった、マラソンの選手はそれほどでもないとのこと。
高等師範でのはじめての長距離走で、小を催して、スタートで出遅れた話もある。羽田でのはじめてのマラソン大会で優勝した時の話も書いてある。大河の「いだてん」の脚本作家はこれを見ている可能性が高いと思った。
***
ところで、この『ランニング』の著作権はどうなっているのか調べた。金栗翁が亡くなったのは1983年なので、基本的にはまだ著作権切れではない。でも、国会図書館ではインターネットに公開している?
国会図書館のページをよく見ると、「公開範囲 インターネット公開(裁定)著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開裁定年月日: 2017/02/06」という書誌情報が読める。
***
残念、この本の「コンテンツ転載」はできない。申し出をして認められればできるのではあるが。
***
このへんの事情は「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」というページに書いてある。
OLD REVIEWSに転載する場合は、書誌に「インターネット公開(保護期間満了)」と書いてあるものに限定することにする。
ここがわかっただけでも嬉しい。「いだてん」のおかげだ!
***
夕方、買い物ついでに図書館に行き、4冊借りた。『日本語のために』には福田恆存先生の「私の國語教室」(の多分一部分)が載っている。
***
昨夜、金栗四三に興味を持ったので、「国会図書館デジタルコレクション」に、著書を探しに行った。お目当ては日記なのだが、見つからなかった。そのかわり『ランニング』という本を見つけた。大正5年、菊家出版部からの出版。明石和衛, 金栗四三 共著と書誌に書かれている。巻頭には嘉納治五郎の書を掲載してある。
前半が金栗の書いたもので、彼が苦心しながら編み出した長距離走練習法が書かれている。そして、ストックホルム・オリンピックに参加したときの体験も少し書いてある。短距離走の外国選手の体の大きさは非常なもので、三島弥彦は全くかなわなかった、マラソンの選手はそれほどでもないとのこと。
高等師範でのはじめての長距離走で、小を催して、スタートで出遅れた話もある。羽田でのはじめてのマラソン大会で優勝した時の話も書いてある。大河の「いだてん」の脚本作家はこれを見ている可能性が高いと思った。
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ところで、この『ランニング』の著作権はどうなっているのか調べた。金栗翁が亡くなったのは1983年なので、基本的にはまだ著作権切れではない。でも、国会図書館ではインターネットに公開している?
国会図書館のページをよく見ると、「公開範囲 インターネット公開(裁定)著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開裁定年月日: 2017/02/06」という書誌情報が読める。
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残念、この本の「コンテンツ転載」はできない。申し出をして認められればできるのではあるが。
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このへんの事情は「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」というページに書いてある。
OLD REVIEWSに転載する場合は、書誌に「インターネット公開(保護期間満了)」と書いてあるものに限定することにする。
ここがわかっただけでも嬉しい。「いだてん」のおかげだ!
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夕方、買い物ついでに図書館に行き、4冊借りた。『日本語のために』には福田恆存先生の「私の國語教室」(の多分一部分)が載っている。
2019年3月3日日曜日
OLD REVIEWSはとりあえず個人レベルではじめてみよう
今日もOLD REVIEWS、つまり著作權切れの古い書評記事を集めたたサイトの作成についていろいろ考えた。
***
先に結論を言うと、難しいことは考えずに、埋もれている良い書評を探してどんどん記事にすべきと考えるに至った。次の方針でやれば良い。
(1)字體、仮名遣いはOCRにかける元の本の通りにする。つまり昔の本の編集者・校正者を信じる。これは今、ALL REVIEWSでやっている作業と同じ。
(2)機種依存文字は避けて適切と思える舊字・新字にする。
来週以降は、この方針で記事を作成して暫定的な形でアップする。問題点があればその都度対策や改善策を考えていく。稚拙でも始めることが大切だ。
***
それにしても、ここ数日OLD REVIEWSの具體化のことを考えて、わからないことを調べ、他の人の意見を聞き、自分の考えを書き出してみるという作業をやったら、面白くて時間を忘れた。老化防止にはもってこいだ。
今日調べたこと。
(1)こんなWebページが有る。「正(旧)仮名遣ひ⇔現代(新)仮名遣い」相互変換~まるやるま君」。仮名遣いの勉強にもってこい。記事のチェックにも活用できそうだ。
(2)そして、仮名遣いの参考サイト。「歴史的仮名遣ひ教室」は基礎として読んでおくべき。
(3)福田恆存さんの『私の國語敎室』は、この仕事をするなら必読教養書だろう。とりあえず明日図書館で借りるが、古本で買っておきたい。
(4)iOSでは繁體字の手書きキーボードが選択できる。日本の舊字とはもちろん差異があるが、参考になる。ともかく使ってみるとオモシロイ。
***
読書も進んだ。昨夜から読み始めた『カムパネルラ』(山田正紀 2016年 東京創元社)は今日夕方に読み終えた。宮沢賢治の名作たちにまつわるファンタジック・ミステリー。全篇に工夫が凝らされているので、うっかり何か書くとネタバレになってしまいそうだ。読み終えると、『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』の異本を探して読みたくなる。とりあえずは、青空文庫へ行く。
***
夜、『いだてん』を観たが、金栗四三が旅日記をつけていた。これを読んでみたい。探そう。
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先に結論を言うと、難しいことは考えずに、埋もれている良い書評を探してどんどん記事にすべきと考えるに至った。次の方針でやれば良い。
(1)字體、仮名遣いはOCRにかける元の本の通りにする。つまり昔の本の編集者・校正者を信じる。これは今、ALL REVIEWSでやっている作業と同じ。
(2)機種依存文字は避けて適切と思える舊字・新字にする。
来週以降は、この方針で記事を作成して暫定的な形でアップする。問題点があればその都度対策や改善策を考えていく。稚拙でも始めることが大切だ。
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それにしても、ここ数日OLD REVIEWSの具體化のことを考えて、わからないことを調べ、他の人の意見を聞き、自分の考えを書き出してみるという作業をやったら、面白くて時間を忘れた。老化防止にはもってこいだ。
今日調べたこと。
(1)こんなWebページが有る。「正(旧)仮名遣ひ⇔現代(新)仮名遣い」相互変換~まるやるま君」。仮名遣いの勉強にもってこい。記事のチェックにも活用できそうだ。
(2)そして、仮名遣いの参考サイト。「歴史的仮名遣ひ教室」は基礎として読んでおくべき。
(3)福田恆存さんの『私の國語敎室』は、この仕事をするなら必読教養書だろう。とりあえず明日図書館で借りるが、古本で買っておきたい。
(4)iOSでは繁體字の手書きキーボードが選択できる。日本の舊字とはもちろん差異があるが、参考になる。ともかく使ってみるとオモシロイ。
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読書も進んだ。昨夜から読み始めた『カムパネルラ』(山田正紀 2016年 東京創元社)は今日夕方に読み終えた。宮沢賢治の名作たちにまつわるファンタジック・ミステリー。全篇に工夫が凝らされているので、うっかり何か書くとネタバレになってしまいそうだ。読み終えると、『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』の異本を探して読みたくなる。とりあえずは、青空文庫へ行く。
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夜、『いだてん』を観たが、金栗四三が旅日記をつけていた。これを読んでみたい。探そう。
2019年3月2日土曜日
OLD REVIEWSへの通は遠い^^;
昨日のブログを専門家に見てもらった。もらったアドバイスは、「旧字体での校正は非常に大変なので策を考えろ…」というもの。OCRで旧字体は認識しないことが多い、その字を手入力するときに変換候補がなかなか見つからないのだそうだ。
***
やってみなければ、大変さそのものがわからない。が、ともかくやってみるということすら、まだできない。なにか参考資料はないかとググってみたら、適当と思われるモノが見つかった。次のpdfファイル。
「コンピュータによる旧字旧かな文書作成入門」
100ページ位あって少しひるんだが、「いだてん」の再放送を見ながら目を通したら、なんとかポイントはつかめた。ともかく、
「Google日本語入力用正字正かな辭書」
を入れれば前に進めそうだ。無料だ。作った方(野嵜健秀(Takehide Nozaki)さん)に感謝しながら入れてみた。舊字體が変換候補に出てくる。
***
昨日OCRした原稿を校正してみた。わりと上手く行った。二つ引っかかった。「通」の点は一つか二つか問題。そして「ゐ」はどうやって入れるのか。
後者はwyiと入力することを思い出した。50音図を眺めれば思いつく。「通」の件は、かなりググってみたが、まだ良くわからない。次の文書
(「表外漢字(1022字)について、その印刷標準字体を示すもの 文部科学省」)
を見ると、どちらでもいいあるいは点一つでいいらしい。でも、まだ確信がもてない。もっと調べる。
***
上の問題でいろいろなページを見ていたら、なつかしい青空文庫のページがヒットした。
「旧字ファイルに紛れ込んだ新字や俗字を、拾い出すツール『校閲君』」を使ってみようというページ。
OCR原稿を校正した後、『校閲君』のオンラインサイトでチェックしてもらえる。早速やってみた。幸い(?)、今回のものにはミスは発見されなかった。「通」もこのままで良いとしてくれた。つまり原稿中の「通讀」という単語はパスした。国会図書館デジタルでの原文では点は二つなのだが?
青空文庫さんのように、同じ作品を旧字と新字両方発行しているというのは大変な作業だろうと思う。頭が下がる。
***
機種依存文字というものがあるらしい。これをどうするかも問題だ。が、今日は疲れたのでここまで。明日また検討しよう。
***
今日見つけた、OLD REVIEWS掲載作品候補。
はやく、こういうものをバリバリOLD REVIEWSに掲載したいものだ。
***
これからは練習の爲、ブログも舊字體で書いてみるか。讀めないなど問題を發見なさった方は當方へご聯絡ください。
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やってみなければ、大変さそのものがわからない。が、ともかくやってみるということすら、まだできない。なにか参考資料はないかとググってみたら、適当と思われるモノが見つかった。次のpdfファイル。
「コンピュータによる旧字旧かな文書作成入門」
100ページ位あって少しひるんだが、「いだてん」の再放送を見ながら目を通したら、なんとかポイントはつかめた。ともかく、
「Google日本語入力用正字正かな辭書」
を入れれば前に進めそうだ。無料だ。作った方(野嵜健秀(Takehide Nozaki)さん)に感謝しながら入れてみた。舊字體が変換候補に出てくる。
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昨日OCRした原稿を校正してみた。わりと上手く行った。二つ引っかかった。「通」の点は一つか二つか問題。そして「ゐ」はどうやって入れるのか。
後者はwyiと入力することを思い出した。50音図を眺めれば思いつく。「通」の件は、かなりググってみたが、まだ良くわからない。次の文書
(「表外漢字(1022字)について、その印刷標準字体を示すもの 文部科学省」)
を見ると、どちらでもいいあるいは点一つでいいらしい。でも、まだ確信がもてない。もっと調べる。
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上の問題でいろいろなページを見ていたら、なつかしい青空文庫のページがヒットした。
「旧字ファイルに紛れ込んだ新字や俗字を、拾い出すツール『校閲君』」を使ってみようというページ。
OCR原稿を校正した後、『校閲君』のオンラインサイトでチェックしてもらえる。早速やってみた。幸い(?)、今回のものにはミスは発見されなかった。「通」もこのままで良いとしてくれた。つまり原稿中の「通讀」という単語はパスした。国会図書館デジタルでの原文では点は二つなのだが?
青空文庫さんのように、同じ作品を旧字と新字両方発行しているというのは大変な作業だろうと思う。頭が下がる。
***
機種依存文字というものがあるらしい。これをどうするかも問題だ。が、今日は疲れたのでここまで。明日また検討しよう。
***
今日見つけた、OLD REVIEWS掲載作品候補。
はやく、こういうものをバリバリOLD REVIEWSに掲載したいものだ。
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これからは練習の爲、ブログも舊字體で書いてみるか。讀めないなど問題を發見なさった方は當方へご聯絡ください。
2019年3月1日金曜日
OLD REVIEWS作成に向けたエチュード
例えば、書評は正宗白鳥の『文壇的自叙伝』中の「パリにてのツルゲーネフと島崎藤村」。『文壇的自叙伝』は国会図書館オンラインで、誰でも読める。
OCRしてみた。iPadで画面キャプチャーし、AmazonPhotoに上げ、加工(トリミング、コントラスト強める、輝度上げる)して、OnlineOcrにかける。
書評の対象、島崎藤村の『エトランゼエ』と永井荷風の『ふらんす物語』はもちろんAmazonで探せる。各地の図書館にもあるだろう。国会図書館オンラインでももちろん読める。
***
下記のように、OLD REVIEWSのネタが貯まってきたので、時間を作って本格的なものを作りたい。別ブログにするか、noteにするか、Wiki3にするか…考えよう。
(1)著作権切れ作家の書評をまとめてみると面白いかも知れない、名付けて「OLD REVIEWS」
(2)カレーパンとアンデルセン
(3)ドライカレーを食べながら、読書のことを考える
***
他に徳富蘇峰の文章も気に入ったので、調べてOLD REVIEWSに入れたい。
OCRしてみた。iPadで画面キャプチャーし、AmazonPhotoに上げ、加工(トリミング、コントラスト強める、輝度上げる)して、OnlineOcrにかける。
書評の対象、島崎藤村の『エトランゼエ』と永井荷風の『ふらんす物語』はもちろんAmazonで探せる。各地の図書館にもあるだろう。国会図書館オンラインでももちろん読める。
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下記のように、OLD REVIEWSのネタが貯まってきたので、時間を作って本格的なものを作りたい。別ブログにするか、noteにするか、Wiki3にするか…考えよう。
(1)著作権切れ作家の書評をまとめてみると面白いかも知れない、名付けて「OLD REVIEWS」
(2)カレーパンとアンデルセン
(3)ドライカレーを食べながら、読書のことを考える
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他に徳富蘇峰の文章も気に入ったので、調べてOLD REVIEWSに入れたい。
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