2019年3月7日木曜日

OLD REVIEWSのネタをまた発見→「科学が文章となる過程」(戸坂潤)

 青空文庫に行き、書評を探していたら、戸坂潤の『読書法』が目についた。国会図書館デジタルで検索してみると昭和13年に三笠書房から出版されたものが読める。
 読みやすいので青空文庫のほうでひととおり読んだ。その中で、次の文章が目についた。

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 7 科学が文章となる過程
 J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』(藪内清氏訳)が重版になった。初め『新物理学の宇宙像』という題で訳されたのだそうだが、今度は原名(Mysterious Universe)の直訳にして出したものである。一九三〇年に原著者がケンブリッジ大学のレード講演に基いて書かれたもので、論文というよりも正に「エッセイ」というべきスタイルにぞくする。
 第一章は「滅び行く太陽」、第二章は「近代物理学の新天地」、第三章は「物質と輻射」、第四章は「相対性原理とエーテル」、第五章は「問題は混沌として」(Into the Deep Waters)というのである。私は最初この原本を開けて見た時に、実を云うと、章題のつけ方のこの流儀にやや反感に近いものを感じた。何か大変俗悪な、素人をおどすような気分で書かれているような予感がしたからである。処が読み始めるとスッカリ感心して了った。実に心憎い程の切れ味を有った叙述なのである。巻を措く間も惜しく、読んで了ったものだ。尤も本はごく小さく四六判一四〇頁程のものであるが(訳本の方も二百頁程だ)。
 ジーンズは物理学的観念論者の典型ともいうべき人であろうが、そういう哲学は勝手にしゃべらしておけばいいだろう。他にも沢山いることだ。併し科学的名文家としてのジーンズは充分に尊重されていいと思う。同じく物理学的観念論者の一人であるエディントンも亦、食い込むような厚みのある説明を与える叙述力を持っているが、ジーンズはこの本で、もっと掌を指すように、又もっと手玉に取るように、対象を生々と転がしている。
 日本にも自然科学者で科学的文章の名文家が少なくない。私の知っている限りでは石原純博士とか仁科芳雄博士などがそうだ。だが英語国民やフランス語国民の自然科学者には、その「科学」が「文章」にまでなって了っている達人(?)が日本よりも多いのではないか、というような気がする。と云うのは、之は単に文章の問題ではない、科学自身の社会的生存に関する問題であるからだ。


(下記のファイルの一部を切り取って引用しました。)
底本:「戸坂潤全集 第五巻」勁草書房
   1967(昭和42)年2月25日第1刷発行
   1968(昭和43)年12月10日第3刷発行
入力:矢野正人
校正:土屋隆
2007年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
 
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 引用されている、「J・ジーンズ卿の『神秘の宇宙』」という本は、2年前私が探した本に違いないと思った。(2年前のブログはこれ、「雨降りなので宇宙論を勉強しよう」。)

 トーマス・マンが『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』のなかで、「クックック教授の宇宙論」としてもちいた知識の種本だろう。
 
 『神秘の宇宙』はいまでもAmazonさんで入手できる。『神秘の宇宙―新物理学の宇宙像 (昭和12年)   ジーンズ

 原書はInternet Archiveですぐ見つかった。ちょっとだけ読んだ。あとで(いつになるか?)じっくり読んで、トーマス・マンが当時の最新宇宙論をいかに深く理解していたか調べてみたい。

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 試しに原書の数行をOCRにかけてみた。完璧にできた。アルファベットはいいなあ!

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 2011年の今日。リュクサンブール公園にて。


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