2020年5月31日日曜日

ジュリエット・アシュトンのように、「ひたすら純粋な喜びのためだけに」読む



『ガーンジー島の読書会 上』を読み返しながら、アニー・バロウズがこの本の紹介と朗読をするビデオ(昨日観始めたもの)を最後まで観た。
ガーンジー島へメアリー・アンが行くときのエピソードは昨日のブログに書いたものを改訂した。ストーリー・テリングを重視する著者たちの趣味に合わせた(つもり)。
https://hfukuchi.blogspot.com/2020/05/blog-post_30.html

そして、ジュリエット・アシュトンの手紙の中の次の一節に大いに共感。
私が読書を愛するのは、それがあるからです。本の中で、ある小さなことが読み手の心を捉えると、その興味がべつの本へと読者を導き、第二の本の中の小さなことが、またべつの第三の本へと誘う。幾何学模様のように広がっていくのです――行き着く先はなく、ひたすら純粋な喜びのためだけに。
(上巻17頁 木村博江さん訳)

71頁以降に出てくる、「ガーンジー読書とポテトピールパイの会」でとりあげられた本。渋い本ばかりだ。ガーンジー島のフォックス書店で売れ残っていたものだから……
というより、自分の不勉強が恥ずかしい。

『嵐が丘』
『ピクウィック・ペーパーズ』
『シェイクスピア選集』
『オックスフォード現代詩選集、1892-1935』
『セネカ書簡集/ラテン語翻訳版一巻本・補遺つき』
『過去と現在』(カーライル)

『ピクウィック・ペーパーズ』に関しては読む前に、ビデオを観よう。
https://youtu.be/-GLWl6JLA6Q

ほかはこれから。

2020年5月30日土曜日

『ガーンジー島の読書会』の周辺を調べると面白いのでこの本自体の仮想読書会をやってみている

『ガーンジー島の読書会』(イースト・プレス)の下巻が手に入るまで、主たる著者のメアリー・アン・シェイファーのことや本の背景を勉強することにした。

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society: A Novel (English Edition) Kindle版


昨夜購入したKindle本のあとがきを著者の一人アニー・バロウズ、メアリー・アンの姪、が書いている。そこに書いてあるエピソード、この本を書く前にメアリー・アンは北極探検のスコットの妻に興味を持ってその伝記を書こうと試みた。1980年にイギリスに行きスコットの妻の残した資料の箱をやっと借り出し、期待しながら中の書類を調べたら、洗濯屋の伝票や八百屋の買い物メモみたいなものばかり、まともな文章はなにもないということで落胆し、伝記は諦めた。気分を変えるため、なぜかガーンジー島に飛んだが、あいにく濃霧でまったく何も見えずのままで、引き返した。空港にしか居場所がなく、空港の売店でガーンジー島の本を何冊もを購入したのが、この島に興味を持つきっかけとなった。
この話は、アニー・バロウズがYouTubeでも語っている。
このビデオ。
https://youtu.be/5Wk7FvwFAQE?t=332

ちなみに、メアリー・アンもアニーもその家族ぐるみでストーリー・テリング好きで、その一端がこのビデオであり、『ガーンジー島の読書会』という本そのものに表れている。

あとがきをもっと読むと、『読書会』で、登場人物が取り上げる本はメアリー・アンが好きで読んだ本そのものらしい。そこで、取り上げられた本のリストを作って、それを調べるのがよさそうだ。これからの楽しい宿題。

まずは、登場人物ドージーが読んだまたは読もうとした、チャールズ・ラムの『エリア随筆』、『書簡集』など。参考書としてはE. V. ルーカスの『伝記』など。これらは、Internet Archiveで探せるので、読むことができる。ドージーが読んだと想定したのはどの版かと推測するのも楽しみだ(ろう)。



ガーンジー島は目立たないので、なにか天啓または偶然に近いことがないと訪れようとは、大抵の人は思わない。
神谷美恵子も偶然訪れた、メアリー・アンより半世紀前に。
そのときには独軍占領という悲劇は考えられなかった。



『エリア随筆』には豚を食べる話が出てくるが、それと読書会の名称と貴重な豚をたべる件との、関連はあるのかしら。ヒントは14頁。

2020年5月29日金曜日

「極限状態での読書会」について情報を集め始める

意識の流れが「ガーンジー島」や「極限状態での読書会」に行っている。「すごい読書会」というエッセイ・テーマを考えついた。情報をあつめたい。

https://allreviews.jp/search/?q=%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E4%BC%9A

『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』を借りてみることにした。

https://allreviews.jp/review/1672
https://allreviews.jp/review/968

近所の図書館はまだ、完全閉館。だが、本館のほうは予約貸し出しが開始されたようなので、こちたでももうじき貸し出し開始となり、読めるだろう。昨日読んだ『ガーンジー島の読書会』の下巻も予約した。

The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society: A Novel (English Edition) はKindleで250円なので、購入しておいたほうがいい。



そして、映画化された『ガーンジー島の読書会の秘密』はAmazonプライム・ビデオで399円でレンタルできる。



Netflixにもあるのだが、再入会すると、他の、特にビデオシリーズを観てしまって、また目を悪くするのが怖い。下巻を読んだらAmazonで観よう。

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昼前にトイレの工事は終了。思ったより簡単で短時間で済んだ。工事に来た面白いおじさんと仲良くなり、帰りに飲み物のボトルを進呈したら、リモコン取付費用をまけてくれた。駐車場への車の誘導や、品物の運搬時の扉の開閉・エレベーターの呼び出しなどもやってあげたので、トントンかも。自営でやっているらしく、今回は量販店の工事下請けだが、エアコンでも何でも直接連絡をくれればやってあげるとのこと。頼もしい。

トイレの漏水の心配がなくなり、スッキリしたので、お祝いとして、今夜はトンカツをおごった。

2020年5月28日木曜日

やはりガーンジー島に行きたい

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025008145-00

『ガーンジー島の読書会 上』(イースト・プレス)を2時間半で一気に読み終えた。神谷美恵子が昔、イギリス経由でパリに行こうとして、間違った連絡船に乗ってしまい、この島に行ってしまった。そして、ユゴーが『レ・ミゼラブル』を書いたのもこのガーンジー島。そこからは平和なイメージが伝わってきたのだが、この書簡体の小説からはそのイメージを破る、第2次世界大戦中の悲惨な歴史が見えてくる。
https://hfukuchi.blogspot.com/search?q=%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC%E5%B3%B6

そこは、下巻を読んでから考えるとして、題名になった島民の「読書会」が素晴らしい。ドイツ統治下の暗い苦しい時期に、通常は本など読んだことのない人々が催す読書会。各自が自分の読んだことのある、大抵は一冊程度しか読んでないにもかかわらず、書物の感想を他のメンバーに話す。最初はいやいやながら参加していたメンバーも、次第に読みそしてそれを話すことで人間性をとりもどしていく。極限状態のなかでの読書が人間にどのような影響を及ぼすのかという点で、『収容所のプルースト』に通じるところもある。

神谷美恵子の『本、そして私』で、ガーンジー島を知ったのだが、『本、そして私』の主題も、本との関わりで人生を切り開いていくところにある。

この本は映画化もされているらしい。観たい。そして著者のメアリー・アン・シェィファーの人となりも知りたくなった。読書会メンバーの読んでいる本や著者たちにも興味が湧く。たとえば『エリア随筆』。ラム姉弟などなど。

久しぶりに、一気読みできた本だった。図書館から借りていたのだが、コロナ禍のために2ヶ月近く借りっぱなしだった。もうじき図書館は機能を回復しそうなので、すぐに下巻を借りたい。

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運転免許更新の最終期限が迫っている。来週高齢者講習を自動車学校に受けに行き、その直後に更新という予定だが、昨日やっと免許更新の業務が開始されたらしい。自動車学校からはなにも通知がないので、予定どおりとしても、免許更新は大人数が集まって怖いので、更新の延期を郵送で申し出ることにした。仕事を抱えていると、これらのことは煩わしいだろうが、隠居の身としてはあまり問題ではない。そう思おうとしている節もある。

半年近く悩まされていた、トイレの漏水問題も、解決の見込みがたった。今日、工事の下見をしてもらって、明日温水洗浄便座の交換。10万円給付金のおかげだ。

2020年5月27日水曜日

『自分ひとりの部屋』は最初、ウルフに『女性と小説』と呼ばれていた



『ある作家の日記』をなおも、拾い読み。『自分ひとりの部屋』に関する記述を探してみた。

1928年1月17日。ニューナム女子大生たちにむけた「女流文学」に関する講義について……
考え始めているようだ。

1928年2月18日。ニューナム女子大で講義することになっている「女性と小説」……
講義テーマが微妙に変化しているのがわかる。

1928年8月12日。今晩は急いでジェーン・オースティンをむさぼり読み、明日何かを面白く語らなければならない……
次の日が講義の日だったのか。

1928年10月27日。ありがたいことに、女の人たちへの講義についての長い苦役は今終った。雨のざあざあ降る中をガートンへ行って講演をして帰ってきたところ。飢えているけれど勇気ある若い女性たち……
連続講義だったのか?

1929年3月まで、この講演をもとに『女性と小説』のちに『自分ひとりの部屋』という本に書き直したらしい。途中病気もした。この頃、『オーランドー』も書いていたはず。題名変更とのかかわりはあるのか?

1929年3月28日。『女性と小説』の決定版を書いたのだ。

相変わらず遅筆だ。

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Jが午前10時に退院。迎えに行き、帰りはタクシーをおごる。配車料金を含めて1100円。近い距離なので、運転手さんに1000円をお礼として差し上げる。夜はテークアウトながら寿司を食べてお祝いした。

2020年5月26日火曜日

自分だけの部屋で『ある作家の日記』(みすず書房)を読むのは楽しい

この写真、書斎のヴァージニア・ウルフと思います


今日もヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』を拾い読みしながら、ウルフの学習を続ける。

1922年8月28日の日記。ギリシャ語を勉強しながら、『ダロウェイ夫人』を書き続けている。筆は必ずしも順調に進んでいないようだ。

1923年8月17日。書き溜めたエッセイを、架空の人物の会話に埋没させて、不足を補い、まとめて本にするという案が湧いたと嬉しそうに書いている。これは実現したのかしら。ウルフの「意識の流れ」の書き方には、これに類する点がありそうだ。

1924年9月7日。『ダロウェイ夫人』がいよいよ書き終わりそうだと書いている。ところが、10月になってやっと、最後のページを書いたとのこと。素晴らしく遅筆だ。

昨日のブログで引用したビデオ。

https://youtu.be/jYySvYKGong?t=22

このなかに、書斎で執筆中のヴァージニア・ウルフが登場する。机に向かい、ソファに腰掛け、椅子に行儀悪く(つまりヴィクトリア風でなく)座り、万年筆や鉛筆や執筆用の板も使って、いろいろな姿勢で書き進めている。片隅にはタイプライターも置いてある。
この様子を見ると、ヘミングウェイを思わせるが、どうもウルフも腰が悪かったような気がする。恐れ多いが、ちょっと身近に感じてしまう。



今日の発見。

松岡正剛さんの『ダロウェイ夫人』のページ(面白い)。
https://1000ya.isis.ne.jp/1710.html

日本ヴァージニア・ウルフ協会のページ。
http://www.vwoolfsociety.jp/review/index.html
ここから『ヴァージニア・ウルフ研究』の電子コンテンツの閲覧方法という頁に行くとたくさんの論文や資料が(J-Stage)経由で見ることが出来る。
http://www.vwoolfsociety.jp/review/digital_contents.html

J-Stageには個人資格で登録してしまった。無料。


***

Jの白内障手術は無事に終わったとのこと。明日は退院。また忙しくなる。
ところで、Jはこの病院への入院は二度目。前回もそう言っていたが、看護師さんたちがすごく親切で明るくて優しいとのこと。私も機会があればここに入院したい。食事も美味そうだった。東林間駅近くの病院。

2020年5月25日月曜日

「世界は美しさで溢れている」と思えるような隠遁生活にしていきたい

『ある作家の日記』をもっと面白く拾い読みするために、ウルフの人となりをもっと知りたくなり、Youtubeでビデオをいくつか見る。『ダロウェイ夫人』の一部と書斎のウルフを描いたノンフィクションとドラマの融合したようなビデオが面白かった。そして最初と最後のシーン、海岸の夜明けと日没の映像が美しい。英語も字幕を出しながらだとよく分かる。
https://youtu.be/jYySvYKGong?t=22

作家の日常の描写では、いつもタイプライターやペンや鉛筆、机や膝の上での筆記用の板などが気になる。このビデオではどれもしっかり描写されていて、そこも気に入った。板に関して言えばトーマス・マンと同じようにして書いていたが、当時では当たり前だったのか?

神谷美恵子はウルフの病歴と創作の関係について調べたかったようだが、ウルフの「書くこと」に対する信仰に近い傾倒ぶりに、最初に惹かれたのではないだろうか。

こうなってくると、ウルフの著作を集めたくなってくる。
ここを参考に自前の収集や図書館の蔵書検討を考えたい。

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のっぴきならぬ理由で、電車で外出。ここから一駅の総合病院にJを送っていく。明日右目の白内障手術なので今日入院。そして、もう一駅足を伸ばして家電量販店に行き、温水洗浄便座を購入し設置工事も手配してきた。今の便座の水漏れが末期的症状になってきたので。帰りに、駅ビルで崎陽軒の焼売弁当を買ってきた。一人なので食事を作るより経済的。手間もかからない、おかげでウルフのビデオを観る時間がとれた。

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国際宇宙船と日本の貨物運搬船とのドッキングを生中継で見守る。この映像も美しい。



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テレビを観るより、今日観たようなものを観ていたい。世界は驚きに満ち、美しさに溢れている。ウルフもそんなところを書きたかっただろう。

2020年5月24日日曜日

ヴァージニア・ウルフの日記は拾い読みすると面白い

昨年月刊ALL REVIEWS対談でお話を伺ったことがある、高橋源一郎さん。最近よくラジオに出演されている。NHKラジオ金曜日夜9時の「飛ぶ教室」という番組。前半は高橋源一郎さんの読書案内、後半はゲストを読んでの読書に絡んだお話。

直前の金曜日に、紹介されたのがヴァージニア・ウルフの『自分自身の部屋』。どこかの大学での講演をもとにしたエッセイだが、女性が差別を乗り越えて文筆業のような職業につく難しさと、みんなの努力でその自由を勝ち取ろうという感動的な趣旨の話だ。一世紀前の話なのに。それを紹介する高橋源一郎さんの話にも熱が入る。

もちろん、『自分自身の部屋』を読みたくなったが、図書館は閉じているので、Internet Archiveで捜して、拾い読み。そして、借り出してかなり経つ『ある作家の日記 (A Writer’s Diary) 』(みすず書房 神谷美恵子訳)もまた読みだした。訳者あとがきも読む。1976年にこの訳書は出ているが、訳している時期に夫のレナードを神谷美恵子は訪ねている。もちろん、その時にはヴァージニアはこの世にはいない。彼女が身を投げてなくなった川の岸にたつ家にひとり暮らしていた。この訪問の模様を神谷美恵子の別の本で読んだ。(『遍歴』だったか?)神谷美恵子としては、初対面のレナードとは、かならずしも満足の行く会話はかわせなかった。

『ある作家の日記』の126頁以降を読むと、ウルフ夫妻が、トマス・ハーディーを訪ねる話が書いてある。ハーディー夫妻の奇妙な(とウルフは思ったのだろう)会話と、ウルフとハーディーの噛み合わない会話。これをウルフの視線でいきいきと捉えている。読んでいると不思議な臨場感がある。残された大量の日記から、この本のために抜粋をしたレナードはここを読んでどんな思いだったろうか。多分、自分の記憶に残った印象との微妙な違いに気づいたのではないか。

抜粋版でない『日記』はInternet Archiveで読めるが、一から読む気力はない。しかし、今後ウルフの小説を読みながら、それを書いているウルフの内面を知りたい時に、参照しようと思う。とりあえずは、『自分自身の部屋』を読んでからそれを書いたあるいは講演をしたときの『日記』を読もうと思う。



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外猫Amも、ステイホームらしい。




2020年5月23日土曜日

友の会例会(オンライン)に参加



5月23日夜、ALL REVIEWS友の会の定例会に参加しました。通常の定例会と違い、Zoomを使ったオンライン定例会です。20時開始、22時終了ただし2次会(というのか)終了は23時30分。参加18名。参加者は、鹿島茂さん、柳瀬博一さん(日経BP→東工大)、ひらりささん。そして友の会の方々。オンラインではあるがいつもどおりに、いやオンライン効果でいつも以上に和気あいあいと、読書とその周りのことを話し合える会合でした。

書籍に関して印象に残ったこと。まず冒頭、会員からの質問「パンデミック時代にオススメの本は?」、に答えて、鹿島さんが『疫病と世界史 上下』(中公文庫)を紹介してくれたこと。これは読まねば……
鹿島さんの近刊(再刊)の『職業別パリ風俗』(白水Uブックス)の紹介ももちろんありました。当時のパリでのいろいろな職業の珍しい内情を知ることが出来る本だそうです。本の「前書き」が今週のALL REVIEWS新着記事になっていますね。
たとえば『ゴリオ爺さん』のゴリオは年金生活者だったが、自分の虎の子の年金証書を抵当にいれて金を借りて娘を援助したりするが、そんなことが出来る事自体が私には理解不能だったのです。『職業別パリ風俗』を読むとこんな疑問がたちどころに氷解しそうです。

これらの本を知ったことにより、e-honの「My書店」機能を使って購入し書店を支援するチャンス到来です。FABL向けに書いた記事が自分自身のために役に立つことになりました。もうじきこの記事も読んでいただけそうです。

2020年5月22日金曜日

『猫を棄てる』(村上春樹 文藝春秋)や、『独楽園』(薄田泣菫)の境地にはたどりつけてない

『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)読了。



「猫を棄てる」と書名にあって、村上春樹さんが猫を棄てるのかそんな筈はない、いやイワシは棄てたっけかなどと思っていたが、読んでみると猫は戻ってきたので安心した。猫の話は話の糸口に過ぎず、本題は村上春樹さんの父上の回想だった。

自分もそうだが、母親はともかく父親を真面目に語る息子はなかなかいない。恥ずかしいからでもなく、詳しく知らないからでもなく、父親と息子の間の妙なわだかまりがある。

71歳の今、(村上さんもそうだ)父親のことを書けるかというと、まだ難しい。村上春樹さんの勇気(?)に感心した。義父のことは以前ブログで書いたのだが。

80歳になったらまた考えよう。

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ALL REVIEWSの書評ピックアップで、高遠先生の書かれた『独楽園』(薄田泣菫)の記事を読んだ。気になったので、『独楽園』を捜して読んでみた。青空文庫と国会図書館デジタル・コレクションで。パーキンソン病で苦しみながらも、孤独の中で自宅の庭の小さな自然の美しさを見つけて、自らを慰める薄田泣菫の様子に心打たれる。コロナ禍のなかで読むにはピッタリだが、薄田泣菫の境地には、まだ手が届かない。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213008