2017年5月8日月曜日

ヘミングウェイの書けない天国と地獄

 映画「パパ:ヘミングウェイの真実」をAmazonプライムビデオで観た。

 批評家には評判が悪かったようだが、ヘミングウェイのファンには美味しい映画だ。実際に1960年までキューバでヘミングウェイが住んでいた家が撮影に用いられている。アメリカとキューバの国交回復のおかげだろう。飲みに行くバーも同じなのかしら? 違うかな。

 この映画の作者というかヘミングウェイを慕う若者役のモデルにもなり脚本も手がけたであろう、Denne Bart Petitclercも面白い人物だ。両親に捨てられて、新聞記者にやっとなり、ヘミングウェイにファンレターを出したのがきっかけで晩年の文豪と親交をむすぶ。ヘミングウェイを父親代わりと考えていたらしい。

 したがって、映画の中でもヘミングウェイは若者にしきりと教訓を述べる。当時はもうなにも書けなくなっていたからなおさらだ。

 例の立ち机(棚の上にタイプライターが乗ったやつ)に、向かうが、一文字もタイプ出来ずになやむヘミングウェイ。毎日何語書いたかの記録をダンボールの切れ端に鉛筆で書き込むが、ゼロが連続する。奥さんや取り巻きに当たり散らす。背景にキューバ革命がある。FBIやマフィアも暗躍する。

 パリ時代のように(『移動祝祭日』参照)、ノートに手書きすればいいのではないかと思うが。素人考えか?

 ノーベル賞も手にし、書かなくてもいいからのんびり釣りでも愉しめばいいのに、とも思う。天国にいるような暮らしは手に入っている。

 しかし、ヘミングウェイにとって、「書く」ことが生きることなので、書けないというのは、生きていけないということになる。



 若者にとっては、父親ヘミングウェイの述べる教訓より、書くことへのこの真摯な態度が、最大の教訓になっただろう。

 ところで、このDenne Bart Petitclercさんは、この後すぐ、「ボナンザ」の脚本を書いたりしていたようです。2006年没。

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