2020年9月24日木曜日

70歳を過ぎても新しいものを書こうとする気力はどこからくるか

『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読む。

1948年1月1日。
孫のフリードも一緒の楽しい元日。もちろん、翌日からは仕事再開。

1948年1月3日。
孫たちは早朝出発。落ち込む。『選ばれし人』の下調べはやめない。『ファウストゥス博士』の、一部からの不評原因は音楽(がわからない)からか、いろいろな意味で「不協和音」がやまない。

1948年1月7日。
新しいレコード棚を注文。

1948年1月15日。
『ファウストゥス博士』が売れ行き好調。嫉妬を覚える人もいた。

1948年1月30日。
ガンディー暗殺のニュース。

1948年2月10日。
寝室の書棚に新しい棚を付け加える。

1948年2月12日。
ロシアの作曲家は党中央よりブルジョワ音楽でなくリアリスティックなのを書くように警告された……

リルケも『ヴェニスに死す』を読んでいて、雑誌に評を書いており、最終的には芳しくない評価だった。時代が見えないリルケ。寓意がわからなかったか。

1948年2月20日。
フェーリクス夫妻を再雇用。

このころから、『選ばれし人』の草稿を書き始める。いろいろなアプローチを試みているようだ。

1948年2月26日。
リビングと玄関の間の段差で転倒。左肩の骨を折る。

1948年2月27日。
執筆は続ける。左肩でよかったかも。

1948年3月6日。
兄ハインリヒとは話が合わない。

1948年3月7日。
「グレゴーリウス」の導入部分を少し書き始める。

***

『文学こそ最高の教養である』(光文社新書)を借りてきた。


『鴎外全集 27巻(椋鳥通信)』を借りる手配。読んでみて、欲しくなったら、岩波文庫の中巻と下巻を買えば良い。

0 件のコメント: