昨日の武田砂鉄さんと鹿島茂さんの対談。
どのあたりから、書評の議論になったのかを調べようと、前半を聴き直す。
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武田砂鉄さんを紹介するとき、鹿島さんが「書評としてのフィールドワーク」をやっている方と言った。つまり、種々の本を通して社会を理解するそのときに書評が武器となるのだと。
書評と要約(わかりやすい)の違いを考えるのも、この本を書いた動機だと、砂鉄さん。
大学の授業のシラバスはわかりやすさとともに、授業の面白さのアピールが要求される。人気授業のために。(鹿島さん)
プレゼン文化の蔓延。効率の良さとの折り合い付け。
自分で考える、ことは他人の頭の中をも考えることになる。
大学以前で「考え方」を教えないと、考えられない。例『方法序説』。(鹿島さん)
議論への恐怖感があるのか。結論が出ないことに恐ろしさを感じる。(砂鉄さん)
パリの古本屋店主と客の猛烈な議論後のあっけない手打ち。(鹿島さん)
インターネットでよくある、本の読者評価が星1つ問題。すぐに「わからない」本には高評価を与えない。これもゲンダイ的だ。(砂鉄さん)
翻訳していてわからない文章があると、翻訳している自分の頭でなく、原文が悪いのだと誤解することが多い。(鹿島さん)
シニフィアンも合わせてでなく、シニフィエのみを問題として理解または鑑賞する素人が多い。パフォーマティブなところも問題にしないといけないことがある。(鹿島さん)
批評するには、批評の対象(映画や本)を大量に見て読んでいないとできない。量から質への転換が必要。(鹿島さん)
「論理国語」の危うさ。原因は教養ある役人の不在。(鹿島さん)
歴史と地理を座標軸にたくさん読み、考えることが有効。(これは出口さんが頭にありそう、実際あとで出口さんの読書量の膨大さの話が出てくる。)
池上さんの出演番組が、最近はいけてない。やさしく3点にまとめるのは出発点として、その後議論を深めるべき。それがいまは結論になってしまっている。改善策はあるが、コマーシャリズムの下では難しい。
ARのような、Noスポンサーの活動がこれから有効、有望だろう。時間にも縛られず、中身の濃い話ができる。現在のインターネット環境のなかで可能になってきた。(鹿島さん)
48分辺り。
要約と書評の問題。朝日新聞では書評は800字。500字で要約すると、批評は300字しか書けない。(砂鉄さん)
鹿島さんから、毎日新聞の書評を書いた丸谷才一の書評三原則の紹介があった。この先は昨日のブログで要点を書いたが、明日以降もう少し詳しくまとめるつもり。
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書評の話は、約半分の時間が経った、このあたりから本格化するが、それ以前のところでも、書評論に重要な示唆がたくさん含まれている。
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今朝の読書。『荷風と東京『斷腸亭日乗』私註』(川本三郎)。
106頁。
草木好きの荷風。大正9年6月2日、苗賣から夕顔、糸瓜、紅蜀葵(紅葉葵?)の苗を購入。大正9年9月23日、プランタン(プラタナス)を植える。大人の風雅。6月18日、薔薇を植える。10月16日、菊。11月17日、チューリップ。11月28日、福寿草。などなど。
108頁。
小品「うぐいす」を引用。草花好きの老人を描いたもの。これは「帝國圖書館」アプリでも読める。『斷腸亭雑稾』(1918)の287頁。全集なら第6巻(1962.12.5)163頁。なお、「研究余録 ~全集目次総覧~」という凄いページがあって、いつも助かっている。
大正15年9月26日にやっと斷腸花(秋海棠)を入手した。これは翌昭和2年5月11日に芽を出して喜ぶ。
109頁。
「枇杷の花」は『冬の蠅』(1935)にある。帝國圖書館で読めた。全集なら17巻。なお、青空文庫にもある。
125頁。
「小さな花の名でも知ること、しかもそれを漢字で表記すること」は荷風のささやかな文人趣味だったという。
113頁。
大正13年9月18日。世田谷の植政で買った珊瑚樹、青木などの値段を書き留める。しっかり者の荷風。
116頁。
丹精した庭で読書を楽しむ。昭和3年5月30日や6月17日の記述。
『珊瑚集』にはアンリ・ド・レニエの詩「庭」が収められている。これも帝國圖書館アプリで読めた。
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