『プルーストによる人生改善法』を読み終えた。私にとっては、この最後の部分がこの本の肝だと思った。
172頁。
貧しさが不満な青年のために、ルーブルのシャルダンを紹介するプルースト。
平凡なものを描いただけなのに何故シャルダンの絵は人を楽しませるのか。幸福感すら覚えさせるのか。
178頁。
いま一度よく見ることから出現するかもしれない幸せ・・・
179頁。
『失われた時を求めて』の語り手はマドレーヌを食べようとして、心の奥底の美しい記憶を見いだす。
プルースト的瞬間。
181頁。
凡庸だったのは人生でなく、記憶中のイメージ。
183頁。
意識的に思い出せるイメージでなく、無意識的に思い出せ。
ものの真価を認識する瞬間。
187頁。
古い本(や絵)にたよらず、自分自身のイメージを見いだせ。
188頁。
美は自分自身で発見するもの。
192頁。
貴族とリッツでつきあうより、自宅でのんびりする方が幸せとプルーストは気付いた。
196頁。
アルベルチーヌはフェルメールを知らないが純真だ。
230頁。
「本をやめる方法」は、以下の危険性を知ること。
「作家を神託と間違える」
「いい本を読むと、書けなくなる」
(プルーストを読んだヴァージニア・ウルフ。なんとか、プルーストをやめて「ダロウェイ夫人」を書き終える。)
「芸術を偶像視する者になってしまう」
「『見出された料理』に投資したくなる」
「イリエ=コンブレーを訪れてみたくなる」
(偶像崇拝はやめよう。)
*
この本は、ご近所の図書館にはなかったので、世田谷区立図書館で借りた。
***
午後は、『トーマス・マン日記』の1937年分に目を通し、『ワイマールのロッテ』を書きながら、坐骨神経痛に苦しむマンの姿を想像してみた。名作の産みの苦しみがもちろんあるし、ミュンヒェンを追われた後のスイスでの生活のストレスも原因としてあったのだろう。この年の前半は脚の痛みで苦しんだ。でもすごいのは眠れなくても執筆を続けたこと。睡眠薬の助けも借りた。
書かないと余計苦しんだことだろう。年の後半はビタミン剤投与でしのぐ。
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