『トーマス・マン日記』を読み続ける。
1950年8月4日。
眠れない。友人アドルノは手紙で仕事を続けるにはカリフォルニアの生活基盤を守れと言う。
8月5日。
ヘッセと会おうとしても彼は病気。心臓が悪いと。Kは長時間歩かねば大丈夫。
8月6日。
(窓から?)下のテニス・コートを見ると若いアルゼンチン人が、トレーナーと練習をしている。「ヘルメスの足」。
マンの記述は狂気じみているが、もしかするとこれが『詐欺師フェーリクス・クルル』に生かされているのではないかと思う。日記には何を書いてもいい。
8月12日。
ホテルを出発、途中インスブルックでグレート、フリードと会う。フリードは結局カリフォルニアには行かず、オーストリアの両親のもとにとどまることになった。チューリヒへ。シカゴのメーディからアメリカへ戻らないようにと忠告の手紙。アメリカに戻るとやはりエーリカに身近かにいて欲しいが、エーリカも警察権力にいやがらせされたらどうするか。
8月13日。
イタリア一時訪問中のトスカニーニも戻るのをいやがっている。
8月14日。
四分の三まで戦争状態。その終りを私(トーマス・マン)は見ることがないだろう。弱気、憂鬱。
8月15日。
ホテル・ドルダーまでヒルマン・ミンクスで最後のドライブ。フランツに再会。
8月17日。
空路、ロンドンへ。ランチ付き。
8月18日。
エーリカと今後のことを話しあう。『選ばれし人』を完成させるため、落ち着いた環境が欲しい。
8月20日。8月22日。
ニューヨークヘ飛ぶ。パン・アメリカン航空プレジデント便。Kと2人。
多分この型のボーイング377 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) |
8月25日。
シカゴへ。娘メーディと会う。
8月29日。
カリフォルニア着、パシフィック・パリセーズ。夢のような気分で自宅に座っている。
8月30日。
旅行中は味わえなかった気ままな私生活を楽しむ。
8月31日。
久しぶりにぐっすり眠ったあと、Kがコーヒーをいれてくれた。
9月1日。
エーリカがニューヨークから電報をくれた。
9月2日。
Kが膀胱カタル。医者を予約。エーリカが着いた。
9月3日。
アメリカは朝鮮で後退中。朝鮮軍は僅かな装備で戦車に立ち向かっている。
セザール・フランクのヴァイオリン・ソナタを聴く。
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