『プルーストによる人生改善法』をもう少し読む。
33頁。
引用 『実際、あらゆる読者は本を読むあいだ、自分自身の読者なのだ。』
良い意味でも、悪い意味でもこれはあたっている。
43頁から44頁。
非常に長い文章の例。なんのために……
60頁。
引用 「これはプルースト的スローガンたりうる。『急がないで』。急がないことの利点のひとつは、世界がますますおもしろくなる可能性が生まれることだ。」
プルーストは、新聞や雑誌に載っている短信を好んだ。#簡潔な文章の裏に潜んだ、当事者たちの長い長い物語を想像して、楽しんでいたと思える。
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鷗外の『椋鳥通信』を思い出した。まるで、Twitterの文章のような短い欧米の出来事を延々と、雑誌に発表した。これは楽しみというより、興味があったというのが正解だろう。留学中に垣間見てきた世界を、もっと理解したいという欲望。『椋鳥通信』は岩波文庫で3冊。まだ上巻しか読んでいない。索引があるかと『鴎外全集』の該当巻を借りようとしたが、まだ果たしていない。近いうちに借りたい。
『椋鳥通信』にはトーマス・マンも顔を出す。たとえば、岩波文庫版(上巻)の181頁。ベルリンでマンの「フィオレンツァ」が1909年12月9日に上演された。これを書きながら、鷗外は何を思っていたか。調べたい。日記と対照しよう。
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などと考えた後、『文学こそ最高の教養である』をめくっていたら、フィッシャー書店でトーマス・マン全集の「批判的校訂版」を出しつつあると書いてあった。229頁。1974年のフィッシャー版の全集は新潮社版と同じく13巻だったそうだが、今回は大量の批判的校訂が一冊ずつ追加されて、しかも日記も追加されるので、三倍近くになるそうだ。作業量も膨大なので、2030年ごろまでかかりそうだという。すごい、欲しい。翻訳はまず出ないだろうし、出るとしても10年は余計にかかるだろう。2040年に出揃うという超楽観的憶測でも、私は90歳位になる。読めるかどうかかなり疑問。ドイツ語を習ってフィッシャーの「批判的校訂版」を読むほうが早道なのかもしれない。前向きに検討する。既刊の「フェーリクス・クルル」の現物をすぐ入手したい。
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