2016年11月30日水曜日

社会主義はどうなるのか考えたり、連句の読めるサイトをさがしたり


 フィデル・カストロさんが亡くなった。90歳。遺体は火葬された、つまり、他の幾つかの国のようには偶像化されないということか。彼の生涯を調べるとともに、社会主義の行末を考える切っ掛けにしたい。資本主義諸国では指導者の右傾化が心配されているが、これからはどのように情勢が変わるのかも。

 カラオケを唄いながら、連句に興味がわき、久しぶりに読んでみたいと思った。家で本棚のうち目で確認できるところを捜したが、昔の蕪村や去来どころか芭蕉の本さえ見つからない。そもそも何を持っていたかすら忘れている。

 仕方がないので、Kindleにあたってみたが、読み放題サービスでは適当な本が見つからない。というのは嘘で、「連句雑俎」(寺田寅彦著 青空文庫版)が、あった。早速読むことにした。
 すでにiBooksでちらほら読み続けている寺田寅彦全集にも「連句雑俎」は収録されている。ところで俎(そ)とはまな板の意味らしい。雑俎はいろいろ書くので批判していいよという意味か(^O^)

 寺田先生は正岡子規にも面会しているくらいなので、俳句に関するエキスパートといえる。したがって「連句雑俎」は、実例無しでどんどん議論が進んでしまう。
 先に、連句とはこんなもんだという観念が欲しくなったので、連句、特に一番有名そうな「猿蓑」くらい目を通そうと捜した。

 インターネット上に、「芭蕉七部集(連句の訳・釈)」という格好のページを発見。しばらくはここをじっくり読むことにした。ちなみにここは「俳諧」という素晴らしいサイトの一部です。Google様教えてくれてありがとう。


 連句についてはこれで勉強ができそうだが、「連歌はどうなんだ、カラオケの連想的曲選びなら、句じゃなくて歌だろうが。」という内野の声も聞こえたので、連歌も一応調べますよ。

 連句と社会主義の関連性も考えよう。

2016年11月29日火曜日

原子説を少し調べたり、カラオケで連想力を磨いたり

 体調が悪くて、しばらく外出を控えていたが、昨夜は昔の若者3名でカラオケにいき、2時間ほど唄ってきた。一人あたり10曲くらいか。先にアルコールを服用しているので、それぞれ上手く唄っていると美しい誤解をしながら楽しく大声を出してきた。

 3人が交互に選ぶ曲は、ランダムのようだが、だんだんその場の流れができ、ある種の関連性を持ったものが選ばれていく。連句というのは自らやったことがないが、先人の連句集を覗いてみると、どうもこのカラオケの曲の選ばれ方に似た感じがする。阿吽の呼吸、付かず離れず、空気を読みながら選んでいく。陽気な歌のあとに、ものがなしい歌を選んだり、同じ時代の歌を選んだり、主題が似た歌を続けたり。これらの連想の発想のパターンを整理すると役に立つかもしれません。

 人間が自分の頭で考えて行動する場合、この連想力は大きな力を発揮していそうである。連想力に乏しければ、次の行動のヒントが限られ、つまらない行動パターンに陥らないともかぎらない。他とのコミュニケーションにも連想力は重要であろう。貧困な応答はコミュニケーションを断ち切ってしまう。

 「カラオケで学ぶコミュニケーションの基礎」というテキストがあってもいい。

 昨日、原子仮説の嚆矢は、寺田寅彦先生が紹介したルクレチウス、と書いた。カラオケの前に書店に立ち寄って、理学関係の本を立ち読みしたら、ルクレチウス以前にもっと大切な人がいるのを忘れていたのに気づいた。

 ギリシャ哲学史などでは、レウキッポスやデモクリトスが原子説を唱えたとある。アトモスという言葉はデモクリトスが使った。アトムの語源である。後にエピクロスが受け継ぎ、詩人ルクレティウスが「事物の本性について」で紹介した。彼らの書き残したものはほとんど失われたが、「事物の本性について」は残ったので、我々はこれにより、ギリシャ人たちの原子論を知ることができる。



 (この記述はアシモフ先生の『化学の歴史』1967年、河出書房、によっています。いまはちくま学芸文庫で出ているらしい。高校生や大学一年生にはピッタリの本だと思ってます。)



 寺田寅彦先生とともにエライと私が思っている、ファイマン先生は『ファインマン物理学』(1967年、岩波書店。英語ならオンラインでただで読めます。)の冒頭に次のように書きました。いちばん大事な知識は物質がすべてある種の性質を持った原子から成り立っている、ということだ。なるほど、と私は思い、それだけは覚えました(^O^)

 さて、このあと、連句の本も発掘しよう(^O^)

2016年11月28日月曜日

ルクレチウスと、ラウエと、興味の対象ははてしなく増える

 寺田寅彦先生の「ルクレチウスと科学」を斜め読みする。ここでは原子論(物質の基本単位は原子。寺田は現代の原子と区別するため元子と表記している)の、嚆矢としてのルクレチウスを紹介するとともに、広く自然哲学者としてのルクレチウスを紹介している。
 途中に「しかし無限の空虚の中にいかにしてある「中心」が存在し、かつ支持されうるかという論難は、ニウトン以前の当時の学者には答えられなかったであろうのみならず、現在においても実は決して徹底的には明瞭に答え難いものである。」という一句がある。(iBooks版、寺田寅彦全集)

 この文章が発表されたのは昭和4年(1929年)であるらしいから、ハッブルが島宇宙の光の赤方偏移から、宇宙の大きさとその拡大を唱える以前に書かれた。寺田寅彦はこのへんの論争をもちろん知っていたので、「徹底的には明瞭に答え難い」と表現したのだと思う。

 ルクレチウスの言説は自然一般に渡っているが、寺田寅彦は現在の学者の専門に閉じこもりがちな傾向をやんわりと批判しようとして、この随筆を描いたと思われる。
 このあたりのことを、科学論文ではどう書いているか知りたい。寺田寅彦全集科学編を買うのもいいが、高いのでまずは現物を見てから。とりあえずは、インターネットで論文をあさる。



 寺田寅彦先生がベルリンでであったはずの、X線回折のラウエ先生。実際の生涯のことは知らなかったが、少しだけググってみたら、波乱万丈(もちろんナチスへの反抗)であることに驚いた。これも調べてみます。うーん。ドイツ語をもっとしっかりやっておけばよかったなあ。ドイツ語通訳をやっている友人に相談しようかしら。

2016年11月27日日曜日

寺田寅彦の勉強をつづけよう。大池昭二先生のことも。

 初冬の薄ら寒い曇り日。読書に最適。
 最近ハマっている寺田寅彦先生の周囲を調べる。

 リーゼ・マイトナーを主題に、核兵器開発にのめり込む科学者群像を描いた『二億電子ボルト』は読み終えた。リーゼは核兵器開発には手を染めなかったが、彼女の周囲の科学者の多くは、ナチスやソビエトへの対抗手段という名目に騙されて、結果として熱・冷戦の戦争協力をしてしまう。科学者の戦争協力についてはもっと調べる必要がある。
 一方、寺田先生の学問的な業績についての知識が少ないので、これに関しても調べを始めたいと思った。

 まずは弟子の中谷宇吉郎さんや坪井忠二さんのご意見を伺おうと彼らの著作をあたる。(もちろん、KindleやiBooksで無料本を手始めにする。)
 iBooksで多分青空文庫をベースとした、中谷さんの随筆があったので読んでみる。そのなかに「指導者としての寺田先生」という文章がある。1935年になくなった直後に寺田寅彦を悼む文章だ。寺田寅彦がいかに辛抱強く弟子を育成したかを繰り返し記述している。

 このなかに、「形の物理学」というコトバが出てくる。火花放電の形状をじっくり見ることにより、まだ良くわからない放電現象への知見が出てくるだろうというお話。これはもう少し突き詰めて勉強してみたいことである。分析第一主義に陥りやすい「科学」者への戒めなのだが、科学者でなく一般の現代の人々にも、ためになる話となるだろう。森有正先生の「体験」にたいする「経験」の重要性の話にも通じる(と思う)。寺田先生の「ルクレチウス」に関する文章も関連しそうなので、調べよう。すると、ルクレチウスの本も発掘しないといけない。うーん。辛い(つまり楽しい)!

 そういえば、ベルリンで会ったと思われるラウエの業績(結晶のX線回折)を紹介し、発展させようとしたのも寺田先生であった。X線回折像には学生時代魅了されていたし、卒業実験でも回折現象を取り扱ったのだが、その後はご無沙汰していた。これを機会にまた勉強し直すのも一興であろう。

 坪井忠ニさんについてだが、岩波全書の『地球物理学』の序文に、この本の前身の『地球物理学』の著者の寺田先生の回想が載っている。



 『地球物理学』を読んでいたら、突然、高校時代の地学の恩師でクラス担任をしていただいた、大池昭二先生のことを思い出した。ニックネームは「皇太子」、これは先生の人柄の良さを表していた。地学のていねいな講義はいまでもありありと目に浮かぶ。若くしてお亡くなりになられたと聞いていたが、詳しいことは知らなかった。

 思い立って、調べたら、訃報記事がすぐ見つかった。やはり、われわれが思っていたとおりの、優しいそして学問への情熱を背中で生徒に教えてくれる先生だった。

2016年11月26日土曜日

やはり推測は的中。しかもど真ん中でした。

 昨日に引き続き、プリングスハイム教授の素性を調べる。まったく偶然に先日購入した『Man of the World』を、家人の買い物のおつきあいで、ホームセンター駐車中の車のなかで拾い読みする。この自伝の著者はトーマス・マン夫人の甥のKlaus H. Pringsheimである。



 索引をみると、当然、何人かのPringsheim家の人々がリストされている。その中に「Pringdheim, Prof. Peter」という方がいる。Prof.がキーワードだ!
 118ページに、トーマス・マン亡命先のカリフォルニアで、Peter, Katja(トーマス・マン夫人), Klaus(自伝の著者の父)の三兄弟が25年ぶりに集まったと書いてある。そしてPeterおじさんはシカゴ大学の物理学の教授であるとも書いてある。

 このひとがプリングスハイム教授にちがいない。トーマス・マン夫妻と同様に、ナチスの手を逃れて米国に亡命したのであろう。

 名前が「Peter Pringsheim」とわかったので、あとはググるだけで幾つかのページが出てきた。これとかこれ。坊主頭は寺田寅彦の記述通り。若いとき(寺田寅彦があったのは1909年)からこうだったのですね。

 おまけだが、クラウス(父)プリングスハイムは日本で戦中まで高名な指揮者として活躍。戦争末期に米国へ出国。その息子の一人(ハンス・プリングスハイム)が戦後日本で外人タレントとして「連想ゲーム」などで活躍したという。
 
 一方で、『二億電子ボルト』も読み進める。ナチスは1933年に選挙で勝つ。ドイツ国民はヒトラーが選挙中におこなった極端に過激な暴言は、責任ある立場に付けば和らげられるだろうと期待したのだ。しかし、その甘い期待は完全に裏切られる。約束された経済的発展はもたらされないまま、ユダヤ系の人々への迫害がきびしくなるばかりとなった。

 このあたりは、現在の世界の指導者の今後の行動をうらなう上で、見逃せない歴史事実と思う。


 外国籍でその迫害を逃れていたリーゼ・マイトナーも、その母国オーストリアがドイツに併合されてしまい、亡命を余儀なくされる。しかし亡命生活の中で、中性子による核分裂反応の論文を書く。それは原爆の製造と使用に結果として利用されてしまう。

2016年11月25日金曜日

読んで調べて読んでまた読んで〜♫

 電子版全集本の編集の仕方を批評するのは本意ではありません。やはり、読書の世界にとびこんでもがくのが面白い。もがくとは以下のような狂態をいう。

 寺田寅彦先生の1909年のベルリン大学への留学記を読む。途中に「“若くて禿頭の大坊主で、いつも大きな葉巻を銜えて呑気そうに反りかえって黙っていたのはプリングスハイムであった。」とある。トーマス・マンのファンとしては、これはカーチャ夫人(旧姓プリングスハイム)の親戚ではないのかと思いたい。いろいろ調べたがなかなか証明はできない。ドイツ語が読めればベルリン大学の資料を調べるという手があるが…

 調べているうちに、このプリングスハイム教授は、『二億電子ボルト』なる自費出版本(著者は重山康祐氏)の55ページにちらっと登場されることを発見。リーゼ・マイトナーの先生だったらしい。(『二億電子ボルト』はGoogleプレイブックスで無料で入手可能。)

 これで、リーゼ・マイトナーと原爆のことなど調べたくなる。まず、この『二億電子ボルト』を読まなくてはいけない。

 ついでに寺田先生が留学するときの客船を調べた。日記(岩波四六版全集第一三巻)にルドウィッヒ号となっているが、これでしょうね。
1万トンの堂々とした船。第一次大戦後、英国籍になったようで、名前は変わっています。



 ここで妄想がムラムラ湧く。この船に、作中人物だが世界漫遊帰りのフェーリクス・クルルがのっていたらどうだろうか?時代は少し違うが、妄想なのでいいだろう。ついでに、寺田寅彦がヨーロッパで卒業旅行中のリービットさんにあっても、面白い。すくなくともブログ記事のネタにはなる。

 このように読んだり、調べたり、関連するものを読んだり、それらから得たトリビアを組み合わせて空想にふけったりするのが、私の読書法で、この泥沼にはまると、特定の一冊の読書スピードはおちるけれど構わない。楽しいから\(^o^)/

 昨夜はNHKBSでハッブルをとりあげていた。一応全部見た。今朝のTwitterで、ハッブルはアスペルガー症候群だと決めつける発言があり、反論されていた。人間にある種類のラベルをはるのは慎重であるべきだ。人間は多種多様な側面をもち、多種多様な場面で、予測できない行動をとる。ともかく人類の宇宙への認識を飛躍的に拡大させたハッブルの業績は大きい。ノーベル賞のレベルを超えている。

 もっとも、ハッブルの業績を支える礎は当時も今もめだたないリービットさんの仕事である。これを番組でも取り上げてほしかった😢

2016年11月24日木曜日

読書のやり方に光をあて、改善するのはお年寄りの仕事

全集本の一部。これを読むのは楽しみです。

寺田寅彦全集は1960年ころ、岩波書店からでた四六版十七巻クロース装版を持っている。非常に瀟洒な造りで、読むときに手に取る楽しみもある。寺田先生のエレガントな文章にピッタリの造本といえる。随筆は400くらい掲載され、他に日記(抜粋)や手紙や雑纂も収められている。普通に楽しむには十分な内容。

 青空文庫ではかなり(三百点くらい)の寺田寅彦の文章が電子化されている。それを個別にダウンロードして読んでも良い。「寺田寅彦全集」と称してこれらの電子テキストをまとめたものも何種かある。Kindle版もあるが、安いけれど有償。編集料ということか。目次が本文最初にあり、それから各文章に飛べるようになっている。目次は50音順。安易。Kindleの目次機能をなんで使わないのかわからない。

 出処はおなじだろうが、「寺田寅彦全集」はiBooksでも読める。こちらは無料である。内容はほとんどKindle版と同じ。これは目次はきちんとしている。ただし作品掲載の順序は不明。大雑把には年代順?ハイライト機能やしおり、メモ機能などはKindle版と大差ない。

 寺田寅彦の電子版全集としては、iBooks版に軍配が上がる。ただし、掲載順については改善の余地あり、ただだからいいでしょうと言われそうだが、それはちがう。

 どうすればもっと読みやすいのか朝風呂に入って考えた。目次と作品の配列がフレキシブルであって欲しい。つまり読者の好きな序に読めるようにして欲しい。いまのプラットフォームの上でもこれは簡単にできそうだ。電子図書の編集料をとるならこのあたりを充実させて欲しい。多少高くなっても払います(^O^)

 風呂であたたまりながらもっと考えた。書棚の整理は読書家にとって永遠の課題だ。本の配列も固定化されていてはだめで、読者の状況によって自由に配列が変わるのが望ましい。物理的本棚でも多少は行えるが、多数の本を入れ替えるのは肉体的に辛くなってきた。

 電子本ならここは自由自在にできる、はずである。しかし、まだ未開拓の分野なので、実際にはうまく出来ていない。Amazonのオススメ機能はほんの少しこの理想へ近づいたといえるだろう。ここはAIの助けが必要だし、従来の司書やそれ以上に読書のエキスパートのノウハウを活用したシステムを創るべき場所と思う。個人の嗜好や状況は時々刻々かわるので対応できるシステムにする必要がある。
 
 松岡正剛先生の『知の編集工学』という本がある。文明とは編集であるという、大風呂敷を拡げている本。松岡先生の活動の原点みたいな本。

 読者の立場からすると、どのように読書を進めるかのノウハウも編集技術の範疇に入ってくる。この読書のノウハウは経験を積んだ老人でないとうまく発揮できないし、発揮の仕方を社会に還元するべきと思います。

 夢中で力任せに読む若者のやりかたではなく、抑制されたやりかたで、読書を粛々とすすめる。そのためには経験から来るノウハウとそのノウハウを助けるツールの活用が大切になる。

2016年11月23日水曜日

落ち葉の季節だが、古いラジオは復活させますよ


葉をお菓子の箱にのせてみた。
京都旅行したヒトから、紅葉の葉をおみやげにもらった。これもきれいだが、実際の紅葉は目を奪うような色だったようだ。うらやましい。来年はいってみたい。


 最近は寒くて外出はしたくないので、しばらくほったらかしてあったラジオを3台「発掘」して、鳴らして見た。雑音で聞くに耐えなかったり、まったく聞こえなかったり。


ICF-5900 BCL時代のベストセラー
比較的新しいのは、ICF-5900。会社に入って2年目に三鷹の電気店で買ったので41年目。10年位は聴かなかった。聞こえるが雑音が多い。音量調節つまみを回すと出る雑音は、しばらく使っているうちに少なくなった。ボリュームの接点が自然に磨かれたのだろう。
 しかし、聴いているうちに、音が途切れる。電源の問題かと電源アダプタと本体の接点をみがく。効果なし(T_T)
 数時間、いろいろいじっていると、受信バンド切り替えスイッチに触ると、音が途切れることに気づく。ここも接触不良らしい。箱を開けて磨ければいいのだが、壊す可能性が大きいのでやめる。そのかわりに、これもスイッチを動かすことで接点の回復を狙う。うごかすこと数十回。だいぶ良くなった。スイッチの動かし方、特にFM放送を受信するときにスイッチをいっぱいに動かすのでなく、微妙な中間位置に止めると、音が途切れないことを発見(^O^)

 あとは、慣らし運転をして、自然に状態が回復することを祈る。ということで、ICF-5900で最近地元のFM大和をよく聴いてます。2日間ほど聴いてますが、快調。あとは、短波放送もうまく聞こえるようになればいいのですが。暇を見つけてトライしてみます。

もっと古い。パナソニックとSONYのラジオ。

 他にもっと古い、学生時代に入手したラジオたちがいます。やはり、受信が安定しなかったり、まったく聞こえなかったりするが、手入れして復活させたい。暇つぶしには最適な作業になる。引っ越しのたびに捨てようと考えたが、捨てないでよかった。

 ほったらかしにしないで、定期的に聴き続ければ、こんな事にはならなかったと思います。何事でも、継続するって大事ですね。むつかしいけど。
 

2016年11月22日火曜日

葛飾北斎の絵(北斎漫画)をみたりセシリアの自伝をよんだり

 地震や津波で直接・間接に被害を受けた方々にお見舞いを申し上げます。

 
 今朝は福島沖の地震で起こされ、その後津波の心配をしているうちに午前中の時間が3時間たった。

 地震の前にKindle Unlimitedで『北斎漫画』をみた。漫画という単語の来歴とここでの使われ方を調べる必要があるが、あとで。

 ともかく『北斎漫画』は、百科事典を絵で描いたようなモノである。4000と歌ってあるが、多数の事物をスバラシイ筆致でかきあらわしている。絵の一つ一つがすべて力強く、みる人の感動を呼ぶ。あらためて、北斎の凄さに感心した。

 90歳になろうとしても仕事を続け、あと5年生きられればオレは大物になると思っていたようだ。おそるべきエネルギー。どこまでできるかは分からないが、見習いたい。

 やっと、津波騒ぎもおちついたようなので、またセシリアの自伝を拾い読みする。


 227ページ。「On being woman」という章の最後にこのような記述がある。(私のつたない訳)

 「若い人々、特に若い女性に、よくアドバイスをもとめられます。私はvaleat quantumといいます。つまり、研究生活を名誉やお金のために送ってはいけません。名誉とお金が欲しいならもっと楽チンでやさしい道があります。研究生活をおくるなら、研究以外の何物も自分を満足させないとたしかめてください。他の何モノも手にははいりません。研究の高みに登ったときに視野が広がっていく。これが実感できるようになれば、他の何者も欲しくはなくなります。」

 すばらしく本質的で、しかも現状を痛烈に皮肉ることばとおもいます。

 (ラテン語は不得意😢。valeat quantumがわからんが物の本質的な価値といった意味合いがあるかも。出典もありそうですが、今後の宿題です。)

2016年11月21日月曜日

机上の模様替えや、タグいじりは精神衛生のため

私の昼寝用寝袋のタグ
午後のTVトーク番組に女優のT.K.さんが出演。毛布やタオルについている「タグ」をいじるのが子供の頃から好きで、切り取ったタグを常にゴムバンドを使って持ち歩いているという話を披露。観客に感嘆されていた。安心するという。

 精神のバランスをとると言う意味では、タグいじりも悪くはないが、机上や身の回りの片付けをすることが私にとっては有効らしい。

 理由なく片付けるのは、それはそれでしんどいので、今回はPCオーディオ環境を改善するという理由をつけて作業することにした。そのため、わざわざUSBDAC一体型のデジタルアンプを買ってみた。約3,000円。電源はUSBから供給するので、机上においてあったUSBDAC兼プリアンプ、デジタルアンプの本体と電源アダプタを机上から一掃できる。これらは、枕元オーディオシステムチームにトレードしそちらで働いてもらう。

机上。当面読む本も並べられた
新購入のUSBDAC兼アンプ
結果。これが机上オーディオシステム。確かに小さい。机上が広くなった。音もなかなか良い。PSの電源オン・オフに連動するのでUSBDACの電源には手を触れる必要がない。ただし、電源OFFのときに雑音が出るらしいので、なにかしら改善が必要。


 枕元システム。下にあるのはLPレコードのターンテーブル。黒いのはBluetooth。

 午前中いっぱいかかって、移設と結線と音出しテストをおこなった。さて、元気が出たので、仕事をするか。