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183ページ
紆余曲折を乗り越えて、出発したクルー5名は、多くのワームホールを通りぬけて遂に「目的地」に到着。ワームホールはどうもネットワークになっているようだ。地下鉄のように。216ページあたりまで読むと、この地下鉄道ネットワークのイメージは、『都市と星』から借りたのではと思えてくる。クラークへのオマージュ。
207ページ
エリーの「夢の父親」の言葉、「戦闘的な文明は、まずほとんどが自滅する。」は、この作品が宇宙人との「幸せな」接近遭遇にくみしていることを示す。ただし、エリーの周囲のほとんどの人はその反対に「不幸な」接近遭遇説をとる。『地球幼年期の終り』と比べる必要もある。
284ページ
失意のエリーは、「夢の父親」の示唆に従い、πの値をスーパーコンピューター(CREY)で計算しその無限の数の列中に究極の「メッセージ」を探そうとする。
それはいいのだが、訳文中に「プログラム修飾」という言葉が出てきた。「修飾」は「修正」だろう。modifyかmodificationを訳しそこねたようだ。コンピューターの専門家の校閲を受けてない翻訳で、ちと残念。この作品の価値を大きく損なうわけではない。翻訳の難しさを物語る例。
最後に、「メッセージ」が見つかったと、システムがエリーに知らせてくるところで、物語終了。
トータルで考えると、まずまず面白い作品だった。そして、SFは他の無数のSFを糧として作られるものだと改めて気づいた。科学論文を書きなれたセーガンなら、これは当たり前だったのだろう。セーガンの天文学上の業績を調べ、論文も少し読んで見たくなった。
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昼前にALL REVIEWSのオシゴトで書評OCR作業を一件こなす。三週間ぶり。
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相模大野のデパートの中の眼鏡屋さんに、眼鏡のつるの修理に行ってきた。
サロンでミルクココアを飲んだあと、隣接の相模大野図書館に行ってみた。システムが改修されたらしいので行ったのだが、インターネットの利用できる端末は前と同じ。画面が小さい。なんとか、頑張って国会図書館オンラインで、図書館送信資料を検索し、原二郎先生の文章を探す。4編ほど見つかった。印刷しようとしたら、利用者向け端末では出来ないらしく、館員さんの端末でやってもらう。
8ページ印刷してもらい、料金80円を払おうとして、財布を改めたら、小銭が79円しかない。あとは5千円札だけ。カードも使えないようで、困惑。なんとかお願いして、会計の館員さんに、お釣りを持ってきてもらう。手数をかけて申し訳ないとあやまっておいた。あとで、よく考えたら、あやまるほどのこともないのだが。
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