2019年9月12日木曜日

『吉田健一ふたたび』のおかげで、「ようやくぶり」に吉田健一本を引っ張り出した(*^^*)



『吉田健一ふたたび』を読んでいたら、どうも堪らなくなってきたので、書棚の奥(二列目)に隠れていた著書を、一列目に出してみた。15冊くらいある。他に文庫本が数冊(『東京の昔』、『書架記』、『私の食物誌』、翻訳物も。)あとで、リストを作っておこう。

昭和50年出版の『新編 酒に飲まれた頭』を少しめくってみる。
65頁付近、「旅と食べもの」。
東海道線の急行が発車するとすぐ食堂車に行き、大量のからしとソースまみれのハム・エッグスをつまみにして、ビールを飲む。これが本当に羨ましかった。これのおかげでずっと、ハム・エッグスを食べるたびに同じことをやるようになった。たしかにビールの肴に最適なのだ。

『新編 酒に飲まれた頭』の表紙絵は山藤さん

今回はじめて気づいた。内田百閒の『阿房列車』に似ている。なぜか、吉田健一の文章の「嘘の混入度」が内田百閒のそれにそっくりなのだ。この見方ができるようになったのは『吉田健一ふたたび』のおかげである。

もう少し読んだ、168頁あたりまで。「ある田舎町の魅力」。田舎町である児玉に行ってきたお話。ここも『吉田健一ふたたび』のおかげで、面白く読める。

次の話、「名古屋」の冒頭を読んでひっくり返った。
 「ようやくぶりで旅行して名古屋に行って来た。」
とある。一年ぶりとか三日ぶりとかでなく、去年ぶりなどと言うな、そんな言い方は日本語でない、とよく私は他人をたしなめていたのだが、吉田健一翁が「ようやくぶり…」と書いているとは。認識を改めたほうがいいのか。悩む。

『新編酒に飲まれた頭』は、他の一連の「ユーモアエッセイ集」(写真の左側に写っている)とともに、就職早々で大人との酒の飲み方を知らないときの、指南本としても利用した。酒に飲まれない方法を、これらの本で自然に習得できたような気がする。要するに、気負わないで、酒に(酒の酔いに)身を任せる。水泳のとき、体の力を抜いて水に浮くようなものだ。この意味で吉田健一(の本は)恩人と言っても良い。

ここらも実に内田百閒に似ている。

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Vrewという、AI字幕付けソフト(ビデオ各シーンに自動で字幕を付けてくれる)を見つけた。シゴトに使えそうかどうか、暇な時調べてみることにした。
https://vrew.voyagerx.com/ja/?fbclid=IwAR2uLcPbgq8x5T-dy_uj-TObrhNRxPiCt5cOEc-kQ-nahunCVT4No3a5IoQ

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