『植草さんについて知っていることを話そう』の続きを読む。行ったことのないニューヨークの地理を諳んじていた植草さん。寺山修司に地図を書き与えて、喜ばれたが、寺山修司がいわゆる観光土産(自由の女神像?)しか、お土産に買ってこなかった。という話がおかしい。
植草さんは晩年に念願かなって、ニューヨークには3回行ったが、この本によると、ほとんど本屋通いに終始し、旨い料理を食べるでもなく、劇場に行くわけでもない。夜は買ってきた本のリストを作っていたらしい。莫大な量なので、本に関する以外のことをやる余裕がなかったのだろう。
その後割と早く亡くなったので、この本も含め、蔵書をどの程度読んだのかは謎である。もっとも、最近のおおかたの「理論」によれば、本は手元に置くだけで、何割かは「読んだ」ことになるそうだから、大きな問題はなかったのかも知れない。俗に言う積ん読。
どちらにせよ、蔵書目録の作成と未発表原稿の整理はして欲しかった。手遅れだろうが(T_T)
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積ん読だけではなく、かなり読んだと自信のある、『宝島』の創刊直後の大判雑誌を出して眺めてみた。最初は『WonderLand』という誌名だったが、問題があり三号から改名した。植草さんは、名誉編集長だった。古雑誌はほとんど捨てていたが、この『宝島』だけは、植草さんが絡んでいた号は保存してある。大判の6冊以降は小型になり、紙質が(わざとだが)悪く、おかげで軽いので保管には便利だ。しかし、紙は赤くやけており、読みにくい。大宅壮一文庫には『宝島』もあるらしいので、どのように保管されているのか、見に行きたい。
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植草さんのことは、明日夜配布予定の、ALL REVIEWSメルマガの序文でも書いた。読みたい方はこのブログの右上のリンクをたどると、申し込める。
いや、申し込めます。ぜひそちらも読んでくださいm(_ _)m
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