『吉田健一ふたたび』を読み終えた。多くの方々のエッセイや評論や講演などが収められており、読みでがあった。
柴崎友香さんも「吉田健一の東京、小説の中の場所」という文章を寄せられている。(2017年7月17日に東大駒場で「吉田健一と文学の未来」という講演会があったらしい。他の講演者は富士川義之さんと武田将明さん。)
『東京の昔』が柴崎さんの講演の題材だ。彼女は2003年に中公文庫版で読んだという。私も手持ちのを調べたら、同じ中公文庫ただし、読んだのは1976年。この文庫版が出た年だ。単行本は1974年にでたとある。
戦前には銀座や横浜に「外国」が出張してきていた。欧州の新刊書もたぶんシベリア鉄道を使って早々と店頭に並んだのだとある。しかし、主人公の若い友人はそれに飽き足らず、友人たちの助けを得て、最後に郵船の白山丸でパリに向け旅立つ。
でも『東京の昔』の主題は昭和一桁であろう昔の、東京という「場所」である。非常に美しく書かれているのだが、そんな「東京」が存在しなかったとは言い切れない、と柴崎さんは述べる。
おそらく、「嘘の含有度」が適切で、この本を読んでいると、気持ちよくその「嘘」に酔うことができるのだと私は思う。酔いが冷めても、その「東京」は読んだ人の心の中に「記憶」として残る。吉田健一の面目躍如たるところだ。
2003年、1976年、1974年、そして1920年代という時代を通して、「東京」の記憶がいろいろな人の頭の中に存在し、それらが呼応する。その記憶を雲散霧消させずに、思い出しながら生き続けることが、悪い時代への抵抗となっていくだろう。
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昨日から非常に涼しくなってきた。そろそろ金木犀の香りがしてくるだろう。机周りの模様替えをした。モニター・ディスプレイの前のスペースが少し広くなり、参照する書籍を置く場所ができた。なかなか具合がいい。
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Vrewのテストを今日もやってみた。
評価。自前ビデオに字幕をつけたい人には非常に便利なソフトである。
私の目的は、精度の高い文字起こしなので、Vrewを使う必然性はあまりない。Youtubeに含まれる自動文字起こしと精度は大して変わらないからだ。
テストしていて気づいたが、自動文字起こしの精度を上げるには、そもそも「ゆっくり、はっきり」しゃべることだ。いわゆる、アナウンサー口調。
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