2022年4月6日水曜日

『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(鹿島茂さん)を読むことで、一棚書店経営の楽しさと危険を深く知る


『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(鹿島茂さん 中公文庫)を読み終えた。

「まえがきに代えて」より

「過去の繁栄の時代、人々はパサージュで、未来へと向かう夢を見ていた。もちろん、一人一人は活発に活動し、目覚めていたが、その集団的な無意識の中では、人々は、自分たちの未来を投影した夢の中でまどろんでいたのである。

この時代、すなわち、資本主義がまだ若く、健全だった時代、人々の見る集団の夢は、ユートピアのような未来への希望で光り輝いていた。」

本文では、19の様々なパサージュの盛衰が語られる。

「あとがきに代えて」より

「パサージュとは、ひとつの時代が語っていた夢の過去未来的表現にほかならない。」

ここを読んで、先日(一年くらい前?)高遠弘美先生の講義で聞いた、プルーストの『失われた時を求めて』の過去の動作を現在形で語るというお話を連想した。それは過去を生き直すことに他ならない。

PASSAGE by ALL REVIEWSの書棚で、過去に読んで感激した本を売るということは、自分もそしてその本を買って読む人も、過去を生き直すことになるのではないか。そうであれば、それはもちろん素晴らしいことである。一方、気をつけないといけないこともある。

やはり「あとがきに代えて」より(最後に近いところ)

「パサージュの敷居をまたぐには、それなりの覚悟が必要であり、意識の半分は、しっかりと覚醒状態においておかなければならない。そうしないと、いつしか、完全な夢の世界、「異界」へつれ去られ、こちら側の世界へと戻ってこられなくなる。」

昔の本を読み直し、それを売るということに熱中しすぎると、「黄泉の国」に入り込んでしまうのだ。自分の場合、それは50年近く前の時代を意味し、その時代は楽しくもあり哀しくもある。充分にオモシロイ世界だったのだが、そこにこだわりすぎると単なるノスタルジーの虜になってしまう。俗な言葉でいうと「昔はよかったぜが口癖のジジイ」になってしまうのだ。

現在の世界で、その本がどんな意味を持つかにもしっかり目を向けることが大切だ。新しい本を探して、それを読み、気が向けばそれも売る、ということはもっと大切だろう。

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昨日に続いて、BOOKS HIROの書棚に入れる本をもう一冊選んだ。『犬が星見た ロシア旅行』。これの短い「推し文」を作った。これはA5の紙に印刷して、本に挟むつもりだ。この手の作業が面白くなってきた。(黄泉の国に行かないように……)あまり熱中しすぎないようにしながら、続けよう。 




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