2019年3月13日水曜日

OLD REVIEWS試作版第三弾…『讀書法』(ブック・レビューの本)の自序

序に代へて (戸坂潤)

「讀書法」といふ題は、本當を云ふとあまり適切なものとは思はれない。「ブック・レヴュー」といふ題にしたかつたのだけれども、三笠書房主人の意見を容れて、この題にしたのである。私はこの本が、讀書術の精神を教訓する本ででもあるかのやうに受け取られはしないかと心配してゐる。内容は全く、色々の形と意味とに於けるブック・レヴューと、之に關係した少しばかりのエセイとからなつてゐる。

ではなぜ、こんなやゝ風變りな書物を出版するのか。簡單に云つて了へば、ブック・レヴューといふものゝ意義が可なり高いものでなければならぬといふことを、宣傳するために、特にブック・レヴューを主な内容とするかういふ單行本を少し重々しい態度で、出版して見る氣になつたのである。ブック・レヴューは之までわが國などではあまり重大視されてはゐなかつた。評論雜誌は云ふまでもなく、學術雜誌に於てさへ、卷末のどこかに、ごく小さく雜録風に載せられてゐるに過ぎなかつた。それもごく偶然に取り上げられたものが多くて、ブック・レヴューといふことの、評論としての價値を、高く評價してゐるとはどうも考へられなかつたのである。

これはどう考へても間違つたことだと思ふ。現に外國の學術雜誌では、ブック・レヴューに權威を集中したやうに思はれるものが多く、澤山のスペースを割くとか、或ひは卷頭へ持つて行くとかいふ例さへある。學術雜誌でなくても、ブック・レヴューのジャーナリズムの上に於ける眞劍な意義は、高い價値を認められてゐるやうに見える。それに又、文藝評論家や一般の評論家達の登龍門が、ブック・レヴューであるといふこと、現代の有名な評論家の多くがブック・レヴューの筆者としてまづ世に出たといふ例、これは相當著しい事實なのである。それから又、わが國でも實際上さうなのだが、ブック・レヴューは同じ雜誌記事の内でも、特に好んで讀まれるものであるといふ現實がある。

 かういふ事實を前に、ブック・レヴューの文化上に於ける大きな意義を自覺しないといふことは、どうしても變なことだと考へられる。ブック・レヴューをもう少し重大視し、尊敬しなければならない、といふのが私の氣持である。處が偶々、東京の大新聞の若干が、しばらく前ブック・レヴューに或る程度の力點を置くやうになつた。スペースや囘數を增した新聞もあれば、ブック・レヴューの囑託メンバーを發表した新聞もある。その他一二、ブック・レヴューを主な仕事とする小新聞の企ても始まつた。この原因については色々研究しなければならないが、一つは所謂際物出版物に對する反感から、本當に讀める書物を、といふ氣持が與つて力があつたらう。讀書が一般に教養といふものと結びつけられるやうな一時期が來たからでもあるだらう。尤もこの氣運とは別に、最近の戰時的センセーショナリズムは、新聞紙の學藝欄を壓迫すると共に、ブック・レヴューへの尊敬は編輯上著しく衰えたのではあるが。

「ブック・レヴュー」を意識的に尊重し始めたのは、一年半程前からの雜誌「唯物論研究」である。實は之は私たちの提案によるのだ。まづ評論される本の數を、毎月(毎號)相當多數に維持することが、最も實質的なやり方だと吾々は考へた。少くとも十四五册についてブック・レヴューを掲げるべきだとして、そのためには、紙數の關係から云つて、一つ一つのブック・レヴューはごく短かくならざるを得ないが、誰も知つてゐるやうに、原稿用紙三四枚に見解をまとめることは、實は原稿用紙數十枚の努力をさへ必要とすることである。それだけ質は高いものともなるだらう。

 とに角、分量の上で多いといふことは、ブック・レヴューに壓力を附與するための最も實質的な手段である。之が實施された上で、質の向上を望むことも困難ではない。それに、或る程度以上に數が多いといふことは、ブック・レヴューの對象となる本の選擇から、その偶然性を取り除く點で、甚だ必要なことなのだ。思ひつきのやうに、ポツリポツリと載るのでは、なぜ之が選ばれたのか、またなぜ他の本が撰ばれなかつたのか、問題にする氣にもならないだらう。注目すべき本は、或る程度、又或る方針の下に、やゝ網羅的にのるといふことが、ブック・レヴューの權威を高める所以だ。之にはどうしても、少くとも數の上で盛り澤山でなくてはならぬ。

以上のやうな見解の下に、今日に到るまで雜誌「唯物論研究」は「ブック・レヴュー」尊重主義を引き續き實行してゐる。その内容は別の問題として、編輯上の精紳は注目されていゝ。現に「文學界」は多少之に類似したブック・レヴューを試みるやうになつたし、「新潮」と「文藝」とも亦、ブック・レヴューを正面に押し出すやうになつた。「科學ペン」亦さうである。文化雜誌としては當然なことであるが、わが意を得たものと云はねばならぬ。

ではブック・レヴューとは何か、といふやうな抑々の問題になると、本書の「ブック・レヴュー論」といふ文章もあつて、今こゝに評説する餘裕はないと思ふが、要するにブック・レヴューなるものは、クリティシズム(批評・評論)の一つの分野か、一つのジャンル、であると思はれるのである。出版物としての本を紹介批評するわけであるが、問題はその本が出版されることの文化上の意義、その本に含まれてゐる思想や見解や研究成果の文化上の意義、といふやうなことを評論することの内に、横はるのである。つまり出版された本を手段として、その背景をなす文化的實質を評論する、といふことがブック・レヴューの意味で、さういふ評論のジャンルや領野が、「ブック・レヴュー」といふーつのクリティシズムなのである。決して單に本を紹介するだけが目的ではない。紹介・案内・そして廣告・推薦、といふことも目的の一部分でなくはないが、最後の目的はもつと廣く深い處にあるだらう。だからブック・レヴューを本式にやると、いつの間にか、その本が文藝の本ならば、最も具體的で且つ時事的な文藝評論にもなつて來るのだ。時とするとブック・レヴューだと云ひながら、その本はそつち除けになつて、本とは直接關係のないエセイになつたりする場合も、例が多い。又逆に大抵の多少は文獻的な粉飾󠄁を有つた評論やエセイは、要するにブック・レヴューみたいなものであるとも考へられる。

 で私は、「ブック・レヴュー」といふものがクリティシズムのーつの重大なジャンルであり、一分野であるといふこと。そしてわが國では之まであまりその點が世間的に自覺されてはゐなかつたらしいといふこと、このニつの條件に基いて、かういふ風變りな本を出版することにしたのである。私が右に述べたやうなことは、勿論澤山の人が嫌ほど知つてゐることだ。ブック・レヴューが評論の入口であるといふやうなことは、クリティシズムに關する常識だらう。(本多顯彰氏などいつも之を説いてゐる。)併し個々の文學者や評論家の常識であるといふことゝ、世間が之を自覺してゐるといふこととは、勿論別だ。世間は之を自覺すること決して充分でなかつたといふのが、事實ではないだらうか。

さて、本書を世に送る所以は、右のやうな次第であるか、併し私が決してブック・レヴューの模範を示さうといふやうな心算でないのは、斷るまでもあるまい。もし萬一之が模範にでもなるとしたら、ブック・レヴューを今日の水準から高めるよりも、寧ろ却つて低める作用をしないとも限りない・私がこゝに登録したブック・レヴューは、私の力自身から計つても、決して滿足なものではなく、又世間の水準から云えば愈々貧弱なものだといふことを、卒直に認めざるを得ない。それにも拘らずかういふ貧弱な内容のものを敢えて出版するのは、つまり一種の宣傳(「ブック・レヴュー」のための)であり、このまづいものを以て宣傳することが、やや滑稽に見えるとすれば、結局私はこの宣傳のための犧牲者になるわけなのである。私はこの位ゐの犧牲は忍ぶことが出來る。さういふ圖々しさを必要な道徳だとさへ思つてゐるから。ただ恐れるのは、之によつて逆効果を來たしはしないかといふ點だけだ。この本のおかげで、ブック・レヴューといふもの一般の信用を傷けることになりはしないかゞ、心配だ。

模範を示すことは出來ないが、「ブック・レヴュー」といふもののサンプルの若干を示すことは出來たかも知れない。『讀書法日記』とか「論議」とか『ブック・レヴュー』とか「書評」とかいふ類別が、夫々サンプルであり、さうしたサンプルを集めたこの本は、云はばカタローグみたいなものでもあらう。たゞ大抵のサンプルは實物よりも良くて他處行きに出來てゐるものであるが、このサンプルだけは、云はば實物よりも劣つてゐるやうに思ふ。つまりブック・レヴューの外交であるこの筆者が、相當の犧牲者である所以である。


『讀書法日記』は「日本學藝新聞」にその名で連載したものであり、『ブック・レヴュー』は「唯物論研究」の同欄に載せたものである。「書評」は主に新聞や雜誌に所謂書評として發表されたもの。いづれも特になるべく樣式の原型をそのまゝ保存することにした。サンプルとするためである。「論議」はブック・レヴューに準じたエセイであり、「餘論」はブック・レヴューそのものに關する若干の考察からなつてゐる。

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出典 『讀書法』(戸坂潤) 昭和13年1月 三笠書房刊
国会図書館デジタルコレクション
(下の画像も)


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(あとがき)戸坂潤はこれまで知らなかった。国会図書館デジタルコレクションを見ているうちに偶然見つけた。この序文でも一部紹介されているが、盛りだくさんの『讀書法』である。「目次」を見ていると猛然と読みたくなってきた。これを読めば「ブック・レビュー」のなんたるかがわかりそうだ。

戸坂潤の本は図書館にあまりおいてない。古本は意外に安く出回っているのに…

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