2019年3月30日土曜日

OLD REVIEWS試作版第七弾…「私の知ってゐる南方熊楠氏」(中山太郎)

私の知ってゐる南方熊楠氏 中山太郎

私は南方熊楠氏を、奇人だとか、變人だとか、又は單なる物識りだとか、そんな陳套な文句を以て品隲することは、氏に對する大なる冒瀆であると信じてゐる。私は斷言する、南方氏は奇人とか變人とか云ふそんな小さなケタは、生れながらに超越した偉人であり哲人であると云ふことを。而して南方氏こそ眞に生ける日本の國寶であることを。

我が南方氏は日本に過つて生れた大學者である、言ひ換へれば日本が過つて生んだ大天才なのである。學者必ずしも天才ではなく、天才又必ずしも學者でないが、南方氏に在つては一身で此の二面を具へてゐるのである。寡聞ではあるが私の知れる限りでは、其の學殖に於て、其の精力に於て、然も識見に於いて、氣魄に於て、我が南方氏に比肩すべき者を我國の現代に於て、其現代に於て
否、我國の過去に於ても遂に發見することが出來ぬのである。彼の勤續四十年を以て歐洲の學界に有名なるキングスカレツジ教授ダクラス氏が『南方は大偉人なり』と敬服し、更にロンドン大學總長ヂツキンス氏が『南方はそれ異常の人か、東西の科學と文藝とに兼通せりと激稱したのは、決して世辭でもなければ追從でもない、氏は不世出の大偉人、大異常人なのである。
    ○
南方氏の學殖に就ては、苟くも本書を通讀せられたお方ならんには、其の該博と深遠とに必ず驚かるゝことゝ思ふので敢て説明せぬが、精力の絶倫に就ては、氏が大藏經を三度精讀したとか、内外古今の書籍を讀破したと」か、そんな月並のことではなく、更に驚くべき事實が數々ある。然し此處に其の總てを盡すことは許されぬが、私が一番驚いてるることは氏の書信である。一度でも氏の書信に接したお方ならば、卷紙に毛筆の飯粒大の細字で通例三尺五尺、長いのは一丈二丈と云ふ、一通讀むにも三日は、かゝると云ふほどの書信を、一氣呵成に書きあげる精力である。然もその書信たるや南方一流の引例考證の微に入り細を極めたもので、書き出しの時間と書き終りの時間(氏は如何なる書信にても此の事を附記する)から推して、引用書を參考する餘裕はないと信ずるので、あれだけのものを全くの暗記で認めるのかと思ふと、實際異常の人を叫はざるを得ないのである。然も斯かる長文の書信を、明治三十四年の歸朝後に於て先づ佛教に就ては故土宜法龍師(仁和寺門跡、後に高野山座主)に、植物學に就ては理學博士白井光太郎氏に、民間傳承に就ては柳田國男先生に、神話及び童話に就ては故高木敏雄氏に更に粘菌學に就ては小畔四郎氏に、淡水藻に就ては上松蓊氏に、人類學び粘菌に就ては平沼大三郎氏に、多きは數百通、少きも數十通を寄せてゐる。以上の中で私が披見したものは白井博士、柳田先生、小畔氏の三氏だけであるが、故高木氏の分は學友ネフスキー氏の談によれば、一部の書册をなしてゐたと云ふし、上松氏の分も、平沼氏の分も、又相當の量に達してゐることゝ思ふ。これだけの書信、それは營業としてゐる手紙書きでも遣󠄁れるものではない。然もそれを研究の傍ら遣󠄁り通す氏の精力には誰か企て及ぶものか。

氏の識見と氣魄とに就ては、別項に就て記す考へであるから改めて此處には舉げぬ。更に氏の專攻である粘菌學に於て、如何なる位置を世界的に占めてるるかと云へば、これは左の數字が雄辯に證明してゐる。

大正十五年迄の世界植物學界に報告されてゐる粘菌の總數は、本種變種の二つを併せて(以下同じ)二百九十七種であるが、此の中で南方氏が獨力で發見報告した數は實に百三十七種に達し、氏の指導を受けてゐる小畔氏が五十二種、同じ上松氏が五種、外には理學博士草野俊助氏が十七種を報告してゐるだけで、他は世界各國の諸學者の報告である。多くを言ふを要しない。纔に此の一事から見るも氏の貢献の如何に重きをなしてゐるかゞ窺はれやう。氏が英國で發表した『燕石考』が、今や十二ケ國の國語に飜譯されてゐるとか、更に『神跡考』が内外學者の驚異となつてゐるとかと云ふことは、氏の名譽には相違ないが、然し氏にとつては全く餘技である。これを以て氏を測らうとするのは、未だ廬山の總てを盡くさぬ人の管見である。

私も敢て氏の總てを知つてゐるとは言はぬが、如上の書信を通じ、更に氏を知る方々のお話を承り、それへ私が大正十一年五月から八月まで、前後九十日間親しく氏の口から聽いたことを綜合して、その輪廓だけでも明かにしたいと思ふ。聽き違へ覺え違ひも澤山あらうが、それは總て私の罪であることは言ふまでもない。
(以下略)

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出典 以下の書籍の「解説」
『南方随筆』 1926年 岡書院 国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)


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今日もネタ探しを続けた。
即興詩人の口語翻訳版の序文と鷗外の序文。宮沢賢治本の序文など、やってみたい。






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