2019年5月4日土曜日

OLD REVIEWS試作版第十一弾…『巴里の三十年』訳者序(後藤末雄)


此書はドーデェが十七歳の時、故郷から巴里に出てきた以來、三十年間の文士生活を記錄したものである。

この著作の證明する通り、ドーデェは纎細な享樂家であつた。アナトール・フランスはドーデェを批評して、「予はドーデェぐらゐ熱烈な愛情を以つて、自然と藝術とを愛した人を知らない。また彼以上、多くの歡びと、力と、優しさを以つて、萬象を享樂する事の出來た人を知らない。」と言つてゐる。蓋し知言であらう。ドーデェは田舍者らしい仰山な歡びを好み、また哄笑を愛して、絶えず饒舌を弄してゐた。ドーデェが闥を排して笑顏を現はすと、如何ほど陰氣なサロンでも、直ぐさま笑ひと歡びとに充ち渡つたさうである。實際、彼は子供のやうに生活を樂しんで、一生を終つた幸福人であつた。そして彼は歡びを樂しむと同時に、苦しみも樂しむことの出來た人であつた。其れが彼の幸福人たる特質であつた。彼は幻滅的な小說を作る時にすら、薔薇色の雲の中に坐してゐた、と言はれてゐる。まつたく彼は笑ひと共に、淚を持つてゐた。

「ドーデェは快活な善人が、常に勝利を博し、陰欝な惡人が、常に所罰される事を確信してゐた。隨つて彼は自己が幸福な人であると同時に、他人の不幸に對して無限の同情を持つてゐた。彼が常に快活であつた理由のーつは、此處に存在してゐた。」とランザムが言ってゐる。

「巴里の三十年」中の各篇は、書物になる以前、大抵、新聞雜誌に掲載されたものであつた。彼が「フイガロ新聞社」を書いたのは千八百七十九年の事で、最後の「ツルゲエネフ」は、此の書の出版された年、卽ち千八百八十年に書いたのであつた。此書の内容に就いては、此書をして語らしめよう。併し、たゞ、一言、書き添へて置きたいのは、著者が深い感謝の念を捧げて、「フロモンとリスレ」の中に描きだした、ドーデェ夫人のことである。ドーデェは此の夫人と、千八百六十七年に結婚した。その後、三十年間の結婚生活は、彼の一生を通じて、唯一の溫い慰籍であつた。

彼が「藝術家の妻」の中に力強く描いた、不幸な陰影に依つても、彼等夫妻の生活は曇らなかつた。ゴンクールの「日記」の千八百七十四年六月五日の條に、斯ういふ記事が見えてゐる。――昨日、アルフオンス・ドーデェが、細君と一緒に來て、我々と午餐を共にした。此の夫妻が共に勞作をする樣子は、兄と妹の仲に似てゐる。夫人も執筆する。そして私は文章上から言へば、夫人も亦立派な藝術家だと信ずる理由が存在してゐる。

要するにドーデェは佛人の銳敏な感覺と、纎細な魂を以つて、「自然」と「人」とを感得し、觀察して、考察した藝術家であつた。その爲に彼は同代人から愛され・今も尙、現代人から愛されてゐる。讀者は此の譯書中に、此の特質を發見するであらう。

予は此書を譯するに方つて、布施延雄氏の助力に俟つことの多かつた事を述べて、深く同氏の勞を謝するものである。

大正八年六月
譯者しるす

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出典 『巴里の三十年』 アルフォンス・ドオデエ 著 後藤末雄訳 大正八年 新潮社
国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)

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あとがき
訳者の後藤末雄は、後に『中国思想のフランス西漸』を書いた。平凡社の東洋文庫に收められている。早速、図書館に予約を入れた。なお第2巻はAmazonで超安値のようだ。
後藤末雄の著作や訳本は国会図書館デジタルコレクションでいくつも読める。いろいろ読んでみたい。

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朝から爽やかな天候だったが、夕方雹をともなう雷雨。

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雨上り を待って、図書館に行き、2冊借りてきた。ジーヴスは美智子さまに教わった本。

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