2019年4月6日土曜日

OLD REVIEWS試作版第八弾…「宮澤賢治」(横光利一が宮澤賢治をベタ褒め?!)

宮澤賢治 (横光利一)

宮澤賢治といふ詩人の全集が出る。友人や知己の著述󠄁に序文を書いたり、推薦文を書いたりするときには、それらの人々の述󠄁作そのものよりも、眼に見た日頃の人物の全幅を言外に云ひ現さうとする努力のために、多少とも筆力に誇張を應用させて文章を書かねばならぬ。この心理は筆力が誇張に落ちてゐるそれだけ、筆者の腦裡に膨脹してゐることが多いものだ。しかし、宮澤賢治といふ詩人については、私は生前一面識もなく、また何人なるかも知らなかつたので、この推薦文を書くにあたつても、何らの誇張を用ひる、必要を私は感じない。私はこの詩人が詩人であるがために魅惑を感じたのでもなければ、またこの詩人の人格の高きを聞き傳へて、全集刊行員の一員となつたのでもない。私はたしかにこの詩人が、以後の日本文學の中に於て、必ず現れなければならぬ大人物だと思つたそれだけである。この人の仕事に關する批評は、今後數多く現れることであらうと思ふが、今はただ私は心ある人々の注意がこの詩人に向ひ、優れた批評の一日も早く現れることを待つのみである。幸ひにいまは、私の尊敬してゐる現代最高の詩人の一人である高村光太郎氏や草野心平氏が、すでに世紀を拔いた詩人としてその光鋩を認められた後であるが、ひとり詩壇にとつてこの詩人が大きさを持つものとは私には思へない。私はこの詩人の全文をまだ通讀する機會には接しないが、外部の格率を破つて奔騰する内面張力や、その朗々たる明朗な律動や透明淸澄な品位の中に傍若無人に横臥し粘着する感覺などは第二として、稀に見る科學と宗教との融合點火に加へて、最も困難な垂直性を持つ生命感の全篇に漲ってゐる特長は、萬葉に似て更に一段の深さをたたへてゐると思ふ。しかしただここに私に一番遺󠄁憾に思はれることは、今少しこの詩人に長生きをしてもらひ、ボードレールのやうに人間心理といふ精神科學の大溪谷の中にも踏み迷ふ冒󠄁險をしてもらひたかつたことである。あまり早くからこの詩人は自然と法則とについて考へすぎた。しかし、この缺點をもしこの詩人から取り除いたなら、宮澤氏の日常生活はあのやうに高貴なものにはならなかつたであらうと思ふ。ここにわれわれの考へさせられる生活と文學との重要な問題が横つてゐるのを感ずる。けれども自然科學を本職とする生活を選び、その生活から詩を抽象した宮澤氏の確實な實踐には、心理の探索などといふものはも早や無用のものであつたのであらう。

私にとつて氏に驚異を感じる第一のものは、この無用を有用とせずして無用とした大膽な覺悟である。ここから氏の宗教は流出して詩となつたにちがひない。チエホフの短篇を、三行で書き得ると豪語した端倪も恐らくこのあたりにあつたのであらう。(昭和九年六月)

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出典 『覺書』 横光利一  昭和10年 沙羅書店
国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)
ここで紹介されていると思われる『宮沢賢治全集』は、インターネット公開はされていません。近くの図書館か国会図書館へ行く必要があります。


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