2019年4月16日火曜日

「永遠のノートル・ダム」を見つける

未明にJに起こされた。ノートルダムが燃えているとのこと。Twitterなどで探ってみると、確かに日本時間の午前2時ころにパリのノートルダム大聖堂で火が出て、燃え広がっているらしい。しばらくニュースなどを見て、どうしようもないので眠った。燃えるノートルダムの写真を撮っている夢を見た。赤い炎も。

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今朝になって、いろいろニュースなどを見ていると、やっと様子がわかりだした。入口両側の塔や後陣や両側の外壁など石造りの部分はなんとか、焼け残ったが、中心部分(木造)のところは焼け落ちた。バラ窓も3箇所のうち1箇所しか残らなかったらしい。原因は改装工事中の失火だと言われているらしい。

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ノートルダム大聖堂を、「考えること」いや「体験」から「経験」への苦しい移行のよすがとした、森有正さんを思い出した。
「遙かなノートル・ダム」(1967年)と「遠ざかるノートル・ダム」(1976年)は、他の本と同じく今でも身近においてある。1965年11月の手記には「霧の朝…、ノートル・ダムの黒ずんだ石の壁が霧の奧に冷たくかすんでいる。」と書き、1974年の手記には「ノートル・ダムはパリと融合してくる。…正面玄関のロザース(薔薇窓)辺の石の壁面の美しさは、見ていても多くの場合我々には見えていない…パリの空間感覚…豊かで自由な感覚から離れてそれに気がつくことはむつかしい…」と書いている。
森有正さんは、豊かで自由な感覚をパリで手に入れてすぐに亡くなってしまった。

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このような、ノートルダム大聖堂への傾倒をパリの多くの人々は持っているのだろう。
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森有正さんの文章に憧れて、約40年後、会社定年後にやっとパリに行けた私には、もちろんそのようなノートルダムに対する感覚は持ちようがなかった。観光地のモニュメントとしてしかみることは出来なかった。三年間、三度にわたり訪れたが、同じだった。当たり前だが…
やっと見ることが出来たという意味の感慨は、一回目がもちろん強く、このブログにも記事を書いた。2009年10月28日付けの記事

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マクロン大統領は再見を誓ったが、私が生きて再建された姿をみることは無いと思う。しかし、美しく再建されたパリのノートルダム大聖堂の「永遠の姿」は私の空想の中にすでに現れようとしている。これをもっとよく「見る」ためには、パリならぬ今住んでいる土地で「自分」を、自由で豊かな生活の中で追求しなければならない。

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