2021年8月30日月曜日

やや散漫なオシゴトのメモ


堀江敏幸さんの書評集『本の音』(晶文社)を、借りてきた。あとがきから読む。 引用すると、

「……書評の器に盛ったおかげで、ただ漫然と読んでいただけでは理解できなかったこと、人と話をするだけでは腹に染みてこなかったことが、はっきりとした輪郭をともなって見えてくる。」

と謙遜されている。たしかに書評(らしきもの)を書くことは我々にとっても深い読み・理解への道だろうと思った。

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朝読書の時間に「コミュニティ・マネジメント・マニュアル」の材料集めをした。

「ナッジ」について、三中さんの『読む・打つ・書く』の194、196、200、207頁を参照してマニュアルにどう書くか決めたい。

以下は引用。

「書評読者をポジティブに“ナッジ”する――「それとなくほのめかす、軽く誘導する、という意味」(那須・橋本 2020, p. 3)――のは賛同的書評によく見られる戦略だ。」

「冒頭行の「嫌な予感」という言葉は潜在的読者層を本書から早々と遠ざけるネガティブな“ナッジ”として威力を発揮するだろう。」

「書評を通して働きかけてくる(あるいは“ナッジ”してくる)書評者」

「自分の書評を見てその本を開く気になるというのは、自分で自分を“ナッジ”しているということではないだろうか。“ナッジ”という概念はもともと他者に対する働きかけを合意している。しかし、存在論的に見れば“今日の私”は“昨日の私”とは別々なのだから、過去の私が書いた書評が現在の私を“ナッジ”すると解釈しても特段の不都合はないだろう。そういう時間軸に沿った“自己加圧的ナッジ”の能力が私が書き続けてきた書評に潜んでいると考えるのはとても興味深い。もちろんその“書評ナッジ”が自分だけでなく、私の書評を読んだ他の読者に対しても何らかの作用を及ぼすとしたらそれはそれで私の望外の喜びだ。」

新規加入者にはやや手厚い歓迎と適切なSlackチャンネルへの誘導を。
既存加入者には“ナッジ”だ。

その間の共通考慮点はMOI論(『スーパーエンジニアへの道』)かな。

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『ナッジで、人を動かす 行動経済学の時代に政策はどうあるべきか』 
著者名 キャス・サンスティーン/著 田総 恵子/訳
出版者 NTT出版
出版年月 2020.9

そもそも「ナッジ」とは何かをよく知らない!

まず世の中の評判を知りたいので、試しにこの本を借りてみることにした。

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午後、YPさんと打ち合わせ。

「書評調査/収集」第一次レポートは、記事にしていただくことになった。その簡略版note記事は性格曖昧なのでボツ。自分でもそう思っていたのでこれでいい。レポートが記事化されるのは嬉しい。

「コミュニケーション・マネジメント(CM)」はまだ考えがまとまらないので、一ヶ月延期していただいた。一ヶ月でできるかもややギモンだが、頑張ってみる。

9月前半は文字起こしと書評調査/収集の二本立て。その間CMに関して調査。イソガシイが楽しんで出来ることをやりたい。

今日の打ち合わせの自分用備忘メモを一時的にSimplenoteに書き込んである。作成資料の保管方法を考える。Googleドキュメントに個人用フォルダー作るか。

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BGM。

Ten preludes, op. 23 and op. 32
by Rachmaninoff, Sergei, 1873-1943; Rachmaninoff, Sergei, 1873-1943. Preludes, piano, op. 32. Selections; Richter, Sviatoslav, 1915-1997
Columbia
Publication date 1962
https://archive.org/details/tenpreludesop23o00rach/01_Side_1_Ten_preludes__op._23_and_op._32.mp3


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